第四十七話《マリオネット》
呆然としながらも、なんとか曖昧な相槌で雑誌のインタビューを終えた美生は、事務所の応接室で一人座っていた。
眼鏡を外すと、目の前の世界がぼやけて見えなくなる。
あの幽霊からの視線に耐えられず、あえて視力の悪い状態でいると、少しだけホッとした。
見えていないくらいの方が、丁度いい。
このまま誰かに目を塞がれて、何も見えないまま一日を終えたい。
いっそ、目玉を潰してくれても構わない。
子供の自分の姿も、自分の犯した罪も、見たくないもの全てから、目を逸らしていたかった。
スマホの通知音が鳴って、ファンからのブログのコメントが届く。
【MIOちゃんお疲れ様! いつも一生懸命頑張ってて、MIOちゃんは本当にいい子だね!】
「……」
──いつもなら、救いになるファンの声。
美生を選んでくれた人の、称賛と、憧憬と、何よりも心の支えになっていた筈の声。
今は、悪魔の囁きのように聞こえる。
美生は思わず、スマホを床に投げつけた。
(なんにも知らないくせに……! 本当の美生のことなんか、なんにも知らないくせに……知ったような口利かないで!)
──矛盾している。
本当の自分のことを知られてしまったら、という恐怖と、本当の自分のことを知りもしないくせに、という、無条件に肯定されてしまうことへの憤り。
美生の人生は、大抵こうだった。
欲しい時に欲しいものは与えられないくせに、欲しくない時には、決まってそれを与えられてしまう。
その度に自分の価値観が歪められて、どんどん分からなくなってしまう。
そんな人生に、そんな自分に、嫌気が差して、疲れ果てる──。
「お疲れ様です。……あれ、珍しいですね、美生さんが眼鏡してるの。いつもコンタクトだから、初めて見ました」
応接室に入ってきた惇に話しかけられても、ぼやけた視界のせいか、はっきりその声は聞き取れず、何も反応しないまま黙り込む。
無視されることは日常的にあっても、こんな魂の抜けたような美生を見るのは、初めてだった。
「お疲れの様子ですから、送って行きますよ。今車を用意して……」
そう言って部屋を出ようとする惇の袖を、美生は反射的に掴んだ。
丁度そのタイミングで応接室の扉が開き、秘書の幸が現れる。
「……帰りたくない……」
目に涙を浮かべながら弱々しく呟く美生の姿に、驚いた惇と幸は顔を見合わせる。
「え」
「……え?」
修羅場だと誤解されてもおかしくないその状況に、幸は惇の首根っこを掴んで、美生から強引に引き剥がした。
「ちょっと、これどういう状況なんですか!?」
「いや、こっちが聞きたいよ!」
部屋の片隅で、美生から隠れてヒソヒソ話をする二人。
普段から惇を敵対視している幸は、先走って軽蔑の目を向けた。
「まさかあなた、頼人さんから預かってる大切な自社アイドルに、手を出したんじゃないでしょうね!?」
「誤解だよ! そんなことするわけないじゃないか!」
「じゃあなんなんですかこの状況! ほら、美生さん目に涙浮かべてますよ!」
「それを今から聞くところだったんだよ! あーもう、こうなったら君も一緒に付き合ってもらうから!」
「ちょっと、恋仲の男女の問題に巻き込まないでもらえますか!?」
「だから、そーゆーんじゃないんだって! いいから座って!」
殺伐とした空気の中、まるでコントのようなテンポのいい会話が繰り広げられる。
しかしそんなのお構い無しというように、涙を堪えている美生の様子を見て、二人は神妙な面持ちで対面に座った。
「……えっと、なんで家に帰りたくないの? いつもだったら、俺の送迎なんか関係無しに、仕事が終わったらすぐ直帰するのに」
「……家に……居たくない……」
「……え……あぁ、美生さんの家って、確か実家だよね。ご家族と何かあったの?」
惇の問いに、美生は沈黙したまま、手で顔を覆った。
そして遂に堪えきれなくなった涙が、目からポロポロと溢れ出し、自分を責めるように呟く。
「美生が悪いの……。美生が、悪い子だから……」
顔を覆う美生の手首に巻かれている包帯を見て、幸はまさかと思い、その腕をそうっと掴んだ。
「ちょっと失礼します」
そう言って優しく丁寧に包帯を解くと、痛々しい裂け目と、赤く膨れ上がった皮膚が顔を覗かせた。
「これって……!」
痛々しい光景に、惇は驚いて声を上げた。
それとは対照的に冷静な表情の幸は、それがリストカットの跡であることを知っていた。
彼女も数年前、その経験があったからだ。
俳優業に失敗し、絶望に暮れていた当時、本気で死を考え地獄の日々を過ごした過去があった。
「これ、もしかして家族にやられたの? なんて酷い……」
「惇」
諭すような幸の言葉に、惇は全てを察したのか、気まずそうに狼狽えた。
「だって……そんな……」
そんなことをする人がいることを、受け入れられないというように、惇はどうしていいか分からず黙り込んだ。
「……美生……もう生きていけない……。こんな大人になりたくなかった……。なのに……自分を騙して……ファンを騙して……もうファンの人に顔向けできない……」
自らの罪を懺悔するように、美生は震えながら言葉を吐き出していく。
壊れる寸前のその心を救うことは、決して容易なことではないだろう。
「それは、最近ブルバのみなさんの様子がおかしいことと、何か関係があるんですか?」
鋭い幸の問いに、美生は黙り込むしかなかった。
様子がおかしいのは、美生だけではない。
あの日から皆、明らかに普通ではないのだ。
「頼人さんも、島から帰って来てから陽七星さんの様子がおかしくて、頼人さんの家でケアをしていると言っていました。勇為さんもいつもと違うし、海さんと伶さんと織さんも、ずっと何かに怯えたような顔をしているんです。あの島で何があったのか、話してもらえませんか?」
幸の声に、美生が初めて目に光を浮かべた。
話したところで、容易に解決できるような問題ではないだろう。
それでも、これ以上一人で抱えていられなかった。
怖い、苦しい、早くラクになりたい、誰かに助けを求めたい──。
生まれながらに末っ子体質の美生には、正面に座る二人が、兄と姉のように思えた。
実際、実の兄姉は、悩み相談ができるような関係性では無かったのだが。
「……実は……っ!」
話そうと意を決して顔を上げると、その途端、二人の背後に白い影が浮かび上がった。
『ダメ』
幼い姿の自分が、美生をキッと睨む。
『ダメだよ。一人だけラクになるなんて、赦さない』
憎しみを込めたその眼差しに、ガクガクと体が震え出した。
──あぁ、早く、誰か。
美生の目を、塞いでいて。
手足に糸を垂らして、操り人形のように、全ての自由を奪って──
「……ちっ……違うのっ! ラクになりたいなんて思ってない! だから……どうか赦して……!」
突然叫んで取り乱す美生の姿を、二人は唖然として見つめることしかできなかった。
それはまるで、神を前にして膝を折って赦しを請うような、懺悔そのものであった。




