第29話「風がない」
☽☽☽ 反転 ☽☽☽
御所の南門を抜け、寺院から舞い落ちてくる紅葉に染まる道を歩く。
町民を装うための着古した小袖に、砂利に擦れる草履。
一点だけ高価な藍染の飾りだが、地毛と色が似ているため目立ちはしなかった。
「桃さん、ありがとね」
隣を歩く桃にはにかむと、桃は照れ笑いをして両手をぐっと前に握る。
「いえ、あたしも芹さんにお会いしたかったので」
その返答に気分上々と空に腕を伸ばす。
今日は毎年恒例、宮中大忙しのお月見の日だ。
芹は駆り出される側であったが、桃は所属が鬼狩り一族のため、下女のように御所内を駆けまわることもない。
結婚を機に下女の忙しさから解放された芹と「いっそお月見を楽しむ側になろう」と計画し、当日を迎えた。
桃が抱える風呂敷の中には月見団子を詰め込んだ重箱が入っている。
桃と一緒にせっせと作ったもので、芹がどんな反応をするのかを想像してはにやけ顔になった。
「あら、姫様。髪飾りの紐が切れております」
「えっ?」
桃の声かけに振り向けば、紐が切れて藍染の髪飾りが草むらに落下した。
「気づかずに申し訳ございません。そこまで摩耗しているとは……」
「ずっと使っていたもの。帰ったら紐をつけなおすわ」
桃に大丈夫だと微笑んで、切れた紐を帯にしまい込む。
毎日飽きることなくつけていれば当然だと、使い時はもう少し厳選しようと苦笑いをした。
「時羽様! 桃さん!」
昼下がりに芹の住むお屋敷に到着し、再会に抱きしめあう。
「こんにちは、時羽姫様。お越しくださりありがとうございます」
「いいえ、こちらこそありがとうございます」
芹の夫も歓迎してくれ、ホッと胸を撫でおろす。
ほとんど会話をしたことがなく、芹に聞いていただけだが人のよさそうな雰囲気だ。
ニコニコと笑みを絶やさず、温厚さが見てとれて“ちょうどいい”という感想を抱いた。
(芹はちょっと怒りっぽいからね)
二人に招かれ、お屋敷の内庭に御座を敷いてお月見の会をはじめる。
まだ昼間のため月は見えないが、遅くに出歩くわけにもいかないので雰囲気だけお月見だ。
芹の淹れてくれた抹茶を飲み、一息を吐いた。
「芹、よかったね。旦那さん、大事にしてくれているんだなって思ったよ」
「コホン。本当に、善人すぎて心配なくらいです」
芹の夫は末端とはいえ貴族の出。
今も帝に仕える立派なお役目をもつ人だ。
御所の敷地内にお屋敷を持つことは出来ないが、南門を出て西側の比較的立地の良い場所に家をもっていた。
嫡男ではなく、年齢もまわりにとやかく言われる時期は過ぎていたので、身分差ありの“恋愛結婚”だ。
今は夫婦円満に暮らしており、時羽は一安心していた。
芹の無自覚な惚気話の後、桃が積極的に“時羽姫の取り扱い”について指南を受ける。
隣で聞く身としては耳が痛いと月見団子を頬張り、お屋敷を囲む土塀で鳴き声を奏でる鳥たちを眺めた。
(いい天気ねー。きっと今日は一層月が綺麗だろうな)
お月見日和となるだろう。
この日は鬼狩りでも警備として御所を囲むため、緋月も浅葱も忙しい。
毎年の決まり事のため、時羽はすっかり息をひそめるのに慣れてしまった。
思い出すは十四歳の中秋の名月の下。
忙しいはずの緋月がわざわざ会いに来てくれたことがうれしく、今ではこうして誰かと過ごすことが出来ている。
(さみしいなんて、ワガママよ)
幸福だとわかっていながらも、母を亡くす前から欠如している部分は埋まらない。
永遠にやってこない期待を抱え、今もどこかで夢を見ている。
何のために“姫として生まれたか”に答えを見いだせないまま、十六回目の月に想いをはせた。
夕焼け雲。
西の空が紅に染まる頃に芹が玄関口まで見送りに出てくれた。
「まっすぐにお帰りくださいね。寄り道は危ないですから」
「わかっているわ。桃さんもいるから大丈夫だよー」
能天気な返事に芹はやれやれと息を吐き、困り顔で桃に目を向ける。
「桃さん、時羽様をよろしくお願いいたします」
「はい! 並みの女性よりかは腕っぷしに自信ありますので!」
桃は袖をまくると二の腕の筋肉を見せてくる。
見ごたえのあるムキッとした腕で、見た目のおっとりさとのギャップが大きかった。
したたかで我慢強い女性だと、芹とはまた違う面を時羽は心から尊敬していた。
御所の土塀沿いを歩き、後ろに振り返ると川に沈んでいこうとする夕日が輝いていた。
目を細めて眺めていると、光を反射してきらめく水面に目を奪われる。
「姫様! 川がキラキラ光っていますよぉ!」
「本当だね。真珠が散らばってみるみたい」
同じことを桃も思ったようで、互いに穏やかな時間の流れに笑いあう。
雲が長く横に流れ、夜に向かって赤から橙、そして紫へとゆっくりと変わっていく空に見惚れた。
(せせらぎがよく聞こえる。まるで他の音が消えたみたいに……)
ふと、違和感に足を止める。
こんなに距離があってせせらぎが聞こえるはずがない。
(風がない)
途端に空が目で追えるほどの速さで赤黒く飲まれていく。
この時間になればカラスが集団で鳴きながら飛んでいるはずなのに、今は鈴虫の震える音さえない。
(なにこれ、こわい……)
異常に気づいたのは桃も同じで、襟元に隠していたクナイを手に目を鋭くしていた。
「姫様。芹さんのところへお戻りください」
「桃さん……?」
緊迫した声に胸が締めつけられ、息が詰まる。
「早く!!」
桃らしくない荒ぶる声に驚く間もなく、空が赤褐色に覆いつくされていた。
ピカッとした光とほぼ同時に雷が落下し、地面がガタガタと縦に揺れる。
「きゃあああっ!?」
あまりの轟音に頭を抱え、足が地面に縫われたかのように動くことが出来ない。
小さな竜巻が発生し、今までの無風が噓のように吹き荒れて長い髪が上に引っ張られた。
『久しぶりだなぁ、ツクヨミの姫』




