幕間『迷』
暗い、黒い夜道の中で佇んでいると、夜風の冷たさが身に沁みる。それは私自身の感傷の表れなのか、あるいは。
「――行っちゃったねぇ」
ノエル君を見送った後。一人残された私の元へ、いつからか曲がり角の陰から盗み聞きしていたらしいルーラーが、煙管の先から煙をくゆらせながらひょっこり姿を現した。
「ああ。あの様子だとおそらく、今回の事件も彼女が解決してくれるだろう。名探偵として、着実に一歩一歩成長している。嬉しい限りだ」
彼女が去った後の夜道をじっと見つめたまま、そうルーラーの言葉に返す。と、ルーラーはほうと煙を吐き出し、いきなり私の顔を覗き込んできた。
「な、なんだい急に」
その妙に真剣な表情にたじろぐ私に、彼女は小首をかしげてきた。
「順調にいってるって割にはさ、あんた嬉しくなさそうじゃないのさ?」
わずかに肩が強張るのを感じた。それをひた隠すように、まさか、と一笑してみせる。
「犯人を陰に唆し、無事に事件を起こさせ、そしてそこに私の育てる名探偵が挑みかかる……まさに私の思い描いた定理通りに事が進んでいるじゃないか。盤上の駒が全て読み通りに正しく動く。これを喜ばない理由がない。だろう?」
「……ふうん。そうかい?」
「……ああ、そうとも」
肩に奇妙な凝りを感じつつも、どうにかそれだけ答える。ルーラーは何も言わずに私の前を通り過ぎ、塀に体を寄りかからせる。
「あんたがそうしてちょいと無理してんのはさ。やっぱ、犯人の子と自分の過去とを重ねちまうから、なのかい」
「……………」
仮面の下の表情が分かりやすく変わっているのを自覚しつつ、ややぶっきらぼうに答える。
「ルーラー、君は時々いじわるになる」
「そりゃ仕方ないさね。あんたは可愛い恋人なんだ、からかいたくもなるさ」
「いじめっ子の心理かい? あまり関心はしないな」
「何言ってんだい、夜はいっつもあたしの事いじめて碌に寝かせてもくれないくせに」
「それとこれとは違うだろう……とはいえ」
彼女の隣に寄りかかり、欠けた月を見上げる。いくつ夜が過ぎようと、月の光は相も変わらず、どこか寒々しい色をしていた。
「そうだな。君の言う事に返せる言葉はない」
ルーラーは何も言わず、黙って私の話に耳を傾けてくれていた。それに甘えて、私は話を続ける。
「悪の道に進むと決めて今日まで来たというのに。まだまだ私も青いな。あの子のようなタイプを唆す時、そして成功した時、こうして心が揺らいでしまう。そんな資格など私にはないというのにね」
腹の裡に抱えた重しを吐き出すように、深く、深く息を吐く。そして――それが何の慰めにもならない行為と知っていても――ルーラーの大きな肩にそっと頭を預けた。そこからはほんの少し煙たい香りがした。
「相変わらず、君は熱いな」
「そりゃあねぇ。昔は泣く子も黙る『熱砂の魔女』様だなんてあだ名で傭兵仲間からは呼ばれてたんだ。その呼び名は伊達じゃないって事さ」
「そうらしい」
こつん、とルーラーの頭が私の頭上に乗せられた。その重みはどこか心地よくて。
「……そうだな。今夜は久々に、君に甘えたい気分なのかもしれない」
「今日だけじゃなく、いつだって甘えてくれていいんだよ、あんたなら」
「そうか……ありがとう、ルーラー」
「ああでもあんた、朝までぐってんぐてんにするくらい激しいのは流石によしとくれよ。あんたは良くてもあたしゃ動けなくなっちまうからね」
「うーん、どうしたものか。まあ、善処するよ」
「絶対する気ないねあんた。言葉が軽いんだよ言葉が」
「ははは、そんな事はないよ? きっとね」
他愛もない語らいの最中、私は改めて決意を新たにしていた。
もっと悪にならなくては。もっと悪として成長しなくては。親は子と共に育つともいう。私が成長しなければ、とても名探偵を育てきる事などできないだろう。
冷たい夜風はただ、穏やかに。黄色い光の下で道に迷う私の頬を撫でていった。




