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野崎は佐藤と同じテントを使っていた。

二人きりになると、佐藤が切り出した。


「なぜ、あんな強引な方法を取ったんですか、野崎さん」

「……仕方がないだろう。今、榊原君に抜けられては困るんだ」


野崎は、榊原の力を必要としていた。

五階層でも十分に戦えるだけの力を持つ彼女を、今さら手放すわけにはいかない。


まだ本決まりにもなっていない島の買収話を持ち出し、彼女を追い込んだことには後ろめたさもある。

だが、まったくの嘘というわけではなかった。島の警備を強化するため、一般人の出入りを制限したいという打診は、日本政府から実際に受けている。


ただし、榊原は一般人ではない。

ディメンションリンク事業部の社員だ。


それを意図的に曲解し、大げさに伝えたのは、まずかったかもしれない。

それでも野崎は、彼女を手放したくないと考えていた。


そのとき、佐藤が思いもよらないことを口にした。


「野崎さんは、モナミに結婚してもらいたくなくて、あんなことを言ったのですか?」

「は? 彼女が誰とどうなろうと、私には関係ないだろう。探索には彼女の力が必要なんだ」

「ですが、モナミがそろそろ生涯の伴侶を求めても不思議ではありません。この先も探索のために引き留めるのは、どうかと思いますよ」


「今回の探索が終われば、ILTはディメンションリンク事業部へ戻す。日本の採掘者も育ってきたからな。このラビリンスが最後になるだろう」

「ですが、この先にも階層が見つかったら、野崎さんはどうなさいますか」


野崎はすぐには答えられなかった。


「……そのときは、そのときだ」


その日も迷宮の夜空には、外の世界と変わらぬ星々がまたたいていた。

そうして、夜は静かに更けていった。


***


「今日からは、チーム全員でラビリンスへ入る。ただし、二手に分かれて左右の道を調べる。前回進んだ中央の道は、小宮山の地図によれば行き止まりだ。右の道が中央部へ抜ける本来の経路らしい。左の道も地図上では行き止まりのようだが、念のため確認しておきたい」


説明のあと、私たち右回り班にも異次元ドアが渡された。

マジックバッグには六つもの異次元ドアが収められている。

迷宮の各所に設置し、採掘者がいつでも拠点へ戻れるようにするつもりらしい。


「特に安全地帯を見つけてほしい。そこに異次元ドアを設置するのが本来の目的だが、設置場所の判断は各自に任せる。必要だと思ったなら遠慮はいらない。好きにしてくれ」


野崎は左のルートを探索する。

地図によれば、行き止まり付近に安全地帯になりそうな広い空間がある。そこを目指すつもりらしい。

私は野崎に尋ねた。


「野崎さんたちは、行き止まりまで進んでから拠点へ戻るのでしょうか」

「いや。君たちのルートに戻って合流するつもりだ。こちらにはジョバンニとコロがいる。すぐに追いつける」


私は、今度はジョバンニを貸してほしいと言われ、不満げになりながらも承諾した。

だが、あとで合流できると聞いて、少し安心した。


右回り班は、私と佐藤さん、それに小宮山君だ。ほかにはミミたちもいる。

野崎の班は、護衛たちに馬淵君、愛菜、それからコロとジョバンニ。

きっと大丈夫だと自分に言い聞かせながら、私はラビリンスへ足を踏み入れた。


迷路の道幅は結構広かった。

だが、両側に高い壁が迫り上がって圧迫感がある。上を見上げれば、天井はなく四角い空が覗く。まるでビルの谷間にいるみたいだ。


「ここに空を飛ぶ魔物がいないのは助かったわ」


崖の上から十日以上観察したかぎりでは、羽のある魔物は見当たらなかったのだ。

小宮山君も頷く。

「本当に。今上から攻撃されたら、対処に手こずりそうです」


小宮山君の魔法みたいな力は、実は限界があった。一日七回魔法を使えばその後はただのか弱い人間に逆戻りだ。

身体能力はまったく向上しておらず、防具の装備は野崎に誂えてもらったが、それも成長していない。何とも、心許ない守りだった。

だから、私はずっとシールドを展開している。


右手にはハンマーを持ち、左手にはタワーシールドを構えている。

重さは感じないけれど、ずっとこの姿勢を保っているのは結構疲れる。


気がかりなのは、ミミたちだ。

彼らは分かれ道に差しかかるたび、シールドの外へ出て、率先して周囲を調べに行ってしまう。いくら私が止めても、まるで聞こうとしない。


今もここに残っているのは、シロちゃんとチャンタだけだ。ミミとコタロウ、ぺぺは索敵に出たまま、まだ戻ってきていない。


「佐藤さん。みんな、大丈夫かしら。少し帰りが遅い気がするわ」

「モナミ、まだ十分しか経っていないよ」


佐藤さんは苦笑しながら、心配性の私の頭をぽんぽんと叩いた。


「ぺぺがこっちへ来る」


ぺぺの後ろから、五匹の狼が追ってきていた。


「ぺぺ!」


ぺぺは私の姿を認めると、さらに速度を上げて、すぐにシールドの中へ飛び込んできた。


「魔物を連れてきた。モナミ、やっつけて!」


なんということ。彼は、わざと魔物をおびき寄せてきたのだ。

勢い余った狼たちが、次々とシールドに激突する。

そのたびに弾き返され、地面へ転がった。


そこへ佐藤さんが踏み込み、ハルバードで一匹ずつ突き刺していった。


狼たちは光の粒となって消えていく。

その後も、ミミやコタロウが、魔物をおびき寄せてきた。


「ここは狼しかいないようだな」


ハルバードを振り抜いた佐藤さんが、ふうっと息を吐く。


ここでの戦いは、ほとんど佐藤さんとチャンタが担っていた。

小宮山君はいざというときの切り札。私はシールドを維持する役目だ。せっかくのハンマーも、まだ一度も使っていない。


「シールドを解けば、シールドバニッシュが使えるけど、そうしたら守りが不安だわ。私はこのまま守り役に徹するしかないわね」

「これがあるおかげで、私たちは安心できる。わざわざ戦う必要はないですよ、榊原さん」


小宮山君がラビリンスの地図を見ながら、これからの経路を確認する。


「次の分かれ道を左ですね。ただ、右へ少し進んだ先に、やや広い空間があります。どうしますか」


「それほど遠くはないな。全員で右へ向かい、確認しよう。もし安全地帯なら、異次元ドアを設置する必要がある」


佐藤さんが、私たちの班のリーダーだ。


このラビリンスには、ところどころ光の届かない薄暗い場所がある。

太陽がゆっくり動くにつれて、高い壁が落とす影の位置も変わっていくのだ。


「迷宮なのに、まるで地上と変わらないわね。太陽が沈む前に、安全地帯を見つけないと」


太陽の位置からすると、もう四時くらいだろうか。


日が傾けば、高い壁に遮られて光はますます届かなくなる。日没を待たず、ラビリンスの底は真っ暗になってしまいそうだった。


それから二時間ほど、私たちは薄暗い迷路を歩き続けた。

佐藤さんのハルバードが放つ光を頼りに、壁から湧き出すように現れる魔物を倒しながら進んでいく。


コタロウ、ぺぺ、シロちゃん、ミミは、小さなナイフを器用に操り、持ち前の素早さと数を生かして戦っていた。チャンタもメリケンサックを打ち込み、彼らと見事な連携を見せている。


あの子たちは、索敵ができるだけではなかった。

私が心配するまでもなく、戦いでも八面六臂の活躍を見せていたのだ。


そうして魔物を倒しながら進み、私たちはようやく広い空間へたどり着いた。

そこは、地図から予想していたとおりの安全地帯だった。


そこは、以前ミミが話していた場所によく似ていた。

澄んだ水の湧き出す池があり、その周囲には果樹が生い茂っている。リンゴやブドウに交じって、数は少ないが、アンブロシアの実もなっていた。


「果物だけか……。パンとか肉もあればいいのにな」


小宮山君が不満を漏らした、そのときだった。

私たちの目の前に、突然エロスが現れた。


《確かに! そうであったな。よし、その願い、叶えて進ぜよう》


そう言うが早いか、エロスは何もない地面から数本の木を生やした。

満足そうにこちらを振り返り、にっと笑うと、忽然と姿を消してしまった。


私は恐る恐る一本の木に近づいた。

枝になっているドリアンのような実をもぎ取ると、どこからか、ほのかに焼きたてのパンの匂いがする。


「これって、パン……なの?」


隣では、小宮山君が別の実を割っていた。


「こっちは生の鶏肉みたいです。火を起こしましょう」


小宮山君が得意の技で火を起こすと、ほどなくして焼けた鶏肉の香ばしい匂いが広がった。

とはいえ、誰も調味料など持ってきていない。


「仕方ないな。まさかラビリンスで肉が手に入るなんて、思ってもみなかったしな」


塩気のない鶏肉には、佐藤さんもあまり食指が動かないようだった。

その一方で、ミミたちは目に見えてはしゃいでいる。

木の実をぽとぽと落としては、私に保管してほしいとせがんできた。


この先の安全地帯でも、同じものが見つかるとは限らない。

私はマジックバッグに、鶏肉の実やパンの実をせっせとしまい込んだ。


安全地帯には芝生が生えていて、地面も柔らかい。

テントを張り、その中に布を一枚敷くだけで、心地よい寝床ができあがった。


小宮山君と佐藤さんはテントすら張らず、芝生の上に直接布を敷いて休むことにしたようだ。


安全地帯の中には、魔物がまったくいない。

入り口付近には、ときどき魔物が姿を見せるものの、ここへは入ってこられないようだった。


それでもミミたちは、入り口の近くで周囲を警戒しながら休んでいる。


警戒心は、彼らの体に染みついているらしい。休んでいるあいだも耳は絶えずぴくぴくと動き、わずかな物音がしただけで、ぱっと目を覚ます。


それを見て、佐藤さんが小さく笑った。


「見張りは彼らに任せて、私たちはゆっくり休ませてもらおう」

「本当に助かりますね。コタロウもぺぺも、頼んだよ」


「うん。任せて!」

「俺たちにはいつものことだから、気にしないで。ゆっくり休んでね」


犬や猫は、本来こうして警戒を残したまま眠るものなのだろう。

私と一緒に島の家で暮らしていたころは、へそ天でグースカ寝ていたのに、今ではその姿が嘘のようだ。

プロメテウスと過ごす日々の中で、獣本来の野生に目覚めたのかもしれない。


私たちの周囲には、採掘者セットのカンテラがいくつか置かれていた。

今まで使う機会のなかった道具だ。

こうして眺めていると、これもまた神が作り出した品なのだと思い知らされる。どこを見ても、燃料を入れるような部分は見つからない。


「いったいどういう仕組みだ?」

「佐藤さん。真似したくても無理ですよ。神様仕様なんですから」


カンテラの明かりは、真っ暗な空間の中で柔らかく揺れていた。


それを眺めているだけで、一日の緊張がほどけていく。やがて瞼が重くなり、私はいつの間にか眠りに落ちていた。


翌朝、目を覚ましても、辺りはまだ薄暗かった。

それでも、体は十分に休めたようで、疲れはすっかり取れている。


わずかな明かりを頼りに池で顔を洗い、身支度を整えていると、佐藤さんも起き出してきた。


「たぶん、もう七時ごろだろう。朝日がラビリンスの底まで届くのも、もうすぐだ」

「日の光が差す時間が短いと、行動できる時間も限られますね」

「今日は長く歩くことになりそうだ。昨夜、小宮山君と地図を確認したが、次の安全地帯までは、かなり距離があるようだからね」


異次元ドアを安全地帯の壁際に設置し、動作を確認する。

ドアを開けて向こう側を覗くと、すぐ目の前に拠点が見えた。


「これなら、戻ってこられそうな気もしますけど」


「やめておくんだ。もし同じ場所へ戻れなかったら、また入り口から出直すことになる」


迷宮が動き出すまでは、この異次元ドアとのつながりも保たれているのではないか。私は実際に拠点へ渡り、ここへ戻ってこられるか確かめたかったが、佐藤さんに止められてしまった。


「一応、ここの座標を書き留めておきましょう。ラビリンスの出入り口は四か所あります。私の予想では、迷宮は四回動けば元の位置に戻るはずです。いずれ四つの座標が分かれば、対応するプリセットボタンを押すことで、ここへ戻ってこられると思うんですが」


「なんにしても、今試すのは危険だ。これから時間をかけて検証していくしかないだろうな」


ようやく小宮山君が起き出す頃には、あたりはすっかり明るくなっていた。


「ああ、よく寝た。六時頃ですか?」

「いや、もう八時は過ぎているだろうな」


出発するぞと佐藤さんに声をかけられ、小宮山君は慌てて身支度を整える。


パンの実を一つもぎ取ると、それをかじりながら歩き出した。


安全地帯を出たところには、魔物の群れが待ち構えていた。

だが、小宮山君が魔法で蹴散らすと、魔物たちはあっという間に光の粒へと変わった。


六匹もいたのに。

魔法って、やっぱりすごい。


私たちは、その後も順調に進んでいった。

太陽がラビリンスの真上まで昇る頃、上から降り注ぐような熱気が、容赦なく私たちの体力を奪い始めた。


「昨日はこんなに暑くなかったのに。どうしてかしら」

「ラビリンスの中も、いくつかの区画に分かれているのかもしれない。地図で見ると、ここは第二の入口に近い区画じゃないか?」


地図を確かめると、たしかにそのようにも見える。


ひょっとすると、四つの入口は四季になぞらえられているのだろうか。

だとすれば、ここは夏の区画ということになる。


では、冬の区画は凍えるほど寒いのではないだろうか。

けれど、私たちがそこを通ることはないはずだ。このまま中央を目指すだけなのだから。


「佐藤さんと夕べ確かめたんだけど、この道が中央への最短経路らしいんだ。ほかの入口からだと、二倍、三倍も長いうえに、道もかなり入り組んでいた」

「じゃあ、私たち、運が良かったのね」


そう口にした、その直後だった。

先行して索敵に出ていたぺぺが、全身を血に染めて戻ってきた。

「ぺぺ!」


佐藤さんがすかさず治癒をかける。

傷を癒やされているあいだも、ぺぺは焦ったように私へ伝えようとしていた。


「この先に、おっきな奴が待ち構えてる。角も生えてた」

「角が生えていて大きい……ミノタウロスかな。一階層と二階層のボスだった。そこまで強くはなかったが」


その佐藤さんの意見に、小宮山君が異を唱えた。


「ラビリンスといったらミノタウロスですよ。最初に会ったあのミノタウロスは、お試し版だったんじゃないですか」


その後、ミミとコタロウも戻ってきて、口々に報告した。


「おっきな魔物がいっぱいいる」

「これくらいいた」


そう言って、コタロウが両手の指を広げてみせる。


「十体もいたの……ミノタウロスが……」


幸い、こちらへ向かってくる気配はないようだ。


佐藤さんは難しい顔で考え込んでいる。

このまま最短経路を進み、魔物の群れと対峙するか。それとも、遠回りを承知で別の経路へ進むか。


しばらく悩んだ末、佐藤さんが出した結論は、そのどちらでもなかった。


「野崎さんたちが合流するのを待とう」



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