03.りく
戦場へと向かう道化機械の中で、そらは歌っていた。
敵国との戦闘に使用される道化機械は、人の声の旋律、つまりは『唄』を動力源にして動いている。韻律が崩れ始めた世界では、『歌声』が主要なるエネルギーであるのだ。
彼女は、道化機械の動力源となる旋律を供給する者、『制御』と呼ばれる搭乗者――音と旋律をエネルギーとして稼働する機体にとって、心臓とも呼べるパーツ。
「そら、小休止。RV-00が風に乗った」
ボクの声で、そらはふっと歌声を止めた。
ボクは『思考』と呼ばれる搭乗者――エネルギーを得た機体を実際に操り、敵機を撃墜する役目を負った操縦士とも呼ばれるパーツ。
「25秒後、敵機が目視範囲に入る予定だそうだけど、迎えに行く?」
返答はなく、その代わりに美しい歌声が機内を包み込んだ。
歌声が響いた途端、ただ翼を広げ風に乗っていただけのRV-00の全身にエネルギーが充満した。まるで生を得たイキモノのように装甲がガチャリと動き、その場にふわりと浮かぶ。
教会に流れる聖歌のように穏やかで緩やかな唄がRV-00全体を包んでいた。
その歌声に調和させるように、ボクは静かに告げた。
「しばらくこのまま『K.618 アヴェ・ヴェルム・コルプス』、敵と接触したら『D.820 レリーク』と『K.475 孤独』を基礎に、留めは『D.328 魔王』……最後に『K.626 レクイエム』、だ」
少々狭い席の周囲に巡らされた操作盤の上で両手を滑らせた操縦者は、後ろの席に座る駆動機関に向かって、指示を出した。
指示を聞いたそらの声が一瞬揺らぐ。
「速攻でヴォラーレ特化型を倒したら、残りは全部合わせて消す。『魔王』は久々だけど、大丈夫?」
返答はないが、歌声はまた穏やかな旋律を奏で始めていた。
それをイエスの返答と解釈して、ボクは笑って操縦桿を握った。
「さあ行こうか、RV-00」
そらの喉から紡がれる旋律が変わり、ボクの操作でRV-00の両掌から長いブレードが飛び出した。
眼前で二本の刃をクロスさせて構え、飛来する敵機を迎え撃つ。
敵機は、すでにロサ・ファートゥムから射出されたのがRV-00一機だけである事に気付いているはずだ――最強の名をほしいままにする道化機械の機影を知らぬ搭乗者がいるはずはない。無敗伝説の登場に慄いているか、それとも精鋭8機に対してたったの1機で挑む無謀を笑っているだろうか。
RV-00は右腕から飛び出たブレードを、先頭を切って襲いかかってきた敵道化機械にまっすぐ突き付けた。
甲高く鋭い、しかし悲しげな旋律が戦場に流れ続けている。
敵機が近づいてくるにつれ、相手の旋律がRV-00の操縦席に流れ込んでくる。いくつもの旋律が混ざり合い、時に和音を、時に不協和音を奏でながら戦場を彩った。
次の瞬間、RV-00に凄まじい速度で突っ込んでくる道化機械から、耳の奥まで貫く高音の旋律が響き渡った。
その旋律を糧にして、敵機が手にした砲から青い閃光が放たれる。
「K.475!」
鋭く指示を出すと、すぐにそらは旋律を変えた。
RV-00の周囲を真紅の防御壁が包み込み、敵機からの閃光を弾き飛ばした。
そらの紡ぐ旋律はすぐさま攻撃系へと移行、ボクの操縦でRV-00はブレイドを横に薙ぎ、一機目を何の躊躇もなく分断した。
飛び退ったRV-00の背後で、分断された道化機械が爆音を立てて崩壊していった。
再び構えなおしたRV-00に、さらに敵機が襲いかかる。
凄まじい金属音を放ち、交錯する二本の刃。
近接距離で、二つの旋律が絡みあった。
そらの唄は揺るがない。
たとえ敵にどんな制御がいようとも、絶対に。
だからこそ、どんな相手にも負けはしない。
「遅いっ」
ボクの操縦で、RV-00は一瞬にして道化機械の背後に回った――敵に反撃する暇など与えはしない。
キィン、と澄み渡るそらの歌声が響き渡った瞬間、敵機は胴体部分で二つに切り離されていた。
RV-00はボクの個人的作戦会議の通りに、そこでいったん敵機の集団と距離をとった。
そんなRV-00を取り囲むように6機の道化機械がいっせいに砲口を向ける。
敵機から一斉に力強い旋律が流れだした。
RV-00に向けられた砲口にエネルギーが収束し、青い光が漏れ出す。
傍から見れば絶体絶命のこの状況で、ボクは微笑った。
「そら、『魔王』だ……一掃しよう」
敵の砲が唸るより一瞬早く、そらの紡ぐ旋律が変わり、『D.328 魔王』が流れ出す。
それは、そらが唄い、ボクが操るRV-00が持つ中で、対多人数最強の攻撃――全方位照射のクラスター砲。
この旋律を歌う声を持つ制御は、そら以外にいない。これを暴発させず操作できる思考は、ボク以外にはいない。
最強が、最強たる所以。
真紅の咆哮が響き渡り、一瞬にして数体の道化機械が灰燼と帰した。
真紅の閃光が引くと、戦場だった場所には、ひどく蒼い空と漆黒の道化機械だけが残っていた。
死者に手向ける鎮魂歌の旋律を奏でるそらの歌声の残滓がひいていく。
その余韻に浸るかのように、RV-00は翼と手足をたたみ、ゆっくりと着水した。
蒼い世界にぽつりと浮かんだ漆黒の道化機械。
「残機ゼロ、迎撃完了……即時帰還せよ、だってさ」
「少しくらい、遅れてもいいでしょ?」
その会話の後、着水した道化機械の頭部がゆっくりと開いた。
後ろに座っていたそらは、インカムを放り出し、操縦席から這い出した。
「りくも来なよ!」
りくに呼ばれてボクは、インカムを指し、返答する。
「基地からの通信」
「そんなの無視」
そらの命令で、はいはい、とボクもインカムを外して外に出た。
「RV-00に損傷は?」
「ない。『魔王』まで発動したんだ、ボクらが負けるはずないよ」
「そうよね」
座席から抜け出して、蒼い空を眩しそうに見上げたそらを見て、ボクは微笑う。
空からは、今も星が降ってきていた。
万物を繋ぐ韻律が乱れ、世界が崩壊していくに従って次々天から星が落ちていた。今も、蒼穹には白い筋が幾本か走り、星が落ちた事を示している。
天空に座す太陽など、とっくに沈む事を忘れてしまった。
それでも。
ボクは隣に座ったそらの手をそっと握った。
それに気づいたそらが僕を見てにこりと笑う。
君がここにいるから、ボクはこの世界を滅ぼさせたりしないよ。君だけはきっと、ボクが護るから――