アルデナの森の戦い(3)
帝国軍の縦隊は、森の奥をゆっくりと進んでいた。湿った土を踏みしめる履帯の音が、木々の間に鈍く響く。
その中心に、無線機を積んだ、装甲車を改造した指揮車両があった。
車内で揺られながら、前線指揮官のハイゼン少佐は深いため息をついた。
「……よりによって、俺がこれを運ぶ役かよ」
彼の視線の先には、二人のパワーアーマー兵に担がれた金属製の棺があった。
棺は輿のように前後に持ち手がつき、側面には青白いエーテルの光が脈打つように明滅していた。まるで、呼吸しているかのように。
マムートの巨体が森を押しのけるように道を切り開いていく。
進軍は順調そのもの。そのはずだった。
だが、ハイゼン少佐の表情は明らかに強張っていた。
「本部の連中は気楽なもんだ……。『前線で試験運用せよ』だと? 冗談じゃない」
副官が不安げに口を開く。
「少佐、あれは……本当に安全なのでしょうか」
「安全なわけがないだろう。あれを作った連中ですら、まともに扱えちゃいない」
棺の青い光が、ふっと強く脈動した。
パワーアーマー兵が一瞬だけ足を止める。
棺の内部から、金属を爪で引っかくような音が響いた。
ギィ……ギギ……。
副官が震える声で言う。
「……今の、聞こえましたか」
「聞きたくもなかったがな」
ハイゼン少佐は副官に向かって顔をしかめた。
不快感、あるいは恐怖。
「本部は兵器と言っていたが……俺にはどう見ても『呪物』にしか見えん」
棺の表面に刻まれた封印符のような紋様が、青い光に照らされて揺らめく。
「……頼むから、国境に着くまで大人しくしていてくれよ」
その瞬間、無線機がノイズを撒き散らしながら震えた。
――ザ……ザザ……。
棺の青い光が、まるで応えるように明滅する。
ハイゼン少佐は雑音をこぼす無線機を睨みつけた。
「……やめろ。まだ、起きるにゃ早いぞ」
しかし、無線の向こうからは、
人の声とも、機械の声ともつかない囁きが返ってきた。
――いかないで。
「少佐……今の!」
「落ち着け。何をぼさっとしてる!! 麻酔を投与しろ!! 急げ!!」
棺の内側から、再び金属を叩き割るような衝撃音が響いた。
ドンッ――!
その衝撃にパワーアーマー兵がよろめく。
棺の蓋が軋み、側面の青い光が、森の闇を切り裂くように溢れ出す。
白衣を着た軍医たちが棺に駆け寄ってきた。彼らは何かの液体が入った点滴袋を持っており、それを棺の側面にあった機器にぶら下げた。
すると、次第に棺の光は収まり、無線機のノイズも消えた。
ハイゼン少佐は光が弱まるまでずっと、心臓の痛みを抑えるように胸のあたりを掴んでいた。
「頼む、何事も起きてくれるなよ……」
◆◆◆
峠道の入口。
湿地と丘陵に挟まれた細い谷に、帝国軍の先鋒が姿を現した。
まずはオートバイのエンジン音が森を震わせ、続いて装甲車が泥を跳ね上げながら進入してくる。その後ろには、兵士を満載したトラックが三台。
定数なら一台につき14名――計40名以上の歩兵が、谷へと流れ込んでいく。
レオンは塹壕の中で息を潜め、丘の稜線越しにその影を見つめた。
(……来たな)
装甲車の一台が、まっすぐレオン隊の側面へ向かってくる。
距離はわずか数十メートル。
あと少しで、稜線の裏に掘られた塹壕が視界に入る。
兵士たちの喉が鳴る。
狼獣人たちの耳がぴくりと動き、オークたちの指が引き金に触れる。
――その瞬間。
装甲車が、ぎりぎりの位置で急停止した。
車長が身を乗り出し、後方へ向けて腕を振る。
合図だ。
トラックの列が左右に広がり、道を空ける。
その奥から、森を押しのけるようにして三両のマムートが姿を現した。
巨体が地面を揺らし、谷の空気が震える。
アデーレはティーゲルの砲塔上で、首元のインカムに手を添えた。
「……ガストン隊長。タイミングは任せます」
『任されたわい』
短い返答。
その声には、山を読む者だけが持つ確信があった。
谷の入口。
ガストンは爆薬筒の起爆器を握りしめ、崖の〝力の逃げ道〟を見据えていた。
先頭のマムートが、ちょうどその真下に差し掛かる。
「……よし。山よ、頼むぞ」
ガストンはレバーを回した。
――カチリ。
次の瞬間、左右の崖が同時に閃光を吐いた。
ドォンッ! ドォンッ! ドォォンッ!!
連続する爆発が谷を揺るがし、砂岩と頁岩の層が悲鳴を上げて裂ける。
巨大な岩塊が、雨のように――いや、滝のようにマムートの上へと降り注いだ。
先頭のマムートは逃げる間もなく、崩れ落ちた岩に飲み込まれ、姿を消した。
帝国兵の叫びが谷に響く。
「なっ――崖が……!?」
「後退しろ! 後退――うわああっ!」
土煙が舞い上がり、視界が白く染まる。
アデーレは息を吸い込み、無線に叫んだ。
「――全隊、戦闘開始!!」
その号令と同時に、レオン隊の軽機関銃が火を噴き、オークたちの20mm自動砲が雷鳴のように轟き、狼獣人たちが塹壕から飛び出して敵歩兵を押し返す。
峠道は、一瞬にして地獄と化した。
マムートの車列の後方にいたハイゼン少佐たちは、爆発の衝撃こそ免れたものの、完全に混乱していた。
「工兵を前に出せ! 道を開けろ、急げ!!」
怒号が飛ぶが、返事は乱れている。
崩れた岩壁からはまだ砂がぱらぱらと落ち、谷全体が不安定な空気に包まれていた。
その混乱の中――
棺の側面に吊るされていた麻酔の点滴袋が、いつの間にか外れて地面に転がっていた。
誰も気づかない。
棺の青い光が、ほんのわずかに脈動を強めた。
――ザ……ザザ……。
無線機が微かに震えたが、ハイゼン少佐はそれどころではなかった。
「前が塞がってる!? 何をしている、早く爆薬を仕掛けろ!!」
『し、しかし敵の射線が――!』
「このままだと全滅するぞ! いいからやれ!!」
工兵たちは岩陰に身を伏せながら、手持ちの爆薬を岩の隙間に押し込もうとする。
だが、その頭上をレオン隊の軽機関銃が容赦なく掃射した。
ダダダダダッ!!
「うわっ! 伏せろ!!」
「頭を上げるな! 死ぬぞ!!」
帝国兵たちは訓練された動きで散開し、木陰や岩陰に飛び込んでいく。
奇襲にもかかわらず、反応だけは異様に早い。
だが、統制は完全に崩れていた。
「ど、どこだ……敵はどこにいる!?」
「バカ! 探すな! 隠れろって言ってんだよ!!」
その叫びをかき消すように、ティーゲルの主砲が唸った。
――ズガァンッ!!
砲弾が装甲車を直撃し、車体が横転しながら炎を噴き上げる。
爆風が谷を揺らし、帝国兵たちの悲鳴が混じった。
さらに、オークたちの迫撃砲が唸りを上げる。
ポンッ……!
ヒュルルルル……パンッ!!
一発のまぐれ弾がトラックの荷台に落ち、エーテル機関に誘爆した。
――ドゴォォォン!!
青白い炎が噴き上がり、トラックが吹き飛ぶ。
しかし、帝国兵は爆発の直前にすでに飛び降りていた。
彼らの動きだけは、異様なほど洗練されている。
だが、反撃はバラバラだ。
誰も全体を指揮していない。
そして――混乱の中心で、棺の青い光が、またひとつ強く脈動した。
ギ……ギギ……。
金属を引っかくような音が、誰にも聞こえないほど小さく響いた。
◆◆◆
帝国兵たちは、崩れた岩壁の前で必死に動いていた。
ベリエ側から障害を除去するのは不可能。
できるのは、帝国側だけだ。
「工兵! 前へ出ろ! 爆薬を仕掛けろ!!」
怒号が飛ぶ中、岩に呑み込まれたマムートの底部ハッチが、ぎぃ、と軋んで開いた。煤まみれの戦車兵が這い出てくる。
「おい! こっちだ! まだ生きてる奴がいるぞ!」
「工兵! 爆薬を持ってこい! このままじゃ前が詰まる!」
戦車兵は咳き込みながら、工兵の肩を掴んだ。
「……頼む。俺たちのマムートを……吹き飛ばしてくれ」
「な、何を――」
「かまわん! 吹きとばせ!! ここで止まったら、前の連中が死ぬ!!」
その叫びに、工兵たちは一瞬だけ目を見交わし――
すぐに爆薬を取り出した。
岩の隙間に押し込み、残った弾薬庫に導火線を伸ばし、
最後に戦車兵が震える手でスイッチを押した。
――ドゴォォォォン!!
青白い閃光が谷を照らし、巨大なきのこ雲が立ち上がった。ガストンたちが作った障害は、爆風とエーテルの炎に吹き飛ばされ、瓦礫の山は一瞬で消し飛んだ。
「……嘘だろ」
レオン隊の兵士が呟く。
完全に上部が吹き飛んだマムートの残骸を押しのけ、後続の二両が、ゆっくりと前進を始めた。巨体が、谷の空気を震わせる。
ティーゲル号の上にいたロボは、その光景を見た瞬間、血の気が引いた。
「……少尉殿! 障害が……突破されました! マムート二両、前進中!!」
アデーレは監視窓の縁を握りしめ、短く息を吸った。
「兄さん、エンジン始動。メリナ、主砲装填。ロボさん、装填補助をお願いします」
「了解!」「了解!」
ティーゲル号のエーテル機関が唸りを上げ、車体がわずかに震えた。
アデーレは砲塔のハッチから身を乗り出し、迫り来るマムートの影を見据える。
「……皆さん、気を引き締めて。マムートはベグライターより強力です」
メリナが照準器を覗き込み、ロボが砲弾を抱え、カリウスが馬蹄形のハンドルを握りしめる。谷の向こうから、マムートの主砲がこちらを向いた。
アデーレは静かに呟いた。
「――状況、開始します」




