怒り
力とは、何か。
なにをもって力というかは、人それぞれだろう。
知識は力だ。
権力も力だ。
財産も力だろう。
情報も力に違いない。
一言に「力」といっても、それが意味するものは多種多様だ。
それは、人々の主観によって変わり、流転するものだろう。
――――俺にとってもそうであるように。
力とは何か。
それは俺にとって実に単純明快なものだ。さして頭が良くない俺にも自明なものだ。
暴力。
それこそが俺にとっての力。
唯一不変の、絶対足る力。
力を振るうのに、理由なんていらない。
大儀なぞ、臆病者が使う戯れ言だ。
必要なのは、相手だ。
飽くなき欲望を満たしてくれる、飢えを、渇きを癒してくれる強者たち。
そいつらがいるならば、俺は他になにもいらない。
奈落の底で死の舞踏を続けられるならば、それでいい。
誰が何を言おうと、関係ない。
そうだ。
戦え。
俺と戦え。
互いに血飛沫をまきあげ、肉を抉りながら命を削り合え。
魂を、ぶつけ合え。
命、尽き果てるまで――――
第一話 怒り
戦場というのは、禄でもないものでしかない。
飛び交う怒号、雨のように降り注ぐ矢の嵐、あふれ出る血潮。
断末魔の悲鳴、その肉体を砕かれる者、敵を殺した瞬間に背後から突き殺されるなんてことはざらだ。
如何にして生き残るかというと、それは立場によって異なる。
お偉い貴族様はまず安泰だ。
戦場をよく見渡せ、流れ矢も飛んでこないような場所でお上品にチーズでも食べながらワインを飲み、どちらが勝つかを予想している。自分達の軍が負けると予想している馬鹿もいる。捕まってもまず殺されることはないのだから、お遊戯のような感覚なのだろう。実に素晴らしい。
騎士様というのもいい者だ。
金にあかせて馬鹿みたいに丈夫な鎧で全身をがっちり守りやがるから、ちっとやそっとじゃまず死ぬことはねえ。どの騎士も最低10人は従者をつれてやがるからそいつらが自然と盾にもなる。大抵の騎士は金ももってるから殺されることはまずないだろう。
弓兵というのも悪くない。
遠距離からの攻撃というには、心理的に随分と楽だ。奴らは大抵軽装だが、前線から距離を置いているのだから生き残る可能性は高くなる。
まずいのは一攫千金を夢みて戦場に出てきた大馬鹿野郎と言う名の傭兵たち――――つまりは俺のようなものを言う。
これははっきりいうが、ひでぇ。その一言に尽きる。
まず、武器がいけねえ。基本的に得物なんてのは支給されない。だからはじめは家で使う包丁くらいが精々だ。盾なんてものは自分で作る。木の板を重ねて作れればいい方。冬場に寒いからと自分で盾を燃やした野郎もいた。そいつは次の日あっさりと死んだがな。
靴もろくなもんじゃねえなぁ。
木で作ったのは論外だ。ろくに力がはいりゃしないから、いざって時に動けねえし、固いから履き心地も悪い。皮の靴が一番いいが、俺らが持っているようなのは安物だから泥や雪で簡単に足を取られちまう。足を取られたところで背後をぶっすりなんてのも珍しくねえな。
鎧、これは重要だ。俺にとってはこいつがあるかどうかで生死を分かつといっても過言じゃねえ。
皮の鎧は作りやすいし、動きやすいがおすすめしない。今の時代はこの程度じゃ容易くぶち抜く武器なんざ珍しくない。
チェーンメイルは丈夫だが、ちょいと薄すぎる。斬撃には強いが打撃には弱すぎる。「お偉い」神官様が振り回すメイスが胸にでも当たったらもうお終いだ。
おすすめは板金鎧だ。こいつは値も張るし重いが、そんじょそこらの攻撃は防いでくれる。打撃にもある程度は有効だ。生き残るという観点でみれば、こいつが一番だろう。魔力が付与されたのならなおさらだ。装備者の技量にもよるだろうが。
そう、結局のところ、所有者の能力が大事だというのは大きい。俺がお勧めする板金鎧というのは過酷な訓練を経て、絶え間ない実戦の中で鍛えられてこそ初めて使いこなせるようなものだ。俺らみたいな雑魚とは文字通り格が違うってもんだ。
まあそれもそうだ。騎士様ってのは農村での俺たちとは違い、生まれた時から戦うためにしごかれ続けた奴らだ。俺らとは環境が違う。金があっていい装備つけているから嫌な言い方しちまったが、そこだけは認めてもいい。
ただ、まあ、――なんだ。どこの世界にもやばい奴はいる。
結局何が言いたいのかっていうとだ、理不尽ってのは突然やってくるんだ。
「ギャッギャっぎゃ!弱えなぁ!テめえら。マトもな奴はいねえのか、ああン!」
形容するのもばかばかしくなるような、暴風としか言いようのない剣圧。
振り回されるそれらは触れるもの全てを吹き飛ばすだけでなく、間合いの外にいる者たちすらも傷つけ、血飛沫が舞う。
それの周りにいる者たちは、圧倒的な覇気に気圧され、ただ震えるのみ。絶大な力は、逃走すらも許さない。板金鎧を纏い、馬上にあった騎士が雄叫びをあげながら「それ」のもとへ向かう。槍を構え、ただひたすらに。それは恐怖を払拭させるための叫びか、否。それは悲鳴に過ぎない。絶望へと向かう男の嗚咽なのだ。
「あああああぁぁぁぁ!?」
雄叫びをあげながら突っ込んでいった騎士の体が突如かき消えた。
なんのことはない。「それ」の振るった得物が騎士を仕留めた。それだけの話だ。
普通は攻城兵器の直撃を受けてもミンチにはならないもんだがね。
俺は「それ」を少し離れた城の壁にもたれかかりながら見る。
足は二つ。
手も二つ。
目も二つ。
耳もそうだ。
鼻もあるし、髪もある。
ああ、部位だけをみるならば、間違いなく俺たちと同類のはずだ。
体は――まあ、でかいな。俺も長身の方だと思うが、優におれの三倍はあるねえ。比べるのすらアホくさくならぁな。
体つきはまあ、聞かないでくれ。筋肉達磨といえば十分だろう?
特筆すべき違いといえば、まずはその肌だろうな。
爬虫類の肌みたいなざらざらして、暗緑色の鱗のようなものがある。
ああ、普通は鎧つけて分からないんじゃないかって?その通りだよ。「普通」はな。何を考えているのか知らんが、こいつは腰布一枚だけしか身に纏ってねえんだ。
いや、すまん訂正だ。
何を考えているかだが、まあ多分何も考えちゃいないだろう。
何しろ奴は人間じゃねえ。思考が俺らとは違うだろうさ。
奴は自分の肌に自身があるのさ。破れるものなら破ってみろってな。
ここで調子に乗りやがってと頭にくるところだろうが、それが全くこねえんだ。
それは多分、格の違いだろうな。
クロスボウや長弓の直撃を受けてもかすり傷一つつかない。
攻城兵器のカタパルトが放った岩石を脳天に喰らってもぴんぴんしてる。
火炎瓶を投げつけられても平気な様子だ。
魔術師どもから魔術を喰らって、ようやく血がにじむ程度。それも一人や二人じゃねえ。魔術師どもで構成された一部隊がまとまって行う儀式級の直撃をうけてこれだ。
比べるのすら意味がないよな、これじゃ。
体の頑丈さだけじゃねえ。その桁外れの膂力も俺たち人間とは違う。
奴は両手に剣を持っているが――――なんだありゃあ。
斬馬刀を二つくっつけて無理矢理一本の剣にしたような、剣というより鉄塊だな――それを二本もって暴れてやがるのさ。その勢いったら信じらんねえぜ?棒きれでも持っているかのように軽々と振りまわすんだ。
いや、近づくなんて、考えたくねえよ。
さらに、だ。
まだあんのかと言いたいだろうが、まあ聞いてくれ。
ただの馬鹿力じゃなくて、あれで腕が立つんだ。
妙に勘のいいやつでな、背後をとろうと思っても気づかれちまう。
体の使い方もあるのかね?あの巨体でするすると動く。気づいたらいたのかよ、ってこともざらだ。
「おい、もう仕舞いかぁ?つまんねエなあオイ!」
見ると、先ほどまでいた奴らは文字通りミンチ。鎧も武器も全部粉々だから、ろくな儲けになりはしない。
いや、ひでえなあ。
地面に血がしみすぎてぬかるんでやがる。この短い時間でよくやるよ、全く。
いや全く、味方で良かった、ほんと。
◇
男は激怒していた。
腑が煮えくりかえりそうなくらいにいらだっていた。
この欲望のままに、周囲の全てを破壊してしまいたかった。
理由は至って単純明快。
男の相手をしていた者たちは、あまりに弱すぎた。
軽く得物を振るったら、文字通り消えた。
直撃を受けていなくとも、その風圧が容赦なく肉体を砕いた。
なんだこれは。
俺はこんな雑魚と戦いにきたのではない。
強者がいる、そう聞いたからここに来たのだ。
だというのにそれはいない。
いるのは人間ばかりだ。
獣人はどこにいった。あいつらの素早さはいい。隙あらば容赦なく俺の首をとろうとしてくる。背後から忍び寄る悪寒が心地よい。
竜人はどこだ。あいつらの膂力はいい。真っ正面から挑む怪力と胆力、そして勇猛さは俺の心を震わせる。
エルフどもはどこだ。あいつらの魔術は痛快だ。臓腑がこみ上げてきそうな一撃は実に心地いい。
魔族どもは、妖精どもは、化け物達は――――どこへいった。
はじめは前座かと思った。強者達と戦う前に俺の気分を高揚させてくれるためのものかと思った。そう思うとこんな雑魚でも潰すのが楽しく感じた。
だが、いくら潰せどもゴキブリかブヨ虫のように湧いてくる雑魚ども。
いくら待てどもこない強者。
喜びはいつのまにかいらだちに変わる。
振るう鉈にこびりつく血すらも今は忌まわしく感じた。
俺の得物が吸うべき血は、お前らのような雑魚ではないのだ。
苛立ちが収まらない。
これはどういうことだ。
何故敵はいない。
塵芥になぞ興味はない。
敵はどこにいる。
男の全身は暗緑色の鱗に覆われている。
その容姿は人とはほど遠く、両眼は爬虫類のそれ。
規格外としか言いようのないはちきれんばかりの筋肉におおわれた体はみるものをただ圧倒させる。
両の手にした鉈という名の鉄塊がその尋常でない膂力を示し、炯々とした眼光がその魂の強さを物語る。
戦闘を好む亜人種、リザードマンの中でも一際血を好む戦闘民族キシュガル。その中において「鬼神」と称され、絶大な支持を受けるとともに畏怖された怪物。
血塗れのダラン。それが、男の名だ――――
◇
辺りを見渡せど、そこにいるのはただただ怯え、震える人間達。
膝を震わせ、小動物のように瞳を恐怖に曇らせ、手にした武器すら手放し膝を床につける、戦う意志すらない塵芥。
話が違う。
男は契約内容を振り返る。
埒があかない戦場がある。そこには自分達には手に負えないものがいる。だから手を貸して欲しい。
そう聞いたからダランは動いた。
人間の手に負えない。
それは亜人が相手だということだ。
それもわざわざ向こうからこちらに出向いたのだ。並の戦士達が相手ではあるまい。
熟達したチームワークと突出した瞬発力をもって敵を屠る獣人か。
桁外れの膂力と頑健さを誇る竜人か。
桁外れの魔力とばかげた精密射撃を誇るエルフどもか。
そのいずれでもない、もっとおぞましいなにかか――――
何にせよ、素晴らしい相手が待っているだろうと思った。
だというのに、これだ。
辺りを見渡せど、いるのは人間ばかり。
こいつらはつまらない。
数だけ多く、物量にものを言わせた作戦しかしてこない。
無駄な装飾で見栄えだけは良いちゃちな鎧を纏うが、そのせいで動きが緩慢だ。
そのくせ非力で振るう得物は枯れ枝のような物ばかり。
たいした狙撃の腕があるわけでもない。
丈夫でもない。むしろ脆すぎるくらいだ。ただの一振りで吹き飛ぶ様は、戦意を失わせる。
そのくせにつまらない罠をはって俺をどうにかしようとする。
くだらない道具を使って俺を遠くから狙おうとする。
毒を使って殺そうとしてくるものもいた。
ぎり、とダランは歯ぎしりする。
苛立った時の癖だ。
こうした時は誰も彼に近づかない。
彼に付き従う仲間はそのことを良く知っている。
――――人間は、嫌いだ。
あいつらはつまらない。
弱いくせに口先だけは回る。
口だけでどうにかしようとする。
力も禄にないくせに、技もろくにないくせに、数だけは多い。
ダランは、苛立つと静かになる。言葉が少なくなる。
おい、とダランは手近の人間に言う。その人間はひい、とうろたえた。
「敵は、何処だ?」
ダランは問うた。
こんなものは敵ではないと。
この程度の相手に、俺が、俺たちが必要だというのかと。
ダランは一人で来ているのではない。
彼が率いるは戦場で恐怖の代名詞とも言われる最狂の部族、キシュガル族。
彼に付き従うは20名ほどだが、いずれもダランに実力を認められた精鋭である。
故に、彼の怒りは部族の怒りでもあるのだ。
「この程度」の相手をさせられたというのは、キシュガルにとって侮辱に他ならない。自分達の実力は「この程度」の相手でちょうどいい、そう思われていると考えるためだ。
人間は何もできない。言葉を発する術を思い出せない。
圧倒的存在からの殺意に呑まれ、ただただその場にたたずむのみ。
ダランはこれを屈辱と捉えた。
この程度の人間に協力し、得たものは何もない。ただやる気を失ったばかり。
このような事例を残してはならない。
これでは部族に示しがつかない。
そう考えたダランは、後ろを振り向く。
そこにいるのは己に付き従う戦士達。
皆一応に沈黙を保っていたが、その目は一つの意志に滾っていた。
ダランは言った。
「――――殺せ」