神性邂逅 002
神性邂逅 002
空の青さが重かった。
アルクヘイムの港を出発したクルーザーは、波の上を滑るかのように静かに進んでいく。
「頭をあげたまえよ、正臣君。それほどへりくだる必要は無い。我々はすでに同じ舟に乗った仲間じゃないか」
瀟洒な装飾を敷かれた甲板上には、おれ、ハッター、エマの三名しかいない。
クルーザーの調理室ではハッターが個人的に雇用した「天龍房」元・オーナーであるテイ・トワが腕を振るっているはずだが、彼はほとんど表に姿を出さない。
ただハッターを飽きさせないだけの菓子や飲料、点心からフルコースの食膳に至るまで、船上とは思えぬ飽食が運ばれてくる。
そもそもおれ達が、アルクヘイムを離脱して東の海路へと進むのにはわけがある。
アルクヘイム市場通りにおいて発生した爆破テロ事件。それは、その後に市中全体で起こった暴徒による略奪と合わせて人々に記憶されていた。
構造物の倒壊による事故を利用したPKは一般的ではない。
事故を起こしたことが証明されれば、NPCの警察機構によって追われることになるからだ。
中核都市の多くは都市国家に属し、そこでは特別に高い柔軟性を持つNPCが、王族であったり執政官として行政長の職務を司っている。
そして中核都市での破壊行為はPK行為とは違い不可能ではないものの、程度に応じた処罰を受ける。アルクヘイムであれば世襲制の執政官が存在し、今回の爆破事件は行政府に対する挑戦であるという声明さえ出された。
当然ながら市中の施設利用は不可能になるし、NPCに発見されれば追討もされる。当局に身柄を拘束されれば自害に対して妨害処理を施された上で、長期の拘留の後に処刑となるだろう。
市中の混乱が収まった後、探偵の職位を持ったプレイヤーが集まって現場検証が行われ、爆発物から製作者の身元が割れた。
ダイナマイトを製作したカダベルは、現在、事件の主犯として指名手配中だ。アルクヘイムが属する協商都市連合の域内では、彼には3000万LCの賞金が懸けられている。
幸いながら、おれとシャオに対しては一切の嫌疑がかけられていない。もっともそれも被害を受けた、とされる茶会派からの届けが無いためなのだが。
ビーチチェアに寝そべるハッターは溜息を一つ吐き出した。
「カダベルなら心配いらんよ、私のシェルターで悠々自適の研究三昧だ。懸賞金の期限が切れたら合流するとも。それよりだね、シャオ嬢が不在となった経緯について詳しく説明してくれたまえ」
おれは記憶を反芻する。苦々しく、未だに理解し切れない部分もある。
一方、シャオはダルタニャンの説明に対して、ほぼ完全に納得していた様子だった。
「あの襲撃の日、アルクヘイムを離脱したおれ達の前にダルタニャンが現れた」
ハッターの表情が変わる。彼は眉間に皺を寄せ、眼差しを厳しくした。
ダルタニャンの名が出たことが、彼にとっては意外であったらしい。
「管理AI、しかもプレイヤーデータを管轄する黒猫が動いただと?まさかとは思うが、シャオ嬢はすでに削除されたのではあるまいね?」
超然とした態度を崩さなかった男が、今までにない早口でまくし立てた。
おれは頭を振ってそれを否定する。
「ダルタニャンは、シャオのインフォモーフAIに綻びが起こりかけていることを示したんだ。相互補完する対象となる標準人格の不在、そんなことを言っていた。放置すればシャオの人格崩壊が起こることを指摘して、あの猫はシャオを連れてどこかへ去った。シャオは自覚があるらしかったよ」
ふうむ、とハッターは顎に手をやって思案顔をしてみせる。
おそらくだが、と前置きして彼は仮説を提示した。
「ダルタニャンはプレイヤーの利益を保護することを倫理フローによって要求されている。それに沿えば、不当な拘束は彼の倫理規定に反する行為だ。三原則は強力にAIの行動を規定するからね。おそらくはシャオ嬢のimAIの崩壊を防ぐ、などといった名目で拘束したのだろう」
いずれにせよ、やることは変わるまい、とハッターは言い、おれに空のグラスを寄越した。
エマが透き通った青いカクテルを、おれとハッターのグラスに注ぎ入れる。
確かにそうだ。
おれがやるべきことはシャオの現実への帰還の道筋をつけること。
そのための方法としてDOPE内に用意された「システム追加」という報酬を獲得する。
シャオのimAI情報を現実世界で解析することができれば、人格の保存は難しくないはずだ。
凪いだ海面は暗く、見る者を虚無感に呑み込むような凄みがあった。
人工的な、毒々しいブルーハワイアンの青さは、ある種の楽観をおれに芽生えさせる。
「上手くいくとも。私が投資して失敗したケースなど一度たりとも無いのだから」
空虚な言葉だ。
ハッターという男の言葉には実と呼べるものが何一つ無い。
しかし、おれはハッターの掲げたグラスに向けて、自分のグラスを合わせる。
「乾杯」
虚実を見抜こうと足掻くことを、おれは止めた。獲物に深淵を覗き込ませ、その泥濘に嵌まり込ませることこそ、ペテン師のやり口だ。
おれは断固とした口調で宣言した。
「最短だ」
噛みつくように言葉を吐き、カクテルを呷ると、グラスを甲板に叩きつけた。
上質のガラスは粉々に砕け、霜のように敷かれた木目を汚した。
驚きの表情を浮かべるハッターに向けて、おれは繰り返す。
「最短で道を敷け。必ず走り切る」
ハッターはすでに顔色を取り戻していた。不敵な笑いを浮かべながら、彼もまたグラスの中味を呷る。
「よかろう。M・M・ハッターの名において君の進むべき道を敷いてやる。だが、善の者にあるまじき没義道の謗りは免れんぞ」
おれはハッターの射抜くような視線を受け止め、爛々と目に力を込めて見返した。
悪魔との契約に等しいやり取りを、澄んだ空の青が見ていた。淀んだ星屑の海が見ていた。
そして、舞台は海を越える。
アルクヘイムの東海の先──断崖にそびえる鋼鉄の胸壁。
聖堂都市サクラメントへと、船は航路をとった。
2017年5月10日、20時の投稿分です。




