<26・Hate>
「本当のこと知ったら、二人とも怒るんだろうなあ……」
闇の中、ローラはぽつりと呟く。
「わかっててやってる私も大概だけど」
「まったくよ」
目の前のホンモノは、ずっと八歳の少女の姿のままだ。彼女もローラの前で取り繕う必要はないと思っているのだろう。お嬢様そっちのけであぐらを掻いてどっかり座っている。怒っているのは明らかだった。
「わたしはね、あんたと違ってこの世界を裏側から見られるの。見られる代わりに、あんた以外に一切干渉できないんだけど」
イライラを隠しもせず、ホンモノは貧乏ゆすりをする。
「確かに、元々の物語では、わたしが貴女のまま……ローラ・スピネルとして生きて、マリーを虐めて悪役令嬢になって婚約破棄されて……ってことだったのは知ってるわ。その通りにしようって神様が思って、アナタをわたしの代わりに成り代わらせたってことも」
「そうだね」
「でもね、人の意志は、神様にだって変えられないのよ。アナタがローラになった時点で、シナリオを変えることはいくらでも可能だった。それができる手段はいくらでも用意されていたわ」
わたしには理解できない、とホンモノは告げる。
「自分の幸せを犠牲にして、他人を幸せにしようとすることも。……その幸せを押し付けて、誰かを傷つけることも」
「辛辣だなぁ」
「辛辣にもなるわ。アナタがやっていることはエゴでしかないし、本当にアンディとマリーを幸せにできるとは思えないもの」
「……そうかもね」
段々と、ローラ自身もわからなくなってきているところはあるのだ。自分がやっていることは本当に正義なのか。それを正義と呼ぶことが正しいのか。結局のところ、全ての人を不幸にする道を進んでいるだけなのではないか――と。
でも。
少なくとも自分は、アンディとマリーが結婚して幸せになる結末を見てしまっている。それを応援しながらゲームをクリアした自分を知っている。
あの結果が間違っていたなんて、とても認められるものではないのだ。
「貴女は正しいんだと思う、ホンモノさん」
ローラは天を仰いで言う。
この夢の中の空間では、ホンモノの姿と自分の体以外、闇以外の何物も見えないけれど。
「本当はね。悪役令嬢なんて……そんなもの、存在しない世界が一番いいんだよね」
「どういうこと?」
「私ね。トパーズの空ってゲームは好きではあったんだけどさ、本当は……本当はざまぁ系ってジャンルは、好きじゃないんだよね」
アンディとマリーというキャラクターに共感できたし、物語そのものが好きだったから追いかけてはきたけれど。
大別するとむしろ大嫌いなのだ――悪者を断罪して、すっきりして解決、みたいな物語は。
いや、それが水戸黄門にあるような勧善懲悪ならまだいい。大抵、誰かしらのエゴが透けて見えると感じるから苦手だとでも言えばいいのだろうか。そのあたりは、うまく説明できないのだけれど。
「ホンモノさんは、なんで悪役令嬢なんてものが『トパーズの空』のみならず……この手の物語に必要とされるんだと思う?」
妙に悪役令嬢ジャンルは流行してしまったが、実際は乙女ゲーなんかでもそんなに悪役令嬢なんて登場しないものなのだ。
だが、悪役令嬢救済モノや断罪モノでは必須ポジションとなっている。何故か。
悪者がいるというのは物語を盛り上げるのにとても簡単なものだからだ。
「ヘイトタンクにする存在がいるとね、比較できるの。ヒロインちゃんはライバルよりイイコでしょ、普通でしょ、このライバルは嫌いだからみんないなくなってほしいでしょ、ヒロインちゃんの方が共感できるから応援したいでしょ……って」
そうするとね、とローラは続ける。
「ヒロインに大して魅力がなくてもいいんだよね。もっとクズなライバルがいるから、そっちより比較でマシに見えるし、共感できるキャラに見えるから。それに」
「それに?」
「人間って結局醜いもんなんだよ。クズと決めつけた相手を踏みつけて悦に浸るのが大好きなの。自分が正義だと思っていればそこに罪悪感なんかない、気後れする必要もない。だから、そういうクズが物語にいてほしいし、断罪されるのを見て『ほら見ろ私が思ったことは正しかった、ざまあ!』って笑ってすっきりしたいんだよね。……結局それは、いじめを肯定する加害者と大して変わらないのにさ」
もちろん、物語ならばそういう話があっても問題はない。現実でいじめをするよりよっぽどいい。でも。
行き過ぎた正義がどういう暴走をするかは、SNSなんかを見ていれば明らかだろう。結局、過激すぎる正義感と断罪感情のせいで人はSNSで晒上げを行うのだ。
週刊誌が、いじめ加害者はコイツ!と報道する。
いじめをやった奴は悪い奴だから叩くのが正義という風潮ができて、SNSでそいつの本名を晒したり住所を晒して攻撃する。攻撃して、追い詰めて、自分は正しいことをしていると悦に浸るのだ。
そもそもそのいじめが本当にあったかどうかもわからないし、大体晒された本名や住所や名前が正しい確証だってどこにもなかったとしても。
そしてその相手が、まだ子供であったとしても。
「本来の悪役令嬢って、そういうポジション。トパーズの空って物語は……ヒロインとヒーローの魅力を描くのに手を抜いていないから私は好きになった。でも本当はね。……本当は、私はローラ・スピネルにも、救われて欲しかったんだよ」
だってわかるんだもん、とローラ。
「ずっと、アンディの婚約者として約束された未来があったのにさ。突然降って湧いた聖女サマがやってきてアンディといい感じになって……嫉妬すんの当然でしょ?もちろん、いじめをしたのはいけないことだったけど……もう少し周りが配慮してたらそんなことにならなかったんじゃないの?ってそれはずっと思ってた」
「あんた……」
「わかってるんだよ、本当は。マリーを引き立てるためには、性格悪い悪役令嬢が必要だったんだよね。ローラを断罪して、それでプレイヤーをすっきりさせて、二人の結婚を心から祝福してほしかったんだよね。ローラが嫌なやつであればあるほど、マリーの嫌なところは見えなくなる。アンディの嫌なところもわかりづらくなる。ヘイトタンクにするキャラは……みんなに憎まれるキャラは、正義のヒロインを盛り立てるためには必要だったのかもしれない。でも」
それでも、自分は。
「ローラ・スピネルを踏みつけにして得られる幸せを、肯定なんてしたくなかったよ……」
どうして、みんなで幸せになれなかったのだろう。
どうして悪役令嬢は救われてはいけなかったのだろう。
いや、わかっている。この手の物語、悪役令嬢を救おうとすると今度は婚約破棄した婚約者がヘイトタンクにされて悪者にされるのだ。あるいは、婚約者を奪った聖女が。
納得なんてできるはずがない。何で、誰かしらが嫌われて、恨まれて、ざまぁと笑われなければ物語が成り立たないのか。そんなものをみんなが好むのか。そんなものが流行するのか。その闇に、何故誰も気づかないのか。
「……じゃあ」
ホンモノが震える声で言う。
「じゃあなんで、あんたは悪役令嬢になろうとしてるのよ」
「決まってる。……私は、自分の意志でそれを決めたから。ホンモノのローラは自分がざまぁされることなんか望んでなかった。まるで世界にハメられたようにそうなった。でも私は違う。私は自分の意志で、悪役令嬢になることを選んだ。それを、犠牲とは呼ばないんだよ」
ホンモノのローラならば、アンディとマリーの幸福なんぞ願わなかっただろう。でも、自分は違う。
「私は、幸せなの。二人が結婚して、幸せになってくれればもうそれで充分。……二人はこんな私の幸せも願ってくれていた、愛してくれていた。その記憶だけで私は……どんな結末でも、笑って受け止められる」
前世より、自分はきっと幸せだった。
仮に死刑になって終わるような結末でも、自分は。
「もうすぐ、おしまいになる。……最後までありがとう、ホンモノさん。そして……ごめんね」
俯いたホンモノは、もう何も言わなかった。ローラはそっと小さな背中に手を回し、抱きしめる。
願わくばこの小さな魂が、今度は幸せな人生に生まれ変わることができますように。
***
そして物語は、冒頭へ戻る。
――とうとう来た。
今日という日を、一体どれほど待ち望んでいたことだろう。
ローラ・スピネルは婚約者アンディの背中を見つめた。その隣には、異世界から来た聖女マリーの姿がある。
二人は誰がどう見てもお似合いのカップルだった。自分と違って優し気で華奢な体つきのマリーと、すらりとモデルのように背の高いアンディ。まさに美男美女。誰がどう見ても、これ以上なく相応しい二人であると褒め称えることだろう。
ようやく、この瞬間に辿り着けた。
アンディとマリーは明らかに自分達の状況を、ローラの挙動を怪しんでいた様子ではある。だが、決定的な証拠なんぞ何もないはずだ。使用人たちが何を証言しようが、マリーがどれほど自分を庇おうが、脅されていたということで全て片付いてしまうことなのだから。
――さあ、いよいよだ。
ローラは知っていた。今日、自分はこの国王陛下の玉座の前で、婚約破棄を突き付けられるのだと。
アンディ・ベリルは国王陛下に仕える騎士の家。この国では一度、すべての貴族の家は婚約者が決まった時点で『婚約予定書』という書類をお役所に提出し、国王陛下のサインを貰っている。それを覆すならば婚約予定破棄書という書類を再度提出しなければならず、そのためには提出の前に国王陛下の許しを得なければいけないという気まりがあるのだ。
そして国王陛下が是と言えば、それでもう書類は提出できてしまう。たとえ、婚約解消される二人のうちどちらか、あるいは両方が納得していなかったとしても。
そもそも、いずれ陛下が直々にアンディに命令を下すはずだった。聖女マリーを虐める女なんぞ、存在を許せるわけもないのだから。
――私は今日、この人に見限られる。
ローラは、それがわかっていた。しかし。
――ああ、これで……夢が叶う。
心はどこまでも満ち足りている。自分は、アンディを心から愛している。しかし自分のような人間では、けして彼を幸せにしてやることはできない。
マリーはとてもいい子だし、強い力もある。彼女なら間違いなくアンディを支え、未来永劫幸福を齎してくれるだろう。否、それは予測ではなく、確定された事実だ。自分だけはそれを知っているのである。
ならば、何を躊躇う必要がある?どこに悲しむ理由がある?
今日自分が婚約破棄されることで、アンディとマリーが結婚を許されるようになる。大好きな二人がカップルになり、幸せになれるのだ。こんなに喜ばしいことはない。
――おめでとう、二人とも。お願いだから、誰よりも幸せになってね。
もちろん、表向きは悔しがるフリをしなければいけないのだが。なんといっても自分はこの場所では、婚約破棄されて惨めに崩れ落ちる悪役令嬢であるべきなのだから。
ちゃんと演技ができるだろうか、顔がついにやけることはないだろうか。緊張しながらも背筋を伸ばして立ち続けるローラ。
そしてついに、その瞬間が訪れる。
「国王陛下、貴重なお時間を頂き誠にありがとうございます」
アンディは、深々と頭を下げる。
「このたびはどうしても、陛下にお許しを頂きたいことがあって参りました。わたくしは……」
ローラはそっと、祈るような気持ちで目を閉じたのだった。




