天より降りし力
マムートの主砲が火を噴いた。
空を切り裂くような、腹の底に響く不気味な唸り。
――ヒュゥゥゥゥ……ッ!
次の瞬間、レオン隊の背後の森で榴弾が炸裂した。
ドガァァンッ!!
火炎の閃光が木々を照らし、遅れて生木が裂ける甲高い音と、鋭い木片が雨のように降り注ぐ。湿った緑の匂いが一気に濃くなり、兵士たちの頬を木片がかすめた。
「撤退だ! 煙幕展開!!」
レオンは即座に判断した。
白い煙が丘陵の裏側に広がり、視界を遮る。
「ガルム、後衛を頼む!」
「任せろ!」
狼獣人たちは盾を構え、撤退する歩兵の前に立ちはだかるように動いた。
煙の中でも、彼らの耳と鼻は確かに敵の位置を捉えている。
その様子を見たオークたちが、迫撃砲の角度を変えた。
「両翼に煙幕だす! 撃てぇ!!」
ボンッ! ボボンッ!
左右の丘陵に白煙が立ち上がり、谷全体が白い霧に包まれていく。
煙幕を嫌うように、二両のマムートが前進を開始した。
道路上に放置されたトラックを、まるで玩具のように押しのける。
その鼻先を――ティーゲルの徹甲弾がかすめた。
――ワァァンッ!!
鋼鉄が空気を引き裂く音が谷間を貫いた。
岩陰から車体を半分だけ出し、ティーゲルが初弾を放ったのだ。
「外した! なんで急に止まるのよ!」
「次弾装填します!!」
ロボが抱えるほどの巨大な90mm砲弾を、主砲の薬室へと押し込む。
特徴的な金属音の後、装填完了を示す緑のランプが灯る。
「ファイア!!」
メリナの叫びと同時に、ティーゲルの主砲が再び火を噴いた。
――バンッ!!
二発目は、マムートの車体前部の銃塔に命中した。
装甲がへし曲げられる甲高い金属音とともに、銃塔の金属筒が吹き飛ぶ。
その裏の正面装甲に徹甲弾が食い込み、内部で鉄片が銃弾のように跳ね回った。
火花が散り、車内の照明が一瞬だけ明滅する。
だが――
「……まだ動くの?」
メリナが息を呑む。
マムートは隔壁構造を持つ重戦車。
前部区画が破壊されても、主砲塔の兵員は健在だった。
砲塔が、ゆっくりとティーゲルの方へ向き直る。
アデーレは歯を食いしばった。
「……来るわよ。撃ち返してくる!」
マムートの主砲がティーゲルを向く。黒い点にパッと閃光が走り、直後、身を隠していた岩肌の上でオレンジ色の炎が跳ねる。
そして、炎は数条もの濃い白煙をひき、煙が周囲に立ち込めはじめた。
煙幕だ。
「やってくれますね。煙幕で目隠しして、遮蔽から追い出すつもりですか」
(――私たちを置いて、歩兵を追い回すつもりだ)
アデーレは冷静に敵戦車の意図を見抜いた。
ティーゲル号の周囲は、あっという間に白い闇に包まれた。
マムートの主砲が撃ち出した煙幕は、ただの視界妨害ではない。
エーテルを混ぜた濃密な煙が、空気そのものを重くしている。
「何も見えない。これじゃ、射撃どころか動くことも……」
カリウスが操縦桿を握りしめ、歯を食いしばる。
車内にも薄く煙が入り込み、金属の匂いが鼻を刺した。
「全員、ガスマスク装着! 急いで!」
アデーレの声が車内に響く。
メリナが照準器から顔を上げ、素早くマスクをつけた。
「敵戦車は歩兵を追っています。このままじゃレオン隊が追いつかれる。
――ティーゲル号を前に!」
「でも、この煙じゃ運転するのも危険だよ!」
カリウスの声は震えていた。
戦車は視界がなければただの棺桶だ。
丘陵から足を踏み外せば、湿地や沼に転げ落ちる。
一歩間違えば、ティーゲルは足を取られて一巻の終わりだ。
そのとき――ロボが前に身を乗り出した。
「いえ……大丈夫です。周囲の地形は、完全に頭に入っています。歩く速度と同じくらいで進めますか?」
「一速なら、なんとか……。本当にいけるのか?」
「ええ。信じてください」
ロボはアデーレを見上げた。
震えるその瞳には、恐怖ではなく〝覚悟〟が宿っていた。
アデーレは一瞬だけ迷い――すぐに決断した。
「……やってください、兄さん」
カリウスが深く息を吸い、ギアを一速に落とす。
「ティーゲル号、前進――!」
履帯がゆっくりと泥を噛み、白い闇の中へと進み始めた。ロボは前方の小さな視察窓に顔を寄せ、まるで煙の向こうを嗅ぎ分けるように呟く。
「右に岩。左は湿地。そのまま真っ直ぐ……あと三歩で段差になる。
そこ! 少し左へきって……!」
「了解……!」
ティーゲル号は、煙の中を盲目のまま進んだ。
だが、その足取りは確かだった。
アデーレは砲塔の中で息を殺し、煙の向こうに潜む巨影――
マムートを待ち構える。
「……絶対に、逃がさない」
ティーゲル号は、白い闇を切り裂きながら前進を続ける。
白い闇の中をにじり寄るように前進する鉄の巨獣。
ロボの地理感覚だけが頼りだ。
視界はゼロ。
音と振動だけが、戦場のすべてだった。
そのとき――
ティーゲルとは別の方向から、低く唸るエンジン音が近づいてきた。
「……来た」
ロボが息を呑む。
直後、煙の向こうでダダダダダッと機銃の連射音が響いた。
マムートが主砲の同軸機銃を撃ち、音でティーゲルの位置を探っているのだ。
装甲に当たれば金属の音がする。
そのときに引き金を引けば、主砲が当たるというわけだ。
「なるほど、上手いこと考えるわね……」
メリナは照準器を覗きながら、敵の工夫に舌を巻いた。
煙幕の中、音での探知――戦場で磨かれた技だ。
ロボは耳をそばだて、音の反射と方向を必死に拾う。
「……方位※30-31。そこにいます!」
※軍用コンパスの指標。10時から11時方向の間。
「了解、探す!」
メリナは照準器の角度を微調整し、煙の向こうにわずかに見える〝光〟を探した。
――見えた。
機銃の発砲炎が、煙の中で一瞬だけ花のように咲く。
「……メリナさん!」
「わかってる! ファイア!!」
ティーゲルの主砲が火を噴いた。
――ズガァァンッ!!
砲弾は煙を裂き、マムートの主砲塔に深々と食い込んだ。
次の瞬間、爆音が谷を揺らす。
ドゴォォォォン!!
煙の向こうで、巨大な影がぐらりと揺れた。
マムートの砲塔が跳ね上がり、装甲片が飛び散る。
ティーゲル号の車内にまで、衝撃波が伝わってきた。
「命中……! やったか!?」
メリナが息を呑む。
しかし――煙の奥で、まだもう一つのエンジン音が唸っていた。
マムートはもう一台いる。
アデーレは歯を食いしばり、次の指示を叫ぶ。
「ロボさん、弾種徹甲、次弾装填!」
「次弾装填します!」
「メリナさん、砲塔を右へ!」
煙の中で、二両目のマムートが動き出す気配があった。
ロボの声を頼りに煙幕を抜けたティーゲル号は、白い闇の向こうで――
数百メートルという至近距離で、マムートと真正面から対峙した。
そのマムートは、車体前部の機銃砲塔が吹き飛んでいる。
最初にメリナが徹甲弾を叩き込んだ車両だ。
すると巨体は、まるで怯えた獣のように動きを止めた。
そして――ハッチが開き、乗員が次々と這い出して逃げ出した。
「……え?」
アデーレが思わず声を漏らす。
敵戦車兵たちは、ティーゲル号を見て顔色を失っていた。
標準型の中戦車が相手だと思っていたのに、煙の向こうから現れたのは――
自分たちのマムートと同等の巨体。
しかも主砲は、こちらを完全に上回る90mm砲。
戦意が折れるのも当然だった。
「拍子抜けだな……」
カリウスが呟く。
気づけば、三両のマムートがすでに戦闘不能。
見れば帝国の歩兵部隊はすでに後退を始めている。上部を吹き飛ばしてうずくまるマムートの残骸に隠れるようにしてきた道を戻っていた。
「もしかして……勝ったのか……?」
カリウスが息を吐いた、その瞬間だった。
――ぞくり。
背筋を、冷たいものが這い上がった。
アデーレも、ロボも、メリナもそれを感じた。
そして、ティーゲルから離れていたマクシムスとアルマも同時に顔を上げた。
「……むぅ。これは――」
マクシムスが低く呟く。アルマの瞳が細く震えた。
次の瞬間――森の奥で、青い光が立ち上がった。
炎ではない。魔術。エーテルの光。
だが、見知ったものではない。それは、まるで呼吸するように脈動しながら、森の影を押しのけるように広がっていく。
アデーレはその光景に、息をするのも忘れていた。
「……あれは……」
青い光は、まるで何かが目覚める合図のように――静かに、しかし確実に、戦場の空気を塗り替えていった。
森の奥で立ち上がった青い光は、炎とも霧ともつかぬ揺らぎをまとい、やがて――ひとつの影へと形を結んだ。
それはまるで天より零れ落ちた雲の欠片のように、静かに地表へ触れた。
青い炎に包まれた少女。
帝国軍の軍服をまとい、手には剣身のない柄だけの剣。
もう片手には、翼の意匠を刻んだ盾。
だが、カリウスとアデーレが息を呑んだのは、その武装ではなかった。
緋色の腰まである長い髪。
そして、その髪の間から突き出る二本の角。
――ナイトメア。
空に昇った青い炎が逆さに落ち、少女の足元で逆巻き揺れる。
その光はまるで、戦場の理を嘲笑うかのごとく明滅した。
空間にエーテルが満ちる。
この世界を形作る、天より降りし力。
だが、それは祝福ではなく、呪いのように見えた。
少女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、青い炎と同じ色で燃えていた。
・
・
・




