↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/37

武将 真田昌幸 第36話徳川軍の進出と戦備の整備

【第9章‑2】 徳川軍の進出と戦備の整備


天正十三年(1585)初夏。

上田城下の朝はまだ静かだったが、家中へ届いた一通の文書が空気を変えた。

徳川家康からの使者がもたらしたもので、

内容は「沼田領の一部を北条氏直へ渡すべし」という割譲命令だった。


前年、天正十二年(1584)。

真田家は徳川と正式に同盟を結んでいた。

武田滅亡後の空白を埋めるため、昌幸は徳川と協調し、

家康も真田を信濃の安定要因として扱った。

同盟は、北条・上杉・徳川の三勢力が揺れる中で、

真田家の独立を守るための“暫定の均衡”として機能していた。


しかし、北条が沼田を強く要求し始めると、

家康は北条との同盟維持を優先し、

真田へ沼田の割譲を命じた。

昌幸は文書を広げ、文字を追った。

割譲の理由、北条との均衡、日付。

印判の位置は乱れていない。

家康が本気で沼田を北条へ渡すつもりであることが示されていた。


昌幸は静かに文書を閉じた。

沼田は信濃と上野を結ぶ要地であり、

ここを手放せば真田家の独立が崩れる。

家康の命令は「家を削る命令」だった。

昌幸は拒否を決め、使者へ返答を託した。


その拒否が同盟の破綻を決定づけた。

家康は真田を「従わぬ家」と見なし、

信濃掌握のための進出を決めた。

鳥居元忠・大久保忠世らが別働隊として動き、

徳川軍は静かに信濃へ向かった。


その進出の報が、上田城へ届いた。

昌幸は文書を広げ、内容を追った。

進出の事実、兵の動き、日付。

徳川軍はすでに小県郡へ入り、千曲川沿いを北上している。


廊下を歩く家臣の歩幅は乱れ、声は揺れていた。

名主が城へ入るときの沈黙は長く、

家中の緊張は身体の反応としてはっきり現れていた。

同盟が破れ、討伐軍が迫る現実が、家中の空気を重くしていた。


昌幸は城下へ出た。

千曲川は前日の雨でわずかに増水し、流れは速い。

川の沈みは深く、段丘の縁は乾いている。

城下の道筋は狭く、曲がりが多い。

この地形なら、兵の動きを細かく制御できる。


昌幸は城下の東側へ回り、段丘の沈みを足裏で確かめた。

ここなら槍の列を置ける。

西側の道筋は狭く、曲がりが多い。

ここは弓を置き、敵の進路を絞る。

川沿いの道は広いが、増水時には沈む。

兵を置くには危うい。


家臣が近づき、声を潜めた。

「徳川勢、千曲川沿いの道を北上しております。距離は半日ほどかと」


昌幸は短くうなずいた。

「戦備を急げ。家を守るのは地形だ」


名主の声は揺れ、若者の視線は泳ぎ、兵農民の肩は沈んでいた。

討伐軍が迫る現実が、身体に出ていた。


昌幸は村々へ指示を出した。

槍の列を揃え、弓の位置を固め、兵の歩幅を整える。

家中の乱れは、地形に合わせて配置を整えることで、

ようやく静まり始めた。


夕方、城下の空気はさらに重くなった。

徳川軍は確実に上田へ向かっていた。

昌幸は地図を広げ、川・段丘・道筋を再確認した。


「ここで迎える。ここで持つ」


上田城下は、静かに戦の前夜へ入っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。