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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
34/43

ケルビムの炎 ⑬

「会長。警察への連絡は済みましたわ」


 生徒会室にて。何かをする気力さえ起きず、ただ椅子に座っているだけの私の元へ、チェルシー君がそう報告しにやって来た。


「そうか。すまない、全て任せてしまって」

「お気になさらないでください。わたくしに出来る事といえば、このくらいですもの」


 彼女は淋しく笑う。その顔を見ている事などできなくて、私は机の上に視線を逃がす。


「結局私は……何も分かっていなかったのだな。あの子の事も、あの子の苦しみも。ただ知ったかぶっていただけで」

「会長……」


 予感はあった。朝にノエル君から言われた通り、ミーシャ君が犯人なのではないか、という予感は。もっともそれはノエル君のように証拠を集め、矛盾を突いて推理していった結果のものではないが。


「思えばあの子は、最初に私を襲った時から、心の奥底で悲鳴を上げていたのだろうな」

「最初の時から、ですの?」

「ああ。そうだね……メイスン先生が起こした事件と比べると分かりやすいだろうか。今回の事件は、どれも()()()()()()()だろう?」

「敵意が薄い……確かにどの事件でも、わたくし達の負った怪我は大したものではありませんでしたわね。けれど、その事と事件にどういう関係があるんですの?」


 彼女の疑問はもっともであった。私は頷いてから説明し始める。


「周囲から――近しい家族や恋人などから異常なまでに苛烈な抑圧を受けると、その人物は想像を絶する程に精神を摩耗されるんだ。それこそ、生存本能からくる逃避行為、攻撃性すら極端に喪失してしまう程に」

「以前お話されていましたわね、確か……学習性無力感、というものでしたかしら?」

「ああ」


 人は極端なストレスに晒され続ける過酷な環境に居続けると、そのストレス対象に反抗する事はおろか、逃れる事も出来なくなってしまう。さらに言えば、反抗できる、逃れる事が出来る可能性の存在を考える事すら不可能となってしまう。この症状を心理学では『学習性無力感』と呼んでいる。これは主に学校や会社内でのいじめ、拉致監禁、そして長期間に渡る家庭内虐待を受けた被害者に起こりやすい。ましてや子供であればなおさら。


「それが分かっていながら、どうして私は……知らず知らずのうちにあの子を追い詰めるような事をしてしまったのだろうな」


 分かっていたはずだ。ミーシャ君の自己肯定感が、長年の苛烈な虐待によってどれほど低く貶められていたか。だから、そんな事はないのだと、安らいで良い場所はあるのだと。それを知ってもらうために、彼女を生徒会に招いたというのに。

 それを破綻させたのは、他ならぬ私自身だった。


「情けないな、私は。全く偽善者そのものじゃないか」

「……ッ。そんな、ことは」

「あるさ。半端な知識しか持たず、結果全てを破綻させた。笑われる資格すら、私には……」


 そう自嘲していた時だった。けたたましい音と共にドアが開かれたのは。そして、息を切らしつつ入ってきたのは。


「ど、どうしましたのリッツ、そんなに慌てて」

「かなりマズい事になりました、最悪です」


 息も整えずそう言った彼女の顔色はひどく青ざめていた。


「どこで話を聞きつけたのか。ミーシャさんの父親が、オーネス卿が警察と一緒に来ているようなんです」


 ◇


「……すごいですね、ノエルさんは」


 彼女の声は静かなものだった。そこにどんな感情が込められているのか、分からないくらいに平坦な声だった。


「でも、どうして私だと? 確かに私は生徒会の皆さんの事を良く知ってますから、会長の帰り道など分かっていてもおかしくはないですけど。私だって事件の被害者なんですよ?」

「そうですね……だからこそ、私はそこに違和感を覚えた。ポーラの証言と事件の状況が噛み合っていないところに」


 私は一呼吸挟み、窓の外、体育倉庫の方に視線を向けた。


「あの日、ポーラは人影を模した風船を追って倉庫に入り、そこでミーシャさんの悲鳴を聞きました。そして慌てて振り向いた。その時には既に、犯人らしき人影は勿論、足跡すら土魔法で消されていた……妙だと思いませんか? 犯人も痕跡も、あまりにも早く消えてしまっている。あなたの悲鳴が聞こえてからポーラが振り向くまで、数秒も経っていないはずです。そんなごく一瞬の間に、自分の姿はもちろんの事、魔法を用いて痕跡まで完全に消し去る。そんな早業は全く現実的ではありません。かつて居た有名な大怪盗であっても、そこまでの事は不可能でしょう」

「ボクが見落としてたって可能性もない。倉庫の入り口からは校舎東棟の裏側まで見通せるほど見晴らしがいいからね」


 ポーラの補足を挟みつつ話を続ける。その間、ミーシャさんは何も語らない。


「彼女の証言と事件状況のズレ。それは私に、一つの可能性を示した。初めから犯人はいなかった……つまり、第二の事件それ自体が、ミーシャさんの狂言であったという可能性を。全てはポーラに罪をかぶせるための偽装だったと。違いますか?」


 最後の方はやや強い口調で、ミーシャさんにそう問いかける。けれど彼女は顔色一つ変えない。


「証拠は見つけられたんですか?」


 証拠はあるのか、ではなく、()()()()()()()()、と。そう問い返してきた彼女の瞳の中で揺らぐものは、けれど私には、夕陽の眩しさのせいで見えなかった。


「一つは、校舎の数か所についていたという焦げ痕です。あれは、あなたが用意していた風船のダミー、その予備の物を魔法で燃やした跡ですね」

「……………」

「最初の部分から話をしましょうか。まずあの日、あなたはリッターさんに、靴箱の中からケルビムのメモ紙が見つかった、という嘘の情報を伝え、ポーラに相談するよう促した。彼女はリルハさん達の考えを尊重しなければならない立場にいますから、必ず二人の意思を汲んで、騒ぎにならないよう行動するはずだと踏んで。そして実際、彼女はあなたの思惑通りにポーラを人気(ひとけ)のない場所へ、つまり校舎の裏へと連れて行ってくれました。

 しかし、そこまでは思惑通りにできても、その先……どこへ連れて行くのか? そこまでは、あなたの思惑通りにするという事は難しかった。人気のないこの場所で話をした方がいい、という風に行先までリッターさんに指示しては、トリックがばれた際、あからさまに怪しまれる。

 だからあなたは保険をかけておくことにした。リッターさんが向かいそうな場所に、あらかじめダミーの風船をいくつか用意しておいたんです。彼女達がどこに向かってもいいように」

「……確かに、それなら心配はいらないかもしれませんね。でも」


 こんこん、とミーシャさんの指先が軽くテーブルを小突く。


「実際に先輩達がどこに向かったか分かっていないなら、その予備の仕掛けに意味はありませんよね? それに、いくら人気のない場所にダミーを置いたからって、もしかしたら関係ない人がふとしたきっかけでそれを見つけてしまうかもしれない。そんなリスクのある仕掛けを用意しますか?」

「……そうですね。それらの問題が解決されなけれだ、私が推理したこのトリックは何の意味もなさない。だからあなたはあの日、必要以上の頼まれ事を引き受けた。学校中からね。リッターさん達の動きとダミーの周囲の様子、その両方を自然と見張れるように」


 ぴたり、とミーシャさんの動きが止まった。私はそれを肯定と受け取り、話を続ける。


「実際、何の違和感もありませんでしたよ。働き者の生徒会役員が、学校中の端から端まで働き歩く……それがまさか見張りの為の行為だなんて、誰も思わない。この上ない隠れ蓑だった訳です。

 そしてあなたは第二の事件の舞台となった資料室で、あなたの思惑通りに動いてくれたリッターさん達の姿を見つけた。窓際を掃除しつつ外を眺めていたあの時にです。そこからあなたは計画を次の段階に進めた。私を自然な流れで退出させて、必要のなくなった予備の風船を遠隔魔法で燃やした後、事件を作る下準備を始めた。風船を使ってポーラを倉庫までおびき寄せた後、グラウンドから砂を魔法で調達し、犯人が痕跡を消す工作をしたかのように見せかけるため、大規模な土魔法で近辺の足跡を消した。

 その後はポーラに風船の正体を気付かせ、被害者になりきって悲鳴を上げ、余った砂をグラウンドに撒いて処分すれば済む……そのはずでした。すぐそばに私とリルハさんがいなければ、ね」


 リルハさんの名前を出した時、ミーシャさんの肩が僅かに震えたように見えた。けれどその次の瞬間には、さっきまでと同じ表情に戻っていた。


「あなたにとって最大の誤算は、警察とリルハさんの話しが予定より早く終わり、偶然資料室のそばに通りがかった事でした。他の生徒ならまだしも、彼女があなたの悲鳴を聞こうものならすぐさまそこに飛び込んでくる。それは誰よりあなた自身が良く分かっていた。

 焦ったあなたは証拠となりうる砂を隠せる分は物陰の下に隠し、そうでない分は魔法で資料室中にばらまき、あたかも犯人が部屋中を荒らしたかのように演出する事で、どうにか証拠をなくそうとした。とはいえそれはあくまで苦肉の策……少しならともかく、大量にグラウンドの砂が資料室に散らばっているというのはあまりに不自然な事ですからね。

 それを理解していたあなたは、退院してからすぐさま第三の事件を引き起こした。資料室の方から意識を逸らさせ、混乱を与える為に。おそらくあなたはこの時点で、ポーラを犯人に仕立て上げるトリックについては諦めていたんでしょう。だから混乱を大きくして、第二の事件の影を薄くする為に、あえてポーラも事件の被害者として巻き込んだ……違いますか」


 推理の全てを語り終え、じっと静かに俯いたままのミーシャさんを見つめる。と、彼女はそこでゆっくり顔を上げて。

 

「……もう手遅れだったみたいですけどね。こうして今、私の前にノエルさん達がいるんですから」


 そう自嘲気味に淋しく笑った。その笑みは私の方に向いていて――けれど、私に向けられたものではないようだった。

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