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09.あかり


 制御室へ向かう廊下の途中、そらが廊下をかけていくのを見た。

「そら?」

 つい先日、歌姫にりくを獲られたと泣いたばかりの彼女だ。きっとまた何かあったに違いない。

 私は進路を変え、そらの後を追った。



 そらは迷うことなく真っ直ぐにヤマトのいる最上層へと入って行った。

 正直、私は最上層が好きではなかった。

 最上層に行けば必然的に、優しい目をして歌姫を見るヤマトを見る事になってしまうから。

 ロサ・ファートゥムの防衛を一手に引き受ける将軍朱莉がそんな事を考えていると知られるわけにはいかないから、自然と私の足は最上層から遠のいていた。

 こんなドロドロした感情を抱えているなんて、誰にも知られたくない。

 しかし、そらを放っておくわけにはいかなかった。

「開けて、ヤマト。そらが来てるんでしょう?」

 ところが、返答はなく、扉も開かなかった。

「ヤマト?」

 いないの?


 その瞬間、ずっとロサ・ファートゥムを包み込んでいた歌姫の守りの歌が途切れた。


 そらが何かしたに違いない。

 もう、猶予はない。

 私はすぅ、と息を吸い込んで叩きつけるように開放の旋律を奏でた。

 強制的に開かれた扉に飛び込み、早足で歌姫のもとへ向かう。

「そら! いるんでしょう?!」

 真っ暗な中をかけていくと、遠くにモニターの光が点灯しているのが見えた。

 そのぼんやりとした灯りの中にそらの青髪が見えた。

「……あかりちゃん」

 涙の跡が新しい顔で私の方を振り向いたそらは、唇を笑みの形に歪ませた。

「やっと歌が聞こえなくなったよ」

 はっとモニターを見ると、そこには歌姫が揺蕩っていた。

 いつもと少し、様子が違う。

 優しげな微笑みを湛えていた顔から表情が消え、口が半分開いたまま、目を大きく開けて中空を見つめていた。

「そら、いったい何をしたの?」

「歌うのをやめてもらっただけよ」

 事もなげに返答するそらの声のトーンはいつもと違っていた。

 口元は笑っているのに、目が笑っていない。

「だって気持ち悪かったんだもの。コイツの歌を聞くと気が狂いそうになるの。りくだってこの歌のせいで気が狂っちゃったのよ?」

「……!」

 ああ、どうして私はこの子の心の痛みに気づいてあげられなかったんだろう。

 あの時、ちゃんと諭す事が出来ていたらこんなことには――

「朱莉さん? そらちゃん? きてるの?」

 ヤマトの声が響いた。

「ヤマト! すぐに来て!」

 切羽詰まった私の声に、ヤマトがモニターの傍まで駆けてくる。

 そしてかぐやの様子を見たヤマトはさっと青ざめた。

「かぐや」

 ヤマトが呼ぶと、かぐやは呆けた表情のまま答えた。

「ハい、マスたー」

 歌姫の目の焦点がぐるぐると動く。

 狂い始めた玩具(オモチャ)のようなその姿はひどく異様だった。

「かぐや、守りの歌はうたえるかい?」

「はイ」

 そう言って、かぐやは歌いだした。

 が、それはもはや歌ではなかった。

 音程の揃わない旋律が脳髄まで響く。守りとは程遠い、人間の神経を逆なでするような奇声が響き渡る。

「……あぁ」

 ヤマトは頭を抱えた。

「守りの歌が消えた……」

 朝も夜も、ずっとこの都市を守っていた歌が消えてしまった。

 これは、ロサ・ファートゥムの最大の防御が破られたことに等しい。

 一刻の猶予もなかった。

 私はごくり、と唾を飲む。

「……ヤマト、かぐやのバックアップはあるのよね?」

 相手はただの機械なのだ。割り切ってしまえば、再インストール、という選択は難しくなかった。

「あるよ」

 ヤマトにだって分かっていたんだろう。

 でも、かぐやを生み出した親が、しかも優しいヤマトがそんな選択を出来るはずがない。

 だから私が引導を渡すのが一番いい。

「ロサ・ファートゥムを守る将軍として命令するわ。今すぐ歌姫かぐやをアンインストールし、新たな歌姫を創造しなさい……守りの歌がないこの都市が危険にさらされる前に」

「そんなっ……」

 反論しようとしたヤマトは、私の目を見て口を閉ざした。

 モニターの前に立ち、かぐやに向かってゆっくりと諭すように話しかけている。

「君はもう守りの歌をうまく歌えなくなってしまったんだ」

 それを聞いて可愛らしく首を傾げる歌姫。

 ヤマトはひどく悲しそうな顔をした。

「かぐや、君はどうしたい――?」

 調子はずれな声で、歌姫はヤマトに尋ねる。

「私はモう、歌ェないノですカ?」

 ヤマトは顔を上げず、頷いた。

 それを見た聞いた歌姫は、静かに目を閉じた。

「ではマすター……ドウかそのテで終ワラせてくダさい」

 もうこの歌姫に、守りの歌は歌えない。

「もウ歌えナイのなら、存ザイしていテもシカタないもノ」

 守りの歌を歌えない歌姫に存在意義はない。

 ヤマトは震える手でアンインストールを選択した。

「ごめん……ごめんね、かぐや」

 ヤマトはアンインストールされていくプロセスバーを見ながら、そう呟いた。

 その姿を見て、私の胸はまた痛む。

 そして、ちかちか、と何度か画面が点滅した後、歌姫のアンインストールが終了した事を告げるメッセージボックスがモニターに現れた。

 なんてあっけない最期。

 都市を守り抜いた歌姫(オモチャ)は、この世から簡単に消え去った。

「さよなら、かぐや」

 ヤマトがそう言って機械全体の電源を落とした時。


 その瞬間、ロサ・ファートゥム全体に敵機出現の警告(ワーニング)が響き渡った。



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