舞ちゃん編:旅立ちの夜と、新しい足音
9月になり、愛犬の舞ちゃんの食欲がなくなってきた。
お世話になっている獣医さんに診察してもらうと、「そろそろ死期が近いかもしれません」とのことだった。
いずれ訪れることだから仕方がない。
私は納得しきれない思いを抱えながらも、受け入れるしかなかった。
舞ちゃんには、工房のなかで一番快適で見晴らしの良い場所に、いつも通り休んでもらっている。
夜のとばりが下りてくる頃、舞ちゃんの痙攣が始まった。
私はもう仕事が手につかなくなり、舞を抱きしめて、優しく背中を撫でることしかできなかった。
痙攣が収まると、舞は私に甘えてくる。
もちろん、たっぷりと甘えさせてあげる。
舞は、いつも本当に優しい。
自分が苦しい痙攣を起こしているにもかかわらず、私を気遣ってくれているのだ。
頬を舐めてくれたり、腕の中に鼻先を潜らせてきたり。
苦しいはずなのに、愛情にあふれた仕草で甘えてくる。
痙攣を何度か繰り返すうちに、その周期が短くなってきた。
丑三つ時を迎える頃、舞は苦しそうにしながらも、諦めずに生きようとしていた。
私は「もう頑張らなくていいんだよ」と抱きしめてあげることしかできない。
俯瞰する心は、「私はこれまでの人生で、このように全力になったことがあっただろうか。今までの自分の努力なんて、今の舞の姿に比べたら足元にも及ばない。私は生きることに真剣になれていなかったな」と落ち込んでいた。
午前4時。
まだ夜が明けきらぬ、静まり返った秋の底で、舞は私に抱かれながら静かに息を引き取った。
普段なら、舞が何か伝えたいときはアイコンタクトや鳴き声で理解できているつもりだったが、最後の鳴き声だけは理解できなかった。
腑に落ちず、自分が情けなかった。
最後の言葉が分からないなんて、自分は最低だと感じていた。
その後、亡骸となってしまった舞にいつも通り話しかけ、私は体を休めた。
数時間後、火葬の手配を整え、たくさんのお花と一緒に舞を送り出した。
私は泣きすぎてどうしようもなかったが、「あの訴えるような声は、一体何を伝えたかったのだろう」と考え始めると、不思議と冷静さを保つことができた。
「宝くじを買えよ!」だったのか、「風呂に入って寝ろ!」だったのか、今でもわからない。
きっとそんなことではないだろうけれど、もし「感謝の気持ち」だったのだとしたら嫌だな、と思ってしまう。
感謝の気持ちだったら、申し訳なさすぎる。
私が日々穏やかに過ごせていたのは舞のおかげなのだから、感謝される筋合いなんてない。
私の方こそ、舞に「ありがとう」と伝えたいのだ。
◇
離婚のときとはまた違う、覇気のないまま日々が流れていった。
10月中頃、自転車に乗って近所のスーパーへ買い物に出かけた時のことだ。なぜだか自分でもわからないが、今まで気にしたこともなく興味すら持っていなかったペットショップへ自然と足が向き、そのまま入店していた。
店の奥のケージに何匹かの仔犬が見えたのだが――。
その中に一匹だけ、どうしても他人(他犬)とは思えないほどの親近感を覚える仔犬の女の子がいた。
嘘みたいな話だが、どこか舞に似ているのだ。
店員さんに尋ねてみると、その子はまだお迎え先が決まっていないとのことだった。
「ペットロスで、脳にバイアスがかかっているんじゃないか?」
自分でもそう疑ってみたが、どうしても他人とは思えない。
冷静さを取り戻すため一度店を出て、近所のペットショップを6軒も回り、他のプードルの仔犬たちを見て確かめることにした。
なるほど、全く違う。
どの子も小さくて可愛いけれど、それぞれ皆ちがう個性を持っている。
自分ひとりでは冷静な判断ができていないのかもしれない。そう考えた私は、社長に事情を話し、最初に出向いたあのペットショップへ一緒に同行してもらうことにした。
再度ペットショップへ赴き、もう一度その小さなプードルを見てみた。
社長も一緒に見てくれた。
二人の意見は概ね一致していたので、店員さんに「この子を抱っこさせていただくことはできますか?」と尋ねてみた。
抱っこする際の注意点と説明を受け、手を消毒したあと、店員さんがケージから小さなプードルを出してくれた。
店員さんが社長に向かってその子を差し出した、まさにその時である。
茶色の小さな仔犬は突然、社長の鼻の頭をチロッと舐めてしまったのだ。
私の俯瞰する心は「なるほど、この子、人生何周目なんだよ!初手から神業を繰り出しやがった……!」と思うのでした。
もう悩んでいること自体が馬鹿馬鹿しくなり、その場で契約を済ませた。
ただ、生後2ヶ月未満は引き渡せない法律上の規則があるとのことで、「2日後ならお渡しできます」とのことだった。
ペットショップから戻ると、今朝までの落ち込みが嘘だったかのように、世界が色づき始めていた。
スマホで撮った写真を眺めては、ニヤニヤする変質者白デブでした。
いよいよお迎えの日。ペットショップで「これでもか」とフードや用品の抱き合わせ購入を勧められ、少々うんざりもしたが、あの茶色の小さな顔を見ると心が寛大になってしまうから不思議だ。
これは「慈愛のスキル」の相乗効果爆上がりなんだと思う。
そんなセールスを上手くかわしつつ、愛車のハイエースに乗り込む。
車内では、先住犬であるパピヨンの女の子「姫」と、姫のあと新しく迎えた「なな」の2匹が待っていた。
茶色の小さな子は、運搬用の段ボール箱に入っている。
「まるで本当の箱入り娘だね」なんて話をしながら、車内には和やかな時間が流れていた。
ハイエースの車中で箱のフタを開けてみると、パピヨンたちがクンクンと匂いを嗅ぎ、すぐに受け入れて仲良くしてくれたので一安心した。
工房に到着すると、段ボールと清潔なタオルで小さな子のための"特設ステージ"を作り、温かく見守っていくことにした。
仕事を終えてマンションへ戻り、茶色の小さな子を部屋に招き入れた時、不思議なことが起きた。
仕草やトイレの仕方、寝姿にいたるまで、先代の舞の行動とまったく同じなのだ。
まるで勝手知ったる我が家であるかのように、ごく自然にくつろいでいる。
不思議というより、それが当たり前とでも言いたげな振る舞いに、オカルトや宗教が好きだどうだというレベルを超えた、圧倒的で理不尽なまでの「縁」を感じざるを得なかった。
犬がよくやる寝る前のベッドメイキングの癖や、舞が毎日欠かさず行っていたルーティンまでが、何から何まで一致している。
ええ、本当に作り話なら駄作だね。
茶色の小さな子と迎えた初めての就寝時、私は仔犬に語りかけました。
「名前は先代の舞を2回繰り返して『舞々(まいまい)』にしたいのだけど、どうかな?」
不機嫌そうな様子もなかったので、きっと喜んでくれたのだと思う。
翌日から、私はカメラで事あるごとに写真を撮りまくった。
ローアングル大好きカメコの白デブです。
舞々は歯が痒かったのか、ある日何気なくファスナーのプラスチック部分を噛んでみたらしい。
その瞬間から、舞々の中で「すべてのファスナーはあたいのモノ。噛んでもOK!」というルールが爆誕してしまった。
おかげで家の中のカバンや布団カバー、シーツカバーなど、あらゆるファスナーが犠牲になった。
イタズラされたファスナーを指さし、「あれぇ〜?これはなんだろうな〜?」と尋ねてみる。
すると舞々は、「それ以上言わないで!」と言わんばかりの仕草で顔に飛びつき、ペロペロと激しく顔を舐めてくるんですよ。
俯瞰する心は、まるでロマンス映画で、言い訳を面倒くさがった男が彼女に強引にキスして誤魔化す、あの場面じゃないか。
ちょっとだけシネマヒロインの気持ちが分かった気がした。
「悪くない。いや、かなりイイぞ、もっとやれ!」と思うのでした。
そんなこんなでお迎えから1ヶ月ほどが経過した、ある夜のこと。
なんと、舞々が私の左足にしがみつき、マウンティングをしてきたのだ。
その時のリズムの取り方、しがみつき方、タイミング……すべてが先代の舞とまったく同じだった。
私はなんとなく、「ああ、先代が戻ってきたのだな」と直感した。
先代の舞ちゃんが亡くなる直前、あの最後の鳴き声で伝えたかったのは、、、。
映画の名セリフ「アイル・ビー・バック(I'll be back)」だったのではないか。そう考えると、すべてに合点がいった。
後日、舞々の生年月日と出会った日を改めて確認してみて驚いた。
舞々が生まれたのは先代の舞が亡くなってから4日後であり、出会ったのはちょうど四十九日の日だったのだ。
偶然という言葉だけでは片付けられない、オカルトチックなご縁もあるのだなとただただ感心するばかりでした。
私の中では、舞々ちゃんと舞ちゃんは同じ扱いで、魂を入れる器が入れ替わっただけと理解する事にしております。
以後、私と舞々ちゃんの幸せな生活が続いて行きます。
【ステータス更新】
亡くした悲しみを消すのではなく、新しい子を「同じ魂」として抱きしめてしまえる強さ、尊すぎますわ。
隠れ属性「悲しみごと愛せる強さ」耐性、上昇。これが"光"ですわ……。




