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ロストユースに青を知る  作者: 志結
第五章
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第四十八話《ツミ》


「こちらも納期があるので、延ばせるにしても一週間が限界ですよ」

「……はい……すんまんせん……」


レコード会社との打ち合わせで、伶はバツが悪そうに頭を下げていた。

新曲の締め切りに間に合わず、納期の延期を申し出ていたのだ。


喫煙所に移動し煙草に火を点け、大きく息を吐き出しながら天を仰ぐ。

今まで感じたことのない、静かな世界の感覚。



──今朝起きた時のことだ。

違和感を感じて、すぐに気が付いた。

──音楽が流れていない。

生まれてからずっと脳内で流れていたその音は、突如プツンと途絶えてしまっていた。

慣れない沈黙の中で、これが普通の人が感じている感覚なのかと、戸惑いが消えなかった。

音の無い世界とは、こんなにも心細く、不安に煽られるものなのか、と──。

いつしか伶にとってのそれは、迷惑な雑音だと煩わしく思っていたそれは、子守唄のように寄り添ってくれるような存在だったのだ。


もう一度深く煙を吐き出して、沈黙に耳を傾ける。

煙を吐き出す音、灰を落とす音、動く度に服が擦れる音。

なんでもない小さな音さえ、こんなにハッキリ聴こえるものなのかと、新鮮だった。


『これで聞こえるようになっただろ。俺の声』


沈黙を打ち破る声がして、心臓を掴まれたような感覚がする。

恐る恐る視線をズラすと、目の前に白い影が浮かんでいた。

──誰だ、と聞かなくても分かる。

その姿は、紛れもなく、子供の自分の姿そのものだったのだから──。


『誰の名前を背負ってんのか、なんの為に曲作ってんのか、忘れたのか?』


──忘れてなんかいない。

そう反論しようとして、彼の言っていることが、何も間違っていないことに気付く。

親友の為に作っていた筈の曲は、いつの間にか目前の数字を獲る為だけの道具と成り果てていた。

手段と目的が入れ替わり、卑しい欲を満たす為だけに、自分の魂を売り渡してしまっていたのだ。


今の自分の姿を見たら、零はなんと言うだろう。

零が嘆いた、あの時大人になりたくないと零した、まさにその姿になっている自分を見て──。

絶望し、軽蔑し、憎むに違いない。

そんな今の姿を、この罪を、昔の自分が赦せる筈が無い。


「……悪かった……。もう、辞める……。こんなこと、終わりにするから……」


そう口にしてみると、体からすうっと力が抜けていくような感覚だった。

どうせ今のままでは、もう曲を作ることもできない。

間違った盗作紛いの手段はもう使うことができず、今まで頼り切ってきた、脳内を流れる音楽も止まってしまった。


詰み、だ──。


ここまでかと、伶は迷うことなく、この道を諦めることを選んだ。


しかし彼は、この後に及んで、こんなことを考えていた。


(なんで……零じゃないんだ……)


目の前に浮かぶ、白い影。

怪奇現象と名付けるには、強引すぎる幻。

こんな思考が透ければ、より軽蔑されるのは分かっている。

それでも、思わずにはいられなかった。


どうせ化けて出るなら、なんで、と──。


──理由は分かっている。

自分に、そんな資格は無いからだ。

零に合わせる顔も無ければ、零が自らに会いに来てくれる筈も無い。

それだけ、赦されないことをしたのだから──。


ゆらゆらと狼煙を上げる煙草の煙が、彼に罰を与えていく。

禁忌を破り、玉手箱を開けてしまった、浦島太郎のように──。



「やっ。お疲れ」


そう言って喫煙所に入ってきたのは、燈のリーダーである燈夜だった。

意外な人物の登場に、伶は気怠げに尋ねる。


「……吸うんでしたっけ?」

「たまにね。一本もらえる?」


隣で掌を出す燈夜を怪訝に思いながらも、伶は何も言わずに煙草を手渡した。

燈夜が日常的に煙草を吸っているところは、見たことがない。

きっと気を遣わせてしまったんだろうと、やるせない気分になった。


「新曲、行き詰まってるんだって?」

「……あー、俺もう辞めるんすよ」


そんな燈夜の気遣いすらも今は面倒になって、伶は会話を終わらせるように言い放った。


「……どうしたんだよ突然。そりゃあ煮詰まってりゃ、そんな気分になるのは分かるけどさ」


一時の気の迷いのような言い方をされて、反論しなければと気が焦る。

──目の前で、れんが見ている。

かつての自分に監視されて、人質を取られている気持ちになって、慎重に言葉を選ぶ。

ここで間違えたら、本当に後がない。

その影に向かって言い訳を連ねるように、自分に言い聞かせるように、一人ボソボソと呟いた。


「こんなことやったって、なんの意味もなかったんだ……。そこそこ売れて、世間に認められて、それに浮かれて、本当の目的を見失ってたんだ……。俺はたった一人の為に、あいつの為に、曲を書いてた筈だったのに……」


一度口にしたら、堰を切ったように、言葉がどんどん溢れ出て行く。

まるで体内の毒を、内臓が押し出そうとするように、暴れ出すそれは、自分の意志では止められない。


「死んだ人間に向けて、曲を書いてたんだ……。そんなものを世に放って愛されたって、なんの意味もない……。誰にも認めさせない。称賛も批判もいらない、そんなものさせない。俺とあいつだけの音楽にしなきゃ……。あいつだけの為に、曲を作らなきゃ……」


ボソボソと小さく呟く伶の言葉を、燈夜は遮ることなく黙って聞いていた。

そして最後まで吐き出した伶が、肩で息をするのを待って、呆気に取られたように言った。


「……俺と同じだ」

「……は?」


まさかの燈夜の言葉に、伶は耳を疑った。

あんたみたいな人間が、俺なんかと同じ筈が無いだろう、と──。


「俺もそうなんだ。死んだ人間に捧げる歌を書き続けてる。一方的な手紙みたいにさ。返事なんか来やしないのに、懲りずにずっと。それでも、この想いを形にせずにはいられないんだ」


昔を懐かしむように、その手紙の送り主を想うように、燈夜は優しく微笑んで、遠くを見た。


『燈夜くん』


愛おしそうに名前を呼ぶ、一人の幼い少女。

今でも鮮明に、その笑顔は心に棲みついている。


「俺達のことを何も知らない人達が、その曲を聴いて、分かったように評価されて、時には称賛も批判も、しっくり来ないことだってある。何が欲しくて、こんなこと続けてるんだろうって。でも、曲を作ること自体が、俺が手にしたいものだったんだ。二度と会えないその子と会話をするように、一緒に過ごせたかもしれない今日の出来事を、日記にしたためるみたいにさ。また明日って言って手を振るみたいに、そんなふうに曲を作ってる」


もう会えないからこそ、二度と取り戻すことのできない尊い時間だからこそ、その思い出はいつまでも輝き続けている。

そして、それを風化させない為に、彼らはその想いを音楽にして、奏で続けているのだ。


「だから、それでいいんじゃないかなぁ。人の数だけ物語があって、聴いた人が、自分の人生に当て嵌めて感情移入してくれたり、時には勇気を与えて、背中を押すこともできる。俺と彼女とで作り上げたもので、誰かの人生の灯を照らすことができるんだ。それってきっと、素敵なことだと思うから」

「……」


燈夜の話を、伶は黙って聞いていた。

同じ作曲家として、こんなふうに誰かの創作についての話を聞くのは初めてだった。

燈夜の言った通り、人の数だけ物語がある。

そんな彼らの物語も、いつか知ることができるだろうか──。


「ごめんね、これは完全に俺の話だから、伶の思う創作と、同じとは言えないかもしれないけど。でもおまえの音楽、俺は好きだよ」


その特定の誰かを想う言葉から、今度はちゃんと、伶に向けて言葉を投げかける。

自ら演奏も手がけるバンドの曲と違って、伶の打ち込み特有の音楽は、燈夜からすると、とても新鮮で魅力的だった。


「何か力になれることがあったら、いつでも言って。作曲家同士、何かヒントになるものを、渡せることもあるかもしれないからさ」

「……はい……」


牙を抜かれた獣のように、伶は力無く項垂れた。

失礼な態度を取ったにも関わらず、真剣に話をしてくれた燈夜に対して、自分が恥ずかしくなった。


そうしてまた、自分の罪をひとつ、またひとつと増やしていく──。


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