神性邂逅 007
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神性邂逅007
ラスの庭園で、講義を受けた夜。
おれは独り、聖堂の上層で人を待っていた。
約束があるわけではない。
おれが腰かける祭壇には、マキナギアの聖杯が据えられている。
杯の内を満たす液体は、超自然の光輝を帯びて、祭壇の間を薄明るく照らしていた。
「来ると思っていました」
気配を隠すということを、黒騎士は知らないらしい。
目を上げれば、黒鎧を身に纏ったラス・ザ・ラースが回廊の先から歩み寄って来ていた。
「なぜ我が此処に来ると分かった」
ラースの声音に威圧の色は無い。ただ疑問を満たすための質問だろう。
おれは魔導書を宙空に呼びだすと、そこから紙束を引き出した。
それはラスの講義で渡された技能のリストだ。
「非致死性の苦痛」
おれは呟いて、聖堂の天頂、高き壁に視線を移す。そこには引き抜かれた脊柱が時折痙攣しながら、幾本もの杭によって打ち付けられている。
「詠節を組み合わせることは、通常ならコストを増加させる。だが一部の──例えば組み合わせた詠節の効果を制限する種類のものは──逆にコストを減少させる。ノンリーサルもまた、その一つ。だからあの時、あなたから生命力が漏出することは無かった」
紙束から検索されたノンリーサルに関する紙片を、おれはラースに向けて滑らせる。
「アゴニーは秒間1HPを消費する技能だ。しかしノンリーサルと組み合わせることで、相殺されたコストは0になる。ならば、アゴニーの効果時間を無限に設定できるか?」
答えは否。
「プレイヤーが支払えない数値は設定できない。HPの最大値が、そのまま効果時間の上限となる。通常、プレイヤーのHP初期値は50だ。レベルが1上昇する毎に10上昇する。レベル700のプレイヤーは7050のHPを最低でも持っている計算になる。そのままなら効果時間は最大二時間にも満たない」
ラースの単眼が赤く明滅し、喜色を示す。おれは簡単な計算の解を説明し続ける。
「ラス・ザ・ラースは術理職を二つ修めたプレイヤーだ。加えて、ノンリーサルとアゴニーの修得経路は『拷問吏』の固有技能。どれも頑健にボーナスを持たない職位。残された一つの職位、あるいは上級職位が頑健に特化している可能性もあるが──10000以下のHPで、アゴニーを維持し続けるなら、よほど頻繁に此処を訪れる必要があるはず」
だが、ラスは最低でも半日はおれと行動をともにしていた。何か仕掛けが無ければ、それだけの時間を維持するHPを持てないだろう。
「その秘密が我だと言いたいのだな」
「秘密というほどの大層なものじゃない。アゴニーの更新の際には、ラースが現れる。実際、貴方は来た」
ラースは巨躯を軋ませながら、おれの横に腰掛ける。
「聡い男だ」
「ちょっとした小試験のようなものでしょう?渡された教材から読み取るだけの」
ラースは掌を天井に向けてかかげる。詠唱されたノンリーサルアゴニーが、新たな苦悶を磔にされた者達に注ぎこみ、骨皮が壁を打ち付ける不気味なギグを躍らせた。
遺物級装具『黒曜鎧槍』は、装備した者に外付けのHPを付与するのだろう。確認したおれに、ラースは20万という膨大な数字を提示した。
「それで、何が聞きたい」
「確認したかっただけですよ」
おれは臆する心を押さえつけて、ラースの瞳を見た。術の行使の影響か、彼の仮面には呪術的意匠が充血した眼球の如くに浮かび上がっている。
「あなた達は二重人格ではない」
ラースはこちらを見ない。かかげた腕をゆっくりと下ろし、おれの言葉の先を促している。
「心理学の専門家ではないおれには、正確な表現ができないが……あなた方の人格は深い部分では融け合っていて、互いに都合の良いストーリーを共有している。そして特に、貴方がその手綱を握っているんだ。貴方はラスが主人格であるかのように、おれをミスリードして、いつかは自分が消えると錯覚させようとしているが──」
「そんなことはできない、そう言いたいのだろう」
初めて無双の殺戮者が怯んだ。語気は荒く、見せかけの威圧が体躯から発せられていようとも、確かにラースは怯んでいる。
「貴方に必要なのはおれじゃない。正しい治療だ」
「やめろ、ラスに聞かせたくない」
これは──この『拷問吏』が言葉によって折檻されるという皮肉な光景は──何もおれの粗悪な良心から生まれたわけではない。
かといって、悪心の愉悦を覚えもしなかった。おれはラースを言の刃で以て刺すことに、一欠片も心を躍らせたりはしていない。
ただ純粋に、これは必要な行為なのだ、と確認する。
聖女を誑かし、黒騎士の心を挫き、おれがラス・ザ・ラースを支配することは……ただただシャオ・ルゥの復活、仕えるべき刃の在処へと帰還するための道筋に過ぎないのだと。
「消えられるモノなら!消えている!」
唐突な激昂とともに黒鎧が弾けた。
床に落ちた仮面が滑り、おれの足元に辿り着く。
その先にあったのは四足を地につけて唸りを上げる獣だった。四肢に未だ纏わりつく漆黒と、それを従える華奢な少女の肉体が床を踏みしめる。
ラスでもなく、ラースでもない。
ここに新たに現れたラス・ザ・ラースは荒れ狂う雷鳴の獣。未成熟な女の肢体にアンバランスに生えた巨石の爪牙を振り乱し、白雷が地を打ち波となる。
「いいか、柳生正臣。ラスもラースもそんなことは分かっている。全て分かっている。その上でお前に助けを求めているんだ。死んだ女を生き返らせようとする奇特な男が、一欠片でも同情してくれないかと夢想しているんだよ!!」
演技ではあるまい。ラスという人格も、ラースという人格もあり、それらを統合する第三の人格であるラス・ザ・ラースが萌芽している。
「ああ。おれは君のためにできることをしよう。だが、ラースの代わりにはなれない」
ほとばしる雷光が目を焼く。憤激は持続せず、感情はやがて凪となる。
おれはただ待った。
「私は……パパを殺した」
感情の抜け落ちた声音が、脈絡の無い物語を語り始めた。
彼女の父──その人物は欧州を中心としたゴシックカルトの教祖的な存在だった──そして、ラスは彼から儀式殺人を教唆されてきた。教団の後継者、巫女として。
だが、儀式のそのときに彼女のなかに憤怒が生まれた。荒れ狂う暴威としてラースは振る舞い、主宰する父を刺殺した。
父を殺害した彼女は虞犯未成年として刑務施設に収監された。
数年後、保釈された彼女の身元を引き受けた保護官に連れられ、彼女は今も欧州を転々としているという。
訥々とした語り口とは裏腹に、彼女が語る内容は堰を切ったかのように止めどなく、いつまでも続くかに思われた。おれは呼吸の間に言を挟む。
「半分は嘘だな」
おれの指摘にラス・ザ・ラースが怯む。
「嘘じゃない!」
悲痛な叫びが少女の喉から搾りだされた。
だが、おれはあらかじめ、ハッターから答え合わせを受けている。
「まず君が殺したのは実父だけじゃないし、君は収監以来、ずっとそのまま刑務施設の壁の中だ。欧州に出た以降のくだりは作り話で、実際にはこれまでに施設職員を5人殺している」
彼女が騙る監督官の男は存在せず、同一人物──血のつながりをもった実父──を都合よく解釈して分離した存在だ。
とはいえ、そのような記憶の自己改竄はままあることだ。
「なんで……それを」
「扱いの難しい囚人に対する管理のコスト低減を狙って、DOPEを試験導入した国があると聞かされた。事情通には知れていることらしいな」
言いながら、おれは不穏な違和感を覚えた。
確かにそうだ。ハッターはラス・ザ・ラースとは何者かを知っていた。何故だ?
「おれはそれ以上のことは知らないし、知る必要もないと思う」
おれの言葉の真意を問うように、ラス・ザ・ラースは四肢の緊張を解く。話を聞くつもりがあるらしい。
「仮に君が人殺しでも、おれは今さら驚かない。こんな世の中だから、そういうこともあるだろう。おれには仕えるべき人がいて、彼女を護る使命がある。だから君を護るとは約束できない」
少女は力無く、両の掌を床に投げている。悲望の潰えたことを悟り、その頬に初めて涙が流れた。滴が床を打つよりも先に、おれは手を差し伸べた。
「だが、おれは君の友となれる。互いに助け合える仲間とはなれるはずだ」
逡巡があり、少女はおれの足下の仮面を太い指でつまみあげると、己の顔に改めてあてがった。弾けて散らばった鎧の欠片達が、招請に応えて再び彼女の肢体を閉ざす。
「耳心地の良い言葉だ。だが貴様にそれだけの力はあるまい」
ラースと思しき声音が、仮面を通じて発せられる。歪な獣は姿を消し、再び黒曜の巨人が立ち上がった。
おれは自らの一手が早計であったと悔やんだ。
ラス・ザ・ラースは再び自己の世界に閉じこもり、内在する自身との対話によって世界を測ろうとし始めるだろう。
「ラスは貴様の提案を喜んだ。あれは単純な娘だ。寂しい娘だ。裏切るな」
ラースは壁の脊柱を指さし、一際強く苦悶の力を注いだ。びちゃびちゃと鳴る音は、ややもすると未来のおれの姿かもしれない。
ラースは再び、裏切るな、と告げた。それはあまりにも弱々しい言葉だった。裏切れば殺すとも、裏切れば磔にするとも言わなかった。
おれは、できる限り誠実にあろうとした、つもりだ。
おれは未だ嘘をついていない。己の信義に背いてもいない。誤った一歩を踏み出せば、見る間に汚濁がおれの口腔を犯し、おれは際限ない虚偽と欺瞞の道へと引き込まれるだろう。あるいは、思考の及ばぬ永劫の苦悶か。
おれはラスの騎士にはなれない。分裂する彼女の人格を繋ぎ止める一欠片にも。
ただ友という広義の言葉しか、今は無かった。
「ラスは貴様にサクラメント市の法務官相当の権限を付与した。お前は今後、人事権を除いては、ラスと同等の行政権を行使できる。職権を剥奪されぬ限り、サクラメント市内において、あらゆる罪に問われることも無い」
おれは驚きに顔を上げた。
「貴様はあの詐欺師の尖兵なのだろう。もしも我がラス・ザ・ラースではなく──ただのラースだったなら──一瞬の逡巡もなく貴様を断罪していた。だが弱々しい女の琴線は貴様の甘い言葉に揺さぶられた。全く不愉快なことだが受け入れざるを得ない」
黒騎士は顔を背け、その仮面に浮かぶ悲喜の情を読むことはできない。
「謹んで拝命する」
おれは捩じれた信頼を勝ち得た。
「そうと決まればお前をさっさと使い物になるようにせねばなるまい。無力な法務官殿が誘拐でもされたら一大事だ」
振り向いたラス・ザ・ラースからは、機械じみた騎士のそれと、無垢な少女のものが重なったノイズが奏でられた。
「強くなってもらわないと!」
2017年5月12日22時の投稿分です。




