ケルビムの炎 ⑩
第二の事件が起きてから丸二日経った昼休み。ボクとノエルは当初の予定を変更して、急いで生徒会室に向かっていた。ミーシャさんが無事に退院し、ついさっき登校してきたという報せをリッツ先輩から受け取ったからだ。
「一時はどうなるかと思ったけれど。すぐに退院できて良かったわ」
「そうだね。ひとまず安心、ってとこかな」
生徒会室の前に着き、ノエルがドアをノックした。それからすぐに短い返事が返ってきて。ドアを開けるとそこには、安堵した表情を浮かべるリルハさんと、当たり前ではあるけど、やや憔悴した様子のミーシャさんがいた。
「この間はすみません、お騒がせして……」
ボク達を見るなりミーシャさんはそう頭を下げてきた。そんな、と首を横に振るノエルの傍らで、ボクは――きっと険しい表情を浮かべていたのだろう。リルハさんの穏やかな表情が、ボクを見るなりふっと消えたからだ。
「悪いのはキミじゃない。犯人だ」
ボクはきっぱりと言い切った。ミーシャさんはハッと顔を上げる。その顔にはまだ不安が残っているようで。そんな彼女にあえて笑顔を見せる。
「ボクらだけじゃない。警察の人達だっている。頼れる人は一杯いるんだ、絶対に犯人は見つかるよ。だから、安心して」
「……そう、ですよね」
彼女の反応はいまいち微妙なものだった。それを見てノエルは小さく肩を落とす。
「やっぱり、私達じゃ頼りなく見えますか……」
「うぐっ。確かに……」
なにせボク達は犯人に思いきりしてやられている身だ。おまけに、さっき格好つけた事を言っておいてなんだけど、第二の事件以降犯人に繋がる手がかりをまるで見つけられていないのが現状なのだ。これでは頼られようがない。と、二人してどんよりしていると、ミーシャさんが慌てて首を横に振った。
「そ、そういう訳ではなくて。ええと、その」
「つまりミーシャ君は、君達の事も心配しているという事さ」
しどろもどろなミーシャさんに代わって、リルハさんがそう言葉を続けた。
「これ以上この事件に関わりすぎてしまうと、今度は君達まで傷つけられてしまうんじゃないか、とね。ここに戻ってくるなりその話をしてきたんだよ、この子は。よほど君達の身を案じていたのだろう」
「ミーシャさん……」
ノエルの視線を受けて、彼女は分かりやすく顔を真っ赤にして俯いた。その姿を見ていると、こちらもどことなく気恥ずかしくなってしまう。こういう風に、人から心配されるという経験に慣れてないせいだろうか。
「そしてその考えは私も同じなんだ」
さっきまでの穏やかな表情から一変して、リルハさんは真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「もしも君達の存在が犯人にとって本格的に邪魔になってきたなら。今は利用されただけだが……今度は君達にも暴力が振るわれることになるかもしれない。もしそんな事になってしまったら、私は……だから、ノエル君、ポーラ君。後の事は警察に任せて、この事件からは手を引いてはくれないか?」
ボクとノエルは互いに顔を見合わせる。どう返事したものか、ノエルも困っているという顔をしていた。確かに彼女の言う事は正しい。正しいんだけれど。
「これは、友人としての私からの頼みだ」
リルハさんの真摯な言葉が耳を打つ。ノエルはボクから顔を逸らし、真っ直ぐにリルハさんの方を見た。だけどやはりすぐには言葉を返せないようで。それからしばらくの間、沈黙が部屋の中を包む。
それを破ったのは、思いもかけない闖入者だった。
「――あー、やっと見つけたわよノエルちゃん達! ごめんね会長ちゃん、ちょいと失敬するわよ!」
場の空気を一瞬で吹き飛ばした、底抜けに明るい声。これにはさすがのリルハさんも苦笑いを隠し切れないようだった。
「ああ、どうぞ。しかしロイさん、せめてノックくらいはしていただきたかった」
「ほら、神出鬼没は記者の特権だから。ところで会長ちゃん、ちょっとノエルちゃんを借りてっていいかしら? 結構大事な話があってね」
「え? ええ、と」
こっちもこっちで大事な話をしている最中だったのだ、当然ノエルは困り切った表情を浮かべる。するとリルハさんは、「大丈夫だ」と頷いた。
「今の話への返事は、そちらの要件が済んでからでも構わないよ」
「で、ですが……本当に良いんですか?」
「良いんじゃない? ってボクが言う事じゃないけど。ノエルにも考える時間は必要でしょ。それにさ、元々ロイさんとも大事な話があった訳じゃんか」
そう、当初の予定としては、この昼休みはロイさんを探すはずだったのだ。それを思い出してか、ノエルも頷く。
「そうだったわね。七不思議の事で聞きたい事があったんだった」
そうノエルが呟いた瞬間、何故かロイさんが短く悲鳴を上げた。勿論部屋中の視線が彼女に集まる。
「……どうか、されましたか?」
「うぇえ!? ああいや何でもないわよ? ノエルちゃん。うんそう何でもない。別に七不思議の事なんか怖くなんてないんだから」
「怖い、ですか? あの七不思議には何か裏があるんですか?」
「えーと、それはねぇ……というかノエルちゃん、なんでそんなに食いついてくるの」
「ケルビムの手紙について気になる点があったんです。それで、七不思議の話について詳しいだろうロイさんにお話を伺いたくて。文字の色の違いについてなんですけど、」
「ああー分かった! そうね分かった詳しく話しましょう! でもそれは場所を移してからね! じゃ、会長ちゃんそういう訳だから! 私達はこれにて失敬失敬!」
「えっ、あっ、ちょっと!? 待って、引っ張らないでぇぇ……」
止める暇もなく。憐れノエルは、さながらドナドナの子牛のように、ロイさんに引きずられる形で生徒会室を去っていったのだった。ボクは心の中で親友に黙祷を捧げた。
「ロイ先輩、めちゃくちゃなのは相変わらずでしたけど……なにをあんなに焦っていたんでしょうか?」
小さく苦笑いするミーシャさんの横で、リルハさんは視線をどこか遠くに向けて沈黙していた。
「会長、心中お察しします」
「それは私じゃなくリッツ君に言ってあげてくれ。去年の彼女の振り回され方は、それはもう……筆舌に尽くしがたいものだったよ」
しみじみと語るリルハさん、その瞳は潤んでいた。この話は深く掘り下げない方が良さそうだ。
「ああ、そうだった、話を戻そう。先程のお願いについてだが」
「あ、はい。分かってます。無茶な事はしませんよ。ノエルもその事はよく分かってると思う」
ついこの間、実際に犯人から危うく殺されかけたのだ。あれからひと月も経たないうちに、また同じような目に遭いたいとは思わない。もっとも、犯人が直接こっちを狙ってくるようなら話は別だけど。
「会長、そろそろお時間が……」
ミーシャさんのその言葉を聞いて、リルハさんは椅子から立ち上がった。
「今日は済まなかったね、わざわざここまで来てくれて。ノエル君にも礼を伝えておいてくれ」
「はい。それじゃ、ボクはこれで」
部屋から出る際、ミーシャさんに軽く手を振ると、彼女ははにかんで頭を下げた。その普段通りの様子に少しだけほっとしつつ、ボクは教室へと戻った。
◇
それから午後の授業も終わり、放課後。ボクは一人靴箱に寄りかかり、ノエルが来るのを待っていた。
既にほとんどの生徒は下校済みなのか、辺りを通る人影もまばらだ。今は部活動も中止されているから、なおさら人気はない。早めに帰らないと、ボク達も先生に注意されてしまうのだけど。
もっとも、ノエルがなかなかやって来ない理由は分かっている。昼休みに、ロイさんから思いもかけない話を聞かされたからだ。
最初の事件が起きる前日に、チェルシーさんの靴箱の中に入っていたケルビムのメモ紙。実はあれは、ロイさんが入れた物だったというのだ。最初の一枚目だけ文字の色が違ったのはそういう理由があったわけだ。彼女が言うには、今月末に出す予定だった学院の七不思議にまつわる新聞記事の為の仕込みのつもりだったそうで。それがまさかこんな事件に繋がるとは思ってもおらず、このままだと自分が犯人にされるんじゃないか、そう思い慌ててノエルに相談しに来たのだそうで。
「――そりゃ自分でもトラブルメーカーって自覚はあるわよ、多少なりとも。だけどこんなシャレにならない事件まで起こそうだなんて微塵も思ってないわよ。お願いだから信じてホント」
最後の方は半ば縋り付いてくるような感じだったらしい。とはいえ、ノエルだけでどうこうできる事でもないから、彼女の事は一旦置いておく事にしたようだ。
それから――教室に戻ってきてから放課後を迎えるまでの間、ノエルはずっと一人考え込んでいた。そして放課後になるとすぐに、ボクにロイさんの事を話し。
「少し確かめたい事がでてきたの。ちょっと待っててもらってもいい?」
そう言って教室から早足で出て行った。そして今に至るという訳だ。確かめたい事、というのはおそらく事件当日の校内に誰が残っていたのか、という事だろう。ロイさんがケルビムの手紙を靴箱に入れた前後の時間に居た生徒。その中に、ロイさんの行動を偶然見て、そこから七不思議を用いた犯行のアイデアを思い付いた犯人がいるかもしれない。とはいえ。
「まあ、気になっちゃう気持ちは分かるんだけどさ」
そうひとりごち、三粒めの飴を口に放り込む。もうすぐ五時を過ぎる頃だ。さすがにそろそろ呼びに行かないとまずいだろう。ボクはノエルから預かった鞄を持って、東棟の方に向かう。そして、二階に向かう階段を上っていた時だった。
「あら。貴女、こんな時間までどうしましたの?」
上から声が聞こえてきて、ボクは踊り場で足を止めた。
「ちょっとノエルが調べ物に夢中になってるみたいだから、迎えに」
「ああ……そういえばあの子、昼間に例の明朗快活なトラブルメーカーに何かせがまれていましたわね」
分かりやすく的確なあだ名でロイさんの事を呼ぶチェルシーさんに、ボクは苦笑いを返すことしかできなかった。
「先輩は何を? もしかして生徒会のお仕事ですか?」
「いえ、今日はそうではなくて……そうそう、リッツの姿を見かけなかったかしら? 部活関係の所用があると言ったきり、わたくしの所に戻ってきませんのよ」
「リッツ先輩ですか? うーん……さっきまで一階にいたけど、それらしい人影は見てないなぁ」
「そうですのね。全くあの子ときたらこのわたくしを放っておいて、一体どこに行ったのかしら」
頬を膨らませ、チェルシーさんはゆっくり階段を降りてくる。と、その後ろの方に――丁度窓から差し込む夕日の影になっていて、顔までは見えなかったけど――誰かの姿が見えて。
見えた、次の瞬間。
「――えっ?」
チェルシーさんの体が宙を舞った。とん――と、背中を軽く押されたかのような格好で。
「あ、危なッ、」
叫びかけた時にはもう、彼女の体はすぐそばにあって。お互い悲鳴を上げる暇もなく、重たい衝撃がそのままボクを襲った。その直後、強かに打ち付けられる音と共に、鋭い痛みが背中を走る。
「ぐうッ……!」
「う、く……な、何ですのよ、今……」
かぶりを振るチェルシーさんの方は、どうやら大した怪我はないようだ。そこだけは不幸中の幸いか。
「あっ!? ポ、ポーラ、貴女大丈夫ですの!?」
「な、なんとか。それより」
チェルシーさんの頭越しに階段の上を睨む。だけどそこにはもう誰も居なかった。開いた廊下の窓から吹き込む風で、白いカーテンがはためいているだけだ。
「一体何ですか今の音……あっ!?」
「チェルシー! ポーラさん!」
音を聞きつけてか、ミーシャさんとリッツ先輩が、それぞれ廊下の左右から駆けつけてきた。それから遅れてリルハさんも顔色を変えてやってきて。
「ポーラ!? 一体何があったの!?」
いつの間にか一階にいたらしく、慌ててこっちに駆け上ってきたノエルの腕を、ボクは荒々しくつかんだ。
「ボクの事なんかどうだっていい。分からないんだ……どうして犯人は今、ボクをターゲットにして巻き込んだんだ」
そう矢継ぎ早に問うボクの視線は、ノエルの方ではなく、チェルシーさんが床についている左手の方――そこに落ちていた一枚の紙切れに向いていた。それに何が書かれているのか。手を伸ばしたノエルもきっと、見る前から分かっていた。
「……cherubum」
ボク達を介抱しに来たリッツ先輩を含め、この場にいた全員の動きが止まった。凍り付いた、と言うべきか。
「奴はボクを犯人に仕立てるつもりだったんじゃなかったの? ボクもキミもそう推理した。なのに今、ボクがこのタイミングで被害者になった。これじゃあ……もうボクを犯人になんてできやしない」
「……………」
「ボクらの推理は間違ってたのか? だとしたら……犯人は一体、何がしたいんだ。この守護天使は一体、何を護ろうとしてるんだ……?」
ノエルは答えず、じっと階段の上の方を、開け放たれたままの窓を見つめていた。
穏やかな風になびく真っ白なカーテン。その様は、まるで天使の羽がはためいているかのようでもあった。




