ケルビムの炎 ⑪
「はあ……」
ケルビムが再び凶行を起こした後。大事をとってポーラとチェルシーさんを病院まで連れて行き、後から病院にやって来たマイヤーさんに分かる限りの事を説明して。一人先に帰途につく頃には、すっかり空は暗くなっていた。仕方のない事ではあるけれど。それでも私はため息を吐かざるをえなかった。
「私が一人で突っ走ったせい、よね」
直前にリルハさんからも警告されていたというのに。次は直接私達を狙ってくるかもしれない、と言われていたのに。あの子の事を一人にしてしまった。幸い、軽い打撲程度の怪我ではあったものの。結局あの後、ポーラの顔は一度も見られなかった。向ける顔がなかった。
けれど――弁明のつもりではないが、予想できない急展開だったというのも確かだ。あの時ポーラも言っていた通り、まさか疑いを掛けられている最中に彼女が襲われるとは思いもよらなかった。チェルシーさんを襲撃したら、偶然そこにポーラもいた……という可能性はかなり低い。チェルシーさんは階段を数段降りた後に、何者かに魔法で突き飛ばされたと語っていた。つまり犯人には、階段の踊り場に誰かいるか、そして誰がいるのかを確認できる時間があった、という訳だ。そこに今、罪を擦り付けている相手がいないかどうか。
そして犯人はあの子がいる事を確かめた上で、それでもなおチェルシーさんを突き飛ばしたのだ。その事が余計に私の頭を混乱させていた。
分からない。今回の事件の動機が、まるで分からない。前回の事件で掛けられたポーラへの容疑、それが完全に晴れてしまったのだ。もし犯人が彼女に罪を擦り付けようと動いていたのなら、今回の事件の結果は何のメリットもない。捜査のかく乱を狙っていたにしても、他にやり方はいくらでもある。
それともあるいは、そもそもの推理が間違いだったのか。ポーラを犯人に仕立て上げようとした、という推理自体が。だとしても、今度はポーラをあの日体育倉庫まで誘導した意味が分からなくなってしまう。
犯人の狙いはどこにあるのか。あのケルビムが見ているものは一体、何なのか。
「……ふう。駄目ね、考えが煮詰まってる」
一つため息をついて、考え込むのをやめにした。答えが出ないのなら悩んでいても仕方ない。ここは気持ちを切り替えよう、そう思った私は、行きつけのレストランの方に足を向ける。
そして、レストランそばのT字路に差し掛かった時。道の端で道具を片付けている、見知った人影の姿が目に映った。
「こんばんわ、クチナシさん」
「おや、ノエル君。こんな時間まで外出かい?」
「ええ……ちょっと。色々とあって」
私が言葉を濁すと、彼女は手を止めて、「ふむ」と小さく頷いた。
「また事件に巻き込まれているようだね? 確か……君の学校に通う貴族のお嬢様が襲撃されたんだったか。この間の新聞に載っていたのをちらりと見かけたよ。もしかして、その事件絡みかい?」
「……ええ」
「そうか……君も災難だな。こうも立て続けに事件に巻き込まれるなんて」
「そうですね、本当に……自分から首を突っ込みにいったところもあるので、半分は自業自得なんですけれど」
階段の踊り場に倒れこんでいた二人の姿が脳裏に浮かび、自然と声も低くなる。そんな私にクチナシさんは、仕方ないさと穏やかに笑いかけてきた。
「人生は長いんだ、運良く上手くいっている時もあれば、そういうツイてない時もある。そう思い詰めない事だよ。健康的に生きるのに大切なのは、思い詰め過ぎない事だ」
「クチナシさん……」
「という訳でどうだろう。一つ、君の今月の運勢でも占ってみないかい? お代は安くしておくよ」
かくりと肩の力が抜けた。一方で彼女は朗らかに笑っていた。抜け目ない人というかなんというか。けれど。
「そうですね、じゃあちょっと占ってもらおうかな?」
重い気分が少し腫れた私は、クチナシさんにそう笑みを返す。そうこなくては、と彼女は黒革の鞄に手を入れた。
「では、今回はタロットでも……ん? お、おや?」
鞄の中を探る彼女の様子がどうもおかしくなってきた。焦った表情を浮かべ、鞄の中を覗き込む。まさか、とは思ったけれど、私はとりあえず黙って彼女を待った。そして。
「……ああ、その。ノエル君。人は誰しも間違うものだろう?」
こちらに顔を上げた彼女の表情は、仮面越しからでもはっきり分かるほど悲しみに満ちていた。
「もしかして、占い用の道具を忘れたんですか?」
「そういう事のようだ……私の記憶では確かにこの鞄に入れたはずなんだが。なんで入っていないんだ?」
「あはは……」
予想の斜め上の展開に、ただ笑うしかなかった。仕事の途中で気付かなかったのだろうか? という疑問の答えは、先に彼女が言ってくれた。
「参ったな。今日はお客さんとの雑談と愚痴の聞き役ばかりやっていたものだから、気付く暇もなかった」
「え、ええ……」
「という訳だからすまない、占いは次回に持ち越しで許してはもらえないかな?」
「は、はい」
「いや、すまないね本当に。私もやきが回ったな。あるべき商売道具が無いだなんて、全く……やれやれ」
クチナシさんは大きくうなだれていた。余程ショックだったようだ。占いのプロとしての矜持もあるのだろうけれど。普段は飄々とした印象のある人だったから、ここまで大げさなくらい落ち込む姿には多少驚いた。
と、彼女の意外な一面を見ていた時だった。
「……あれ?」
ふと、頭の中で何かが引っかかった。クチナシさんの今の言葉のせいだろうか、違和感を覚えたのだ。それは、第二の事件が起きた後の、ポーラの証言についてだった。
そう、確かあの子はミーシャさんの悲鳴を聞いた直後に……。
「あると思っていたはずのものが無い……居るはずの存在が、いなかった」
まさか、という思いと共に、強烈なむず痒さが背筋を走る。けれど、もしもそうだとしても、未だ分からない事が多すぎる。
「どうかしたかい? ノエル君」
急に黙り込んだ私を、クチナシさんはきょとんとした表情で見つめてきた。
「あ、ごめんなさい急に。少し気になる事があって」
「もしかして、事件の事かい?」
「はい……それで、その」
「分かっているさ、気になって仕方ないんだろう?」
私が言うより先に、クチナシさんはふっと笑みをこぼした。
「占いの出来ない占い師に構っているより、君には大事な事が出来たようだし。私も今日はここら辺で店じまいとしようかな。元々そのつもりだったけどね」
「今度お会いした時は、是非とも占いの方もよろしくお願いしますね?」
「ああ、勿論。それじゃあね、ノエル君」
クチナシさんの笑みに見送られ、私は帰路を急ぐ。道を照らす月明かりはいつもより眩く見えた。




