セレナ・アリア(2)
果たしてヴィンは、セレナさんの恋心に気付いていたんだろうか?
普通なら分かるだろうし、そうじゃないとしたら……いったい何だろう。
僕とシーラさんみたいなものだろうか。
他に好きな人がいたり、あるいは何かしらの思春期症候群をこじらせていたり。
単にセレナさんを都合のいい女に留めたかっただけ?
想いを受け入れて恋人になったら、一方的に受け取るだけの関係が成立しなくなる。
それが嫌で、鈍感のフリをしていたとか。
ともあれ所詮は他人の胸の裡、真相にはきっと辿り着けないだろう。
だから事実だけを述べておきたい。
ヴィンはセレナさんにお金を返した。
どうやって?
心を入れ替えて働いた?
半分正解で、半分はずれ。
「ヴィンは昼の間、近くの商会で会計士をやることになった。もともとそれなりに学はあったんだ」
さらにそこで親方に気に入られ、一人娘と結婚することになった。
ついでにヴィンは借金のことも相談したらしい。
結果。
「親方がセレナのところを訪ねてきて、『もうヴィンに近づかないでくれ』だ」
手切れ金は、借金のきっちり1.05倍。
こういうのは額の問題じゃないけれど、あまりにケチ過ぎやしないだろうか。
「私もどうかと思うが、もっと寄越せとも言えないだろう」
「ヴィンはそれっきりですか。後始末も、親方に任せて」
「ああ」
リースレットさんは再びワインをあおった。
改めて蘇った怒りを呑み込むように。
「私は納得していないし、あの男を許せそうにない」
けれどセレナさんは、気丈にもこう言ったらしい。
――きっと婚約者さんに気を遣ってるんだよ! カレ、優しいからさっ!
――ひどい男を演じて、私が次に行けるように気を遣ってくれてるのかも。うん、きっとそうだね。
それが真実だったのか、いわゆる"恋の盲目"だったかは分からない。
ともかくセレナさんは恋に破れてしまった。
「最初の頃はいつも通りだった。立ち直ってくれたと思っていたんだ」
けれどひと月、ふた月と過ぎたころだろうか、だんだんとセレナの様子がおかしくなっていった。
だんだん家に帰らなくなり、ひたすらクエスト、クエスト、クエスト。
リースレットさんを放り出し、ひとりで危険地帯に突っ込んでいった。
本来ならあっというまに命を落とすところだろう。
――冒険者は堅実たるべし。
どこの迷宮都市でも言われていることだ。
けれどセレナさんは数少ない例外だった。
強いショックによって才能が目覚めることがあるのだけれど、彼女の場合、それは失恋だったのだろう。
「あの子はもともと回復魔法を得意としていたんだが、尋常じゃないレベルまでハネ上がったんだ」
首を落とされても、心臓を抉り取られても、死なない。
クラブレーザーに半身を吹き飛ばされようが。
ボイラーフロッグに焼きつくされて灰になろうが。
魔力の残っている限り、あらゆる条理を捻じ曲げて再生する。
ゆえに彼女はこう呼ばれるようになった。
――不死の死にたがり、セレナ。
「私を置いて、あの子は上位ランカーに食い込んでいった」
ランクB、ランクA。
それでも自暴自棄な戦い方をやめようとしなかったらしい。
んん?
なんだかどこかで聞いたことがあるというか、親近感を覚える振る舞いだ。
「ネジの外れた人間だけが、ランクAに到達することができる。
……あの子にとっては、ヴィンがそのネジだったのだろう」
けれど永遠にそんな無茶が続けられるものだろうか?
人のことは言えないけれど、ちょっと心配になってくる。
「……あれは、12月31日のことだ」
一年の締めとなる日、久しぶりにセレナさんはリースレットさんをダンジョンへ誘った。
クエストは地下十五層での鉱石採集……とかなんとか。自分では直接確認していない。
朝の早いうちにセレナさんが家に押しかけてきて、寝起きのリースレットさんを引っ張っていってしまったからだ。
「十四層まではいつも通り、大きなトラブルもなく進んでいた」
ランクAとランクCのコンビ、しかも片方はライフ無限大みたいなものだ。楽勝に決まっている。
けれど十五層に入ってから、明らかに空気が変わった。
本来なら五十層あたりに出てくるはずの、モンスターの群れだ。
ティラノ・リニアレール。超電磁の力で竜巻を起こす、遠近隙のない大恐竜。
バタフライ・ナノマシン。あらゆる物質を分解する、そんな恐ろしい微小機械をバラ撒く巨大な蝶。
そして極め付けが、人造巨神。
神々を殺すために生み出された、機械仕掛けの巨大な神だ。
そんなのが大挙して押しかけてくれば、ランクAでも手に余る。本来なら撤退すべき状況だ。
後で分かったことだけれど、その日の明け方に再構築が起こっていたらしい。
偵察もすでに為され、しばらくダンジョンへ立ち入らないよう勧告も出されていた。
ここで完全封鎖じゃないあたり、どこの迷宮都市でも冒険者ギルドはどうかしてる。
そんなのだからモンスターと繋がってるなんて言われるのだろう。
まあ、僕の愚痴は置いといて、だ。
「セレナは勧告を無視していた。私が退却を叫んでも聞いてくれなかった」
いくら回復魔法に優れているとはいえ、魔力が尽きればただの人。
セレナさんはむしろその瞬間を待ち望んでいるかのようだったという。
「あの子は死のうとしていたんだ。……私と、一緒に」
昔からの仲間を巻き込んでの、無理心中。
何を思ってセレナさんはそれを選んだのだろう。
「私もそれを受け入れていたんだ」
自分はセレナを救えなかった。
あの子を縛りつけてでもヴィンから引き離すべきだったのではないか。
別の迷宮都市に行くという手もあった。
言い聞かせるだけじゃなく、もっと強硬手段に出ていれば。
そうすれば、ああも深く傷つかずに済んだかもしれない。
「あの子が自暴自棄になっていく中、私じゃ心の支えになってやれなかった。
……駆け出しの時からの、仲間だったのに」
だから。
「何もしてやれなかった償いとして、最後くらいは一緒に付き合ってやる。……それも当然かと思っていたんだ」
けれど、リースレットさんは生きて帰ってきた。
今もここにいる。
亡霊じゃない。
確かな肉体を持って、僕の前に座っている。
「記憶が曖昧なんだ」
モンスターに取り囲まれ、もはやここまでと覚悟を決めた。
残された魔力を暴走させるセレナ。
リースレットさんを振り向いて、フッと儚げに微笑んで――。
「それっきりだ。気が付くと施療院のベッドに寝かされていた」
リースレットさんはダンジョンの入り口に倒れていて、一ヶ月近く眠っていたという。
「ロゴスでは色々とありすぎた。……たから私はノモスに引っ越してきたんだ」
髪を伸ばし、黒いリボンでポニーテイルを作って。
右手に槍、左手に剣。
スカートを脱いで、ショートパンツに。
まるでセレナさんの影を追いかけるように。
「三年が過ぎて、やっと心の整理がついてきた。それに、うん――」
再びワインをあおるリースレットさん。ついにボトルを空けてしまう。
「おかわりをもってこよう。……そっちも紅茶がないじゃないか。ああ、待っててくれ、ブドウジュースを取ってくる。
いつ君が来てもいいように、買い置きしておいたんだ」
夢遊病者の足取りで、キッチンへ。
引き返してきて、ええと、持っているのはワインだけのような。
「飲むといい、絶品だぞ」
リースレットさんは僕の横に腰掛けた。ほとんどのしかかる様な体勢で、僕のグラスにワインを継ぐ。
「これ、お酒じゃあ……」
「いいや、ジュースだ」
「おさ――「ジュース」あっ、はい」
泣く子と酔っぱらいには勝てないというヤツだろう。
まあ、口を付けなければいいか。
「どこまで話したかな。そうだ、ロゴスに戻った理由だ」
リースレットさんは身を離すと、僕をびしりと指差した。
「君だ……君だ! 君は私のことが好きなんだろう!?」
「……ええ、まあ」
「私は、ええと、私の気持ちはともかくとしてだ!
区切りをつけようと思って、ロゴスに戻ったんだ!」
結局のところ気持ちの話の気がするけれど、そこは突っ込んじゃいけないところだろう。
「セレナの墓参りをして、ついでにヴィンについて調べてみたら、ヘマをやらかして商会を潰していたんだ。
挙句の果て、借金を嫁に押し付けて逃げたらしい! ああ、とんでもない男だ! やっぱり殺しておけばよかった!」
「リースレットさん、リースレットさん、それはさすがに物騒すぎますよ」
「別にいいじゃあないか! ここには君と私しかいないんだ!
それともなんだ、やっぱり、私みたいな年増は嫌か!?」
「年増って、まだ21歳じゃないですか」
どう考えても若い。ピチピチだ。
「君が24歳の時には30歳だ! 1歳の時には7歳だったんだぞ!?」
やばい。
もう何を言ってるかサッパリ理解できない。
とにかく年齢を気にしまくってることはよく分かる。
まあ、一般的に女性の結婚ってかなり早いしね。
冒険者だけは晩婚化が進んでるけど、二十歳を越えると焦りを覚えるらしい。
「そもそも君はワケが分からない!
いつも私に冷たいくせに、ダンジョンじゃパーティを組みたがる! フォローまでしてくれる!
かと思えばシーラやシルキィとベタベタベタベタ、いったいどうなってるんだ!? 私をからかっているのか!?」
「えっと、そういうわけじゃなくって、その」
好きな子にはイジワルしちゃうガキっぽいヒネクレ心みたいなものでして……。
「亡霊も亡霊だ! 君への返事を決めて戻ってきてみれば、セレナそっくりの怪物が暴れ回っている!
どうなってる!? ほんとうに、どうなってるんだ……っ」
リースレットさんの声はやがて湿度を孕み、嗚咽を交えるようになっていく。
「モンスターが化けているだけ。それはわかる。だが、どうして、セレナなんだ。
あの子の姿を使って、冒険者を傷つけている。何人も再起不能になった。シルキィもどうなるかわからない。一歩間違えれば君だって!
教えてくれ、私が悪いのか? あの子と一緒に死んでやれなかったことに対する天罰なのか!?」
グイ、と。
リースレットさんが寄りかかってくる。
押し倒された。
フワリと甘い香り。
大好きな人の、におい。
くらくらする。
お酒なんて飲んでないはずなのに。
「……助けてくれ、アルフレッド。もう、わけが分からないんだ」




