4話:《私の知らないあの人》
「ふんふふふふ~ん、ふんふふふふ~ん、ふんふふふ~ふ~ふ~ん」
ブランジャール家でのお泊り会の翌日。
カラッと晴れた青空の下、鼻歌を奏でながら大手を振って街路を歩く少女の姿が一つ。
中途半端に伸びた赤銅色のはねっ毛を無理矢理ポニーテールに結わえたその彼女は言うまでもなくペトラ・ツィマーマンであった。
大変ご機嫌のように見えるが、その実この上なくご機嫌だ。なにせ、憧れの先輩の家にお呼ばれしたのである。他にも数人いたが、このまま親密になっていけばいずれは一対一ということもありえなくもないのではないだろうかッ!? と先程からテンションが上がりすぎていけない。
しかしそれでも嬉しいものは嬉しいのである。足取りも軽くなり、いつの間にやらスキップまで始めてしまう。
と、視界の端に珍しいものが写った。
全体的に白を基調とした、小洒落た建物だ。昨晩泊ったブランジャール家ほどではないが、緻密な装飾や手入れの行き届いた花壇を備えた、立派な建物である。それにふさわしくしっかりと構えられた正門には、丁寧にヤドリギの彫刻が彫ってあった。
「おー……」
思わず感嘆の声が漏れる。正直、自分にはまだ縁遠い代物だと思っていた。
これは、結婚式場だ。
ナウアノルには国教と呼ぶべきものが無い。元々様々な地方から出てきた人の入りが激しい地域だったのもあるが、やはり《神具》の影響が大きい。様々な神話体系から力を引く《神具》というシステムの都合上、験担ぎにしても一つの教えを国が贔屓するのは憚られた、というわけだ。
そんな経緯で、結婚式も特定の方式に沿うのではなく、主催者が場所や式次第を決定して進行するのがポピュラー。いわゆる人前式というヤツである。
「ほー……」
間抜けな溜息を吐きながら考えるのはどんな人がここで式を挙げるのかだ。
自分の周りの人物で思い浮かべてみる。
我らが愛しのイオナ先輩はありえない。自分が許さない。許してなるものか。求婚者はまず私の屍を超えていけ。
ジェイクは、モテることにはモテるのだが、どうにもいまいち誰か特定の人とくっつく気配がないというのが現状だ。思い返せば、同級生にも彼を慕う者は多かったが、しかし肝心のジェイク自身の接し方は良く言えば誰に対しても平等、悪く言えば眼中になしという感じだ。
ベンヤミンとクロエは……あれはどうなのだろう? 正直、あの二人の関係が一番わからない。クロエは脈があるようにも思えるのだが、ベンヤミンが朴念仁のような気もする。
ううむと色々と思い浮かべてみるが、どの人もそんな光景がしっくりこない。やはり自分が余り関わることの無い施設なのか……? と思った時である。
「む?」
なにやら出入り口の辺りが微かな話声が聞こえてくる。どうやら下見か何かに来ていたカップルがいたらしい。
どれ、どのような連中なのかと好奇心に任せて目を凝らしてみると、段々とその姿が見えてきた。
まず予想通りに男女の二人組。結構身長差があるように見え、女の方の肩がちょうど男の腰辺りまでしかない。服装はなんと純白の軍服――正規兵の制服だ。飾緒から、ペトラよりも少し上の階級に相当するらしい。女が茶の短髪なのと対照的に、男は銀色の長髪。それを後ろへ撫で付け、一房だけ括ったようなやたら特徴的な髪型をしている。
というか、見覚えがあった。
「……あれぇ?」
思わず、間抜けな声が漏れた。
「なっ、ペトラ!?」
「……!」
その声のせいかはわからないが、どうやら先方もこちらに気づいたらしく、目を見開いて名前を呼んでくる。
そう、彼らこそは我が上司。
ルーカス・ウォルターとアメリア・サージェントだったのだ。
「結婚!?」
翌日。
中央区の軍中央機関にある執務室の中に、ペトラの声が響き渡った。
周りにはイオナやジェイク、ベンヤミンにクロエとイオナ隊のメンツが揃い踏みの他に、まさに渦中の人であるルーカスとアメリアの姿もあった。言ってしまえばいつものメンツだった。
「声が大きい」
正面のルーカスが眉根を寄せて唸る。ギロリと蒼い瞳がこちらを睥睨するが、よくよく目を凝らしてみると頬がほんのりと朱に染まっていた。どうやら照れ隠しらしい。
それにはアメリアもとっくに気づいているようで、微笑みながら肘で脇腹を小突いていた。その左手の薬指には婚約指輪が白銀色に煌めいている。
「はー……じゃあ、一昨日誘ったときに来なかったのも?」
「そう。式場の下見と、打ち合わせ」
あんぐりと口を開けたジェイクの問いに、アメリアが頷いた。
「……本当は、ギリギリまで黙っているつもりだったんだ」
「どうしてです、水臭いですよー?」
「少し、理由があってな」
クロエに尋ねられたルーカスはと言えば、苦虫を噛み潰したような表情。
「私の身分のこと」
言いづらそうにうなじを掻く彼に代わり、答えたのはアメリアだった。
最初は意味がよく分からなかったが、そう言えばと思い当たる。
ルーカスの実家――ウォルター男爵家は、あまり暮らし向きが芳しくないと聞いたことがある。特権として与えられる貴族議員の議席も、他の名家の分家に奪われる形で失ってから久しい。言ってしまえば没落貴族というやつだ。
そんな中生まれた《神具》――それも最上位の神話級――を持つ彼は、ウォルター家にしてみれば再興の命綱。高位且つ高性能の《神具》はそれだけの社会的影響力を持つ。
そんな彼が、だ。平民であるアメリアと結婚したいなどと公言し始めたとしたら。
家が強く反対するのは容易に想像できる。それだけでも面倒だろうに、いざ騒ぎが起これば、今度は血統を重視する保守派の貴族が茶々を入れてくるかもしれないのだ。そうなれば自体は最悪の一言だ。二人が秘密にしたがるのも頷ける。
「父上と母上の耳に入らぬ間にさっさと式を挙げてしまいたいんだ。……頼む、このことは内密にしてくれ」
「私からも、お願い」
そう言って、二人が揃って頭を下げてくる。上官の二人が一介の小隊隊員にそこまでするということの重みをわからないほど、この面々も馬鹿ではない。
「あっ、それはもちろん!」
「俺も、誰にも言いません」
「僕も約束します」
「あ……わ、私も」
ペトラ、ジェイク、ベンヤミン、そしてクロエと、次々に秘密を約束していく。
が、最後のイオナは少しばかり違った。
「……」
なにやら思案顔で二人の姿をまじまじと眺めている。
「……イオナ先輩?」
「えっ!? あ、ああ。大丈夫ですよ? 最初から言いふらすつもりなんてありませんし……」
訝し気に名前を読んでみると、はっと気がついたように肩を跳ねさせてそう述べるイオナ。
「……助かる」
五人の回答を聞いて、ルーカスとアメリアはどこかほっとしたような表情になった。ペトラたちを信用していないわけではないが、万が一口を滑らせられたら、ということを恐れていたのだろう。
いくらか張りつめていた空気が、緩む。
それを見計らったかのようだった。
「あ、じゃあ黙る代わりに色々訊いても良いですか? ずばり、プロポーズはどちらから!?」
クロエが、突然そんなことを言い出す。年頃の若い女としてはまあまあ気になる話題ということで、思わずペトラもおっ! と身を乗り出してしまった。
「お。じゃあ俺も! 実際、どれくらい前からそういう関係だったんで?」
「なっ……お前らッ!」
一度おふざけの空気なると途端に悪ノリしだすのが我らが小隊の馬鹿担当ことジェイクだ。やいのやいのと囃し立てられ、ルーカスが焦ったように叫ぶ。
しかし野次馬根性逞しい二人である。自分だけでは収拾がつけられないと踏んだか、愛弟子へと目を向ける彼だったが……。
「……師匠の口説き文句には興味があるな」
「ベンヤミン……ッ!!」
予期せぬ裏切りに、ギリッと奥歯が軋みを上げる。
そして、師弟の間に深い亀裂が入っていくその背後では。
「プロポーズはあっちの方からで……」
アメリアすらもノリノリで惚気話を始めようとしていた。哀れなりルーカス・ウォルター。もはや最愛の恋人は味方ではなかったのだ。
わあわあとしたその騒ぎを遠巻きに見ながら笑っていたペトラだが……ふと、イオナの方を横目で見る。
やはり様子がおかしい。いつもなら困った隊員たちを一歩離れて苦笑いで見守っているものだが、今日はまるで心ここにあらずといった様子で、ただただ焦点の定まらない目で中空をぼーっと眺めている。
「……?」
一体どうしてしまったというのか。ペトラは首を捻った。
あれは、まるでここにはいない誰かのことを考えているようで――。
◇◆◇
「なんだか今日のイオナ先輩、様子が変でしたね……」
ルーカスとアメリアからの衝撃の告白があったその帰り道で、ペトラはそう溢した。
「あん?」
反応したのは、隣を歩くジェイクだ。ペトラが住んでいる孤児院とジェイクの実家は同じ南区。必然、徒歩で帰る時は一緒になることが多い。
「いや、なんかぼーっと別のことを考えているみたいで」
「……ああ、そう言えばお前は知らなかったか」
ジェイクが得心したように漏らした。ペトラにしてみればなにがなんだかわからない。どういう意味かと首を傾げていると、彼は親指で道の向かい側を指した。
そこにあるのは、一軒のカフェ。学生時代に友人に連れてこられた記憶がある、そこそこ有名な店だ。
「ここじゃなんだから、ちょっと寄っていこうぜ」
こちとら伊達や酔狂で商人の娘をやっているわけではない。先輩からのお誘いなら奢らせる、先輩へのお誘いなら割り勘がデフォでそこからどれだけ自分の出費を値切れるかが本懐だ。ふてぶてしく代金を要求したペトラに「お前なぁ!」と渋い顔をしながら、ジェイクは渋々折れてくれた。
赤煉瓦造りの壁がトレードマークの店内。その隅の席に腰を掛ける。
店員にそれぞれの品を注文してから「しっかし」とジェイクが唸った。
「ここ、前にもダチに奢らされに来たことがあるな」
「……いや、さっきのやっぱり冗談で」
「ああん? 今更遠慮するなよ。いつか別の形で返してくれりゃいいって」
「やらしいことですか」
「ばーか」
一蹴されてしまった。それにしても、変なところで気前が良い先輩である。
待つこと数分。ペトラの前には紅茶、ジェイクの前にはコーヒーのカップがそれぞれ置かれた。《深き者》が鳴りを潜めてから、ようやくこういった大衆向けの店でもコーヒーが廉価で手に入れられるようになった。
コーヒーの豆が生産される環境は、紅茶の材料になる茶葉に比べて更に南に集中するという。それは、これらの物品を栽培する貿易国でも《深き者》が姿を消していっているということを示している。
カップに口をつけると、ほのかな苦味と渋味が口に広がった。相変わらずというか、結構なお点前で。心の中でそう一礼。
「さて、一息ついたところで――どこから話すかね」
向かいの席では、ジェイクがこめかみを掻いていた。
しばし考えたあと、彼はこう切り出す。
「三年前――何があったか知ってるか?」
「……?」
投げ掛けられた疑問に、ペトラは眉を顰めた。
そんなの常識だ。学園でナウアノル国防史として教え込まれてきた。
全く意図を読み取れないまま、その答えを口にする。
「何がって……軍の精鋭部隊の活躍で、《深き者》の拠点を破壊したんでしょう? 誰でも知ってますよ」
「……そう伝わってるよな」
そう、それが教科書での話だ。
《深き者》鎮静化は全面的に軍部の手柄。そこに、ジェイクらの名前は介在しない。それは命を賭して海の悪魔を燃やし尽くした『ある少年』も同じだ。真実を知るのは、ごくごく一握りの人間に限られており、彼らにも厳しい箝口令が敷かれている。
だが。
「いいか、ペトラ」
そんなクソみたいな決まり事なんて、今更守ってやるものかと、ジェイクは思う。
だって、誰も彼の、友人の功績を知らないまま埋もれていくなんて、それこそ許せない。
だから。
「今からお前に、三年前に起きた、本当のことを教えてやる」
「先輩たちが、三年前の張本人……?」
「声のトーン落とせって。……ああ、正確にはそこにルーカスさんとアメリアさん、あともう一人加わった面子なんだけどな」
ジェイクが語った出来事に、ペトラはぱちくりを目をしばたたかせた。
正直ついていけないが、荒唐無稽と断じるには妙にリアリティに満ち溢れていて、どうにも引っかかる。ジェイクの顔も真剣そのものだ。
「いくら神話級が三人、伝承級一人と格だけ見ればてんこ盛りでも、少数精鋭どころか三分の二が学生なんて布陣で犠牲者ゼロで済むはずない。当然、犠牲者が出た」
幾分か嵩の減ったコーヒーに、天井から吊るされた照明の光が反射する。
「それが、さっき言ったもう一人。俺のダチで、名前はヒュウガっていった」
「ヒュウガ……?」
聞き慣れない響きに首を傾げると、ジェイクが「ああ」と頷く。
「賤民だったんだよ。ガッチガチの東洋系」
「あ」
思い出した。
そう言えば、聞いたことがある。一つ上の世代に、賤民の生徒がいた、と。
何時からかそんな話も出なくなっていたが……ジェイクの話を信じるなら、それはその先輩が人知れず――。
「俺もちょうど当時知ったんだが……ちょっと特別な《神具》を抱えていたらしくてな。ぶっちゃけ、アイツがいなかったら《深き者》の拠点破壊なんてできなかったかもしれない」
ジェイクの言うところに拠れば、イオナたちが壁外調査を主任務としているのは、兵士としての職務の他にそのヒュウガという青年を――あるいはせめてその痕跡でも掴むという目的もあるのだという。
そんなこと、私は初めて知ったのに。
「……その人と、イオナ先輩にどんな関係が?」
「いや、俺も詳しいプライベートの部分までは。でも、作戦の頃の二人の様子は……なんつーか、友人以上恋人未満って感じだった」
「…………」
イオナに東洋系の血が入っていることは、ペトラも知っている。その証があの黒髪だ。
ナウアノルはまだ身分制という考え方が根強い。それでも平民と貴族の壁は崩れたものだが、賤民へはまだまだ手が差し伸べられていない現状だ。そして、その賤民には多くの場合東洋人も含まれる。
いくら三伯の娘と言っても、その境遇は苦しいものがあっただろう。そんな彼女の前に現れた、ある意味で言えば真逆の、しかしどこか近い境遇の少年。イオナは、そこに何を見出したのか。
カップに残った黒く苦い液体を一息に呷って、ジェイクは呟くように言った。
「……もしかしたら、今回の二人の結婚でアイツのことを思い出しちまったのかもしれないな」
一部から作中時間4年くらい? の歳月を経て、とうとう一組がゴールインへの秒読み段階へ入りました。
遅いよお前ら。




