セレナ・アリア(1)
前に何度か酔いつぶれたリースレットさんを家まで運んだことがあったけれど、その時に比べるとリビングはずっと綺麗になっていた。
さすがに言わないけどね。僕だってデリカシーは心得えてる。
「部屋、前よりかなり片付きましたね」
あっ。
言っちゃった。
「見事なものだろう。我ながら頑張ったと思っているんだ」
エヘン、と誇らしげなリースレットさん。
これは結果オーライだろうか。
「適当にかけておいてくれ。私は飲み物を用意しよう」
「えっと、お構いなく」
「構うさ。無理を言って家まで来てもらったんだからな」
魔導ポットに水を注いで、五秒でポンッと瞬間沸騰。
やがてダージリンだろうか、香しい香りが漂ってくる。
「インスタントで悪いが、飲んでくれ」
「ありがとうございます。……あれ、リースレットさんは?」
「申し訳ないが、大人の特権を使おうと思う」
なんだろう?
再びキッチンに引き返していくリースレットさん。
戻ってきた時にはグラス二つと、ワインボトル。
「君は二十歳まで飲まないと聞いているが、気が変わったら好きについでくれ。
私は……少し、酔わさせてもらうよ。いいだろうか」
紅の瞳が僕に向けられる。
どこかやりきれなさそうに潤んでいる。
アルコールで自分の"タガ"を外す。そうしないと話せないこともあるんだろう。
「注ぎますよ」
僕はワインボトルを手に取る。ラベルには三年前の日付、ロゴス産だった。
赤紫の液体が、とくとくとグラスに波を作る。
「……今更だが、紅茶ではなくブドウジュースの方がよかったかな」
「いえいえ、温まるので助かりました」
外はあまりにも寒すぎた。思わずフィールドをブ厚くして冷気を弾こうかと思うほどに。……魔力の無駄だから、やらなかったけれど。
「ならいいんだ。ひとまず、乾杯」
「乾杯、メリー・クリスマスですね」
別に狙ったわけじゃないけれど、壁掛け時計がポーンと音を立てる。
12月25日 0時0分。
これがシンデレラなら魔法が解ける時刻だけど、僕たちは最初から最後まで現実だ。
リースレットさんが僕を家に誘ったのは、あくまで亡霊について話をするため。
色気もへったくれもない。
それにシルキィさんもカジェロもボロボロなわけで。
それでもちょっと期待してしまうあたり、僕はどうしようもなく男の子だ。
酔って間違いが起こったら、なんてさ。
「ああ、そうか。今日はクリスマスだったな。……すっかり忘れていたよ。
やはりどうにも私は女らしくなれないらしい」
「そんなことないですよ。リースレットさんは、昔からずっと、すごく可愛らしいです」
「……大人をからかうんじゃない」
クイ、と。
グラスを傾けるリースレットさん。白い喉がコク、コクと上下する。
大丈夫だろうか。今、かなりの量を流し込んだように見えたけれど。
「私は、酔いやすい質なんだ」
「知ってます」
僕、リースレットさん、スマイルズ先輩。
三人でクエストに行った後の打ち上げじゃ、三回に一回くらいはグッタリしてますもんね。
「だから私が何を言っても、どんなことをしても、適当に流してくれると嬉しい」
つまりオフレコ、と。
二人だけの秘密。
そんな風に言えば甘酸っぱい気持ちになれるけれど、まあ、僕の自己満足だ。
「あれを見てくれないか」
リースレットさんはどこか影のある表情を浮かべ、本棚へと視線を向ける。
そこには飾られていたのは、額縁。
絵には二人の女性が並んでいる。
赤と青、槍と剣、生者と死者――。
「昔、私はスカートを穿いていたんだ。似合わないだろう?」
ハハッと冗談めかしながら、リースレットさんは自分のグラスにワインを注いだ。
それから再びグラスに口をつけ――ふと、その端から赤紫のしずくが零れた。
ショートパンツから伸びる、キュッと締まったふとももの上。つぅ、と軌跡を残して垂れていく。それがたまらなく蠱惑的に感じられた。
リースレットさんはそれに気付かないまま話を続ける。
「剣と槍の二刀流。変だろう? 元々は槍使いだったし、髪は短くしていたんだ。
……やはり飲むと、身体が温まってくるな」
プチ、プチ、と。
あまりに無防備に、首元のボタンを外す。
リースレットさんの淡い肌、鎖骨のくぼみ。
でも、今は凝視してる場合じゃないんだ。
「私の横にいるのは、大切な友達だ。
セレナ。セレナ・アリア。――亡霊に、瓜二つだろう」
やがて。
「あの子とは同郷で、ランクEの時からパーティを組んでいたんだ」
ポツリポツリとリースレットさんは語り始めた。
「三年前、まだ私が別の迷宮都市にいた時だ。
ランクCになりたての頃に、それは起こったんだ……」
彼女にとって、どうしようもなく苦く、悲しい思い出を。
* *
セレナ・アリア。
黒いリボンに、青い髪のポニーテイル。
加速魔法を得意とする、手数重視の剣使い。
肖像画の明るい表情のとおり、快活で、太陽のような女の子だったらしい。
「私たちはずっとうまくやれていた。小さなトラブルはあっても、次の日には仲直りできていた。
このまま二人でどこまでも行ける。ランクB、ランクA、あるいはその先すらも。……そう、信じていたんだ」
けれど、変化というものは前触れもなく訪れる。
当時の彼女たちは十八歳、当然といえば当然かもしれないし、むしろ遅い方だとも言えるだろう。
――初恋。
「念のため言っておくが私じゃない。恥ずかしい話だが、この年になっても恋愛感情というものがよく分からなかったんだ。
……ああいや、個人的なことはどうでもいいんだ。セレナだ、セレナの話をしよう」
妙に照れくさげに右手を振ると、リースレットさんは話を再開する。
「セレナに、好きな相手ができたんだ。同じロゴスの、バイオリン職人だ」
冒険者と芸術家。
珍しい組み合わせに思えるかもしれないが、実のところ、それなりに多いカップルだったりする。
お互いに未知の体験を求める感性がフィットするのだろうか。
あるいは冒険者ゆえに会える時間が少なく、それが却って芸術家の愛を燃え上がらせるのか。
ともあれここノモスでもそういうカップルは結構多い。……ただ、結婚に至るのは稀なのだけれど。
「ヴィン・マークス。純朴な、けれど真面目な少年だったよ」
彼はモンスターの毛皮をギルドに注文していた。ニスの素材としてだ。
バイオリンにとってニスは非常に重要なファクターで、見た目だけではなく音の響きすらも左右してしまうのだ。
「ただ、貧乏なバイオリン職人がさほど多くの報酬を出せるわけがない。
依頼は誰からも見向きされず――けれど、セレナが引き受けたんだ」
ちょうどその時期リースレットさんは体調を崩してしまっていた。
相方であるセレナさんは暇を持て余し、軽めのクエストに手を付けたわけだ。
ターゲットのモンスターはかなり浅い階層に生息していて、ランクCの彼女にとっては肩慣らしにもならないほどだった。
サクッと行ってサクッと終わらせ、そしてサクッと忘れてしまう。
冒険者が一生のうちに経験するクエストのうち、半分近くがそういうものだ。
これもまた忘却の引き出しに仕舞われてしまうはず……だったのだけれど。
「ある日、ヴィンが冒険者ギルドを訪ねてきたんだ」
依頼者がギルドに直接来る理由なんてまあ、八割は苦情と言っていい。
だったらセレナさんの獲ってきた毛皮に問題があったのだろうか?
逆である。
どうやらニスは会心の出来になったらしく、直接礼を述べに来たのだ。
しかもヴィンには文学的な素養があり、周囲が赤面するほどの美辞麗句でセレナを褒めまくったらしい。
「どうやら、それがきっかけだったらしい」
もともとセレナさんは快活な性格で、男勝りの剣使いだった。
おかげで他の冒険者からは女扱いされず、だからこそヴィンの存在は新鮮だったんだろう。
「セレナは恋に落ちて――尋常じゃないほど、入れ込んでいた」
ヴィンからのクエストは、どんなに少ない報酬でも最優先。
さらには自発的にモンスターの素材をプレゼント。
それだけじゃない。
「バイオリン職人は、難しい仕事。当たれば大きいけれど、ほとんどは貧しい生活を強いられる」
そしてヴィンは大多数の側で、借金まで背負っていた。
遊び人というわけじゃない。ごくごく真っ当な職人だ。
けれど生活が回っていかないなら身の振り方を考え直すべきだし、普通なら働き口を探すところだろう。
昼は商店のバイト、夜はバイオリン制作、とかね。
けれどヴィンの場合は違った。
セレナさんが、借金を代わりに返してしまったのだ。
ランクCへ昇り詰めるまでに稼いだ報酬、そのほとんどを使い果して。
「アルフ君は、どう思う? セレナのしたことについて」
「難しいです。普通なら『ヴィンを甘やかしてるだけ』『回り回って彼をダメにしてしまう』って説教を垂れる所なんですけど、自分に置き換えてみると……」
もし僕がランクDどまりで、シーラさんあたりに「養ってあげるよ」なんて言われていたら。
どうだろう?
思いっきり依存しまくっていたかもしれないし、あるいは、冒険者以外の道を見つけるきっかけになったかもしれない。主夫とかさ。
それに、うん。
僕自身も恋愛経験が少ないから分かるんだ。
セレナさんはセレナさんなりに頑張っていたんだろうな、って。
好きな人のために何かしてあげたい。
そういう暖かい、けれど激しい気持ちを持て余して――制御しきれなくなったのかもしれない。
つまり僕には何も言えなくって。
「もしセレナさんを止めれるとしたら、止める資格があるとしたら」
それは、たぶん。
「隣にいたであろうリースレットさんでもなくって」
過程の話だけど。
「酸いも甘いも嚙み分けた、経験豊富な大人だけと思います。
たとえばそう、ミュウさんみたいな」
まず最初にあの人が浮かぶあたり、僕の交友関係の偏りがよく分かるってものだ。
あっ。
ミュウさんって言われても分からないか。
リースレットさんにとっては知らない人だしね。
「いや、前に一度会ったことがある。君を留置場まで迎えに行ったときに説教されて……ああいや、それは別にいいんだ」
ん?
リースレットさん、僕のために来てくれてたんですか?
「あーあーあー、聞こえない、聞こえない、私は聞こえない!」
まるで子供みたいに騒いで、ごまかす様にワインを飲み干すリースレットさん。
「問題はヴィンなんだ! あいつは、ああ、セレナに金を返すと言っていたさ!」
アルコールが一気に回ったのだろうか、リースレットさんの目つきが明らかに変わった。トロン、って。
頭もふらふら、さらに上着のボタンをパチン。胸の大きい人なら谷間が見えていると思う。
「そして実際に金を返したんだ! 最悪の方法で!」




