結菜編・第1話:板橋の家族
交際を始めて3ヶ月ほど経ったある日、当時の愛車であるCB750FB(フルノーマル仕様)のリアシートに結菜を乗せ、彼女の自宅がある板橋区まで送っていくことがありました。
無事に送り届けたものの、そのまま結菜の母親に挨拶をする流れとなり、そこから事態は急速に展開していきます。今振り返ると、まるで「強い渦に呑み込まれていく」ような感覚でした。
以来、私はそれまで暮らしていた寮を出て結菜の自宅から職場へ通うことになり、あれよあれよという間に「家族の一員」へ昇格していました。
結菜の実家は、板橋区で町工場を営む家でした。両親は私を実の息子のように温かく迎え入れてくれたのです。自分が育った劣悪な家庭環境とのあまりの違いに、私はまるでパラダイスに迷い込んだかのような温かい感激を覚えました。ちなみに結菜の兄はパチンコに通いながら一人でトレーディングカードの販売業を営んでおり、特に結菜の父は私を大層気に入り、結婚を強く後押ししてくれました。
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結菜の家に依存しすぎるのは良くないと考え、私たちは結婚資金を自分たちの力で賄うことを誓いました。月給の中から私が5万〜7万円、結菜が5万円ほどを共同通帳へコツコツと積み立てていく約束を交わします。こうして愛とお金を少しずつ育んでいきました。
入庁3年目の4月、私に広島への赴任命令が下りました。
約1ヶ月後、5月の大型連休で再会を果たした私たちは大喜びで現地調達した3万円のSUZUKI GSX250Eに二人乗りし、山口の山奥にある秘密基地のような食事処『いろり山賊』で豪快なおむすびを頬張ったり、広島名物チチヤスの工場を見学したりと、かけがえのない時間を過ごしました。
別れの時、広島駅から東京行きの新幹線に乗る結菜を見送るシーンでは、お互いに涙を流しました。しかし、直前に二人で食べたジョークグッズの飴のせいで口の中は真っ赤。涙ながらに無理やり笑顔を作ろうとしたお互いの前歯があまりに真っ赤で、「ドラキュラかよ!」と最後は泣き笑いで手を振りました。
ところが、仕事を辞めて7月に板橋に戻ると、結菜の態度はまるで氷のように冷たく変貌していたのです。
その冷め切り方はただ事ではなく、私は崖っぷちから突き落とされるような恐怖と理由のわからない不安に苛まれました(なお、結菜の両親だけは相変わらず何事もないように優しく接してくれました)。
たまらず近所の公園へ連れ出し、静かに理由を尋ねると、結菜は「寂しくてどうしようもなかった」とポツリと漏らしました。彼女の心はまだ幼く、初めて経験する遠距離の距離感に耐えかねていたのでしょう。
「もう後がない」と必死だった私は、持てるすべての想いを込めて言葉を尽くしました。一夜が明け、私たちは再び寄り添い直すことができ、胸を撫で下ろして再び結婚への道を歩み始めたのです。
◇
公務員を辞め、結婚に向けて板橋の町工場で働く日々が始まりました。
常にエンジン音が響き、波に揺られ続ける24時間体制の船内環境に比べれば、揺れない床、油臭くない綺麗な水、バイクに乗れる時間、そして可愛い許嫁がいるという現在の環境は、まさに物語の主人公ポジションそのものでした。私はすべての状況に感謝し、「もう何も怖いものはない」と本気で思っていたのです。
しかし、工場のパートさんたちからそれとなく聞いた話では、結菜は高校卒業後に信用金庫へ就職したものの、研修3日目で脱走。以降は親のすねをかじる生活を送っていたとのこと。根気がなく我慢が利かない性格で、両親もお手上げ状態だったというのです。
なんとなくですが、理解をしました。
ですが、劣悪なDV家庭で鍛え上げられた私の忍耐強さから見れば、結菜のわがままなど楽勝・ぬるいゲームと考えておりました。
私は結菜に、社会で生き抜くための「勝利のルーティーン」を伝授し始めました。
自分の我を通していい場面と、我慢した方が後々有利になる理屈。困った時に周囲から助けてもらえる空気の作り方。世間から許される大人としての立ち振る舞い。特に「本当に重要な場面では感情的にならず、静かに決断を伝えるのが大人のマナーだ」ということを、根気強くかみ砕いて教え込みました。さながら「ダメ嫁更生計画」です。
その甲斐あって、2年が経つ頃には工場のパートさんたちも驚くほど「しっかりとした若奥さん」へと仕上がっていました。
しかしその裏で、私自身の身体には静かに重圧が積み重なっていったのです。
給料はすべて結菜に渡し、自分のお小遣いは観光バスの清掃アルバイトで捻出する日々。実の父親からは「50万円貸してくれ」と留守電が入るものの、対応できる余裕などあるはずもありません。さらに兄嫁の妊娠をきっかけに結菜が強く子供を望むようになり、不慣れな「子作り」のプレッシャーも重なっていきました。
頭を締め付ける不穏な痛み——これこそが、あのステータス画面に刻まれた「恋愛的な緊張に比例して悪化する」という、のちに「オスミウム・クローの呪い」と自嘲することになる持病の兆候だったのです。若い頃ならすぐに治っていたはずの疲労が、静かに毒のように蓄積していきました。
【ステータス更新】
給料全部渡して自分は清掃バイトとか、律儀すぎでしょ。べつに心配してないけど。
隠れ属性「裏でガチ耐え」耐性、上昇しといてあげる。そんなところで立ち往生とかダサすぎ〜。進めなのだぁ!
追記:板橋家族回、後から見返して結構加筆してしまいました。CB750FBやら広島でのGSX250Eやら、細かい思い出が次々出てきてしまって……。改変してすみません、読み返してくださった方はありがとうございます。




