自分
私は、思うのです。
死こそが、この世において唯一真実の慈悲であると――――
黄金の戦女神ブリュンヒルデ
三つの超重量武器が乱れ舞う。
大斧と二振りの大鉈は生き物かのように幾度となく絡み合い、火花を散らす。
その余波は木々を蹴散らしだけにとどまらず、双方の戦士達にも被害が及ぶ。
首領同士の戦いに他の者が立ち入る隙はなく、ただ距離をとり様子を窺うのみ。
幾度となく続く剣舞の嵐。
その事実に慟哭の森の長たるドランは内心舌を巻いていた。
こやつ、呆れた頑強さよ。
ドランが振るう大斧は、無銘ながらも風の精霊の加護がこめられている。それは斧を振るう際に風の刃を生み出すという単純ながらも、こと戦闘においては猛威を振るう厄介な代物だった。だが、このリザードマンの首魁は風の刃を直に受けても全く動じた様子がない。わずかの切り傷すらない。同族がこの一撃で容易く皮膚を切り裂かれたというのにだ。規格外の戦士、そういうに相応しい。
そのため、幾度となく続く剣舞というのは、ドランにとって久方ぶりに味わうものであった。その初撃で勝負が決する戦闘が常であったのだ。存分に己の技を振るうのは、実に10年ぶりだろうか。
「ギャギャ、おめえ自分で被害増やしてんじゃあねえか?ええ熊公よぁ。」
言葉を発するは、リザードマンが首魁、キシュガルの鬼神血塗れのダラン。
ダランには衝撃が効かぬとはいえ、その余波は絶え間なく周囲に響く。彼の味方である仲間にも決して少なくない被害が生じていよう。それ故の言葉。
「ほざけ、蜥蜴が。我を馬鹿にするのも馬鹿にするのも大概にしてもらおうか。――――いい加減、そちらからも攻めてこい。」
ダランは凶相に満ちた笑みを浮かべる。
「やっぱり分かってやがったか。ちっとは隠していたつもりなんだがなぁ。だが、これで納得だ。熊公、おめえこちら側だろうが。お前の技は戦場のものだ。それによぉ、よーっく臭うぜぇ。腐臭がよぉ。お前に殺された奴らの怨念がまとわりついてやがるからなあ。」
ドランは血走った目にわずかに愉悦を湛えた。
「貴様に比べれば可愛いものだろう?その大鉈、どれほどの血に塗れさせたのだ。百や二百では足りるまい。怨嗟の念に塗れすぎて、もはや呪いの品だろうが。」
「ぎゃぎゃ、そのおかげで俺の得物は手入れいらずの優れものさぁ。」
「ふん・・・」
ドランが大斧を上段から振りかぶり、ダランへと刃先を振り下ろす。それを苦もなく受け止めるも、次の瞬間には斬り返して横なぎに打ち払われる。さらに強烈な前蹴りがダランを襲うも、その全てを大鉈をもって耐え凌ぐ。
「ぎゃぎゃ、ひさかたぶりのまともな戦闘なんじゃねえのかぁ?速度が上がっていってやがるぞ熊公よぉ!!」
心底楽しげなダランの叫びに、ドランは忌々しげに視線を向けることで答える。
皮肉なことだが、長年のブランクにより眠っていた戦いの技が、強者との戦いにおいて急激に目覚めつつあるのだ。
一挙手一投足、足の運び、手の動き一つとっても、時がたつごとにドランの速さは増していく。手にした大斧を振るうたびに、加護により生じる風の刃の鋭さは増していく。
ダランは待っている。
十全の状態になるのを待っている。
ドランの闘争本能が完全に呼び覚まされるのを。
それをドランは屈辱と捉える。
この男は遊んでいるのだ。我を相手に。
幾多の戦場を乗り越えた、このドランを虚仮にしているのだ。
たかが蜥蜴ごときが。
この屈辱、血をもって購え。
幾度となくかわされる刃の嵐は、さらに激しさを増していく。目に見える限りの木々を切り刻み、そこに住むものたちを切り刻む。
だが、その事実を告げる余地は誰にもない。――――当然だ。二人以外は、とうにはるか後方に退避していたのだから。
ドランにもはや木々や森の生き物たちに気をつかう余裕はなく、ダランにはそもそもそのような考えはない。
だが、限界はある。ダランは近づいてくる時を感じていた。敵が全てを取り戻すのはもう間近だと。素晴らしい怨敵となってくれると確信した。
戦いに、終わりが近づいていた――――
第4章 自分
「――――で?叛乱はどうなっているんだ爺。」
真昼だというのに薄暗い空間で、古ぼけた椅子に座った男が前に座った老人に言う。その声は男ながらに透き通るように綺麗で、女かと聞き違う程。
その容姿も女かと見間違うほどに整っており、色白な肌とほっそりとした肢体、肩に届く金色の髪とかすかに香る香水の臭いがどことなく妖艶さを漂わせる。
だがそれでも、その者は男であった。
その者が纏う衣服が何よりの証左なのだ。
黒を基調とした絹の生地の外出衣。それだけならともかく、問題はその背中に刺繍された一輪の薔薇。名のある職人が丹精こめて縫ったであろうそれは、名門ランカスター家の男のみが身に纏うことを許される。
「はい、ドロホフからの連絡によりますと、リザードマンを討伐に向かわせたということです。」
そういうのはくたびれた茶色のローブを着た禿頭の翁。顔に刻まれた皺がその重ねた年月を物語る。
「ドロホフ?あの太鼓腹でいつもにやにやした男か?・・・もしや、その蜥蜴とは先日我が領土を荒らしてくれた輩ではあるまいな。」
いささか怒気をまじえた様子で男が言うも、翁はまあまあとにこやかに笑みを浮かべる。
「ご安心を。ドロホフのことですから、うまくやるでしょう。」
「こちらが雇ったというのに、敵味方問わずに皆殺しにした蜥蜴どもだぞ?理性の欠片もないような輩を、どうするというのだ。」
「確かに奴らはリザードマンにおいても異色のキシュガル族。ただ金を積んでも従いませぬ。が、御すのはさして難しいことではないのです。」
翁は笑みを崩さない。穏やかな好々爺といった風情だが、男は翁がこの表情のままなんらためらいなく人を殺すのを幾度となく見てきていた。
「キシュガルにとって、金は二の次です。奴らは異常なほどに強さのみを追求します。その執着の程はもはや人間が理解できるものではなく、ましては率いているものがあの『血塗れ』ともなりますと、しかるべき相手を用意せねばためらいなく奴らは味方に刃を向けましょう。」
「・・・つまり、我らが苦戦していたドリクセンの豚どもでは、奴らは気に入らなかったと?」
憮然として顔で男は言う。それに翁は左様とばかりに頷いた。
「気に入らない、というものではございません。奴らは弱者と戦わされることを侮辱と捉えます。いくら我が方の軍が苦戦していたとしても、あやつらが雑魚と思ってしまえば容易くこちらに牙をむくのです。それが、今回の顚末の原因でありましょう。――――故に、あやつらが満足するような者を用意すればいいだけのことです。蜥蜴にはそれに相応しい亜人どもを当て込めばいいのですよ。」
わかったとばかりに男は杯に注がれたワインを飲み干した。
だが、と男は続ける。
「あの森に住む亜人ならば、奴らは事足りると?あの卑屈な奴隷風情が?」
わからんと男は言う。
それに翁はにやりと楽しげに口を歪めた。
「確かに、あの森の者たちは従順な輩です。しかし、亜人どもというのは繁殖し難いためか、我らより優れた面を多く持ちます。身体能力の高さはいうまでもなく、五感も我らより優れます。そして、亜人というのは戦うための訓練がいりません。奴らは戦いの経験を血で伝えるのです。体の動かし方、弓の狙い方、魔術の行使の要領、それらを生まれながらに知っているのが亜人なのです。あまり油断なさると手痛い目にあいますこと、重々承知してくださいまし。」
「・・・では逆に疑問が浮かぶ。そのような者を相手に、キシュガルの者たちは勝てるのか?あの蜥蜴どもは、20人程度しかいないと聞いたが。森の連中は戦える男だけでも50は越える。倍以上の差があろうが。」
それは最もなご質問、と翁は深々と頷いた。
「そういえば、坊ちゃまは実際に亜人というものは奴隷しかみておりませんでしたな――それでは無理もありませぬ。リザードマン、ましてやキシュガル族となりますと事情が大きく異なって参ります。」
一拍おいて、翁は言った。
「あやつらは――――戦うために生まれたような者たちなのです。」
◇
何故――――
そう思うのも、これで幾度目だろうか。
憎き蜥蜴が思うがままに、ドランは自身が絶頂の時と同じ動きをしていることを確信していた。
その動きは、大斧を手に入れる以前の、無銘の戦士として戦場を駆け抜けた頃。鉄の大剣を一振り抱いて血飛沫の舞う地獄を生き延びた頃と遜色ないものだ。
それはドランにとって肉体こそが全てだった時代の力。魔術やら、精霊の加護やら、神の力など子供騙しだと自惚れ、自身の肉体のみを頼りにしていた時代の力。
幾多の危機を乗り越え、数多の強者を打ち破った時の力だ。
だが、届かない。
大斧を振るい、足技をかけ、敵の動きを考え、不意を狙い、時に小刻みに、時に大きく、培った数多の技を振るうも、リザードマンを破れない。
幾度となく刃を交えるも、気づいた時にはそこいら中に切り傷ができ、血が滴り落ちていた。
そのことにドランは怒りが湧いてくるのを感じた。
舐めるな、蜥蜴が。
怒りは気力を満たす。
そしてそれは肉体の変容をももたらしうる。
「おおおおおぉぉ!!」
雄叫びとともにドランの肉体がさらに膨れあがる。
筋肉はまるで外から付着させたかのようになり、青い血管と共におぞましさすら醸しだす。
皮膚は裂け、毛皮は飛び散る。
眼球は半分飛び出し、唇は抉れ、顔はもはや原形をとどめない。
まさに、化け物。
そう形容するしかないものとなったドランを見て、ダランは顔を顰めた。
「この蜥蜴ごときが、偉そうにぃぃぃぃ!?」
突如ドランの胸が、斜めに切り裂かれ、鮮血が舞う。
痛みに顔をさらに歪めながらもぼたぼたと流れる血潮を腕で押さえ、ドランは己の胸を切り裂いた者を視界にいれようとして――――
「馬鹿野郎が」
そう呟く声とともに、ドランは自身の両腕が消し飛んだのを見た。
ついで、自身の体に熱さとともに、異物が入り込み、体が宙に浮いた。
口から血が溢れ、ぼたぼたと地面に滴る。
結末は実に単純だ。慟哭の森が長、ドランの両腕がダランが右手に持つ大鉈によって断ち切られ、次いで左に手にしたものによって胸を刺し貫かれ、そのまま宙に浮かされたのだ。
「自分を忘れやがったな、熊公が・・・そんな奴は、俺の敵じゃねえんだよ。」
無理矢理怒りを押さえ込んだかのような声がドランの耳に突き刺さる。
それを聞いたドランは、薄れゆく意識の中、かつての思いを呼び覚ます。
もう我々は、限界なのです――――
そういったのは、この森に暮らす者たち。
あてもなく放浪していた自分がたまたま立ち寄った亜人達の森。
それだけのつもりだった。
何気なくこの地で暮らすうちに、情が芽生えた。
自分のような戦うしか能がない者でも、何か違うことができると思った。
歪み、暗くなっていく視界の中、ドランは周りを見渡した。
見えたのは断ち切れ、なぎ倒された木々。
血だまりの中に伏せる森の仲間達。
いったい自分は、何をした?
それが、薄れゆく意識の中、最後にドランが思ったことだった――――




