武将 真田昌幸 第30話織田の崩れ(本能寺の変)
【第7章‑2】 織田の崩れ(本能寺の変)
(天正十年六月・甲斐国〜信濃国)
武田家が滅んだ後、信濃の空気は静かに変わった。
谷を渡る風は甲斐からの色を失い、代わりに織田の色を帯び始めた。
天正十年三月の勝頼自刃から三か月、
信濃の城下では織田式の文書が淡々と届き、
国衆の立ち位置は織田へ寄っていった。
甲斐では信忠が再編を進めていた。
甲府の代官所には新しい印判が置かれ、
信濃の代官所にも織田式の命令が届いた。
家中の声は短く整い、
武田滅亡後の揺れが収まりつつあった。
信濃の村々では兵の人数や年貢の割り付けが織田式に改められ、
城下の往来も織田の色を帯びていた。
六月二日、昼前。
京都からの急報が甲斐へ落ちた。
「信長、討たる。」
その報は甲斐から信濃へ、谷を越えて一気に広がった。
家中の声が短くなり、代官所の筆が止まった。
信濃の空気が急に沈んだ。
続報はさらに重かった。
「信忠、二条御所にて討死。」
織田家の支配筋が、一日で消えた。
信濃小県では、代官所の命令が途絶えた。
前日まで届いていた織田式の文書が止まり、
城下の往来が静まり返った。
国衆は立ち位置を定められず、
家中の声は揺れたままだった。
武田滅亡で空白になった土地が、
織田の再編で一度埋まり、
その支配筋が再び断たれたことで、
信濃は二度目の空白地帯となった。
六月三日、甲斐の谷では織田の兵が動きを止めた。
信忠軍は甲斐・信濃の再編を進めていたが、
本能寺の報が届いた瞬間にその動きが消えた。
甲斐の城々では織田の兵が沈黙し、
信濃の代官所では命令が出なくなった。
行政の流れが止まり、
信濃の空気は再び沈んだ。
六月五日、信濃各地で家中評定が開かれた。
上田では真田昌幸が家臣を集め、
織田の命令が途絶えた理由を探りながら、
立ち位置をどこへ寄せるかを議した。
高島では諏訪頼忠が急ぎ評定を開き、
織田式の再編が止まったことを家臣へ伝えた。
佐久では大井氏と望月氏が家中を集め、
北条の圧力をどう受けるかを議した。
木曽谷では義昌が家臣を集め、
信忠討死の報に沈んだ家中をまとめた。
伊那谷でも仁科旧臣が館に集まり、
盛信亡き後の行き先を議した。
信濃の谷は、同時多発の評定で沈んだ。
家中の声は短く、
肩の向きが揺れたまま、
どの支配筋へ寄るか判断できなかった。
外側の勢力が動き始めた。
北条氏政は上野で勢いを増し、
武田滅亡後に進めていた上野の支配をさらに強めた。
上野の城々では北条の兵が往来し、
信濃東部へ向けて圧力がかかった。
越後では上杉景勝が動いた。
御館の乱後の疲労を抱えながらも、
信濃北部の情勢を探り始めた。
越後からの道は険しかったが、
景勝は信濃の空白を見逃さなかった。
信濃は三方向から引かれる土地となった。
上野から北条、
越後から上杉、
甲斐からは織田の兵が消え、
谷の空気は揺れたままだった。
武田に続き織田も消えたことで、
信濃は完全な空白地帯となった。
国衆は立ち位置を定められず、
家中の声は揺れたまま、
次の判断を迫られる土地となった。
この空白は、真田家を含む国衆を次の判断へ押し出す前段階となった。
武田の支配筋が消え、
織田の支配筋が消え、
信濃の空気は二度沈み、
外側の勢力が三方向から引く土地となった。
その揺れの中で、
真田家は次の立ち位置を選ばねばならなかった。




