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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
33/43

ケルビムの炎 ⑫

「――ごめんね、ポーラ。昨日の今日なのに無理を言って」


 翌日の早朝。校門をくぐったところで、改めて私はポーラに謝った。


「別にいいってば。ケガだって大した事ないし。それに、ノエルを一人で行かせる方がよっぽど心配だよ。突っ走っていっちゃいそうで」

「あはは……そうね」


 時刻はまだ七時を過ぎたばかりで、学校に人気はほとんどない。見かけるのは警備員の方と先生の姿くらいで、他の生徒はまだ来ていないようだ。


「それで、ノエル。一体何を調べるのさ?」

「それはね……まずはあなたが誘い込まれた体育倉庫の方に向かいましょう」


 中庭を右手に曲がり、そのまま東棟の裏手に回る。そして倉庫の近くまで来ると、そこを警護していた警備員さんと目が合った。


「おはようございます」

「ん? おはよう。こんな朝早くから一体どうしたんだい? 部活、という訳でもなさそうだが」

「はい。少し気になる事があって。それを調べに」

「気になる事、ね……」


 彼はどうしてか訝しがる視線をこちらに向けてきた。


「まさか君達も、こんな時にいたずらでもしに来たんじゃないだろうね?」

「いたずら、ですか?」


 一体何の話だろうか。また何か事件でも起きたのか。と、私達が揃って首を傾げていると、警備員さんが話し始めた。


「その様子だと本当に何も知らないようだね。実は昨日見つかったんだが、校舎の西棟の裏の壁に、変な焦げ痕がついていたんだよ。確か二か所だったか」

「焦げ痕……」

「最近物騒な傷害事件も多発しているし、もしかしたらそれに影響を受けた子が、悪ぶって何か燃やしたりしたんじゃないか……という懸念が先生方からも出てきてね。それで我々が校舎裏も警備しているんだ」

「そういう事でしたか……分かりました」


 私は彼に礼を述べると、ポーラを連れて裏口から西棟の中に入った。


「あれ、校舎の裏はもういいの?」

「ええ。今の話で十分確かめられたわ。あとは……」


 次に向かったのは、第二の事件が起きた東棟の資料室だった。中はすっかり綺麗に整頓されていて、ここでの事件を物語る痕跡は何もないようだった。


「さすがに掃除されてるか。ここにはもう何もないんじゃない、ノエル?」

「……そうとも言えないわ」


 ポーラの問いに答えつつ、私は窓際に向かい、そこからグラウンドの方を眺めた。右手前の方に林があるほかには何もなく、見晴らしは良い。


「ポーラ、一つ聞いていい? 事件が起きた直後の事なんだけれど。体育倉庫にいたあなたは、悲鳴が聞こえた直後に東棟の方へと振り向いたのよね?」

「うん、そうだよ。でも、その時にはもう足跡も犯人らしき人影も見えなかったけどね」

「そう……とすると」


 黙考し、頭の中で情報を整理する。事件の日の出来事、振り向いた時には既に消えていた足跡、そしてここに入った直後の状況。私が推理した展開と、今得られた情報の整合性は取れている。()()()()()()()()()。後ははっきりとした証拠があれば、その推理は真実となるだろう。誰も望まない真実に。

 けれど、見て見ぬふりはできない。


「ポーラ、少し手伝ってもらえる?」

「もちろん。で、ボクは何をしようか?」

「そうね、とりあえずまずは、そこの教壇から、」


 と、教室の方に視線を戻した、まさにその瞬間だった。


「――やあやあ失敬するよーっと」

「わひゃあっ!?」


 いきなり真後ろから何の前触れもなく呼びかけられて、私はたまらず変な悲鳴を上げる羽目になった。


「……なかなかナイスなリアクションしてくれるじゃない」


 びっくりさせてきた張本人であるロイさんは、けろっとした表情で窓枠を乗り越えてきた。


「ロ、ロ、ロイさん! なんでそんな所にいるんですか!」

「え? いやーほら、前も言ったでしょ。神出鬼没は記者の特権だって。さっきまでは上の階で一人新聞の草稿を仕上げてたんだけど。そしたら下から何やら話し声が聞こえてきたもんだからね? それで作業切り上げて、こっちに降りてきちゃった」

「きちゃったって、えーと……もしかして上から直接飛び降りてきたって事、ですか?」

「なにようポーラちゃんてば細かい事気にしちゃって。陸上部のエースなんだから、そういう事は気にしちゃだめよ」

「いやいや、そういう問題じゃないと思うんだボクは」


 困惑する事しかできないポーラに対して、ロイさんは満面の笑みを浮かべるばかり。どうやらこの人については真面目に考えるだけ無意味なようだ。なんとなく、リッターさんの普段の苦労を理解できた気がした。


「それはそうと、よ。二人とも、こんな朝早くにどうしたのよ。しかもこんな事件があった縁起悪い場所で」


 と、彼女は手帳とペンをそれぞれ手に持って、矢継ぎ早にそう尋ねてきた。


「例のケルビムの事件について調べていたんです。どうしても引っかかる事があって」

「ほうほう、なるほど……でも、今更ここを調べても、もう何も見つかんないんじゃない? すっかり片付けられた後だもの」


 首を伸ばして室内を見渡し、彼女はポーラと似たようなことを言った。そして、その後に続けて。


「ま、事件の直後はえらい汚かったみたいだけどね。犯人がよっぽど荒らしたのか、汚れたまんまここに飛び込んできたのか……ノエルちゃんも事件直後にここに来たんだっけ? 砂埃凄かったんじゃない?」

「え、ええ。確かにそうでしたけれど」

「そりゃそうよね。部屋の隅とかまー砂まみれで汚れっぱなしだったらしいし。それも今じゃすっかり、」

「待ってください。今、砂まみれだったと言いましたか?」


 唐突に食いつかれて、ロイさんは分かりやすく面食らった表情になった。


「そ、そうだよ。事件の後すぐにここを調べてたお巡りさん達が喋ってたから間違いないと思う、けど」

「その砂の汚れというのは散らばっていたとか、どこかにある程度固まっていたとか、そういう話は聞いていませんか?」

「え、えーと……そうだった、今いるこの辺りが特に酷かったらしいわよ。今は見ての通りすっかり綺麗になってるけど」

「そうですか……」


 自然とため息が零れ出ていた。肩に重しでも乗せられたかのように、体が重く沈む。


「急にどうしたノエルちゃん。そんなに汚れが気になる?」

「ええ。繋がってしまいましたから。犯人(ケルビム)の正体に」


 断言した瞬間、ロイさんはひゅっと息を呑んだ。その一方でポーラは。


「ノエル。キミは、()()が犯人だって言いたいのか?」


 ひどく沈んだ声。おそらくは彼女も、私と同じ結論に至ったのだろう。認めたくないという想いも、きっと同じだ。けれど、私には頷く事しかできなかった。


「そんな……でも、どうしてさ。だって彼女には動機が」

「あー、コホン。真剣な会話の最中ちょっと失敬」


 驚いたまま固まっていたロイさんが、資料室の出入口を見ながら咳ばらいを挟んだ。


「一体どういう事なのか、分かりやすく説明してもらえない? 私と……あちらにいらっしゃる方にも」

「えっ?」


 出入口の方に振り向くと、ちょうどドアが静かに開かれた。そして。


「全くあなたという人は……妙に耳聡いですね、相も変わらず」


 苦笑いを浮かべ、入ってきたリルハさんはそう言った。その顔には心なしか陰りがあるように見えた。


「すまない、ノエル君。別に盗み聞きするつもりはなかったのだが。たまさかここの前を通りがかったら、君達の話し声が聞こえてきたものだから、ついね。それで」


 一つ深呼吸を置いた後、彼女は真っ直ぐに瞳をこちらに向けた。青く、さざ波打つ海のような色の瞳を。


「犯人が分かった、というのは……本当なんだね」

「……はい」


 私は首肯し、自分が辿り着いた推理の内容を三人に説明した。そして、全てを語り終えた後。まず口を開いたのはロイさんだった。


「確かにノエルちゃんの言う通りだわ。もし他に犯人がいるとしたなら、今度はポーラちゃんの証言の辻褄が合わなくなる。いくら怪盗仮面(マスクド・シーフ)ほどの早業師でも、事件を起こして何秒も経たない内に、自分も証拠も全てかき消すなんて離れ業は無理でしょうね」


 そう彼女が頷く傍ら、リルハさんは沈黙していた。どこか諦めたような表情を浮かべ、窓の外に視線を向けている。その目の中には、けれど何も映ってはいないようだった。


「本当は。なんとなく、気が付いていたんじゃないですか。リルハさん」


 私の言葉に、彼女はそっと目を伏せた。


「……薄々は、ね。ポーラ君とチェルシー君が襲われた事件で、その可能性は見えた。だが、何の証拠もなしにあの子を疑ってはと……いや、言い訳はよそう。そもそも私には、あの子を疑う勇気さえなかったのだから」

「リルハさん……」

「全ては私の責任だ。私が弱かったばかりに、何も見えていなかったばかりに……あの子は悪くない。こうなってしまったのは、あの子のせいじゃないんだ。だから……事件の決着をつけた後に、罵る相手は私だけにしてくれ」


 言葉の後になるにつれて、彼女の声は震えていった。そこに抱える感情は、後悔なのだろうか。それとも、それ以上の。憂う表情の奥に何があるかまでは、窺い知れない。


「一つ頼みがあるんだ。大きな騒ぎにはしたくない。事件を終わらせるのは、出来れば人気(ひとけ)の少ない放課後にしてくれないか。あの子は放課後に委員の仕事があると言っていた。学校からいなくなったりはしないだろう」

「分かりました」

「すまない。警察の方にはこちらから連絡しておくよ」


 掠れるような声でそう言って、リルハさんはひどく重たい足取りで資料室を出て行った。その背中を見送った私達に、言える言葉は何もなかった――


 結局その日は、授業も何もろくに頭に入ってこなかった。とてもそんな余裕はなかった。ただぼうっと考え込んでいる内に、いつの間にか時間が過ぎていた……その繰り返しだった。

 ただぼうっとしているだけでも、時間は進む。戻る事はできない。その先に、誰も幸せにならない真実だけが待っているのだとしても。

 そして、その時はすぐにやって来た。


 ◇


「……こんにちは」


 放課後。ポーラと一緒に図書室を訪れた私は、机をふきんで掃除していた少女に挨拶する。彼女は私達がここに来た事が意外だったのか、何度かまばたきをしていた。


「あ、こんにちは。珍しいですね?」

「あはは、そうだね。ノエルはともかく、ボクはほとんど本とか読まないからね。少しは読めって怒られるんだけど」

「本は苦手ですか? でしたら、読みやすい本とか紹介しましょうか?」

「そうね……そんな話をしに来たのなら、どんなに良かったかな」


 呟きが喉に絡み、声が詰まる。それを無理矢理喉の奥に呑み込んで。


「今日は、あなたに大事な話があってきたんです――ミーシャさん」


 彼女の名を呼ぶ。体の内が軋むような感覚を、必死に堪えながら。

 彼女は――ミーシャさんはぴたりと動きを止めて、こちらに顔を上げた。斜陽に淡く照らされたその顔には、資料室で私に見せたものと同じ、儚い笑みが浮かんでいた。

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