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「どこでも行けてしまうドアがあれば、世の中の半分の問題が片が付くのでは?」
――そんなどこでもドアができた世界。すごくないか?
交通手段は必要なくなる。道路を作る費用や、メンテナンスも要らない。交通インフラなんぞ、金のかかるものは吹っ飛ぶだろう。
人里離れた場所に居を構えることが可能になってしまう。
漫画を読みながら、一人悦に入る、ある天才科学者がここにいた。
「時空を歪めてねじってくっ付ければ良いだけだろう。かのアインシュタインの理論。これだ!」
これをどうすれば良いのか――
「そうだ、時空の歪みは質量によって起こるのなら、質量をどこまでも大きくすれば良いんじゃないか。簡単だ。やってみよう」
こうしてどこでも行けちゃうドアが完成した。
科学者は楽しくなって世界中にこの基礎理論を発信した。
その直後――彼はどことも分からない時空の彼方へ飛んで行ってしまった。
***
数年後、この科学者の理論は多くの学者に研究し尽くされ、世界はとんでもない姿に変わっていた。
政府は一時期、国民を統制しようと四苦八苦したが、もはやどうにもならないほど、この新技術は行き渡ってしまったのだった。
地域格差はほとんど姿を消し、都市集中型の生活形態は崩れつつある。
孤島に居を構える者、山中に住処を見つける者。
国民の多くは、都市を離れて家を建て、そこで悠々自適の生活を送っていた。
かく言う私も、孤島を一つ買った。
そして今、理想の我が家を手に入れた。
愛犬が三匹、猫が五匹。
彼らと過ごすために、コミュ症の私はここにいる。
仕事は「自由移動空間歪曲異次元ドア」を使えば、一瞬で片がつく。
病気になれば、都市へ行けばいい。
買い物へ行くのも一瞬だ。重い荷物もカートに入れてそのまま自宅へ直行だった。
一時期これは「*こでもドア」と呼ばれていたが、いろいろと問題ありとされて、このような面倒くさい正式名称に落ち着いた。
今、日本の各都市から徐々に地方へ人が流れ出している。
都市の役目は、職場、商業と医療。そして政治を担うのは変わらないが、遠方に住んで、職場がある都市へ通う人も増えてきているのだ。
「今日は仕事。一週間に一度だけの出勤日。はあー、面倒くさい」
仕事をしなければ、この快適な生活を維持できないので、仕方がない。
私は異次元ドアの前に立った。
このドアは”安心安全設計”と謳われている、座標付きの純日本製だ。
以前は度々事故が起きたそうだ。どこへとも知らない場所に自分が現れてしまうという問題だった。
今は、座標が設定できるようになった。細かく計算された座標付きの最新モデルだ。
これには、登録座標が十か所まで入れられる。
プリセットボタン「職場」をポチッと押すと、真っ赤だったドアが、ぐにゃりと形をゆがめた。
私の目の前には、黒とも灰色ともつかない虚空が広がっている。
そこに一歩踏み出すと、たちまち全身を圧迫感が押し寄せた。
「いつまでも慣れないこの感覚……でも、便利なのよね」
浮遊感は一瞬で消え、目の前にぽっかりと四角い穴が開いた。そこへ踏み入った途端、人とぶつかる。
これは異次元ドアあるあるで、同じ空間へ入るタイミングが重なると、たびたび起こる現象だ。
「おや、今日が出勤日だったのかい、榊原君」
この会社のCEO、野崎雅人。若干三十八歳でトップの地位を獲得した気鋭だ。
コミュ症の私が一番苦手なタイプである。
「……はい。企画書を提出して、夏の長期休暇に入ります……」
「ああ、例の企画書か。楽しみにしているよ。内容によっては、しばらく榊原君の休暇が削られるかもな。ははは」
「あ、あの……」
「君もそろそろ昇進したいだろう。前回君が提出した座標固定案は、実にセンセーショナルだった。どうだね、君は自分の作り出した座標を使ってみて」
「は、はい。おかげさまで……」
自分が提案した技術の被験者になって、無償で使わせてもらっている異次元ドアの改善案。
それが、今回の企画書の内容だった。
野崎がまだ何か言い出す前に、私は分厚いレンズの黒縁眼鏡の奥に自分の顔を隠すようにうつむき、そそくさとその場を小走りで離れた。
エレベーターは使わない。ここで野崎と一緒に、数十秒も気まずい沈黙に耐えるなんて、とてもできそうになかった。
オフィスのある二十階まで階段をせっせと上る方が、よほど楽だった。
階段をやっと上りきると、広々としたロビーがある。
ここは、異次元ドアエンタープライズ社ディメンションリンク事業部が占めるフロアだった。
このディメンションリンク事業部の開発課に、私は所属している。
同じ開発課には、私と同じにおいのする仲間が四人いた。
そのセクションに足を踏み入れて、ようやく人心地がついた。
「お、もなっち。おはよう」
「……弁慶。一週間ぶりね」
相変わらずごつい体の弁慶。これはあだ名ではなく本名だ。
名は体を表すというけれど、弁慶はまさしく巨体だった。
でも、心は少女。私のことも「もなっち」と呼ぶ。
「ねえ、もなっち。今回の会議に何を提案するの?」
「大したことは考えていないんだ。次元ドアの不安定アルゴリズムの安定化……かな」
私たちはリモートワークはしない。ハッキングされてしまうおそれがあるためだ。
だからこうして、一週間ごとに顔を合わせて、お互いの研究成果を話し合う。
他の三人は、今日はまだ出勤していないようだ。
弁慶は花柄のパーカーにジーンズをはいている。
私はいつものリクルートスーツだ。
同じ課にいても、それぞれが好きな格好でいられるのは、この開発課ならではだ。
この自由さが、私には居心地がよかった。
私のリクルートスーツは、何も考えなくていいから気に入っている。
自宅にいるときは、ボロボロのジャージで過ごしているけれど、一応、人前に出るのだ。
学生時代の就活で使っていたこの古いリクルートスーツは、私にとっては防具と言ってもいいかもしれない。
「もなっち。それよりも、座標の再設定をしなければダメみたいだよ。この間の大地震で、数センチ座標がずれたって報告が上がったのよ」
「……ええーっ! またあの、地獄のような計算ずくめの日々が……」
「それはコンピューターに入力すればいいだけだから、今度は大丈夫。あたいが入力しておいた。これが今回のあたいの報告」
「助かった。さすが弁慶」
そこへ、開発課課長が残りのメンバーを連れてやってきた。
「みんなそろったところで、さっそく報告があるんだが、いいかな」
課長は五十三歳の研究者だ。百五十八センチしかない、痩せ型の小柄な人である。
神経質そうな青白い顔をしているが、実は温厚で、めったに声を荒げることはしない。
だが、今日の顔色はいつにも増して悪い。
「何かあったんですか、真垣課長」
「事業部から、提案があってね。会社の方針で、異次元ドアを低価格で製造できないかという案だ」
その話を聞いて、開発課のみんなは言葉を失った。
異次元ドアは高価ではある。しかし、それは安全設計のためには削れない部分だった。
初期の異次元ドアは、たしかに安価に仕上がっていたが、その結果、各地で事故が頻発したではないか。
初期モデルの異次元ドアは、まだ実験段階の技術だった。
行きたい場所を思い浮かべれば、その場所に行けたまるで、魔法のようなものだったそうだ。
だが、思い浮かべるというのは不確実だ。
海に出現したり、ビルの最上階から落下したりする事故が相次ぎ、多くの研究者が命を落としたのだ。
そのため安全装置を固定するため、各国はしのぎを削ってきたのだ。
それを度外視すれば、どうなるかは目に見える。
「事業部では、今後は、かつての自家用車並みの値段にしたいと言ってきた。『一家に一基、次元ドア』がコンセプトだそうだ」
外国の企業はすでに開発に進んでいると言うことだった。
「開発って……実質、以前のモデルに変えるってことですよね」
「そういうことになるだろうな。基本の理論に立ち返るという、もっともらしい旗を掲げている。発展途上国向けに安価な次元ドアを売り出す予定なんだとさ」
ひょろりと背の高い佐藤さんが、しかめっ面でそう言った。
もう一人の女性社員、可愛いギャル風の豊田愛菜が、
「それって開発する意味あるんですか?」
と首をかしげる。
この春入社したばかりの愛菜は研究者ではない。
会議の日程調整や資料整理、他部署との連絡役を担当している。
私たちだけなら、たぶん誰も電話に出ないし、出社時刻さえ忘れるだろう。
そういう意味では、愛菜は開発課に必要不可欠な存在だった。
その愛菜に答えられるメンバーは一人もいなかった。
だけど、その答えなら、みんな分かっている。
もし開発課が「否」という結論に至ったとしても、会社は別の部署を使って初期モデルの再設計を押し進めるだろう。
そうなれば、安全性に関する知見を持つ私たちだけが蚊帳の外に置かれる。
話し合いにもならない会議は、重苦しい沈黙のまま終わった。
その後は、それぞれ持ち帰って考えるという話に落ち着き、その日は退社したのだった。
一人、我が家でくつろぎながら愛犬たちのもふもふに癒やされている。
猫たちは天井近くに作ったキャットウォークで丸くなったり、窓辺で日向ぼっこをしたりと、それぞれ好き勝手に過ごしていた。
ジョバンニはゴールデンレトリバーで、ペットの中では一番のお年寄りだ。
首のあたりをぐにぐにと撫でると、優しい茶色の目で私をうっとりと見つめてくる。
「ねえ、ジョバンニ。魔法みたいに自由に次元ドアが使えたら、すごいことだよね……」
私の頭の中では、めまぐるしく世界中を行き来出来る異次元ドアの未来を探っている。
今現在は、場所ごとに異次元ドアが設置されてドア同士の移動しかできないようになっているが、もし、初期モデルのような自由さが安全性と共に実現できたのなら、素晴らしいのではないのか。
あの理論はすでに完成されていて、どこもいじることができない。
――ではどこを変える事が出来るのか……。
――危険がない移動をするにはどうすれば良いか。
問題は、使う人間の側にあるとするのなら……
思考の固定化――それができれば安定するだろうが、人間の思考をどうすれば固定できるのか。
新興宗教の教祖が使うようなマインドコントロールが出来れば……できそうな予感があった。
「いけない! これは、危険な発想だわ……」
危険を排除するために、もっと危険な領域へ踏み込むところだった。
そう思うと背筋が冷たくなる。
私は考えるのをやめて立ち上がった。
こういうときは外へ出るに限る。
この無人島は半径二キロほどの小さな島だ。
中心には小高い山があり、その麓には澄んだ池がある。
犬たちは好きなときに走り回り、猫たちは好きな場所で昼寝をする。
柵もない。
リードもいらない。
車に轢かれる心配もない。
ペットたちにとっては天国みたいな場所だった。
そして私にとっても。
出不精の私にとって、人混みも騒音もないこの島は理想の住処だった。
ペットたちが走り回る姿を見て微笑んでいると、ポケットの携帯が鳴った。
出てみると、CEO 野崎だった。
「榊原君。この間君の提出したアルゴリズムの安定化の発案だがね……」
「……はい」
こうしてしょっちゅう野崎は連絡してくる。私の休みなどお構いなしなのだ。
時間には比較的配慮しているつもりなのだろうが、気分が落ち込んでいるときにはイライラさせられる。
「折り入って話をしたいのだがね、こちらへ出てこられないなら、私の方からそちらへ出向いても構わない……」
「い、いえ、行きますので。時間と場所を指定してください」
「……そうかね。じゃあ、明日の十二時に社まで来てくれたまえ」
その直後に、また携帯が鳴る。今度は愛菜からだ。
「ceoから連絡が行ったはず。何だって?」
「明日、会社に来いって……」
「やっぱりね。課長が野崎CEOとやり合ったみたいなの。うちの課、なくなるかも」
個別に引き留め作戦でもするのだろうか。課長は会社に辞表を出したそうだ。
これからどうなってしまうのか、途端に不安が押し寄せてきた。
ジョバンニたちとの静かな生活が、消えてしまうかもしれない。
私は明日の野崎との面会に向けて新たな原案を練るため、一晩中悶々とすることとなった。
大したアイデアも湧かないうちに夜が明けてしまった。
「チャンタ。行ってくるね」
「ミャーオ」
愛猫たちに餌と水を与え、心配げに見つめてくる愛犬たちをひとしきりなで回して、異次元ドアに入る。
いつものような不快感に耐えていると、目の前に出口が見えてきた。
「このままどこかへ行けたら良いのに……」
出口を抜けるとそこに野崎が待ち構えていた。
目をなるべく合わせないようにぺこりとお辞儀をすると、彼は早速振り返って歩き出した。
大人しく野崎の後を付いていくと、エレベーターに乗り込んだ。
唇を噛んで私も一緒に乗り込む。
野崎が最上階のボタンを押したのを見て、首をかしげた。
最上階は野崎の個人フロアだ。
「あ、あの……」
「ああ、セクハラなんかしないから心配しないで。他のメンバーはもう来ている。内密の話だ。私の住居で話したい」
ニヒルに笑いながら、私を見て肩をすくめる野崎CEO。
そうだよね。私なんかに魅力がないのは分かっている。馬鹿な危機感を抱いたものだ。
眼鏡を押し上げて、じっとエレベーターの表示が変わって行くのを見つめる。
野崎も同じように黙って見ていた。
お互い一言も口を開かないうちに最上階へ着いた。
野崎の個人フロアは豪華だった。贅沢に仕切られた広い空間は全面ガラス張りで、無機質な感じなのに、家具の配置が絶妙で洗練されている。
感心して見ていると、野崎がお先にどうぞと手を差し出して私を促した。
フロアの一角に応接セットがあり、そこに弁慶や佐藤さんが座っていたのを見て心が軽くなった。
弁慶はひらひらのフリルが着いたブラウスに、ドレスに見えなくもない広いキュロットパンツを履いていた。
佐藤さんは、いつものだらっとした服ではなく、ネクタイをきちんと締めて、まるで会社員風だった。
改めて自分の服装を見る。朝愛犬たちをなで回したので、黒いリクルートスーツには犬の毛がいっぱい付いていた。
少しだけ肩身が狭くなって、ソファーの端に腰掛ける。
「愛菜は?」
こそこそと弁慶に聞くと、彼は片目をつぶってある方向を指さした。
振り返る。
愛菜はちゃっかりコーヒーを運びながらこちらへ歩いてくるところだった。
私たちの前に慣れた手つきでコーヒーカップを並べると、自分の分も置いて当然のように席へ着く。
「お疲れ様でーす」
さすがギャルだ。物怖じしないいつものキャラはブレない。
彼女は、お尻が見えそうなくらい短いミニスカートにタンクトップ、つめは色とりどりに塗られていた。
むっちりとした太ももをきちんとそろえて、野崎の方に挑むような目つきで身構えている。
いつもながら、若さとはすごいものだと目をぱちくりさせてしまった。
野崎はそんな愛菜には目もくれず席に着いた途端話し出す。
「この度集まって貰ったのは、君たちの部署を解体することになったからだ。聞き及んでいると思うが、真垣は辞表を出した」
「……」
皆、愛菜から聞いていて知っているようだ。誰も声を荒げていない。私も肩を落とした。
――引っ越しをしなければダメね……職探しも……。
「これから話す事はオフレコで頼む。そして万が一断る場合には書面で拘束させて貰う」
何やら不穏な響きだ。皆固唾を呑んで見守った。
「今後我がディメンションリンク事業部は親会社から独立する。その際に君たちには新たな開発部の立ち上げに携わって貰いたい」
「新たな開発部とは?」
佐藤さんが身を乗り出して聞いてくる。弁慶も食いついてきた。
「異次元ドアの安全対策室みたいなものですか?」
「いや、異界へ抜けるドアの開発だ」




