23. 約束
グレイは数秒の間、動かなかった。
「あの……グレイ?」
私が控えめに問いかけると、やっと意識を取り戻したみたいで、ハッとして起き上がる。
「あっ……お、終わったのか?」
グレイはちらりとこちらを眺め……その耳がへにょりと垂れた。
「……!!?!?!?」
もしかして、グレイ、終わったことを残念に思っている?
私は信じられない気持ちでそのお耳の様子を見ながら、「腕が疲れてしまって……本当ならもっともっと撫でたいんですけど!グレイ、今日はありがとうございました!」と言ってガバリと頭を下げた。
「……手にとか、それ以外の場所に違和感はないか?」
グレイが静かに呟いた。
「え?いえ全く」
私が自分の指先を見ながら答えると、グレイはほっとしたように深く息を吐いた。
「私はまだまだしなくちゃいけない仕事が山積みなので!毒なんかにやられてる暇ありません!」
私が力こぶを作ると、グレイはニコリと笑って「出た、そのポーズ」とソファに倒れ込んだ。
「あ、すみません、ただでさえお疲れなのに、さらに疲れさせてしまって」
私が言うと、グレイはソファの上のクッションに顔を押し当てた。その尻尾はゆらゆら揺れている。
「いや……別に……むしろリラックスできた。こちらこそ感謝する。変なことをさせてしまってすまない。嫌じゃなかったか?」
「えっ???何故そのようなことを?私は進んで……」
言いかけて、この世界には動物を愛でるという文化がないのだったということを思い出す。難しいな。
「全く嫌じゃなかったです!!!私が好きで全部したことです!!!」
私は言い切ると、話題転換に、と探した際に目についた、グレイの机の上に置いた真っ赤なポーションの瓶を手に取った。
「私せいでお待たせしてしまってすみません。これ蓋取って置いておきますね。どこがいいですか?」
「ああ……なら今くれ」
瓶をちゃぽちゃぽ左右に揺らしながらグレイに見せたら、グレイがあ、と口を開けた。
触る前より距離感近いよな、なんだか気を許してくれたのかな?と思いながら近づいていく。グレイは思ったよりも甘えたさんかもしれない。
「これ全部一気に流し込んで大丈夫ですか?」
「ああ」
「分かりました」
そっと瓶を傾けて、グレイの口の中にポーションを流し込む。
「うっ……ぐぅ……」
苦いのだろうか。グレイは顔を歪めると、首を左右に振って苦しみ始めた。
私はそれを心配しながら見守る。
マリス、ポーション作りを失敗してたりなんかしてないよね?あれ?そういえばこのポーション飲むとどうなるんだっけ?確か……人に……。
考えている私の前で、グレイの身体が変化し始めた。
その身体からみるみる毛が引っ込んでいき、人肌が姿を現す。
マズルがついている顔も、どんどん骨格が変わっていき、スラリと筋の通った鼻筋が現れた。そしてその顔を、頭頂部から伸びてきた、美しい滑らかな銀髪が覆い隠していく。
丸まっている為、少し見える臀部からは、フサフサの尻尾が生えたままだ……
「ってちょっと待って!」
私は慌ててグレイに背を向けた。
「グレイそのままだと裸じゃないですか!」
「え?……ああ……まあ」
はあと変身を終えただろうグレイがため息をついてペタペタと歩く音が聞こえてくる。
そして棚開ける音に、布ずれの音。
「もう服着たぞ」
しばらくしたあとに聞こえた、やや間延びしたグレイの声にバッと振り向く。
「グレイ!いいですか、あなたは見た目がとてもいいんですから、突然全裸になるようなことはしないで……くださ……〜〜ッまあ私が言えたことではありませんが!」
相変わらず本当この世の生物か疑ってしまいそうになる美貌の持ち主前に説教を始めたはいいものの、その張本人に、狼のときの姿とはいえ、撫でまわしたり匂いをフンスカ嗅いでしまったのは他でもない自分である。
人の姿に戻ったグレイを見てしまい、改めてその実感が強くなり、つい言い淀んでしまった。顔がまた真っ赤に染まってしまったのが分かる。
一方、私に叱られたグレイは何食わぬ顔で肩をすくめた。
「いくら俺の全裸をみたとしても、襲ってくるような人はティアだけだろうな」
グレイが笑いながら揶揄ってくる。
「他の奴らは毒を警戒して襲いたくても襲えないし、きても俺が返り討ちにするだけだ」
グレイは机の上のコップから水をゴクリと飲んだ。
「あの、いつもポーションを届けてくれる女性……マリスだっけ、いるだろう。その人なんて、ポーション届けるときノックもせずにサッとドアの隙間から手だけ入れてポーション置いていくくらいなんだぞ」
「ええ!?そんな失礼なことを!?」
私は顔を歪めた。
「いつもは大体昼くらいに置きにくるから、今日は忘れられでもしたかと思ってた」
「あの女〜!!!」
怒りが爆発しそうになるのと必死で堪える。今の私、般若のような顔をしてるんじゃないだろうか。
恐らくマリスは私にグレイの狼姿を目撃させ、怖がらせるためにわざと詳細は伝えず、更に夜の時間を指定して向かわせたのだ。私にもだし、グレイにも大変失礼な女である!
怒りでフンガフンガ鼻を鳴らしている私を、グレイは愉快そうに見ている。
「もしティアさえ良ければ、今度からは君がポーションを届けにきてくれないか?」
グレイは首をこてんと傾げるとお願いしてきた。
「もちろん大丈夫ですけど……」
いいのだろうか、と思っていたら、グレイが小声で呟いた。
「そしたら狼姿の俺を好きなだけ触って行っていいぞ」
「やります!やらせてください!」
ビッと勢いよく挙手した私を見てグレイは「ん」と満足そうに頷いた。
「そういえば、狼の姿になってしまうのは、どういうタイミングなんですか?」
私が聞くとグレイは上を指差した。
「満月の夜だな。その日は俺の中の……魔物の魔力が強くなってしまうみたいで、変身してしまう」
狼男みたいな感じなのか。と頷く。
「月1かあ……」
あっと思ったときにはもう遅かった。ぽろりと秘めとかなければいけない感想がこぼれ落ちてしまっていた。
「あっ、ご、ごめんなさい!グレイにとっては変身なんてない方がいいのに……」
「気にしなくていい。もしかしてもっと触りたいのか?」
グレイが首を傾げた。図星である。
私が困って目線を彷徨わせていると、グレイは目をそっと細めた。
「……もし、ティアに抵抗がなければ、だが。好きにこの部屋に来るといい。この時間は大体ここにいるからな。……人の姿のままでもいいなら、耳と尻尾を触ってくれても構わない」
「えっ」
確かに狼の姿のグレイに対しては我を忘れて思いっきり撫で回してしまったかもしれない。
でもこの先もモフモフできると分かっている状態で、流石に人型のときにまで付き合ってもらうほど飢えてはいない。そう思い、断ろうと口を開いた。
しかし提案をしてきた張本人のグレイの顔が真っ赤に染まっていくのと、尻尾がふるふる小刻みに震えているのを見て即座に答えを変える。
「来ます!!!」
「ッ、そうか。なら次くるときはお茶でも用意しよう」
グレイの尻尾がふるふると振られた。
え!?か、可愛すぎる……!可愛すぎる〜!!!
私はにやける表情を隠すために慌てて口を手で覆った。




