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交渉前夜

白い蛾の首飾りは、ニールの手から消えていた。ニールが見つかったところを中心に白い蛾の首飾りを探させたが、はかばかしい知らせは全くなかった。

もしや首飾りを道の途中で落としたのかもしれない、とオーランドはニールに、教会の地下室を出た後なにをしていたのか聞いたが、彼は何も覚えていなかった。どのようにアフェクからアセルまで戻ってきたのかどころか、教会で倒れた後、飛脚屋の近くで助けられるまでの記憶が全くない、と答えるばかりだった。

アフェクとアセルをつなぐ交通路、二本の川と二本の街道もオーランドは詳しく調べたが、そこにも白い蛾の首飾りは無かった。代わりの首飾りを贈呈しましょうか、という声もちらほらと上がったが、オーランドはすべて断った。オーランドが欲しいのは首飾りではなく、カーラだった。

カーラは最後まで助けてくれた。命さえ救ってくれた。思い出せば思い出すほど後悔が湧き上がってくる。俺はそんな彼女を裏切り者扱いし――彼女がしてほしかったことは、何もしてやれなかった。そういえば、彼女に願いを聞いたことがあったな、とオーランドは思い出した。


――「カーラ、今できる範囲で、何かやりたい事は無いか? うまいものは食べさせてやれないが、面白い話や美しい音楽くらいなら、何とか聞かせてやれるぞ」


――ベッドの中で思い切って聞いてみると、カーラはしばらく考え込んでいた。


――『……いいえ。何も。何もいらないわ。ただ――』


――「ただ?」


――『――私を離さないで。私の声を聴いて。暗い場所で独りぼっちは、もう、嫌なの』


オーランドはカーラを探しながら感傷に浸っていたかったが、時局はそれを許さなかった。教会に突きつける記録媒体が完成した、という報告がブリュンヒルドから来た。児童虐待の動画は山のように監視カメラに写っており、むしろ虐待ではない場面の方が少なかった、と彼女の手紙には書いてあった。聖職者をノーデンから正々堂々と追い出せるのはオーランドには嬉しかったが、一方で中央でいたぶられる気の毒な子供たちを救う力が無い自分の無力さを突き付けられることでもあった。

貿易に向けても一歩進んでいた。フォーサイスが教会に取り上げられた通信器具を見つけ、彼の仲間がいる船と連絡を取り、少なくともノーザンの偉い人間数人が旧世界の技術に詳しく、外国の存在も貿易も受け入れてもらえそうだということを伝えていた。彼の船は、一か月後にはノーデンに着くそうだ。

とりあえず、ブリュンヒルドがウリエルの制御を握ったから、彼らがもし侵略してきても反撃できる。まだ完全ではないが、中央と繋がりがある聖職者の排除も順調に進んでいる。オーランドは貿易に向けて積極的な行動に出た。

まず、信頼できる部下を増やすことにした。外と交渉するとなると、何をするのかは予想もつかないが、仕事が倍増するのは明白だ。人手が必要なのだ。

外側との交渉に集中するためには、内側を任せられる部下を選ばねばばらない。それはルーシに頼んだ。ルーシはオーランドの傍仕え――いずれオーランドの右腕としてノーデンを管理することが期待される――身分がはっきりした少年を十人派遣してくれた。

オーランドはさらに、デリックを辞めさせ、アセル城の新たな執事を任命した。体調を崩しがちな父親の為に、介護に長けた使用人も新しく雇った。アフェクの地下で自分を殺そうとしていていながら、何食わぬ顔をして城に戻っていたデリックを追い出す下準備として。オーランドとしては、デリックの顔など二度と見たくなかったが、デリックを追い払ってしまうと、彼の行動が把握できなくなり、かえって危険だ。オーランドはデリックを父親専属の世話役という立場にして、城から出歩かないようにした。オーランドが城の人事を一新したのとほぼ同時に、中央へ追放する聖職者の旅支度が完了した。オーランドはデリックを呼び出し、彼らとともに中央へ行くように命じた。


「デリック、お前は中央に行く聖職者たちの御世話役としてついていけ」


「次期領主様が幼いころから長年お仕えしてきましたのに、突然私を捨てるなど、御無体な……」


デリックはハンカチで目頭を押さえた。その悲しげな様子は、自分をずっと育ててくれた人がいい執事そのものだった。

オーランドは、デリックに気まぐれで親同然の人間を捨てるのか、と問い詰められているような気分になった。自分は何か人として間違ったことをしているのではないかとオーランドは思うほどだった。育ててくれた恩はある。しかし、この男は俺を殺そうとした。恩より仇の方が大きい。揺らぐ心に、オーランドはそう言い聞かせる。


「だからだ。聖職者の方々には快適に中央に行ってほしいからな。お前ほどの執事の技術があれば、新たな主人もすぐ見つかるだろう。まあ、最初からお前の主人は教会のようだったが」


皮肉がこもったオーランドの言い回しに、デリックはハンカチを床に落とした。その下の目は、涙で濡れていなかった。演技だったのだ。オーランドはいまさら衝撃を受けた。デリックはノーデンに留まり、情報を収集し続けるために、俺に泣き落としをかけようとしたのだ。今までデリックが自分を愛し育ててくれたのも、教会の為の演技だったのだろう。オーランドは、音を立ててデリックに対して感じていた好意が砕け散っていくのを感じた。


「ノーデン領主の嫡男ではない男が、生意気を――」


「それがどうした? 俺は次期領主だ。次期領主は領主が決めるものだ。教会や国王も、干渉できないぞ?」


憎しみを隠そうともしないデリックに対し、オーランドは無感動に返した。


「中央に行かず、まだノーデンをかぎまわろうとするのなら、その時は相応の手段を取らせてもらう。老人一人が天に召されたところで、皆、寿命だと思うだけだろうよ」


「聖職者たちの御世話役を、謹んで受けさせていただきます」


 デリックは聖職者とともに中央へ去った。これで、教会に貿易を妨害される心配は無くなった。オーランドはほっとした。

邪魔者を追い出した後、オーランドは本命の対外交渉役の選定に入った。

西部アメリカ共和国の慣習をよく知っているフォーサイスが絶対に欲しい。彼とは改めて話し合う必要がある。オーランドはフォーサイスをアセル城に招いた。

アフェクから彼が来ると同時に、ハーヴィーの子供と乳母もやってきた。オーランドは彼女たちへ適当な環境を整えるよう指示した。女を育てるのは女に任せておけばいい。そもそも俺は、子供とどのように触れ合えばいいのかがさっぱりわからない。子育てに何か不満があるなら、乳母から何か言ってくるだろう。子供が物に不自由なく育つよう、金と部下を使うことがオーランドにできる精一杯だった。

子供の未来の為にも、フォーサイスと話さねば。オーランドは赤子の名前を聞きもせず、会見の場が整うや否や、貿易の話をするために応接室にフォーサイスを呼び出した。


「貿易するとして、少なくとも石油については都合がつけられる」


「本当ですか!?」


「ああ。灯油は照明に、重油は製糸機械を動かす蒸気機関に使っている。蒸留技術の再興には成功している」


「オーランド様は、旧世界の技術についてお詳しいですね」


フォーサイスの言葉に、オーランドは首を横に振った。


「旧世界の技術について、いくらか話には聞いているが、俺が知っているのは又聞きのようなものなんだ。だから、そばに詳しい人間がいてくれると助かる」


オーランドはフォーサイスに向かって頭を下げた。


「フォーサイス殿、俺の助言役として、ノーデンに留まっていただけないだろうか?」


「喜んで。オーランド様には、命を助けていただいた恩がありますから」


フォーサイスの答えに、オーランドは頭を上げ、顔をほころばせた。


「ありがとう。早速お願いがあるのだが、フォーサイス殿の船に、俺の名前で招待状を渡してもらえないか? フォーサイス殿と同じように、正式に招きたいのだ」


「それは構いませんが、そうなると、大人数が移動することになります。貿易をしようとしていることが、教会にばれてしまうのではないでしょうか? 逆に、僕たちの船にあなた方を招待する方が、教会にはばれにくいと思います」


「確かにそうだな。ならば、入港許可証ということにしよう。それがあれば、ノーデンの有力者と話を付けた証拠にもなる。どうだろうか?」


「それでお願いします」


オーランドとフォーサイスの間で何度か打ち合わせが行われ、小舟が何度か港から密かに外洋に漕ぎ出しては戻ってきた。

ついに、月のない夜に、オーランドが彼らの計画は実行に移された。

アセル城から馬車が港へと向かう。馬車に乗っているのは、フォーサイスは言うまでもなく、ノーデン大使としてオーランド、ノーデン副大使としてブリュンヒルド、そしてフォーサイス以外の対外交渉役として引き抜いたブリュンヒルドの騎士数名。ニールもオーランドの秘書官としてついてこさせた。これから始まる交渉に向けた期待と不安が膨れ上がり、馬車の中は沈黙が支配していた。重苦しい空気に耐えられず、ブリュンヒルドはフォーサイスに話しかけた。


「フォーサイス殿。我らは、貿易をしたいのは言うまでも無く、貴殿らについてもっと知りたいと思っている。我らは騎士の誇りを重んじる。西部アメリカ共和国では、どのようなことを大切にしているのだ?」


「自由と、平等と、公平です」


フォーサイスはどもりながらも、自国の文化についての話をする。それに対してブリュンヒルドが質問したり、相槌を打ったりして話を盛り上げる。気づけばオーランドも、話の輪に入っていた。


「面白い国だな。船では対等貿易派が優勢らしいし、これから仲良くやっていけそうだ」


ノーザン次期領主と話をつけたことで対等貿易派が優勢になった、とオーランドはフォーサイスから聞いていた。フォーサイスも頷いた。


「ぼくも、そうなったらいいと思います。あっ、あれ、僕たちの船です!」


窓の外をフォーサイスは指差す。オーランドが外を覗き込むと、港の明かりが見えてきた。いつも通りの平和な夜の港に見えた。オーランドが埠頭にその明かりを反射する巨大な存在がいることに気づくまでは。

暗闇でもわかるほど鮮やかで巨大なオレンジ色の船が、馬車を待ち受けていた。


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