第1話「あなたを助けるための物語」
記憶が消えていく。
幸せだった時間も、辛かったことも、すべて。
変えられない過去。
幸せからすべてを失い、貴方を裏切るまでの過去だ。
過去は変えられなくても、未来を変えるのは今と信じて――。
――ハッ!
目を覚ました時、身体は汗でぐっしょりと濡れていた。
やけに心臓がざわついて、夢合う日々が終わる、そんな予感に首を傾げた。
(何だろう。長い夢を見ていたような気がするけど……)
そんな地に足のつかない感覚のまま襖を開けた。
今日は晴れやかな青空だ。
心地よさにうんと背伸びをすると、私はしめしめと桐ダンスから小袖を取り出して町娘の装いをする。
そこにいつも通り現れたのは、私の世話焼きをしてくれる下女の芹だった。
「まぁ、時羽様! また外に出られるおつもりですか?」
「おはよう、芹。今日はいい天気ね」
「まったくもう……。おやめください。姫が外に出るなんて……」
「どうせ誰も気づかないよ。さすがに敷地内だと目立つからこっそり探索したけどね」
私はこの和国の姫君であり、忘れられた存在だ。
御所の片隅に建つあばら家で、母が亡くなってからひっそりと暮らしていた。
そのため、姫のわりに普段から古びた着物を重ねている。
そんな私を気にかけ、世話を焼いてくれるのが芹だった。
「お母様の着物がたくさんあってよかった。大事に使わないと」
「おいたわしい。姫君ともあろう方がこんなみすぼらしい恰好を……」
「まっ! 別に私は平気よ! この方が外にも出やすいしね!」
母の残した小袖をまとい、くるりとその場で一回転をした。
「いつご側室の方々に見つかるか……」
「……誰も私に興味ないわよ」
芹は私があちこち動き回るのをよく思っていない。
何がきっかけで側室たちに目をつけられるかわからないからだ。
芹が私を心配して、時間を割いてくれるのも知っている。
だから私はいざという時のため、御所以外で生き抜けるよう積極的に動いていた。
「芹。あんまり私に時間を使っていると、他の下女に怒られちゃうよ?」
「うっ……。ですが……」
芹はやさしすぎる。
何の後ろ盾もない私が生きていけるよう、毎日必ず世話焼きに来てくれる。
母が下女だった頃に世話になったそうだ。
芹は恩に義理堅く、私も母の話を聞けることは嬉しくて頬が緩んでいた。
そんな芹が大好きだ。
芹は時羽にとっては第二の母だった。
「この前ね、庭の奥で壁穴を見つけたの! そこから出ればバレないわ!」
遠く離れた側室たちの庭を指す。
まさに景勝の庭。
だからこそ草木に隠れて穴があるとは誰も思うまい。
私が見つからずに近づけるので、警備は甘いとほくそ笑んだ。
「それじゃあ、行ってくるわね!」
「あっ! 時羽様!!」
行くならば陽のあるうちに、と私は穴から外へ飛びだした。
世界は不思議でいっぱいだ。
花の名前、料理の名前、鳥の名前に四季折々のこと。
御所内ではどんな遊びが流行っていて、男性と女性ではどのように違いがあるのか。
母が教えてくれた文字を頼りに、自己流ではあるが本を読めるように。
芹は文字が読めないらしく、下女でも学は様々ということがわかった。
(門に警備兵がいるわね。だったら左へ進むほうがいいわ)
御所の敷地を抜ければ馬車道があり、その向こう側は京に繋がっている。
母の形見は着倒して汚れてはいるが、御所の外はそれよりも更に汚れたものを着る人が多かった。
(私、恵まれている方ね……)
少なくとも芹が気にかけてくれる限り、食べるものがあって寝るところがある。
一人では危ないからと、芹が一緒に眠ってくれることだってある。
それがどれだけ私を救っていることか……。
姫君でありながら存在が薄く、生まれてから父親である帝に会ったことがない。
帝に認知されていないとなれば、警備や下女をつけてもらえることもなかった。
影が薄いので外に出ても咎められない。
それはそれで時々虚しくなるけれど……。
「あれ? 何だろう……」
御所に続く中心の道を荷馬車が通ろうとしていたが、人が集まって動きを止めている。
とっさに人混みを抜け、建物に隠れて様子を窺った。
「米だ! 米をよこせ!」
「やめろ! お前たちにやるものではない!」
米が御所に運ばれる過程をはじめて知る。
米は税となり、帝が国を統治するための管理対象となっていた。
民が米を税として献上するから私も生活できている。
母から教わったことだったが、実際はどれほど民にとって米かを理解していなかった。
「くそっ! その米はオレらのものだ!」
暴動は激しくなるばかりで、物陰に隠れていた私は人波に押し出されてしまう。
米を運ぶ兵に向かって、クワや棒をもって民が襲いかかる。
無差別な争いに巻き込まれ、地面に倒れてしまった私に平民が振り下ろした棒が迫ってきた。




