右の頬を打たれたなら、左の頬も差しだしなさい(matthew 5:39) 1
「なんだそのナリは……」
翌朝、寝起きのヴァイヤーに思い切りあきれられた。
一比古のいでたちは、ヘルメットに金属バット。バッグには溢れんばかりの眞夜中新聞四面を詰めこんでいる。
「やっぱ職務質問受けるかな? 竹刀とかの方が言い訳しやすい?」
と一比古が言うと、
「お前止めてやれよ……」
とヴァイヤーは一比古の横に立つアイリスを半眼で見た。アイリスは関係ない、といったふうにつん、と顔をそらす。
どいつもこいつも前しか見てないと呟き、ヴァイヤーはくわえた煙草に火をつけた。煙を吐いて言う。
「今日は《魔女の鉄槌》は来ない。十中八九は」
「なんで分かるんすか?」
「昨日のスターンて野郎。奴の主人兼相棒に、ホプキンス将軍という大物がいたが、第二次大戦でくたばった。現役の審問官ではスターンは間違いなく最強クラスだよ。それが白峯に粉微塵にされたとなると、回復には相当時間を要するはず。しばらく大きな襲撃はないと見ていい。それに奴らは人目につくのを極端に嫌がる。昼間の街中で襲ってくることはまずない」
「夜が好きなんて、人間のくせに吸血鬼みたいだ」
確かに、とヴァイヤーは笑う。ふと真剣な顔に戻って言った。
「私も魔術書『大鍵』を総ざらいしておくか」
確か、ヴァイヤーはスターンに「腕がなまった」と言われていた。スターンはよく知った敵なのだろう。
一比古は出発した。もちろんヘルメットと金属バットは置いていった。
日曜日のビジネス街は人の姿がまばらで、平日と大違いだ。
今日もアイリスはインラインスケートを履いて、極力歩こうとしない。思いきって聞いてみた。
「あのさ、俺を助けてくれるって言ったのも、理由があるんだろ。どうしても《魔女の鉄槌》と戦わなきゃならない理由が。足が悪いのと関係ある?」
アイリスは答えない。
彼女が発する気配は、まるで変わった。迫る戦いに向けひたすら憎しみの純度を高めているように思えた。
それ以上聞くのもはばかられ、一比古は口をつぐんだ。
向かった先は図書館だった。
海の魔女、ハンターハーン、ミノタウロス、東の御方。この四人についての知識が一比古には全くなかったから、まずは歴史の棚で概説書を探した。アイリスも適当な本をみつくろってくれた。東の御方だけは、アイリスが日本に詳しくないこともあり、本が見つからなかった。
ミノタウロスについては『ギリシャ神話』。ハンターハーンは『イギリスの民間伝承』という本の一部分に少しだけ記述があった。
ミノタウロスはクレタ島のミノス王の妃パーシパエが、牛と交わって産まれた牛頭半人の怪物で、クノッソスという地下迷宮に巣食う。王女アリアドネの力を借り、英雄テーセウスに殺されたとされている。
ハンターハーンは中世イングランドのバークシャーの伝説で、リチャード2世の怒りをかった狩人がオークの木で首を吊った。しかし彼は蘇り「ヴァルプルギスの夜」つまりハロウィーンに悪霊たちを率いて夜空を飛行するようになった、と書かれていた。
「つかミノタウロス、死んでんじゃん! しかも紀元前!」
「ホントウノmareficusハ イチドデハシナナイ」
アイリスとの会話は筆談だ。
「じゃあ今も生きてる?」
アイリスは否定し、ゆっくりとノートに字をつづる。
「マジヨガリ ノ シヨケイ タマシイコロス キエル」
ミノタウロスは第二次世界大戦で《魔女の鉄槌》に処刑されたと、昨日白峯が言っていた。ミノタウロスは、二度と生き返ることなく、地獄でひたすら責め苦を負っているのだ。
「ワタシハ マジヨガリヲ サイゴノヒトリマデ コロサナクテハ ナラナイ」
最後の一人まで……。
妄執とも言える強い光がアイリスの目に宿っている。
文字を書いていても会話をしている気がしない。今の彼女に一比古は存在しないも同然だ。憎しみの感情が波となって押し寄せる。
気味が悪い。いや違う。納得がいかないのだ。
彼女の敵である魔女狩りたちの執念に似ているようで、たじろいでしまう。
間違ってる、と思う。でも言えない。彼女がどれほどの苦しみと悲しみを背負ってきたのか、知らないのだから。
どうしたらいいか分からないまま、一比古は再び本に目を戻した。
「この狩人ハーンは?」
「ドイツヤ ホカノクニデハ Wotan, Odin」
「オーディン? 聞いたことがあるかも。ハーンがオーディンってこと?」
アイリスは首を振る。
「OdinトHerneハ ベツ Englandダケトクベツ」
「うう……難しい。この人たちと関わりがあるって言われても。そうだ、アイリス、グリモアって知ってる?」
昨日切り札にした「スクープ」とは、このことだった。
スターンが言った「例の書」。それを一比古が持っていると、《魔女の鉄槌》は考えているらしい。書名なり内容なりが分かれば、敵の目的もよりはっきりするはずだ。
「Grimoire ハ」アイリスの手が止まった。考えこむ。「ホン デス」
「……まんまじゃん」
む、とアイリスは口を尖らせる。
「怒るなよ……自分で調べる努力するから。あれ、海の魔女の本は?」
アイリスの顔がさっと凍った。
「ミツカリ ナカッタ」
嘘だ。直感した。
海の魔女なら、一比古ですら覚えがある。確かアンデルセンの童話『人魚姫』に出てくる魔女だ。『人魚姫』が図書館にないはずがない。
なにかあるな。
とにかく話題を変えよう。一比古は声をわざと明るくして言った。
「まいいや。俺より前に起こった三件の魔女狩りについて知りたいんだ。新聞のところに行ってもいいかな」
アイリスもほっとしたように頷いた。
事件は、五月の中旬に一件、そして五月末に一比古と茗、六月に二件起きている。二人で頭を寄せて記事を読んだ。
被害者は三人とも女性で、二十代の会社員とフリーター、十代の短大生。深夜、自宅で寝ていたところを何者かに襲われた。ナイフのようなもので切りつけられたが軽症。ただ、本人たちは強度のショック状態にあり、意味不明のことを話すばかりで、捜査は難航している、と書かれていた。
下級審問官に襲われた恐怖が蘇る。
彼女を襲ったのが、あの下級審問官とは限らない。下級、中級、上級と審問官は複数いると考えるのが自然だ。彼女らは一比古と同じく、死の恐怖を味わったに違いない。「魔女だと認めろと言われた」などと警察に話しても、信用してもらえないだろう。
なんとかして、彼女らと接触することはできないだろうか。
カシャ、と携帯のカメラのシャッター音がした。
「ん?」
司書が携帯での撮影は止めて下さい、ときつく声を上げる。
気のせいだろうか。カメラのレンズはこっちを向いていた、そんな気がした。
図書館を出たところで、一比古の携帯が鳴った。ヴァイヤー社長からだった。
「御舟の透視で、次の被害者が予知できた。お前にも調査を任せる」
「俺は役立たずじゃなかったんすか?」
「拗ねるな小僧。被害者は高校生なんだ。お前やアイリスの方が行動しやすい。明日から二人とも、隣の中学に転校手続きしといたから」
「はぁ!? あんた、いちいち唐突なんだよ!」
「一比古! この際はっきりさせておこう。真夜中新聞社特派員なら、私を社長と呼べ。日本の社会人の鉄則、これすなわち上下関係。『あんた』などと呼ぼうものなら即マドギワで、次の日にはユーアーファイヤード! だ」
「なんでいきなり英語なんすか」
「……なんだ知らんのか。ビンスの決めゼリフ。アメリカで褒められるのはドクター・ペッパーとプロレスだけだぞ? まあいい。アイリスも一緒か? 日暮れまでには帰ってきなさい。連れ込み宿など入らぬように」
「入るかっ!」
あははと笑い声を残し、通話は切れた。一比古はアイリスに向き直った。
「……あのさ、俺たち同級生になるらしいよ」
アイリスが目を丸くした。
「これからもひとつ、よろしく」
おずおずと手を差しだすと、アイリスもぎこちなく手を握り返した。なんだかひどく気恥ずかしくて、一比古はさっと手をほどいた。
夜は『人魚姫』を読んだ。
アイリスが席を外した隙にこっそり借りてきたのだ。
『人魚姫』ならそう長くはないし、あらすじもなんとなく知っている。三十分もかからずに読み終えることができた。
しかし、一読した一比古は、なんともやるせない気持ちでベッドに転がるはめになった。
H・C・アンデルセン『人魚姫(Den Lille Havfrue)』(一八三六年、『子どものための童話集(Eventyr, fortalte for børn)』第三巻収録)
要約。
いつか、あるところに。海の底に人魚の王様と王様のお母様、そして王様の六人の娘が暮らしておりました。中でも六番目の娘はたいそう美しく、素晴らしい歌声の持ち主でした。
十五歳になった夜、王様の許しを得て海の上にあがった六番目の人魚姫は、船上に美しい王子を見つけました。ところが、突如嵐が船を襲い、王子も海に投げ出されました。気を失った王子を人魚姫は必死で助け、岸辺の寺院へ送り届けました。
それからというもの、人魚姫はもう一度王子に逢いたいと願うようになりました。王様たちが止めるのも聞かず、人魚姫は「海の魔女」のもとへ行き、魚の尻尾のかわりに人間の足が生える魔法の薬をもらいました。しかし、人魚姫はその代償に舌を切り取られ、美しい声を失わなければなりませんでした……。
宮殿に行った人魚姫は、すぐに王子のお気に入りになりました。話すことはできませんでしたが、二本の足で誰よりも優雅に踊ることができました。しかし、一歩ごとに、まるで足の裏でナイフを踏んでいるような、鋭い痛みが人魚姫を貫きました。それでも、人魚姫は王子のそばにいられて幸せでした。
王子は、嵐の中自分を助けてくれたのが人魚姫だとは知りません。勧められるがままに行った結婚で、妻となる王女が命の恩人だと勘違いしてしまうのです。人魚姫は絶望しました。王子が人魚姫以外の女性と結婚することになれば、次の朝、人魚姫は心臓が破裂して死ななければならなかったからです。
人魚は涙が出ません。ですから、誰も彼女の悲しみに気づきませんでした。
夜、人魚姫のお姉さまたちが、海面に現れました。みんな長く美しかった髪を切ってしまっていました。お姉さまたちは、髪と引き換えに、「海の魔女」から貰ったナイフを人魚姫に渡しました。これで王子の心臓を貫けば、人魚姫は再び人魚に戻ることができるというのです。
しかし、王子を殺すことなど、人魚姫には絶対にできませんでした。人魚姫はナイフを海に投げ捨て、朝の陽を浴び、海の泡となって消えてしまいました。
「なんだこれ」
あまりに人魚姫が可哀想すぎる。救いがない。
「いやいやいや、ちょっと待て。似た話をどっかで」
一比古はベッドから起き上がって頭を掻きむしった。ページを慌てて戻る。
『人間になった人魚は、一足歩くたびにナイフを踏むような痛みが走る。』
『人間になった人魚姫は、声が出ない。』
これと似た……いや、そのままの人物を知っている。
その子は、歩く時に足をひきずり、外ではインラインスケートを履いている。
その子は、喋れない。少なくとも喋ったところを見たことは、ない。
その子は、海の上を自在に歩ける。
「もしかしてアイリスって、人魚姫?」
疑問符は空しく宙に浮いた。
前にアイリスが寝ぼけて言っていた「マイン プリンツ」という言葉は、この話の王子を指しているのだろうか?
愛する王子のため人魚であることを捨て、人間となった人魚姫。しかし彼女は報われることなく、海の泡となって消える。
と、一比古は重大な矛盾に気づいた。
「人魚姫死んじゃうじゃん! じゃあアイリスじゃないのか。なーんだ。あーうーあー」
一比古はうなった。掴みかけた大魚をするりと逃した気分だった。第一、『人魚姫』はアンデルセンの創作童話だ。実話ではない。こんな身勝手な王子は歴史には存在しない。
いやしかし、と思い直す。
海の魔女だけは違う。
童話『人魚姫』にも、ミノタウロスやハンターハーンのように、モチーフとなる伝説はあったはずだ。アンデルセンの故郷デンマークとその周辺の北海で、中世、「海の魔女」は実在していたに違いない。
そして今もなお、世界のどこかで生きている。
翌朝は曇り空だった。蒸して、今にも雨が落ちてきそうな空。
転校先の都立中学に、一比古とアイリスは一時間早く登校し、隣の高校の校門前で、次のターゲットを待った。山手線の駅を降りてすぐ隣に大学があり、一種の文教地区で、駅から学校までの道は中学生、高校生、大学生、と様々な歳の学生でごったがえしていた。
資料として渡された写真を見る。一年一組、堺悠介。若干目つきが悪い以外は、茶髪のごく普通の高校生だ。
通り過ぎていく生徒たちの視線が痛い。中にはあからさまにクスクス笑う女子もいた。
染めた金髪の自分も目立つが、アイリスの姿はひときわ目をひく。
なにしろ明らかに西洋人の彼女が、セーラー服を着ているのだから。アイリスはなぜ自分が笑われるのか理解できない、といったふうに眉を寄せた。
ホームルーム開始時間ぎりぎりになって、堺悠介は現れた。それも彼から声をかけてきた。
「君、赤羽だろ?」
不ぞろいに伸びた髪に、醒めた細い目。整った顔立ちだが、いかんせん感じが悪い。一比古を上から下までじろじろ眺め、悠介はふーん、と言った。
「……なんで俺のこと知ってるんですか?」
「あれぇ、『あそこ』を知らないんだ。安心してよ。僕はターゲットになってないから。それよか自分こそ気をつけたら。後ろの彼女も」
そう言って、さっさと悠介は校舎に入ってしまった。一比古もアイリスもあっけにとられ、悠介の背中をただ見送るしかなかった。
「……なんだあれ」
なんで俺を知ってる? 「あそこ」ってなんだ?
頭にぐるぐると疑問が湧いたが、予鈴が鳴ったので、急いで中学へ向かった。
担任の後をついて教室に入ると、一部の生徒からクスクスと笑い声がおきた。
ここもか、と一比古はげんなりした。
だが様子がおかしい。確かにみんなアイリスを珍しそうに見てはいるのだが、嘲笑は、どうやら自分に向けられているようなのだ。
自己紹介が終え、一番後ろの席につくと、前の席の男子が携帯をこちらに向け、無遠慮にシャッターを切った。忍び笑いがさざめいた。担任が声をあげる。
「こら、学校では携帯の電源は切っておけ!」
「すんませーん」
まるでいじめだ。
イライラしながらも、転校そうそう波風をたてたくないから、一比古は黙っていた。髪と目の色のせいだろうか? 一応校則は自由のはずだが。
いや、もっと悪意がこもっている気がする。
休み時間になると、生徒たちはさっそくアイリスにむらがった。
「どこの国から来たの? イギリス? フランス? 日本語分かる?」
「喋れないの? かわいそー」
「スカート丈もっと短くすれば絶対モテるよぉ」
と口々に話しかけている。そのうち、数人が携帯で写真を撮りはじめた。困惑してやめて、と手を伸ばすアイリスに、どっと笑い声がおきる。
思わず一比古は立ち上がっていた。
「嫌がってるじゃん。止めてやったら」
視線が突き刺さる。誰かがぼそりと言った。
「……うぜえ」
それを機に、興ざめした生徒たちは散っていった。
アイリスの手を取り、大またで教室を出た。
廊下でも、好奇の目が容赦なく注がれた。屋上へ続く階段にようやく避難場所を見つけ、二人は腰を下ろした。
アイリスは膝を抱え今にも泣きだしそうだ。魔女狩り相手には一歩も引かない彼女でも――いや、だからこそ、守るべき普通の人々からあんな言葉を投げつけられるとは、夢にも思ってもいなかったのだろう。
胸が痛み、一比古は奥歯を噛みしめた。
「悪ぃ、勝手なことして」
アイリスは首を振る。手ぶりで一比古は悪くないと伝えてくる。
「つうか、明らかに変だよな……堺悠介も俺らを知ってる感じだったし。気をつけろ、ってこういうこと?」
なにかが変だ。
原因が分からないまま、転校一日目は終わった。
二人してとぼとぼと帰り、一比古はパソコンで編集作業を手伝った。
途中、モニタ下のアイコンが点滅しているのに気づいた。クリックするとメッセンジャーが立ち上がり、ウィンドウが現れた。
『お世話になってます。ユニコです』
「編集長。なんか、ユニコさんって人からメッセージが来てるんすけど」
白峯はワープロを叩きながらに言った。
「常連の賞金稼ぎだ。用件聞いといてくれ」
「確か赤羽っちと同じ中三って言ってたぜ。気が合うんじゃね?」
中学生の賞金稼ぎ?
『こんばんは。真夜中新聞社の赤羽です。ご用件はなんでしょう?』
『ああああああああ!』
「な、なに!?」
『赤羽君? マジで!? 新聞社入ったんだ! あたし、あたし』
「?」
『元同級生の佐田だよーん』
「ええ!? 佐田!?」
すぐに携帯電話が鳴った。
「マジで佐田なの?」
「そうだよー。昼間は学級委員長、夜は賞金稼ぎです。てかひどいよ! 挨拶もなしに転校なんてさ。みんなびっくりだよ。石垣君なんて、今日一日ずーっと喋んなかったし」
一比古は白峯や拝島の邪魔にならないよう、非常階段に出た。
「佐田、『真夜中新聞社は怪しい』とか言ってなかった?」
「そりゃ、赤羽君が狙われてるってのは、眞夜中新聞読んで知ってたし。なにも自分から危険に飛びこまなくても、て思って止めたの。一昨日だってなんだっけ、上級審問官にひどい目に遭ったんでしょ。絶対危ないって!」
「けど茗を助けるためにも――」
「それは、分かるけど」佐田は歯切れ悪く言い、話を変えた。「新しい学校はどう? 初登校だったんでしょ?」
「それがさ……」
今一番話したいこと。それが話せる対等な相手。無性に嬉しくて、一比古は早口で喋った。
話を聞き終わると、佐田はうーんとうなった。
「怪しいね。絶対裏があるよ。クラスに《ハグレ》が混じってんじゃない? それか堺悠介自身が《ハグレ》とか」
道ならぬ罪を犯した妖怪。下級審問官を殺したとされている存在。
「もしかしたら襲われる可能性ある?」
「あるある! 新聞社の人も考えてくれてると思うけど、《ハグレ》はすっごい狡猾だから油断してると騙されるよ。一度、石垣君が急に不登校になったでしょ? あれもハグレ狐に憑かれてたの。弱い狐だったから私でもなんとか落とせたけど」
「あったあった! 一週間くらいしてケロッとして登校してきたけど、あれって狐憑きだったのか! 佐田が退治したの? すげえ、格好いい!」
「えへへ。私なんかまだまだ若輩。最近だと、たった一匹だけだしね。もう二か月も不作ですわぁ。他の賞金稼ぎの人に会ったことない?」
「ない」
「そのうち会えると思うから、色々話聞くといいよ。勉強になるから。夏休みになったら私も差し入れ持って遊びに行くよ!」
一比古は胸がどきどきしていた。一日の憂鬱がふきとんだ。それは佐田も同じらしく、電話の向こうの声は弾んでいた。
「あのさ、ちょっと頼みがあんだけど」
「なになに?」
「新聞社の人は戦闘はダメって言うんだ。だけど、自分の身くらいは守れるようになりたい。簡単でいいからアドバイスもらえないか?」
「お安い御用よ! 今? まずね、日本とか中国系の妖怪の場合、名前を知られないように。名前を知るっていうのは、魂に手をかけるのと同じだしね。あと早く相手の正体を突き止めること。そうすれば苦手なものとか弱点が分かる。先手必勝ね。西洋系はタイプが多くて難しいけれど、弱い相手なら神の四文字《ヨッド、ヘー、ヴァヴ、ヘー》で、ある程度動きを抑えられるよ。『テトラグラマトン』だけでもOK」
そして佐田はいくつかの呪文をスラスラと言った。
「ちょ、待って。メモするから。あと相手が魔女狩りだった場合は?」
「魔女狩りって、人間でしょ? 話せば分かるんじゃない?」
上級審問官スターンを思い描く。
「無理。絶対無理! 話なんて通じない。ある意味モンスターよりたちが悪い」
「じゃあガチしかないなあ。賞金稼ぎってもね、真正面からは普通戦わないよ。罠を仕掛けて、かかるのを待つ。猟師みたいにね。ガチで戦うときは急所狙うしかないよ。後頭部、鼻、顎、みぞおち、あとローブロー」
ボクシングだったら反則だなあと佐田は笑い、続けた。
「実戦で経験値ためるのが一番大事じゃない? 自分に合った武器を早めに持っといた方がいいよ。私もそれで苦労したから」
「武器か。ありがとう佐田」
「いや、大したアドバイスもできませんで。記事楽しみにしてるから。また連絡するね!」
一比古は携帯を閉じた。
よし、明日こそ必ず堺悠介の魔女狩り裁判を止めてみせる。
雨の音が、心を静かに研ぎ澄ませていった。