2話:《追う者たち》
「どっこらせー!」
夜。
中央区と南区の境に位置する、古ぼけた孤児院の中で、ペトラ・ツィマーマンは机に荷を下ろして突っ伏していた。
……結局あの後本当に前進を続けていた。何とか日が沈む前に門に帰り着いたものの、とっくに空は半分が宵の紫に染まってた頃だ。そこからさらに馬車で北上である。大変と言ったらありゃしない。
「お疲れ様。はい、これお茶」
そのままぶひーとぶっ倒れていると、奥の方から初老の女性が現れた。
手にはやや小さめのマグカップ。もう片方の手にはポットが握られている。
「ありがとー、おばーちゃん」
向かいに座り、わざわざマグカップにポットの中身を注いでくれる女性に、ペトラは突っ伏したまま礼を述べる。
女性の名はガブリエラ・ツィマーマン。孤児院の主であり、ペトラの実の祖母でもあった。
「全く……だらしのない。そんなことじゃ、正規兵になるのをお父さんに反対されるのも無理ないわ」
「いいじゃーん……仕事はちゃんとこなしてるしぃ……」
始まったお小言に唇を尖らせるペトラ。
彼女の家――ツィマーマン家は、東区を主な拠点としている豪商として知られている。
貴族がピンからキリまであるように、平民にもまた格差がある、と言うことだ。彼女はその中で、幸運にも“暮らし向きが良い”と言われる家に生を受けた。
物的に不足は無く、両親からも愛される、そんな理想の子供時代。そんな彼女に《神具》が宿っていると分かったのは、幼年学校を上がった頃合いだったろうか。
手広くやっているとはいえ商人は商人。第一、軍務に携わったことのない者ばかりだ。一族を巻き込んで大騒ぎとなり、親に至っては、袖の下を使って議会に特例措置を求めようとすらしたという。
結局それは却下されたものの、戦闘には直接関わらない《神具》である。両親にとっては一先ず前線は免れたか……と胸を撫で下ろしたところで、今度はまさかの前線バリバリ遠征任務ばかりの小隊に。
ペトラ自身が望んだこととは言え、猛反対されるのも道理と言えば道理であった。
「そう言えば、今日はイオナちゃんたちは来ないのね?」
「先輩達は定期報告で中央区に行くって。長くなるかもだからって、私を先に返してくれたの」
「あらあら……もっとこき使って構わないのに」
「鬼ぃ!」
容赦温情一切皆無な祖母の呟きに、ひょえーと慄く。孤児院経営者のバイタリティは並ではないのだ!
とは言え。
「むぅ……」
ペトラは、難しい顔でカップに口をつける。
自分が戦場でやっていることなど、所詮はただの荷物持ちだ。実際に戦っているわけではない。
イオナやジェイク達は「助かっている」と言ってくれるし、微力ながらも役に立てているのなら光栄ではあるが――。
……同じ女性、同じ神話級として、イオナはペトラの憧れだ。
学園で彼女の話を聞いたときからずっとだ。学年が上がって実家よりも近いこちらに越した際、彼女がここによく来ると知った時は小躍りしそうになってしまったほどだ。というか、踊った。
正味のところ、今の小隊だって、少しでも彼女に近づきたくて入ったというのが大きい。
もっと役に立ちたいのに。
もっと頼ってほしいのに。
もっと――一緒にいたいのに。
「私も連れてって欲しかったなぁ……」
「あら、じゃあ今度からそうする?」
ゲ、と思った時は後の祭り。
気づかぬ間に口から漏れていた声は、眼前の祖母にばっちりと聞かれたらしい。
言質、という言葉が思い浮かぶ。
「じゃあ、今度私から頼んでおいてあげようかしら」
「やーめーてー!」
老婆の愉快そうな笑い声と、少女の情けない叫び声が、石造りの部屋に反響する。
祖母と孫の団欒を、ガス灯で揺らめく小さな火は優し気に見つめていた。
◇◆◇
ナウアノル中央区は読んで字の如く『ナウアノル』と言う国家の中枢である。
最中心にあるのは、正体は杳として知れぬが国家の最重要案件に対し決を下すという存在――「公爵」の居城。
そこからみて西に位置するのが、実際に国政を動かす議会や各行政機関の中心施設群。
そして――東にあるものこそが、軍関連施設。即ち兵士育成校たるアイレフォルン学園と、正規軍の中央機関だ。
その一角に、ペトラを除くブランジャール小隊の面々が集まっていた。
「――以上です」
ソプラノの声で流れるように定期報告の文言を奏でていたイオナは、その言葉で打ち切った。
対面するのは漆が塗られた大机。それに備えられた、これまた高級そうな革張りの椅子の上に座っている人物こそが彼女の直接の上司。
果たしてそれは――。
「確かに確認した。諸君、ご苦労様」
椅子の上の人物が、鈴の音の様な声で労いの言葉を投げ掛けて来る。
歳不相応に未発達な体で、それでも見栄を張るように椅子を揺らす彼女の名はアメリア・サージェント。三年前の『あの作戦』の頃から付き合いのある、正規兵の女性だ。
「探してからもう長いことになるけど……全く、何処にいるのやら」
報告書をペりぺりと捲ったのち、呆れるように肩をすくめる彼女。
が、制服の上に着た白衣の丈が駄々余りのせいで、いまいち威厳と言うものが感じられない。むしろごっこ遊びに興じる女児を見る様な気分になってくるほどだ。
……会うたびに思うのだが、この人は本当に自分たちより年上なのだろうか。
「ブランジャール。刀の調子は?」
そんなやや失礼な疑問を感じ取ったかはたまたただの偶然か。アメリアがこちらへ視線を送ってくる。
「あ、はい。特にこれと言って異常は……むしろ手に馴染んでるくらい」
イオナにあの刀を使用することを提案したのは他ならぬアメリアだった。
『仕える物は使った方がいい』というのが彼女の言だったが、なるほど弓一本の時に比べるとずっとできることの幅が変わる。
しかし、向かいのアメリアの表情はあまり芳しいと言えるものではなかった。
「他に所有者が存在するはずの《神具》が、馴染む」
「……」
その呟きで何を言いたいかは察した。
本来、《神具》とその所有者とは密接に結びついているモノだ。所有者を失った《神具》はあまり長くは形を保てない。その程度なら、専門家でないイオナも知っている。
だが……逆に言えば、それは『所有者がいなくても短時間は形を保てる』のだ。
ではもし、その短時間のうちに新たな所有者が現れたら?
前例のないことだが、《神具》が所有者を鞍替えすることもあり得るのでは?
つまり。
ヒュウガはとっくに死亡していて、《神具》はイオナのモノになりつつある可能性は――
「……んな事ァあるかよ」
頭に浮かんだ、絶望的な仮説。
それを打ち切ったのは、ジェイクの声だった。
「アイツの事だ。どうせひょっこり帰ってくんだろ。それまで気長に探そうぜ」
「……」
そう努めて明るく振る舞って見せるジェイクだが……見れば、右手が小さく震えていた。
恐らく、この面子の中で一番その不安を抱えているのは彼の方だろうとイオナは思っていた。
必死に――ややもすれば私以上に――ヒュウガを探しているのは、普段の姿を見ていれば分かる。
それは何処か強迫観念にも似たナニかに突き動かされているようで……。
「それについては追々。まだ確証も何もない」
パン、とアメリアが手を打ち鳴らした。
どうにもあの作戦を越えた連中ばかりだと、暗くなりがちでいけない。そういった意味では、ペトラのムードメイカー的なところには助けられているのだが。
(あんまり私の我が儘に付き合わせてもいけないよね……)
「そう言えば」
そこで、アメリアが一同を見回して首を傾げた。
「ベンヤミン・エーレンベルクはどちらに?」
「えっ?」
慌てて確認する。
確かに、あの槍使いの姿が見えない。施設に入る時は確かにいたと思うのだが……。
「あー、ベンのことだからどうせアレでしょ」
眉を顰める三人に、クロエが呆れたように首を振った。
「お師匠さんのトコ」
ゴウッ! と。
唸り声を上げて、無色透明の大蛇が襲い掛かる。
「ッ!」
頭上に迫る氷の牙を、ベンヤミンの槍はすんでのところで打ち砕いた。
跳びのく。狙いは頭ではない。むしろその逆。先細りした、尾の先だ。
「――シッ」
短く呼気を吐き出し、一突き。稲妻のような形をした穂先が、尾を一瞬の間完全に両断する。
それだけで十分だ。
直後のことだった。
大蛇が、その形をズブリと失う。崩れ、ただの水へと返っていく。
しかしこれで終わりではない。今の大蛇を操る術者が――
「……?」
――何処だ?
「此処だ」
「――ッ!」
振り返るよりも、あちらが速かった。
背中に突き立てられる、冷たい感触。
「眼前の敵に注意を向けすぎだ。だからこうして容易に後ろを取られる」
「……はい」
背中の方から聞こえてくる低い声に、ベンヤミンは唇を噛みながら答えた。
スッ、と押し当てられていた感触が離れた。後ろへと向き直る。
そこにいたのは、正規兵の制服に身を包んだ、銀髪碧眼の男。
右手に握っているのは無骨な鉄色の長槍だ。それこそは海の支配者の力、その一端を宿す《神具》――先程まで背に触れていたのは、その石突だろう。
ルーカス・ウォルター。ベンヤミンが師と仰ぐ、神話級を擁する青年である。
何とか頼み込んで師事するようになってからもう一年は過ぎたか。
しかし、全くこの男の底が測れない。
水を自在に操り、正しく変幻自在の攻撃を繰り出してくる。いざその権能を掻い潜ったとしても、純粋な槍の技量で競り負ける。
持って生まれた《神具》を、経験と研鑽で磨き上げた技量でさらに昇華させている。これほど手ごわい者があろうか。だからこそ、ベンヤミンは彼に教えを乞うたのだが。
それはそれとして、だ。
ルーカスが人差し指を立て、口を開く。
「私とお前の《神具》は応用力や出力にこそ差はあれど、大枠の部分で近しい特性を持つ。だからこそ、決して視野狭窄に陥ることなく、周囲全方位へ向けて常に注意を……」
くどくどくどくど……と始まったのは説教。
この男、実に上から目線で話が長い。
ぱっと見れば無表情だが、ようく目を凝らすと微妙に口の端が微妙にニヤついているのが更に腹立たしいが、悲しいかな実力が追いついていないので甘んじてこの屈辱を受け入れるしかない。
ない、のだが。
「――自分も大概のくせに」
ああ、果たして女神か菩薩か。ルーカスの言葉を遮る声が一つ。
途端に得意そうに話していた彼が顔を顰める。
「アメリアか」
そちらを見やれば、ともすれば女児のように背の低い女性と、その後ろに続く隊の仲間三人の姿が。
「一番酷かったのはやっぱり五年前? 私の補助も無しで北区に侵入した数十体の《深き者》に突貫して――」
「や、やめろ! 大体あの状況下だと、それが最善策だったろうに……!」
途端にあたふたと慌てだすルーカス。先程までの威厳も形無しである。
なんとか笑いをこらえながらその光景を見ていると、不意にポンと肩を叩かれた。
振り向けば、クロエである。
彼女は、怖いくらい満面の笑みを浮かべながら、こちらに語りかけてくる。
「勝手に列を離れたことについて、何か言い訳はあるかしら?」
「……」
しまった。
思わず天を仰ぐ。
今夜は新月。雲は晴れ、全天を埋め尽くさんばかりの星々が常にも増して瞬いている。
とりあえず、一切の遠慮なしに腹を抱えて笑っているジェイクには、後で蹴りを入れておこうと思った。
ベンとクロエのキャラが変わってるようだが、どっちかと言うと本来はこっちが素
……と言うことにしておいてください。本当はいい奴らなんです。信じてやってください。




