彼の真意(2)~とある人物視点~
「まあ、ありがとうございます、アドルファス第二王子殿下」
レイジーはとびっきりの笑顔でリボンを受け取るが、そこには媚びはない。しかもわたしが何者であるかも知っていた上で、この態度は……そうか、婚約者がいるからか。いや、違うな。これまで見てきた彼女の性格からすると、媚びるなんてことはしないのだろう。
「あ、殿下、お怪我をされています。もしや木から降りる時に、木の枝が当たったのでは? リボンを落としたと声をかけるため、急いでいただいたのですね。申し訳ないことをしました」
そう言うとレイジーは、わたしの頬に、淡いピンクのハンカチを当てる。優しい花の香りがした。ハンカチにつけられた香水の香りだ。
レイジーはそのままわたしの手に、自身のハンカチを持たせた。
「お綺麗な顔に、傷が残ると大変です。午後の授業は少し遅れると、教師には話しておきますので、保健室へ行かれてください」
「……どうしてわたしが木にいたことが分かった? それに午後の授業の科目が何であり、教師が誰であるか分かるのか?」
驚いて尋ねると、レイジーは当然というように答える。
「よく殿下の制服に葉がついていたり、時には青虫がいたりすることもありました。きっと木登りをされているのだと、推測できます。さらに殿下は王族の方。公爵家の人間として、主要な王族の方の行動は、頭にいれてあります。殿下の午後の授業は、地質学ですわよね?」
これには驚いてしまう。その観察眼と、公爵家の令嬢として、王族の行動を把握しているなんて。それではまるで……王太子妃教育を受けたようなものだ。
「そのハンカチは、使い終わった後、捨てていただいて構いませんので。それでは殿下、お先に失礼します。あ、保健室はそちらの道を左に行き、廊下を進んで右手の扉、二つ目です」
そう言ってお辞儀をして去るレイジーを見て……。
なんてできた女なのだろう。見た目の美しさに加え、彼女は聡明だと思った。
そこからわたしは……レイジーに秘めた気持ちを抱くようになる。
彼女からもらった、淡いピンクのレースのハンカチ。
それはメイド長に命じ、可能な限り血を落としてもらい、今も大切に持っていた。さらに「もしや」と思い、令嬢達の身上書を引っ張り出した。開封せず、執務机の奥にしまっていたものだ。そこでレイジーの身上書を見つけ、激しく後悔することになる。
どうして、あの時、これを見ておかなかったのだろう……。
わたしは王族という立場なのだ。父上に頼み、サンプソン公爵に声をかけてもらえば、簡単に覆すことができた。レイジーとコーク伯爵家の令息との婚約なんて。
だがあのレイジーのことだ。わたしがそんな選択をしたら……。軽蔑するだろう。権力を振りかざすような行動に対し、幻滅されてしまう。無理矢理婚約破棄させるなんて、できない。
その結果、わたしはただ、レイジーを見守ることしかできなかった。想いを秘めたまま、ただ眺めるだけなんて。第二王子という恵まれた身分であるはずなのに、こんなにどうにもならないことがあるなんて……。
そうやって歳月は流れたが、今日。
レイジーの婚約者であるカーチスの誕生日パーティーに、招待されていた。わたしにとって、恋敵であるカーチスの誕生日を祝うなんて。心情的には行く気がしない。だがレイジーは間違いなく参加する。
……だったら行こう。レイジーを見守るためだけに。
エントランスで見かけたレイジーは、体にフィットした美しい黒のマーメイドラインのドレスを着ていた。女神のような美しさに一瞬見惚れたが、彼女が階段を踏み外し、転げ落ちそうになった。その時、瞬時に動けた自分の運動神経の良さは、神に感謝したいぐらいだ。
間一髪は免れたが、レイジーの顔色はすこぶる悪い。休憩するように伝えたが、彼女は「大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」と健気に答える。
その姿を見て、苦い気持ちになる。
大切な婚約者の誕生日パーティー。例え自身の体調が悪くても、婚約者のためにそのそばに立つつもりなのか。
レイジーからそれだけ想われる、カーチスへの嫉妬。手に入らないレイジーへの情念。二つの想いで、胸の中が渦巻く。
結局レイジーは一人、ラウンジへ向かう。
その背を見送り、「もう諦めなければならない」と思い、彼女の後を追うのはやめ、用意されている二階の控室へと、向かうことにした。