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紅狼白狼

 ほたほたと、床にその紅い液が滴り落ちていく。余すところなく紅、紅、朱、朱。まるで血肉を貪り啜り尽くした獣そのものだった。

 その両腕で抱いた肉塊を床におろし、彼はゲナへと首を曲げて向いた。

「……息はあるが、もうこの片腕は戻らない。治癒能力に関してはお前以外の所有者はいない」

「そうさねぇ。シェリーは、脆いから余計に」

 悲しむことも嘆くこともなく。ゲナは深紅のドレスを更にその色に染め上げた彼女に寄り、その腕に抱いてやった。

 虫の息、というに等しい形。終戦の空気は否めず、呆気なく終わりを迎えそうな静けさが漂っていた。

 --キィンッと、それを破る金属音が部屋の中央で暴れた。

「わっちは赦さん。こんなに、濡らして」

「お嬢さん一人で適うと思うなよ。そのアホと戯れて体力も消費しているだろうに」

「それ、でも。考えを、思いをにじったのはおんし様よ」

 そう言うなり標的を変え、逆叉は逆手に持ち直した刃を構えて駆け出した。

 仕方なく銃を構えて狙いを定めた、刃と自身の触れる刹那--

「やめなさい、逆叉!」

「ブレット、やめろ!」

 ほぼ同時に発せられた声に二人は止まった。止まるべくして止められたのだ。

 ゲナから離れてよろめきながら立ち上がり、シェリーはにぃっと悪党面を引っ提げて笑顔を作った。

「殺しなさい、また復讐したくなる。次もその子が無事である保証はどこにも、ない」

「あァ、解っている。お前のような下衆びた女がまた嫉妬に狂うかもな」

「だったら芽は潰しなさい。それが、愛した者へのせめてもの手向けじゃなくて?」

 ぜいぜいと、息が漏れ出し言葉を遮る。身体の何ヶ所かに撃ち込まれた弾丸の所為で血はまだまだ止まることを知らず、口からもそれはあふれ出していた。

 自信に付着した血液を拭い、ブレットははんと嘲笑気味に笑った。

「悪いが、壊しきるときはそれを愛しているときだ。お前はそれをするだけの価値がないんだよ」

「そうかもね」べちゃ、と塊になってそれが垂れ落ちる。「だったら私がこの手で、殺してあげる!」

 不自由な腕を伸ばして、シェリーは銃をしっかりと構えていた。その眼を見開き、美しきブルネットの女狼としての風格を失わぬように。

 「ブレット!」叫んだときはもう遅く、既に引き金は引かれていた。嫉妬と色欲に狂い、痴情に悶える凶弾が。

 

 ぐしゅ--肉にめり込むその音が、真っ赤なペイントを施された室内に終止符を撃ち込んだ。


「……美しいヒト。サヨナラ」

 その身体を真っ直ぐに貫き、最大の朱を吹き出させた白刃。漆黒の闇から這い出た王子は、剣の朱を振って払い鞘に納めた。

 逆叉の腕に倒れ抱かれ、目を開いたまま彼女は息を絶っていた。まだ暖かく身体の水分は流れているのに。

 言葉にならない嗚咽が胸を圧し、巴椰はその男の胸ぐらを掴んでいた。

「……ヒトの勝負に何してんだよ。あのヒトがッ、何したって!」

「君は汚されたと思えないくらい元気だね。彼女を貶す理由はあっても彼女を守る理由はないくせに」

 にこにこと、どうしてこんなに笑っていられるのか解らなかった。目の前で確実に一人が死んでしまったというのに、どうして。

 彼女の目を閉ざしてやり、その躯を抱き上げてゲナは「巴椰」と名を呼んだ。

「それに言っても無駄やしょ。言って聞くような神経しとらんや」

「でも、それでいいのかよ!シェリーさん、だって……!」

「大丈夫、これ以上死にゃしなん」心臓を刺し貫いてもまだ生きているとおかしなことを言い、にひひと笑いながらブレットへと視線がいく。「そこの狼さんが殺そうとしやんしょ」

 それにな、と彼は愛想良く笑って続けた。

「そのうすのろ馬鹿王子が手ぇ出したっちゅうことはそ。阿呆の竜にだって解る異常事態なんしょ」

「--禁忌に触れたのか。こんな事が」

 答えたのはブレットだった。思いつくのはそれくらいしかないとでも言うかのように平然と。

 「そっ」にぱっと、笑顔が弾けて眩しい。

「ここに居ちゃ、確実に全員消される。ネコちゃんの規則は境界線が解らんに。最高に『psychoう』なことになりたくないんしょ、逃げんとにぁ」

 いつの間にいなくなったのだろう、猫のその姿はどこにもなかった。序でに加えるのならばレインもあの黒兎も、影も形も見当たらない。自分の役目を果たせばはいさよならとは中々いい根性をしていらっしゃる。

 --三度目。視界のぶれは徐々に歪みを増し、貧血の頭痛よりも酷く景色を奪った。

「ネコの中でもルールを仕切ってるあれだろ。ちったぁ見逃せってんだよ、いちいち流血量決めやがって」

「一気に流しすぎた君らが悪いんだけどね」へらへらとしてカトレアは語り、影に片足を漬けた。「兎に角、逃げ出そうか。どうせ千条のにゃんこは手加減なんか一切無し、三十六計逃げるにしかずって言うでしょ?」

「この身体で一番不愉快な話だがな。巴椰、帰るぞ」

 ぶれていく視界のその中で、声だけがくっきりと耳に通る。それに反して、砂嵐はますます自分の自由を奪っていた。声が綺麗に聞こえれば聞こえるほどに。

 シェリーを抱いたゲナと逆叉がカトレアの影に消え、冴も渋々ながらその闇に沈み消えた。残るは二人、ただ影には脚を漬けようとしなかった。

「……聞きたいことがあるんだ。帰ったらお聞かせ願いたいんだけど」

「奇遇だな、俺も聞きたいことがある。きちんと、その口から聞かせろよ」

 お互い腹に一物、大凡良いことではない。このどす黒く体の中を渦巻く思惑が良いことであってたまるか。

 粘度のある水の中に二人して消えて、丁度三秒。死屍を残した赤茶けたその部屋は、すっかり砂嵐の中へと消え収まった。絢爛たる明かりも、虚の人々も、豪華絢爛を極めた建物自体、最初から、幻であったかのように。


       *  *  *


 結局は他人を巻き込んだ壮大な夫婦喧嘩。犬だって食わないそれにつき合わされ、挙げ句傷つくヒトが出た。傷つくなんてレベルでないのは解っているのだが、どうにも釈然としない。

 一夜明け、見慣れた廊下では凄まじい轟音が朝から晩まで鳴り響く。重症患者の療養が済むまでの仮住まいとして二人は居るのだが、それが冴の機嫌を逆撫でし、序でに猫も加わり、カトレアも加わり、コールが時折廊下に出て悪戯っ子達を叱りつける。大人数でいい歳をして命懸けの追いかけっことは何事だ。

 あぁぁと嘆き、巴椰は出る気にもなれず自室のベッドに伏したまま本の頁を虚ろにめくっていた。その内容は欠片も頭に入ってはいなかった。

 口付けられ、オーバーした熱量。身体は火照り、麻薬のように何も考えられずにとろけてしまった。自分の恋愛経験の浅さが露呈した何とも恥ずかしい出来事ではあったが、思い返すだけで頭の芯が熱く熱を持った。

 気を紛らわせるのにばらばらと本をめくっていると、ふと部屋の戸が叩かれた。自分の名を呼ぶその声とともに。

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