↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/37

武将 真田昌幸 第35話上田盆地の地形確認と城地選定

【第9章‑1】 上田盆地の地形確認と城地選定


1584(天正12) 信濃国・上田盆地


武田家滅亡から二年、真田家は武田遺臣団を受け入れ、

家臣団は以前より明らかに膨らんでいた。

軍役帳を見れば、名主・地侍・足軽頭を合わせて二百名を超え、

兵農分離前の兵を含めれば二千を動かせる規模になっていた。

家臣の往来は増え、村々の道筋は以前より混み始めていた。

家を支える人数が増えれば、

指揮系統をまとめる“中心”が必要になる。

それが城の役割だった。


この時期の真田家にはもう一つの変化があった。

武田遺臣団の築城技術が使える状況になったことだ。

武田家は「土の城」の名手で、

普請奉行・土豪・郷士が多数いた。

土塁の築き方、堀の掘り方、曲輪の配置、水の流れの制御──

これらは武田流の高度な技術であり、

真田家は武田滅亡後にその技術者たちを受け入れていた。


昌幸が地形線を読み、武田遺臣団が構造を作り、村々が労働を担う。

この三者が揃ったことで、真田家は“城を築ける家”になった。


築城を考えるにあたり、昌幸はまず千曲川へ向かった。

川は武田信玄が川中島で重視した地形であり、

東国の交通線を握る要でもある。

幅・深さ・曲がりが季節で変わり、増水時には敵の進路を断つ。

千曲川は上田盆地の北側をゆるやかに流れ、

段丘の縁を削りながら外界の線を形づくっていた。

この川筋を押さえることは、

東国から信濃へ入る軍勢の通り道を押さえることと同義だった。


段丘へ上がると、地面の硬さが足裏に伝わった。

段丘は古代から城館が置かれた場所で、戦国期にも防御の要となる。

昌幸は段丘の傾斜を歩き、沈みと持ちを確かめた。

武田家臣として地形を読み続けた経験が、足裏の感覚に宿っていた。

段丘の縁は、敵が押し寄せたときに兵の動きを制御する器となる。

ここが持つか沈むか、慎重に判断した。


谷の入り口は、古くから村々をつなぐ道筋で、

戦時には敵が侵入する経路にもなる。

北条が上野から信濃へ圧力をかけた際に使った道筋でもある。

昌幸は谷を見下ろし、風の向きを確かめた。

谷を抜ける風は季節によって強弱が変わる。

戦の前に風向きを読む癖が、ここでも自然に出た。


昌幸は地図を広げ、村々の位置を照合した。

地図の上で、川・段丘・谷・盆地の線が交わる場所がいくつかあった。

そこが城地候補となる。

川沿いの候補地は水利が良いが、増水時の危険がある。

段丘上の候補地は守りやすいが、城下の道筋が複雑になる。

谷の出口付近は敵の侵入を防ぎやすいが、

村々との距離がやや遠い。


ここで昌幸は、徳川との同盟を思い返した。

本能寺の変で外界が崩れ、信濃は空白地帯となった。

そこへ徳川が急速に進出し、真田は生存を確かにするために同盟を選んだ。

しかし同盟後、信濃は北条・上杉・徳川の三勢力が同時に押し寄せる土地となり、

真田は“徳川の前線”として信濃を守る役割を負った。


今、武田遺臣団の築城技術が使える状況になったことで、

「城を築けば外界の揺れを受け止められる」

という選択肢が現実のものとなった。

家臣が増えたことは築城の理由の一部であり、

武田流の普請技術が使えることは築城の理由の一部であり、

三勢力の圧力が築城の理由の根本だった。


昌幸は候補地を一つずつ歩き、

沈みと持ちを足裏で確かめた。

地面が沈む場所は、兵が集まったときに列が乱れやすい。

持ちが良い場所は、家中の往来が安定する。

地形が最も安定する場所を選ぶため、何度も歩き直した。


やがて、盆地の中央に近い段丘の縁が、最も持ちが良いことが分かった。

川の流れが自然に守りとなり、谷からの道筋も城下へ素直につながる。

村々との距離も均衡しており、増えた家臣の往来が乱れない。

ここに城を置けば、徳川の進出を受け止める器となり、

武田遺臣団の技術を最大限に活かせる。


昌幸は静かに指先で机を叩く癖を思い出し、判断の“間”を作った。

ここが持つ、と確信した。

名主たちへ伝達が行われ、

家臣たちは作業分担を受け、資材の運搬を始めた。

武田遺臣団は堀の深さを決め、

土塁の角度を調整し、谷から流れる水の扱いを設計した。

村々は草刈りを進め、道を確保し、城地周辺の空気が変わっていった。


上田城を築く理由は一つではなかった。

増えた家臣をまとめるための“家中の中心”、

武田遺臣団の築城技術を活かすための“技術の器”、

三勢力の圧力を受け止めるための“外界の盾”、

それらすべてを真田の領地の上に描く必要があったからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。