神性邂逅 プロローグ
DOPE第三章「神性邂逅」全22話、投稿を開始しました。
第三章 神性邂逅
プロローグ
おれは叫んでいた。おれの喉からほとばしったはずの声音は、奇妙なことに、口腔を撫で、唇から滑り落ちたところで掠れて消えていった。
暗黒の上に敷かれた滑らかな舞台には、蛍光線の格子が走り、その先には星々が青ざめて沈黙していた。
伸ばした手は虚空を切っている。吐血の想いは届くことなく掻き消える。
彼女は振り向かない。
(シャオ!)
§
天龍房は燃え落ちる。炎は益々強くその手を広げながら、壁を撫で床を舐めて、目につくものを尽く焼いてみせた。
飴細工のように曲がった鉄筋が、幽体化したおれとシャオを貫通し、遥か下方の奈落へと落ちて行った。破壊の坩堝で混ぜ合わされた音が木霊し、おれ達を引きずり込もうと恨めしく響いた。
「あちゃー、これはまた随分派手にやったにゃん」
空中に浮遊し、互いをきつく抱擁するおれ達の前に、その猫は現れた。
唐突に現れた、燕尾服の黒猫──DOPE、そのログインゲートを管轄する管理AIであるダルタニャン──は、おれとシャオを自らの領域へと強制的に転移させた。
「ん、あそこじゃ落ち着いて話もできんにゃ」
黒猫はおれ達を暗黒のただ中に立たせたまま、一方的に喋り始めた。
滔々と語られる内容に、シャオは沈黙で以て答えていた。
おれは彼女のその佇まいが、不気味でならなかった。
おれには理解しきれぬ言葉が猫の口から流れ出るたびに、愛する女が死んでいるという事実が幾度となく立ち上がってくる。
「つまりにゃ、このままだとシャオの人格はシャオじゃない何かにすり替わるにゃ」
真向いから恒星が昇り、シャオの身体を照らしていた。完全な曲線が、橙のコントラストに映し取られていた。凄まじい勢いで流れる星々は、一瞬の間にその姿を変え、あるいは尾を引いて消えていく。
それは人の命のメタファーのようだ、とおれは感じ──今、そう感じている感覚が、この過剰なまでに克明に描き出されたDOPE上の存在であるということを思い出した。
メタファーなのはおれ達の方だ、と自嘲的な笑いを浮かべる。おれはまだ、このとき慢心していたのだろう。シャオがおれの隣にいるという仮初めの現実に。
「でにゃー、とりあえずシャオには管理AIとしての権限を付与して、一時保護させてもらうにゃ。このまま過ごしてると──すでに危ないんにゃけど──imAIの崩壊リスクは高まるばかりにゃ」
俯いたおれの視界の端で、影が揺れた。おれは思わず顔を上げる。
「行くな!」
すでにシャオは踏み出していた。
「おれが何とかする、必ずお前を!」
シャオは足を止めぬままに、進み続けた。
「知道(わかっている)」
呟くように絞り出された声は震えていた。
おれの声はそれ以上、彼女に届くことはなかった。何かの膜が張られていたのか、淡い緑に光る格子線の境界から先には、彼方と此方の断絶が横たわっていた。
宇宙を模した空間よりも尚昏い、黒を黒く染め抜いた穴へとシャオは消えていった。
残されたのは無力な男だった。
おれは一振りの刀だった。
柳生の家で、あの夏の日にシャオと出会ってから、ずっと。
「マサオミには悪いけどにゃ、今の状態もロジャー条約すれすれにゃ。わかってにゃ?」
膝を付いたおれの頭上から、人心を慮ることのない機械の声音が注がれた。だが、そこにはどこか安心したような色が紛れ込んでいるとおれは感じた。
「必ずシャオを取り戻すぞ」
おれはダルタニャンに向けて宣言した。
「どうやってにゃ。そりゃ任意の端末へのダウンロードプログラムをDOPEに追加するというマサオミの案は悪くはにゃいけども……それは本当にシャオにゃ?」
一瞬で血が沸騰した。おれは長く覚えたことのない激昂を感じ、猫の身体に向けて拳を振り抜いた。
ダルタニャンはくるりと宙返りを決めて、何事も無かったかのようにその場に立っていた。
「DOPEの管理会社から直接シャオのデータを取引してもいい。それが叶わないなら、おれが直接サーバーを強奪させてもらう」
おれの言葉に、猫は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「それは無理筋にゃー、DOPEのアジアサーバーは向こう30年は誰も手を出せないにゃ。サハリンデータセンターはじきにカムチャッカ海溝の底に沈み込むはずにゃ」
ダルタニャンの言葉に、今度はおれが押し黙る番だった。
「海水冷却式のバイオコンピューターにゃ。メンテナンスは30年ごと。陸地が核戦争で埋没しようが関係ないのにゃー」
自慢げに笑う猫は、シャオが消えたのと同じ虚空を開き去ろうとする。
去り際に、猫は不意に真顔に戻って呟いた。
「とはいえ、にゃー以外の管理者は、面白いものが見たいらしいにゃ……刹那的快楽主義者の巣窟であるこのチームでは当然だが。マサオミが『権利』を握ったら、また話を聞いてやるにゃん」
おれは歯を噛みしめて耐えた。屈辱と己の無力感、それらへの怒りを空費せぬように。人が未だ定命のものに過ぎず、それを風が吹くように連れ去っていこうとする「運命」というものに対して抗うことを心に刻んだ。
猫が消え、世界が消え、己の仮想肉体が光の粒子に分解されてもまだ、おれの脳裏には焼き付いて離れぬ光景がある。
曙光を浴びて美しく輝いた女の黒髪を。死してなお強くあるその意思に、必ず報いることを。
2017年5月9日22時投稿です。
23時から第1話を投稿します。




