神性邂逅 015
神性邂逅015
転移した先はサクラメントの中心、聖堂の最奥ともいうべき場所。
尖塔の最上階に設置された祭壇、その頂上には赤銅の聖杯が鎮座していた。
ポータルの礎となった基石の周囲には、ラス・ザ・ラースが結界を張っていたはずだった。
しかし今、そのような障壁は見当たらなかった。
ラースは祭壇に向かって踏み出す。そして顔を上げ、その頂上に立つ男を睨み据えて叫んだ。
「それは貴様が触れていいものではないぞ! M・M・ハッター!」
呼びかけられた男は、黒のタキシードにステッキを携えて、ニヤニヤと笑っている。
軽い癖のある金髪をかきあげ、ずれた丸眼鏡をくいと上げなおす。
芝居がかった所作は、単純な余裕というよりは見るものを虚仮にするための演出だろう。
ラス・ザ・ラースは猛然と前進する。
その単眼からサーチアンカーが放たれるが、ハッターの脇に控えていたフレンチメイドの少女が、飛来した黒杭を素手で弾き飛ばした。ラースは構わず、新たに一振りの骨鋸をストレージから引き出し、二刀を手にして襲い掛かった。
ハッターはそれに改めて構うことなく、興味なさげに言の葉を投げる。
「君の相手は私ではないよ」
詰まった間合いに、横合いから影が飛び出した。
聖堂の床が抜け落ちたかと思われるほどの振動が床を走った。
影は、ぶれた残像を残しながら、黒騎士に向かって肩から衝突していく。
強烈な当身がラースの腹を穿ち、彼の巨躯を、祭壇を昇る中途から弾き飛ばした。
おれはその影の正体に見覚えがあった。
だがそれは、おれの知っている人物とは身に纏う雰囲気があまりにも違いすぎた。
祭壇の下、身を起こしたラースは改めて見上げる。
視線の先には丸いシルエット。猫人の特徴的な耳と尻尾がそよいでいる。
「狼髄院、筆頭書記官──テイ・トワ──!」
ラス・ザ・ラースが叫んだ。
すなわち、この猫人こそが狼髄院の指導者たるプレイヤー、その長にある人物ということだ。
ラースは己の不明を恥じた。それはハッターの悪を見損なったことに対してであった。正臣がハッターと通じていることは知っていた。虚偽虚飾を煮詰めた男からの紹介であったことは、ラースに正臣への警戒を生じさせていた。
一方で、ハッターが正臣の後見をしているという事実が、ラースからハッターへの警戒を薄れさせていた。ハッターを敵に回すべきではない、敵に回したくはないという弱さが、ハッターを味方の陣営に置くことができたという憶測を招いた。
違う、のだ。
ハッターは味方であり、敵なのだ。ハッターにとっての馬は一頭とは限らない。
「あんたもだったのか、テイさん」
おれは祭壇の頂上に立つ猫人に声をかけた。
普段には純白のコック服を常に身に着けていたが、今は翡翠色の長袍に包まれていた。
ひどく哀しげな視線が、おれに向けられた。テイ・トワは応えず視線を曖昧に宙へと遣る。
祭壇の頂上から、真っ直ぐに跳躍したテイ・トワは、眼下のラースに向けて飛び蹴りを見舞う。ラースは咄嗟に雷鳴を発して牽制するが、テイはそれに構わず正面から飛び込んだ。交錯の結果、ラースの巨躯が再び吹き飛ばされる。聖堂の金属質な床を転がりながら、体勢を整えて黒騎士は立ち上がった。
「その衣、雷耐性か──詐欺師から借金して買ってもらったか?」
テイは挑発に構わず、無言のままに距離をつめていく。
ラースは懐に入れまいと、サーチアンカーを連射しながら後方へと飛びずさるが、テイは踏み込みとともに拳を放ち、黒杭を撃墜する。
鋭い踏み込み──すなわち、中国武術における震脚──が起こるたびに、床が波打つような錯覚を催させる振動が走った。間合いは瞬く間に詰まり、ラースの懐に入り込んだテイが一際強烈な震脚とともに、両腕を繰り出して突いた。
『黒曜鎧槍』の胸甲がひび割れ、ラースはたまらずたたらを踏まされた。
その隙を逃さず、テイは自身の肩から背を、敵の体に預けた靠撃を食らわせる。
三度、ラースの巨躯が激しく吹き飛び、聖堂の壁へと打ち付けられた。
おれは付け入る間を見出せず、ただ立っているばかりだ。
テイはそれ以上追撃をすることなく、反対の側に向けて歩みだした。
そちらは丁度、あの干乾びた脊柱がぶら下がる場所、ジヴィエフが終わりなき苦悶に苛まれる場所だった。
「聞いてないぞ、ハッター」
おれは祭壇の上、聖杯に向けて手をかざすハッターに対して問うた。
ハッターは視線を聖杯に向けたままに、おれの言葉に応える。
「何をかね?テイ・トワが君よりも先に、私の駒となっていたことか?」
ちらりと見れば、テイは打ち付けられた杭を抜き、干乾びた脊柱を戒めから放っていた。
「お前が、ここにいることだ。何をしている。どうやって」
「上位技能である『無貌』の能力でしょう」
崩れた壁から立ち上がったラス・ザ・ラースは、その全身鎧を脱ぎ捨てていた。剥がれ落ちた胴部からは白いローブに包まれた華奢な体が覗いている。その四肢には獣じみた黒く巨大な爪が伸びていた。
単眼の仮面は割れ落ちて、ラスの幼く愛らしい面相が露になっている。
「そいつは自身のプレイヤーデータを”見かけ上”改竄できます。大方、私を騙ってセキリュティーを破ったのでしょう。ですが、今までそんなことは無かった」
ハッターは微笑み、ラスの答え合わせを楽しんでいるようだった。
「ベータテスターのプレイヤーデータは、通常のリスト──ダルタニャンの管理するそれ──とは別に登録されているからねえ。どうにも『鑑定』するだけでは私の技能が発動してくれなかったのだ。面倒千万なことに、君の『帰還石』を直接弄って、情報を抜き取らないといけなかったのだよ。ああ──そして今や──このサクラメントの主は私というわけだ」
つまるところ、ウィツィロの雇い主とは狼髄院そのものではなく、その背後にいたM・M・ハッターだということだ。帰還石を奪った目的は、そこに記録されたラスのプレイヤーデータそのもの。
そしてハッターは自身の名を”ラス・ザ・ラース”へと書き換えた。結果、サクラメントを管理するシステムは二重に存在する”ラス・ザ・ラース”に対してエラーを示した。今、この都市とマキナギアは機能不全に陥っている。
「さあ、完成したとも。今、このときをもってラス・ザ・ラース、君は執政官の地位から免職され、私がその後任だ。ああ、正臣、一応君の法務官の権限も外しておくか」
聖杯はマキナギアの聖域を設定するためのコンソールを兼ねている。
ハッターはその内容を己の名義に書き換える作業をしていたのだ。
言い終えぬ内に、ラスの四肢が弾け、前方へと跳ねた。
それは以前に見た雷帝を打ち出す業に匹敵する速度であった。
防御に回されていた装甲を取り外し、機動性に特化させた形態。
だが、その爪はハッターに届くことは無かった。付き従うメイドのエマが立ち塞がったからである。その腕はこれまでに見たことの無い姿をしていた。
色白な肌の色はそのままに、樹齢数千年の巨木の如き太さを備えている。
女性らしい性的な魅力を湛えた肢体に、アンバランスを通り越してグロテスクと表現して差し支えない巨腕が生えていたのである。
「お目汚し失礼します、マスター」
恥じ入るように詫びたエマに、ハッターは鷹揚に答えた。
「とんでもない、お前は私の最高傑作だ」
ラスは緑銀の髪を振り乱し、受け止められた突撃を押し込もうと足掻く。
だが、エマはそれを無慈悲に掴み取ると、玩具を投げ捨てるかのように振り払った。
もはや祭壇はラス・ザ・ラースのものではなかった。
聖堂を守るべきNPCらは、侵入者をそれと認識せず、ラスを異物として排除しようとするだろう。
「それに言ったはずだぞ、ラス・ザ・ラース。君の相手は私ではない、と」
おれは見た。脊柱のあったはずの場所に、それがないことを。
そしてその直下、狼頭の裸婦が、テイ・トワから日本刀と思しい刀を受け取る姿を。
「伏せて、正臣さん!」
ラスの悲痛な叫びが響く。その叫びを、おれの耳が聞いたのはあまりに遅すぎた。
「愛の断頭台」
おれは狼婦の唇の動きから、その言葉を読み取ったのだろう。
滑らかに濡れた毛並みの陰から複数の乳房が見えた。
居合いの構え──放たれる瞬間をおれは見取ることができなかった。
波ひとつ無い、鏡のような湖面が走ってくる。そのイメージがおれの首を撫でた。
視界が宙を舞う。伏せて、というラスの叫びが聞こえる。己の胴が崩れ落ちるのを、おれは見た。
ゆるやかに光の粒子に分解される意識の中で、狂気の閾値を越えて、ラス・ザ・ラースが憤激とともに突貫していった。
そして、おれは死に、ゲヘナへと落ちた。
2017年5月16日22時の投稿分です。
ここから一気にクライマックスに向かいます。




