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エピローグ

 

 わたしは新生児室のベビーベッドでぐっすりと眠り続けていた。

 とても疲れていたから目が覚めることはなかった。

 骨盤から産道へ、そして、外の世界へ出て行くのにどれだけ時間がかかったか、どれだけの体力を使ったか、本当に大変だったのだ。

 精子様じゃないけど「しんど!」って言いたくなるくらいだった。

 でも、ママの初乳(しょにゅう)をたくさん吸えたからお腹がいっぱいになって、気持ちよく入眠することができた。


 ママの横ではなく新生児室にいるのは理由があった。

 最近は母子同室が一般的になっているが、産まれた時にへその緒が首に巻き付いていたわたしは、看護スタッフが見守る必要があったからだ。

 だからここにいるしかないのだ。

 しかし、その方が安心なことも確かだった。


 ところで、わたしが産道を通り抜けて外の世界へ出るほんの一瞬の間に起こったことは、凄いとしか言いようのないことだった。

 本当に凄いものを見たのだ。

 それは地球の悠久(ゆうきゅう)の歴史であり、わたしの特別な使命だった。


 今、夢の中でそれが再現されようとしている。

 皆さんにも一緒にそれを見てもらいたいと思うが、それは不可能なので、これから見る夢をそのまま同時進行で伝えていこうと思う。

 皆さんがわたしの話に耳を傾けてくれたらとても嬉しい。


 始まったようだ。

 でも、まだ何も見えない。

 ただ暗黒の世界が広がっているだけだ。


 しかし突然、何かが爆発し、鮮烈な光がすべてを覆った。

 眩しくて何も見えない。

 視界が強烈な光で埋め尽くされている。

 それでもしばらくして目が慣れてくると、何かが見えてきた。

 とても小さな何かだった。

 それは……、


        *


 今から46億年前、将来生命を産み出す〈(もと)〉が生まれた。

 それは、小さな〈(ちり)〉だった。

 それが1千万年くらいかけて〈地球〉という揺りかごになった。

 そこに雨が降って〈母なる海〉ができた。


 海底からは熱水が噴き出していた。

 そこにはメタンやアンモニウムが豊富に含まれていた。

 その生命の素になる物質が化学変化を起こし、〈原核(げんかく)生物〉が生まれた。


 はっきりとした核を持たない〈単細胞生物〉だった。

 それは、生命が生まれた瞬間だった。

 わたしたちの祖先が生まれたのだ。


 その中に酸素を産み出すものが出現した。

 その酸素を利用して生物は進化を始めた。

 わたしたちの祖先は核膜かくまくを持つ〈真核しんかく生物〉になった。

 その時の大きさは僅か数ミリだったが、そこへ辿り着くまでに13億年という気の遠くなるような長い時間が必要だった。


 そして更に10億年後、わたしたちの祖先はやっと〈多細胞生物〉になった。

 最初の生命誕生から23億年が経っていた。


 それから更に10億年後、海の中で生命の大爆発が起こった。

 〈カンブリア爆発〉だ。

 一気に生物の種類が増えた。


 その中から〈魚類〉が誕生した。

 彼らは〈背骨〉を有した〈脊椎せきつい動物〉だった。

 わたしたちの祖先は〈ナメクジウオ〉に姿を変えていた。


 その後、〈あご〉を獲得することによって、繁栄の切符を手にすることになった。

 海の王者として君臨するようになったのだ。


 場面が陸に変わった。

 24億年前、海の中で飽和状態になった酸素は海面から空気中へと放出され始めた。

 そして、呼吸に必要な酸素が徐々に増えていった。

 すると、それが上空に溜まって〈オゾン層〉となり、太陽からの紫外線をブロックするようになった。

 生物が生きていくための住みやすい環境が整ったのだ。


 生物はこのチャンスを逃さなかった。

 海を出て上陸を始めたのだ。

 先ず、植物が4億5千万年前に、それを追うようにして昆虫が、そして、魚のヒレが足に進化した両生類が3億9千万年前に上陸を始めた。

 それは、わたしたちの祖先が肺呼吸を始めた瞬間だった。


 その後、爬虫類(はちゅうるい)に似た〈単弓類(たんきゅうるい)〉を経て〈哺乳類(ほにゅうるい)〉になったのが2億年前だった。

 わたしたちの祖先は〈胎生(たいせい)〉を獲得したのだ。

有胎盤類(ゆうたいばんるい)〉としてお腹の中で胎児を育てる能力を持ったのだ。


 しかし、その時代に生きていくのは大変だった。

 恐ろしい〈肉食恐竜〉がいたからだ。

 ティラノサウルスに見つからないように葉陰や小穴で怯えながらやり過ごすしかなかった。

 ネズミのような外見をしたわたしたちの祖先は体長が10センチほどしかなかったから、肉食恐竜に見つかったらひとたまりもなかった。

 だから、彼らが寝静まる夜間にこそこそと活動するしかなかった。


 しかし、状況が一変する出来事が突然起こった。

 小惑星の衝突だ。

 6600万年前、直径10キロの小惑星が地球に激突したのだ。


 場所はメキシコのユカタン半島だった。

 そのエネルギーは広島に落ちた原爆の10億倍だった。

 一瞬にして気候が変動し、地球に厳冬の時代がやって来た。

 衝突して巻き上がった粉塵ふんじんが空を覆い、太陽光を遮ったのだ。

 それによって光合成ができなくなった植物は枯れていった。

 植物を餌にしていた動物も死んでいった。

 餌になる草食動物がいなくなった地上で肉食恐竜が生き延びる術はなかった。

 恐竜は絶滅した。


 そのことによって、わたしたち祖先に大きな変化が訪れた。

 千載一遇のチャンスが巡ってきたのだ。

 それまで恐竜が独占していた空間や食物を我が物とすることができるようになったのだ。


 更に、日中に活動することもできるようになった。

 その結果、急速に多様化した哺乳類が陸の王者へと上り詰めていった。

 その中で、わたしたちの祖先は霊長類(れいちょうるい)に進化した。

 6千万年前のことだ。

 それが、3000万年前に真猿類(しんえんるい)に進化し、類人猿(るいじんえん)を経て、700万年前に人類になった。

 そして、250万年前にヒト属となり、

 25万年前にヒトになった。


        *


 わたしが産道を通り抜けて外の世界へ出るほんの一瞬の間に見たものは、〈46億年の記憶〉だった。

 わたしは46億年という生命の進化を背負って生まれてきたのだ。

 それは奇跡と呼ぶに相応しいドラマチックな旅路だった。


 でも、それだけではなかった。

 外の世界に出た瞬間、わたしは誰かの声を聞いた。

 それは名前を呼ぶ声だった。


「すくよ」


 そして、優しい声が続いた。


「よく聞きなさい。これから話すことはとても大事なことだから、しっかりと頭に叩き込みなさい」


 しかしその声はすぐに厳しいものに変わった。


「命、それは、46億年の奇跡。それは、何物にも代えがたい貴いもの。それは、何人たりとも奪う権利がないもの。しかし、25万年前に現れたヒトという新参者は、とどまるところを知らない欲望を満たすために自らに都合の良いルールを作り、破壊行為を始めた。そして、所有欲を露わにして戦争を繰り広げ、多くの人を殺していった。それは悪徳であり、犯罪であり、冒涜(ぼうとく)である。どのような理由があろうとも許されるものではない。更に、人間同士で殺し合いをするだけでは飽き足らず、他の種を次々と絶滅していった。そして、自らを産み出した母なる地球までも痛めつけようとしている。なんということだ。愚か者めが!」


 強い衝撃波がわたしを襲い、息が苦しくなった。


 それが永遠に続くかと思われた時、またわたしの名前を呼んだ。


「すくよ」


 打って変わって穏やかで丁寧な口調に変った。


「もう時間は残されていません。あなたが胎芽となり、胎児となり、この世に生まれ出て来るまでに、残念ながら終末時計は針を進めてしまいました。100秒を切ろうとしているのです。もう議論している時間はありません。躊躇っている時間はないのです。手遅れになる前に行動を起こさなければなりません。あなたが率先して行動を起こせば、志を同じくする者たちがあとに続くでしょう。そうすれば、大きな流れを作ることができます」


 特別な手がわたしの両肩を掴んだ。


「あなたは地球を救うために生まれてきました。愛と平和を生みだすために生まれてきました。今まで誰も成しえないことをするために生まれてきたのです」


 特別な手に力が込められた。


「環境破壊を終わらせなさい。戦争を終わらせなさい。難民を救いなさい。差別を根絶しなさい。偏見を取り除きなさい。未知のウイルスとの戦いに勝ちなさい」


 特別な手がわたしの頭に置かれた。


「これから6年間、あなたの妹や弟が毎年生まれてきます。それぞれに極めて重要な使命が与えられて生まれてきます。あなたたちはそれを成し遂げなければなりません」


 特別な手がわたしの脳に触れた。


「あなたは国連事務総長となって世界を導きなさい。今までのような象徴的な役割に甘んじることなく、世界の平和と安全のために強力なリーダーシップを発揮しなさい。そのためには国連改革が急務です。いがみ合う超大国のエゴを許してはいけません。特に、欧米対中ソの構図によって何も決まらない安全保障理事会をこのまま放置していてはいけません。利害ではなく、普遍的価値によって対処できる仕組みを作り上げなければならないのです。それには、常任理事会に核を持たない国を参加させると共に、三分の二の賛成によって採決できる仕組みを作り上げなければなりません。絶対的な真理と道徳的権威を掲げて、恐れることなく行動しなさい」


 そして、まだ見ぬ妹や弟たちの役割が告げられた。


「これから生まれてくる順にそれぞれの使命を与えます。あなたは彼らに対して正しい道と行動を教えなければなりません。今から言うことをよく聞いて頭に叩き込みなさい。そして導きなさい。


 来年生まれる次女にはWHO事務局長となって世界の人々の健康を守る役割を与えます。これからも未知のウイルスなどによる致死性の感染が起こることは明白です。今回のように無知な政治家や隠蔽(いんぺい)する政治家に振り回されてはなりません。断固とした態度で政治的圧力を跳ね返すのです。そのためにも的確かつ公平で公正な判断と行動をさせなさい。


 長男には国連医薬品開発機構の設立と初代事務局長就任の役割を与えます。世界にはいまだ存在を知られていない病原菌が無数に存在します。既存の病原菌の変異も次々と起っています。それらは常に人類を恐怖に(おとしい)れようとするでしょう。壊滅的な打撃を与えようとするでしょう。それを放置するわけにはいきません。しかし、対抗していくためには一企業や一国では余りにも非力と言わざるを得ません。世界全体が協調し協力しなければならないのです。そのためには、新たな医薬品開発組織が必要です。WHOや世界中の製薬企業と連携しながら迅速な医薬品開発を主導する組織が必要なのです。未知の病原菌に対するワクチンと治療薬を迅速に開発するために、的確かつ公平で公正な判断と行動をさせなさい。


 次男には国際司法裁判所長として世界の紛争を解決する役割を与えます。国際刑事裁判所や特別国際戦犯法廷と協力して戦争犯罪を裁き根絶させなさい。独裁者や虐殺者たちの戯言(たわごと)を放置してはなりません。命を守るための的確かつ公平で公正な判断と行動をさせなさい。


 三女には国連難民高等弁務官事務所長の役割を与えます。世界で増え続ける難民の救済に全力を尽くさせなさい。緒方貞子さんの遺志を受け継いで難民の権利を保護し、擁護させなさい。そして、難民ゼロという究極の目標に向けて的確かつ公平で公正な判断と行動をさせなさい。


 三男には世界銀行総裁の役割を与えます。貧しい国々の経済を強化して、彼らの生活水準を改善させると共に、開発事業に絡む汚職を撲滅させなさい。また、先進国における貧富の格差解消のための投資や雇用への環境を整えさせなさい。世界中の人々が豊かな暮らしができるように、的確かつ公平で公正な判断と行動をさせなさい。


 四女には国連環境計画事務局長の役割を与えます。気候変動や災害、生態系管理や環境ガバナンス、化学物質や廃棄物、資源効率化などの環境アセスメントを実施し、『かけがえのない地球』『かけがえのない人々』を守るための行動をさせなさい。発言力の強い国や自国第一主義を掲げる国の圧力に負けることは許されません。終末時計を進めるような愚行を許してはならないのです。地球温暖化対策を推進する国連気候変動枠組み条約締結国会議(COP)と連携して環境悪化を食い止めることが急務です。地球と人類、すべての生物を守るために的確かつ公平で公正な判断と行動をさせなさい」


 そして、特別な手がわたしの頬に触れた。


「彼らを導くのは私ではありません。すくよ、あなたです。極めて重要な使命を持って生まれてくる妹や弟たちを正しい方向に導くのはあなたなのです。そのために46億年の記憶を与えました。生命が誕生するための長い旅路を教えました。人類が犯した多くの過ちを教えました。その過ちの中でも政治や宗教の問題は深刻です。優れた政治家や宗教家は数多くいますが、残念ながら、そうではない人たちも多く存在しています。そして、その人たちが間違いを犯し続けているのです。本来、政治や宗教は人類の平和と繁栄のために存在するはずですが、残念ながらそうはなっていません。政治は、時として独善や長期政権によって独裁を生み、人々を苦しめるだけでなく戦争を引き起こします。宗教は、異なる宗派、異なる宗教を非難し、排除し、対立と抗争を生んでいます。各地で戦争を引き起こしています。政治や宗教で人々を導くには限界があるのです。何故なら、そこには覇権(はけん)や損得を餌とする魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)しているからです。すくよ、あなたは政治や宗教の力を借りてはいけません。偏った考えを排除しなければなりません。公平で公正な立場を堅持しなければならないからです。すくよ、惑わされてはいけません。目に見えることだけに影響を受けてはいけません。声の大きな者たちの影響を受けてはいけません。すくよ、あなたに『いつどんなときにも変わることのない正しい物事の道筋』を与えます。あなたの判断と行動はこれに基づかなければなりません。そして、それに基づいて妹や弟たちを導くのです。すくよ、わかりましたね」


 特別な手に優しく抱き締められた。

 そして、自らの名を告げられた。

『永遠不変の真理』という御名前だった。

 その声が諭すような口調に変わった。


「すくよ、この世から46億年の記憶を消し去ってはなりません。(しゅ)を消し去ってはなりません。邪悪と傲慢(ごうまん)から守り抜くのです。そして、終末時計の針を元に戻すのです。すくよ、あなたに真理と正義と勇気と希望を与えます。それを持って妹や弟たちを、そして人類を導きなさい。あなたが地球の光輝く未来を導くのです」


 そこで声が消えた。

 そして、手が離れた。

 存在が消えると心が開かれ、自らの特別な使命をはっきりと認識した。


 与えられた名前を呟いた。


 すくよ。


 わたしの名前は、すくよ。


 地球とすべての命を救うために生まれてきた女の子、


 (あるじ)救世(すくよ)


 完






【注意!:文中に妊娠・出産に関する記述が数多く登場しますが、本作品は小説であり、学術書ではありません。妊娠・出産に関する最新の情報は産婦人科医などの専門医や医学誌などの専門誌から入手ください。よろしくお願いいたします】





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