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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
18/37

⑯思わぬ出会い

(1)


「佐平次! 斬られて帰っただと!」

 南町奉行の鳥居耀蔵は、大声で怒鳴りつけた。

 庭に片足を投げ出し、蹲る町人の様な風体の男、佐平治は、

「申し訳ございません。簡単に行くと思っておりやしたが、そこの奥方が、また、えれえ強かったものですから……」

 鳥居は、両目を釣り上げ、

「ん、ん、我が家臣が、女にやられるとは、情けないやつじゃ! しばらく部屋でおとなしくしておれ!」


 その時、ちょうど縁側に、南の年番与力、佐々木が、一切の表情を消し、座ってその様子を聞いていた。

 佐々木も、昨夜その話を聞いていた。

 しかし、その折、

「これは如何にも強引な事。遠山様のご承諾も無く、その様な事、あまりにやり過ぎでは……」

 と反対したのだが、その時は当人達も、

「ここが狙い目じゃ。そこには、女しかおらぬ。ちょうど良い」

 などと、大笑いしていたのだが。

 実は、佐々木。こうなることは最初から分かっていた。

 何しろ、おさよ相手だったからだ。


 八丁堀で人気なのは、お華。

 と言うことは既に述べたが、実は、八丁堀で、幼い頃から、武勇で有名なのは、おさよなのだ。

 お華の武芸は手裏剣。

 しかも、芸者になってしまったのもあって、知っている者は殆ど居ない。

 しかし、おさよは違う。

 おさよは、小太刀だから、八丁堀の道場などにも稽古に行っていた。

 小太刀でありながら、彼女に勝てる者は、常に一人の同心だけ。

 そんな、おさよに付けられた渾名は「鬼娘」である。

 おさよに、なかなか縁談が来なかった一番の理由がそれだった。

 ちなみに、唯一勝った男。それが浩太郎である。

 要するに、最初から、そこに嫁に行くしかなかった娘なのである。

 今となっては、母親のお久に、大笑いされるが、おみよは、

「あれが、お華姉さんと修業したという」

 話の通りの、実際の強さを見せつけられ、驚愕している。

 南、とは言っても、当然、その話は佐々木も知っている。

 佐平治程度の男が、威張ってはみても、跳ね返されるのは、最初からわかっていたのだ。

 いやむしろ、殺されなくて幸運とさえ、思っている。

 しかし、一切表情には出さない。


「致し方ない。そちらの方は、一端、手を引く」

 無念そうに言う、鳥居の言葉に、胸を撫で下ろした佐々木であった。

 しかし、

「今は、御改革を断固、推し進めなければならない。より一層、町中の取締を厳しくせよ!」

 佐々木に厳命した。

 佐々木にとっては、これはこれで面倒な事ではあるが、恭しく、

「はっ。そのように皆に申し伝えます」

 と頭を下げた。


(2)


 ところで、翌日朝。

 まだ、春は遠く、寒い朝だった。

 屋敷の居間で、

 おさよは、正吉に調べさせた男の事を、浩太郎に伝えた。

「ほう。南は、南なのか」

「ええ。御家来の様です。奉行所に帰る途中、羽織を脱ぎ、髷を潰していたそうにございます」

 それには、浩太郎は大笑いし、

「ご苦労な事だな」

 おさよも笑みで頷く。


「さて」と、月番の浩太郎は、見廻りへと向かった。

 今日は元気の無い、お華と一緒である。


 しばらく見回り、三十三間堂町の番屋で、二人は一服した。

「しかし、綺麗に取り払ったものだな……」

 浩太郎は、呆れた様にぼやく。

 この時の深川は、岡場所や茶屋は勿論、寄席、宮地芝居も殆ど取り払われ、庶民のわずかな楽しみと言った物は、全て無くなったと言って良い。

 たとえば、僅かに残った寄席は、江戸中で十五件。

 しかも、神道講釈・心学(現在で言う道徳)・軍書講釈・昔話、といった四演目のみの上演を命じられた。

 これでは、とても庶民が、金を出して聞きに行こうと言う様なものではない。


 横で苦悩の顔で、茶をすする、お華。

「どうしたお華」

 浩太郎の言葉に、お華は額に手を当て、

「わかるでしょ。お座敷というお座敷。全て無くなっちゃったのよ」

「そうだな。女将と相談したんだろ?」

 お華は頷き、

「まあね。結句、柳橋に行くってなるんだけどさ」

 浩太郎は頷き、

「そうだな、深川の連中は、みんな柳橋に移った様だからな。あそこに手が入らなかったのが、むしろ不思議だよ」

 お華は下を向き、

「芸者連中が、なんとか生きる道が、残ったのはありがたい事だけどね……」

 浩太郎は笑顔になり、

「問題は、お前か」

「深川を捨てるのはどうもね……」

 すると浩太郎は、お華の腿を叩き、

「父上が生きてらっしゃったら、どやされるぞ。さっさと行かんかってよ」

 お華は、頷き、

「お母さんもそう言ってたけど、中々決心が付かなくてね」

 浩太郎は、実は嬉しかった。

 無くなった父親の思いに悩む、お華にである。


 そんな話をしているところに、深川富岡周辺を縄張りにしている久蔵親分の若い者、太助が飛び込んできた。

「あ、旦那!」

 浩太郎は、その勢いに少々驚き、

「どうした。何かあったか」

「へい。どうも包丁持って、子供を人質に立て籠もっている奴がいると」

「何だと!」

 浩太郎とお華は、一斉に立ち上がった。

 すると、お華が、

「で、太助さん、どんな奴なの?」

 太助は頷き、

「へい。ところが女なんでございますよ」

 それには二人とも、

「女!」

 と声が揃った。


 太助に先導され、富岡門前町の奥まった、商家の近くに着いた。

 中年らしき女は、二階の障子を開け放ち、三歳ぐらいの女の子を手荒に抱え、包丁を突きつけていた。

 その店の外、道の端で、ここの縄張りの親分が、十手を握りしめて様子を窺っていた。

 そこに浩太郎達が寄っていき、店の脇に引っ張って、状況を聞いた。

「何? 自分の娘に包丁突き付けているのか?」

 親分は、首を振り、

「いえ、旦那。子供といっても連れ子なんでございます。寄席を経営していた旦那が、御改革で、閉鎖にされちまったもんで、娘を捨て消えちまったんですよ。しかも、女浄瑠璃の娘連れて。それを怒った女がトチ狂ってる様でして訳でして……」

 それにはお華が、

「だからって子供に包丁かい? ふざけたことを」

 しかし、浩太郎は、

「そうだとしても、えらく泣いてるなあの子」

 その娘とみられる子供についてである。

 すると、親分が、

「いえね、こんなんなる前から、この辺では評判だったんですよ。折檻が酷いって。あっしも、何回か注意しに行ったんですが、静かになるのはその時だけ。寄席なのに、浄瑠璃より子供の泣き声の方が大きいって有様で」

 浩太郎は、首を傾げ、

「う~ん」

 と唸る。

 そこに、お華がせかす。

「兄上。どうするの?」

 と、少々、怒りの籠もった言葉で言った。

 その時、子供の泣き声が一段とおおきくなった。

 女は、その子の顔に包丁を突きつけ、

「治平! 呼んでこい!」

 などと、逃げた旦那の名前を、狂った様に叫び上げる。


 浩太郎は頷いた。

「お華、女の腕を打て。親分達は店に入り込み、包丁が離れたら、飛び込め。いいな」

「合点で」

 親分達と若い者は、隠れながら、家に入っていった。

 お華も、見上げながら左へ、腰を沈めながら間合いに行く。

 浩太郎は、大きな声で、

「おい、女! つまらねえ真似は辞めろ。後で泣くのは自分だぞ」

 と、大きな声で言うと、

「やかましい。みんなお上が悪いんだ。お前の言うことなんざ、聞くもんか」

 髪を振り乱して叫ぶ。

「なら、こうしてやる!」

 いきなり、右手を振り上げた。

 その瞬間、お華の簪が飛んだ。

 些か、頭にきたようで、後を追うように、二本続けてだ。

 相変わらず早い。

 手首、肘と綺麗に深く突き刺さる。

 悲鳴と共に、包丁はおろか、腕まで、何処かに飛んでいった様に跳ね上げられた。

 浩太郎は叫ぶ、すると二階に親分達が飛び込む。

 ここまで行くと、後は容易に取り押さえられた。

 

お華も、打った後、家の中に入り、子供のところに向かった。

 すでに、親分が抱き保護しているが、泣き止まない。

 お華は、「あとは、あたしが」と言って、替わって抱くのだが、全く泣き止まない。

 外に出て、いかにあやしても大泣きなので、

「お前って奴は」

 と、浩太郎も

「ほら、よこせ」

 さすがに慣れた感じで抱くのだが、ますます酷く泣いている。

 いや、泣くと言うより、叫ぶといった様な、ものすごい声なのだ。

「ほら~」

 お華は笑うが、浩太郎は、あることに気づいた。

「ちがう。お華、ちょっと来い」

 家の中に、もう一度子供を抱きながら入り、一度、子どもを寝かせる。

 まだ泣き止まない。

 すると浩太郎は、今度はうつ伏せで寝かせる。

 すると、子供は。

 泣いてはいるものの、些か静かになったのだ。

「え?」

 お華もさすがに不思議なようで、

「どういうこと」

 浩太郎は、うつ伏せの、尻の部分をまくり上げた。

 これを見た、浩太郎とお華、除きに来た親分も驚愕した。

 お尻の部分が、紫の、異様な色で腫れ上がっているのだ。


 浩太郎は、既にお縄になり、土間に座っている、女の前に行き、

「おめえ! あの子に何をした」

 怒鳴るように聞いたが、女はフンと答えない。

 すると、浩太郎の右手が、女の頬に大きな音を立てて引っ叩いた。

「答えないなら、切り刻んでも答えさすぞ。これなら、後が残らず、地獄の苦しみだ」

 と、小柄を抜き、鼻の穴に突き入れた。

「これなら、血も殆ど流さず、頭の病気で死んだと言うことになる。さあ、最後だ。あの子に何をした」

 お華はそれを聞いて、若干、寒気がした。

 相変わらず、子供については、厳しい。


 すると、その女は、慌てて首を振り、

「尻に針を刺したんだよ」

 掠れた様な声で、叫ぶ。

「な、何だと! いったい何本刺したんだ!」

 女はせせら笑い、

「十本までは覚えてるがね。さてさて、何本だったかしらね」

 浩太郎は、怒りが頂点に達し、右手が反応したとき、お華が割って入り、思いっきり、女の頬を引っ叩いた。

「二十本ぐらい打ってやれば良かった!」

 と泣きながら叫ぶ。

 さすがに、この言葉にはお華の方が腹を立てたらしい。


「もう良い! 先に連れてけ」

 親分に指示を出した浩太郎は、佐助を呼び、

「おい、話は聞いてたな」

「へい」

「また、先生にお願いしなければならない。この前の様に、また頼む。この子は、お華に連れてって貰う。俺は下手人を奉行所に引っ張って行かなければならない。それが済んだらすぐ、屋敷に戻るとな」

 佐助は、笑みを浮かべ、

「お任せを」

 と頭を軽く下げ、消えた。

 そして浩太郎は、

「おい、お華。聞いた通りだ。今回はお前がこの子を先生の元へ連れて行くんだ。分かってるな」

「わかったわ」

 お華は大きく頷く。

「負ぶって、尻に当たらないようにしなければならない。むやみに急ぐ必要はない」

 早速、子供をお華の背中に背負わせる。

「頼んだぞ」

「はい」

 お華は、子供に声を掛けながら、ゆっくりと歩いて行く。

 浩太郎は少し、見送り、すぐに下手人の女が連れて行かれた番屋に急ぐ。


(3)


 それ程、急かされた訳ではないが、相変わらず素晴らしい走りで、佐助は、優斎の治療所に駆け込む。

「先生!」

 の言葉に、患者を診ていた優斎とおみよは、入り口に振り向く。

 ちょうど、他の子供の治療をしているところだった。

「お、佐助さん。また何かあったみたいだね」

「はい。実は……」

 と言いかけたが、優斎はそれを制止し、

「もう終わるから、少し待ってくれ」

 正面に座っている、子供の母親に、

「この薬を、朝晩飲ませて下さい。お金はあとでいい。とにかく暖かくして寝かせて下さい」

 と言って、おみよと一緒に母と子の患者を送り出した。

 相変わらず、支払いが良心的であるから、親も安心して、ここに子供を連れてこられる。

 今や、この辺の家庭では、武士も町人も有名な子供医者となっていた。


 さて、佐助に振り向いた優斎は、

「聞きましょう。どうなさいました?」

 佐助は、一気に、状況を語った。

 優斎の顔が、みるみる厳しく変わる。

「何だと、針を……」

 おみよは、

「とにかく、お姉さんのところへ」

 手伝おうと思ったのだろう。

 佐助も、

「あっしも一緒に」

 と二人は外に出て行った。

 それを見送り、優斎は頭を抱えた。

「針を十本以上だと?」

 この様な話は、初めての事だったので、判断をし切れずにいた。

 縫い針一本、ちょっと刺さった位なら、珍しい事では無い。

 しかし、さすがに、尻に十本以上など、聞いた事が無いからだ。

「針の場所が分かれば良いのだが、埋まっていたら、どうやって……」

 優斎には珍しく、今で言う治療方針に迷っていた。

 

 一方、お華は、子供を背負いながら、見た目しっかりとした足取りで歩いていた。

「あなた、お名前は?」

 子供の方も、安心したのだろうか、お華にしっかり捕まりながら、

「あ、あのね。ゆき」

 こちらも意外にしっかり答えた。

「そう、おゆきちゃんか。もうすぐ先生のところだからね」

 すると、おゆきは、

「こわい先生?」

 恐る恐る聞くものだから、お華は笑って、

「大丈夫。優しい先生よ。怖がらなくても大丈夫」

 などと言いながら永代を渡り、丁度、船手番所あたりまで行くと、正面の方から、おみよと佐助が走ってきた。

 近寄った、佐助が、

「代わります」

 と言う。

「ゆっくり。ゆっくりよ。痛くなるところは気を付けてね」

 おみよの手を借りて、佐助の背中に、おゆきは移った。

 お華は、軽くなった途端、おみよにもたれかかり、

「いや~大変だった」

 それには、おみよも笑い、

「何、お姉さん。しっかり歩いてると思ったのに」

「傷に悪いと思ったからさ、無理に歩いてたのよ」

「あらら、自分の子だったらどうするの?」

 などと言われてしまう。

「いや、無理だわ」

 三人は、慎重に歩き、子供を怖がらせぬよう、優斎の元に運んだ。


 優斎は笑顔で迎え、

「さあ、こちらにうつ伏せで寝かせて下さい」

 布を引いた机の上を指差し、指示を出した。

「恥ずかしいだろうけど、お尻、見せてね」

 言いながら、下半身を開いた瞬間、お華以外は驚きを隠せなかった。

「こ、これは……」

 紫色に膨れ上がっているのを目の当たりにして、言葉を失った。

 おみよなどは、首を振り、

「なんてことを……」

 と、涙を浮かべる。

 おみよは、直ぐに軽い布団をかけ、顔の下にも布を重ねておいて、落ち着かせる。

 その間、お華は、優斎を外に呼んで、詳しい状況を説明する。

 頷いた優斎は、

「思ったよりも、こりゃ厄介ですよ。どうしたらいいんだか」

 まだ迷っているようだ。

「え、先生でも?」

 優斎の珍しい弱気な言葉に、意外に思った。

「十本以上と言いましたね。早く取らないと膿んでしまって大変なことになる。普通なら、それだけ多いと切り刻んで、抜くしかない。しかし、そんなことしたら、あの子の一生の傷になってしまう……」

「やっぱり、座れなくなっちゃいますか?」

「そう、下手すると一生……」

 

空を眺めながら、暫く考えていた様だった優斎だが、大きく頷き、

「やはり、ここはお華さんに任せましょう」

 突然の指名に驚いたお華は、

「な、なんなんです?」

 笑顔の優斎は、

「おさよ様と佐助さんを呼んできて下さい。今から説明します」


 お華が、呼びに行っている最中、優斎はおみよに、

「どうですか?」

「はい。今、ようやく眠った所です」

 おみよは小さな声で囁いた。

 その戸を閉め、集まったおさよ達に説明を始めた。


「佐助さん。あなたには、走って貰って、桶に、大川の橋の下辺りで、凍る程の冷たい水を汲んできて貰いたい。その中にこの手ぬぐいを浸してね。行きはともかく、帰りは水を漏らさぬよう、そのまま持ってきてもらえますか。大変ですが、零さないよう、なるべく急いで汲んできて下さい。これは、あの子の痛みを抑える為に必要です。お願いします」

 江戸は、この時三月に入ったところで、夕刻。

まだ、春とは言えない寒さで、水もまだ、冷たさを保っている。

 加えて、異常気象も回復傾向に入ったばかりで、隅田川のような大きな川とは言え、凍り付く位の冷たさである。


 頷いた佐助は、井戸端から桶を持って、早速、隅田川に向かって、駆けて行った。

 そして、お華とおさよを部屋の中に呼び、

「まず、お華さん。あなたの簪針の先で、この子に埋まっている、針を探して欲しい」

「え?」

 お華は大層驚いた。

「探すって」

 すると優斎は、

「お華さん、簪を貸して下さい」

 見ていて下さいね、と、お華から、簪を受け取り、それを布団のままの子供の尻の部分に、ゆっくり尖った部分を走らせた。

「こうやって、この子の尻を傷つけないギリギリで走らせます。そうやって、針のの場所を見つけて欲しいのです」

 お華は言葉を失った。

 おさよは何か気づいたようで、

「ああ、それはお華ちゃんしか出来ないかもね」

 と頷く。

 優斎は、

「はい、指先の感覚が鋭いと言えるのは、ここでは、お華さんしかいません。私やおさよ様では、そこまで鋭敏ではありません。先で傷つけぬよう、しかし深く探って貰いたいんです。お華さんが感じたところを言って頂き、おさよ様には、そこに一つずつ、印を付けて頂きたい」

「は~」

 意外な展開に、驚くお華。

「そしてそれが終わったら、私が、出来るだけ、小さく斬り、針を抜きます」

 おさよは、

「わかりました。お華ちゃん、しっかりね」

 と言うのだが、お華は自信が無さそうな顔をしている。

 そのお華の肩を、おさよはポンと叩き、

「お父上が教えてくれた簪は、人を倒すものだけじゃないってことよ。小さな子を助けられるなら、これこそありがたいこと。特にあなたは逃げられないでしょ」

 その言葉には、お華も大きく頷いた。

「出来るだけの事はやる……」

 ようやく、その気になったようだ。

 早速、準備をし、おゆきに駆けられていた布をゆっくり取り除いた。

 おさよは、さすがに初めて、この惨状を見て、眉が上がった。

「冗談じゃないわよ……」

 おみよは、ゆきの顔の方に回り、軽く身体を押さえる。

 すると、優斎が、

「お華さん。全部とは言いません。でも、この子が将来悲しい事にならぬよう、守ってやって下さい」

 お華は、大きく頷き、

「はい!」

 返事をしながら、眠っている、ゆきの後ろに回って、簪を一度くるっと廻し、針先をゆきの尻につけた。

 優斎が、事前に隅で書いた枠の中を慎重に、簪をゆっくり走らせる。

 そして、ある地点で簪が止まる。

 早くも見つけた様だ。

「ここ!」

 すると、おさよが、小さく筆で印を付ける。

 お華は、眉を頂点まで引き上げ、最高度の集中力で、ゆっくり針先を動かしている。

 お華も、おさよも、そしておみよも額に汗が吹き上がっている。

 この時代レントゲンなどない。

 優斎には、これしか考えられなかった。

 いやむしろ、この時、お華がこの場に居たことは、おゆきに取って、最大の幸運だったかも知れない。

 優斎は、お華の集中力の邪魔にならないよう、治療場の外に出て、寄りかかって空を眺めていた。

 すると、そこに浩太郎が、屋敷に戻ってきた。

「先生!」

「ああ、浩太郎さん」

「どうです。子供の方は?」

 優斎は笑顔で、

「今、お華さんに全てを任せてます」

 これには浩太郎は驚き、

「お華? お華が治療を?」

 優斎は、首を振り、

「今、お華さんの技の全てを使って貰ってます。戦いの真っ最中ですよ」

 そして、

「浩太郎さん。申し訳ありませんが、強い焼酎を集めて来て貰えませんか」

「し、焼酎?」

「はい。お華さんの次は、私の技の全てを出さないと……」

 何が何だかわからない浩太郎だったが、

「わかった。強い焼酎だな」

 と、隣の屋敷、お久の方に向かった。


 おさよは、次々と、筆で印をつけていった。

 お華は最後の精神力を振り絞り、何回目かの簪を走らせた。

それが終わると、

「もう駄目……」

 と、お華は、床にずり落ちた。

 おみよが、優斎を呼びに外に出て、

「先生。終わったようです」  

 二人は、すぐに中に入る。

「どうでした」

 倒れている、お華は声が出ない。

優斎は、その場所を見て、息を呑む。

 おさよが、

「やりましたよ。お華ちゃん。全部で二十本みたいです」

「に、二十……」

 優斎は、おさよが付けたバツ印を厳しい顔で見詰めながら、唸る。

「さて、これをどう斬るのか……」

 おさよが、小袖を布団代わりにかぶせ、お華を座敷に引っ張って行った。

 お華は、力ない笑いで、

「もう、優しく引っ張りなさいよ。あたしゃ、こんなに簪で疲れたのは初めてだよ」

 用意されていた布団に寝かされた。


 しばらくすると、佐助が帰ってきた。

「これで、どうでしょう」

 桶を、優斎の前に差し出した。

 優斎は、小指を少し浸けて頷き、

「おみよさん。印はもう写したね」

 と確認し、

「油紙を、この子に巻いて下さい」

「はい」

 巻かれた子供を確認し、

「では、この水に浸けてある手拭いを、紙の上から尻に被せて下さい。何回も」

 そして、おさよに、

「おさよ様は、どうか子供が動かぬよう、あやして下さい」

「わかりました」


 これは、今で言う、麻酔の代わりなのだろう。

 冷えた水で、神経を麻痺させるつもりの様だが、さすがに今とは違う。

 おさよの力で動かぬよう抑えて貰わねばならない。

 冷え具合を確認し、優斎は浩太郎を呼びおみよと一緒に、足を押さえるよう頼んだ。


 その頃には、焼酎を持ってきたお久などが、離れて見守っている。

 優斎は、油紙を取り、頭の中で設計した切り口に従い、一気にメスを振るった。

 それは、浩太郎に言わせると、添え物斬りの様に、迷い無く、一気に斬ったように見えた。

 優斎は、短く深く一回斬ると、素早く、特製の箸を取り出し、針を一本ずつ抜いていく。

 おさよには、その一連が電光の早さに見えた。


 優斎は、次々に作業を続ける。

 ありがたい事に、おゆきには、痛さがそれ程感じて無い様だが、限度がある。

 そして優斎が、最後の一刀を振るうと、さすがにおゆきも大泣きに泣き出した。

 おさよとおみよが、一生懸命、あやし、浩太郎も懸命に足を押さえる。

「もう少しよ。もう少しの我慢よ」

 最後の針を、抜いた優斎は、お華と同じ様に、全身の力が抜けた様に意識が無くなりかけた。

 そうして倒れかけた優斎を、浩太郎が素早く寄り、支えた。


(4)


「浩太郎さん」

 と抜いた針が載せられている、トレー代わりの皿を見せる。

「二十本です……」

 浩太郎は勿論、お久や佐助も驚愕した。

「二十も入ってたのか……」

 優斎は、身体を奮い立たせ、おゆきの尻から流れだす血を拭いながら、浩太郎に、

「焼酎を」

 と、振りかけるよう頼んだ。

 消毒代わりの焼酎を、充分吹きかけると、おみよが、丁寧に新しく綺麗なさらしを巻き始めた。

 おみよを残し、皆、屋敷に移った。


「え? お華に? 簪で?」

 浩太郎は仰天した。

「こんな事、私も初めてだったので、相当悩んだのですけども、ここは、お華さんの簪の技しか無いと思いまして」

 おさよは笑顔で、

「私も、長い間一緒に修行してきましたけど、こんな事も出来るんだと墨で印をつけながら、感心致しました。さすがに、お父様もこんな事に使われるとは思っていなかったでしょう。私に取っても嬉しい事です」

 それを聞き、お華は、妙な顔で照れている。

 浩太郎は首を捻り、

「ふふ、まあ良い。で、様子はどうなんだい」

 優斎は、

「お陰で、位置が確定していたので、切り口も僅かで済みました」

「そうか、そうか」


 その後、おゆきは、屋敷の方で、おさよ・おみよ・お華が、代わる代わる面倒を見る。

 手術の経過も順調の様だった。

 日に日に、おゆきも、本来の子供らしい笑顔になっていく。

 そして、三日後の夕方、屋敷に、置屋の女将、お吉が呼ばれた。


 浩太郎は、

「お吉、あれから様子はどうだい」

 警動騒ぎの後の様子を聞かれた。

 お吉は笑顔で、

「若様。お陰をもちまして、取り立てて問題はございません」

「そうか、それはよかった」

「ただ、一度、確認で南町の方がいらっしゃいました」

「やはり、来たか」

「はい。ただ、長の休業をしていると申しまして、また、証文などをご覧になって、おみよが若様の下女。お華が北のお手先を務めていると申しますと、あっさりお引き取りになりました」

 それに、浩太郎は大きく頷き、

「そうか、それで八丁堀まで、おみよの確認に来たっていうことか」

 するとそれには、おさよが口を挟み、

「あれは、確認なんてもんじゃありませんでしたよ」

 浩太郎は笑い。

「ただの同心ならな。正面切って、おさよに喧嘩売れる者なんぞ、南はおろか、北にだっていねえからな」

 この言葉には、皆が一斉に笑った。

 すると、浩太郎は厳しい顔に変わり、

「そうなると、こんどはお華か……どう出てくるかな」

 優斎が笑い、

「私なら、奥様よりお華さんの方が厄介ですからな。とてもじゃないですが遠慮しますよ」

 お華は、下を向くが、他は大笑いだ。


 浩太郎は姿勢を正し、

「さて、女将。今日来て貰ったのは、頼みがあるからじゃ」

「はい。なんなりと」

 浩太郎は次の部屋で寝ている、おゆきを指差し、

「実は、あの子の母親代わりに、なってくれないだろうか」

 と、浩太郎とおさよは一緒に平伏して頼んだ。

「おゆきちゃんの……」

 既に、あらかた想像出来ていたのであろう。

 落ち着いた様子で、微笑む。

「あの子の事は、既に、お華から聞いているであろう。俺も一度は、お華のように我が養子にとは思ったのだが、お華と違い、赤子ではない。いきなり武士の娘となるのもどうかと思ってな。お華、おみよと、父上の頃からなにかと面倒を掛けているが、今回もどうか、あの子を預かって貰えると有り難い。どうだろう?」

 お華達にも、これは大きな事だ。

 また、幼い妹が増える。

「生活の事なら心配いらん。ここから、佐助に米を運んで貰うし、いざともなれば、お華が、天秤棒担いで魚でも売ってもらうから」

「え!」

 さすがに、お華は、驚愕の顔になる。

「それに、あの子は寄席にいた子。芸者でも知らない世界ではないはず。それほど障りはないと思うのじゃ」

 お吉は、笑顔で、

「まあ、お華の魚屋はともかく、あの子一人なら、なんとか致します。実は私も、今、一人きりですので、少し有り難いのです」

 やはり、芸者稼業がなくなり、一人で暮らすのは寂しさがあったのだろう。

「もっとも、先の事は、これからゆっくり考えれば良い。ともかく、あの子は、悲惨な思いで育っている子じゃ。女将なら、厳しく、そして優しく育ててくれるのではないかとな。お華はともかく、おみよを見てればよくわかる」

 さすがに、お華は怒った顔で、

「そのお華はともかくっていうのは、なんなの?」

 と、抗議の声を上げる。

「おさよも、時々様子見に行ってくれるっていうから、何かあったらすぐに言ってくれれば良い」

「はい」

「それでは、了解してくれるな。あの子の事よろしく頼む」

 と再び頭を下げる。

 お吉は慌てて、

「若様、もったいないことを、しっかり、娘として育てて参ります」

 嬉しそうに平伏する。

「それじゃ、すぐ、養女の届けを出しておいてくれ。それから、お華、おみよ。今日からお前達の妹じゃ。しっかりたのむぞ」

 おみよは、嬉しそうに頭を下げる。

「で、お華は魚屋の用意もしとけよ」

 という言葉には、大爆笑となった。


 すると、優斎が、

「女将さん。一応、針の抜き取りは終わりましたが、正直、全部なのかどうか分かりません」

 お吉は、真面目な顔で、頷く。

「ですから、しばらくは充分、注意をして欲しいのです。新たな痛みが走るかも知れません。どうか、よろしくお願いします。そして、しばらくは十日に一度は、診療所に連れてきて下さい」

「はい。承知しました」

 お吉が返事をすると、おゆきが起き出したようだ。

 寝ぼけながらと言った様子で、

「お、おかあちゃん……」

 声を上げる、おゆき。

 お吉は、さっそく立ち上がって側に寄り、

「はいはい、おかあちゃんはここにいるよ」

 と、言葉を掛けると、不思議な事に、おゆきは、薄目を開けて、

「おかあちゃん……」

 と嬉しそうな声で、お吉の手を握った。

 皆に笑みが広がった。

 

~つづく~

 子供がテーマでしたので、子供の日に合わせました(笑)

 今回もご覧頂き、誠にありがとうございます。

しかしながら、あまり、お目出度い話とも言えず、誠に申し訳ございません。


 さて、今回は、江戸時代、実際にあった、子供の虐待事件を参考に書いております。

 しかし、書いていて驚いてしまいます。

 今と何も変わらない事に……。


 さて、次回はとうとう、お華の戦いが始まります。

 どうかよろしくお願い申し上げます

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