瞳の奴隷 ②
その日の帰り道。まざまざと殺人現場を目の当たりにしたせいもあって、私達の足取りはひどく重かった。
「大丈夫? ノエル。だいぶ疲れてるっぽいけど」
「うん……ちょっと、大丈夫とは言えないわね」
付き添う為に部活を休んでくれたポーラに、私は素直に首を横に振る。
ベイカーさんを始めとする警察の方々が現場に到着してからは、それなりに私達も大変だった。第一目撃者ではないけれど、あの時間帯に現場付近を出歩いていた数少ない人間だったため、結構な質問攻めにあう事となったからだ。もっとも、レイチェルさんほどではなかったけれど。
「そういえば、レイチェルさん……だったよね。彼女も大丈夫だったのかしら」
警察に同行した彼女の事を思い出し、ぽつりとそう呟いた私に、ポーラは軽く苦笑いした。
「今は他の人の事より、自分の事を心配しなよ。でも、確かに気にはなるけどね。なんせ今、一番疑われてるのはあの子なんだろうから」
そう――現場、最も犯人の嫌疑が濃くかかっているのはレイチェルさんなのだ。なにせ彼女には全くアリバイがなかった。他に誰も目撃者がなく、時間帯と早朝の濃霧のためか、他に不審者らしき人影の目撃証言もなかったため、彼女のアリバイを誰にも証明できないからだ。その事は彼女自身も認識していたようだったけれど。
「まあ、でもさ」
と、ポーラが楽観的な声で言う。
「アリバイはないけど、それ以上に証拠も今のところないんだからさ。マイヤー警部補やベイカー警部の事だから、レイチェルさんに無茶な取り調べはしないでしょ」
「……それもそうね」
彼女の言葉に頷き、そこでこの話を終わらせた。今あれこれと考えたところで、仕方のない話でもあるのだから。
「さーてと。それじゃあさ、ノエル」
と、駆け足で私の前に回り込み、ポーラは満面の笑みを浮かべる。
「気を取り直して、今朝行きそびれたパン屋さんにでも行かない? この時間ならまだ開いてるはずだからさ」
「そういえば、結局行けなかったものね」
「そうそう。気分転換も兼ねてさ。おいしいものでも食べようよ」
断る理由もないので、二つ返事で頷く。ポーラは嬉しそうに小さく跳ねると、私の手をとって、そのまま一目散に駆け出した。
それからポーラに引っ張られる事数分。センター街にあるお目当てのパン屋の前まで来たところで、私達は思いがけない再会を果たす事になった。
「あれ、レイチェルさん?」
「あ……今朝はどうも」
ちょうど店内から出てきた彼女と目が合い、お互いに頭を下げる。しかしその後に続く言葉を、私達には出せなかった。なにせ出会った経緯が経緯なのだ。非常に気まずい沈黙が辺りに流れる。それを破ったのはレイチェルさんの方だった。
「ええと。こんな所で立ってても仕方ないし、とりあえず、ここのカフェテリアでお茶でもしない?私が奢るわ」
「えっ? そんな、申し訳ないですよ」
「いいのいいの。今月はバイト代もはずんだから余裕もあるし。さ、行きましょう」
レイチェルさんは再び店内に戻ると、二階に続く階段をさっさと上っていく。私達は少しの間逡巡した後、その厚意に甘える事にした。
「……すみません、ご一緒させてもらって」
カフェテリアの端、大通りを見下ろせる窓際の席に着き、まずはレイチェルさんに礼を述べる。彼女は気にしないで、とにこやかに答えた。
「なにせ事件現場で知り合っちゃったものね。しかもそのまま、任意とはいえ警察に連行までされるし。そんなマイナスの印象のまま、あなた達と仲良く付き合うっていうのも、ちょっとね……だから今日は、ちょっと格好つけさせてもらったわ」
「そんな、ボクらは別に気にしないのに……ん?」
ウェイトレスさんが持ってきてくれた水を一口含み、ポーラは小首を傾げた。
「仲良く付き合うって、レイチェルさん。これからもボクらと会いたいって事? いや、もちろん別の学校にも友達ができるのは嬉しい事なんだけどさ。ただその……」
「話の流れから考えて、そういう意味の付き合いというだけではない……ですよね?」
言葉に詰まったポーラを助ける形で、私がそう言葉を続けると、レイチェルさんは意味深な笑みを浮かべた。
「そういう事。それにしてもあの警部補さんの言ってた通り、凄い洞察力ね。さっきの二言三言だけでそこまで読み解くなんて。ノースヤードの小さな名探偵、なんて言われるのも頷けるわ」
「……ええと」
今、彼女の話に出てきた警部補というのは、おそらくマイヤーさんの事だろう。私について、一体どういう話をしたのだろうか。一抹の不安を抱えていると、レイチェルさんはさらなる追い打ちとなる話をしてきた。
「聞いたわよ、あなた達ってついこの間ノースヤード女学院で起こった二つの事件を見事解決したんですって? さながら推理小説の主人公みたいな活躍でしたって、あの警部補さん言ってたわよ」
「……マイヤーさん……」
「あはは……」
軽くこめかみを抑える私の横で、ポーラはなんともいえない笑い声を漏らす。いつの間にそんな大げさな評判になってしまっていたなんて。
「でも、その話のおかげで納得したわ」
レイチェルさんは真面目な顔をして話を続けた。
「最初に現場で会った時の、あなた達の落ち着きっぷり。もう何度かそういう場面を見てきていたのなら、それも頷けるわね。まあ、全然喜ばしい事じゃないんだろうけど」
「……そうですね」
ため息まじりに低い声で呟く。と、レイチェルさんはハッとした表情を浮かべ、ごめんなさい、と短く謝ってきた。
「今の言い方はさすがに無神経すぎたわ。別にあなた達の事を皮肉ったりしようという訳じゃなくて、つまりその、ね……とにかく、気を悪くしてしまったわよね。ごめんなさい」
「あ、いえ、大丈夫です。気にしている訳ではありませんから」
実際、そういう風に言われても仕方のない事ばかり経験してきたのだ。特にこのひと月の間は。その事を今更気にしても仕方がない。ポーラも同じ考えのようで、うんうんと渋い顔で頷いていた。
「まあ世の中にはさ、宝くじの一等に当たる人もいれば、その真逆の目に遭う人もいるって事だよね。よくできてるよ、やれやれ」
「ふふっ、言われてみれば確かにそうね」
ポーラが肩を竦めるのに合わせて、レイチェルさんは小さく笑う。私はそろそろ話を戻す事にした。
「それで、レイチェルさん。最初の話ですけれど」
「そうだったわね。あなた達と仲良くしておきたいっていうのは、お察しの通り、今朝の事件絡みよ。あなた達なら何かしらの事実を暴けるんじゃないかって思ったの」
「……なるほど。それは、あなたに犯人の嫌疑がかかっているから、それを晴らす為に、という事ですか?」
「それもあるけど……それ以上にね。今朝の被害者、私と同じ高校に通ってる同級生だったのよ」
「それは確かなんですか?」
「ええ。とはいっても、クラスメイトだった訳じゃないんだけど。ただ、彼女、色々と問題のある子で。それで度々関わりはあったのよ」
「問題、ですか?」
「いじめよ。彼女、いじめグループの中心の一人だったのよ」
いきなり重大な情報が飛び出し、私は軽く身を乗り出した。レイチェルさんは水で口を潤してから、話を続ける。
「クラスが違うから、私も実態を全部知ってる訳じゃないんだけど。何度か、実際にそういう現場を見かけててね。まあカツアゲとか、いじめられてる子を仲間とつるんで囲っていびったりとか。それでその度に私も止めに入ったりはしてたんだけど、まあ……焼け石に水というか。元々素行も良くなかったようだから、仕方ないんでしょうけど」
「ともかく、誰かから恨みを買いやすい人ではあったんですね?」
「ええ。いじめに恐喝に万引きに、とにかくトラブルには事欠かない子だったから」
「なるほど……」
つまりは怨恨絡みによる事件という線も考えられるのか。しかし、まだそう判断するには情報が少ない。
「レイチェルさん、その件についてもう少し詳しく話を聞かせてもらえませんか?」
「ええ、いいわよ。まずは、そうね…とりあえずいじめの件から、」
と、唐突に彼女の表情が強張った。その視線は真っ直ぐ階段の方に向けられていて。
「……ドロシー、あなた」
私達もそちらに視線を向けると、そこには両頬のそばかすが特徴的な、小柄な少女が目を丸くして立っていた。けれど私達と目が合うなり、彼女は小さく呻いて。
「あ、待って、ドロシー!」
レイチェルさんが呼び止めるよりも早く、彼女はよれや皺の目立つ制服の裾をぎゅっと握りしめ、階段を駆け下りていってしまった。
「……あの、今の子は」
しばらく呆気にとられた後、私はレイチェルさんにそう尋ねる。彼女は苦虫を嚙み潰したような表情で答えた。
「ドロシー・メイン。あの子が今話そうとしてた、いじめに遭っている子よ」




