ケルビムの炎 ⑨
「――そして現在に至る、という訳ですか」
ミーシャさんが襲撃された後。生徒会室に移った私達の元に、遅れてやって来たポーラから話を聞き終え、マイヤーさんは渋い表情を浮かべた。
「しかし困りましたね……今ある状況証拠で言えば、ポーラさんが第一の被疑者という事になる」
「そんな、ポーラの事を疑うんですか!?」
「無論私は彼女が犯人だとは微塵も思っていませんよ。しかし……所轄の同僚は、おそらくそう判断するでしょうね……」
「だね。なにせボクにはアリバイがない」
マイヤーさんの言葉に頷くポーラは、声こそ冷静だけれど、その表情は明らかによどんでいた。
「ごめん、ノエル。ボクが迂闊な事したせいで、こんな」
「そんな。ポーラが謝るような事じゃないわ」
「謝罪すべきは私でしょうね。ここに来ていながら、犯行をみすみす見逃してしまうとは……不甲斐ない」
肩を落とすマイヤーさんの視線は、テーブルの上に置かれた天使の置手紙に向けられていた。
「しかし……言い訳するつもりはないんですが。まさか犯人がここまで頭の切れる相手だったとは。ポーラさんをターゲットとしてではなく、身代わりとして狙っていたとはね。読めませんでした」
「ええ……」
徹底して痕跡を残さない所から、用意周到な犯人だろう事は分かっていたけれど。まさかこういう搦め手まで使ってくるなんて。とはいえ、ここで悔やんでいてもどうにもならない。まずは現状を整理しないと……と考えていた時だった。
「失礼します」
ミーシャさんの看護が一段落ついたのか、リルハさんがリッターさんと一緒に戻ってきた。二人の姿を見るや、すぐにマイヤーさんが頭を下げる。
「ああ、すみませんお二方、ご苦労様でした。それで……どうです、ミーシャさんの様子は?」
「はい。大分落ち着いております。今なら話を聞いても大丈夫かと。ただ……」
「ちらりと自分達に話してくれた内容の限りだと、どうもミーシャさんは犯人の顔を全く見ていないようです。背後から襲われて、顔を見るどころではなかったと。辛うじてその後ろ姿だけは見えたそうですが」
「ふむ、なるほど……リッターさん。その犯人の服装はどういうものだったか聞きましたか?」
「……我が校の、制服姿だったそうです」
しばらく、重たい沈黙が流れる。ポーラは自分の手を見つめたまま動かない。外堀からじわじわと埋められ、追い詰められている――言わずともそれは明らかだった。
「ああ、そういえばリルハさん」
沈黙を破ったのはマイヤーさんだった。
「話は変わりますが。ミーシャさんのご両親には、もう連絡は?」
その言葉に、リルハさんは一瞬肩を強張らせたように見えた。けれど、「はい」、と返事をしたその表情は、普段通りのものだった。
「チェルシー君に頼んでおきましたので、じき来られるかと思います」
「そうですか。では、私も彼女の側で待機しておくとしますか。あなた方はどうされます?」
と、マイヤーさんはこちらを見る。私は返事に困った。もちろんミーシャさんの事は心配だけれど。私はともかく、ポーラが見舞いに行っても大丈夫なのだろうか。今の彼女は第一被疑者という立場なのだから。不安げな視線を彼女の横顔に向ける。けれど。
「うん、ボクらも行きます」
彼女の答えは実にあっさりしたものだった。それに対してマイヤーさんは静かに笑う。
「まあそうでしょうね。別に悪い事をした訳でもなし、変に気を使う必要はないでしょう」
「マイヤーさん……」
「心配しなくとも、私はあなた方の味方ですよ。先の事件で大きな借りもありますからね。ベイカー警部もきっと理解してくれるはずです。あの人は案外私より柔軟ですから。では、保健室に……ああ、リルハさん達はどうされます?」
「我々はここで待機を。今後の事を相談しなくてはいけませんから。ミーシャ君の事は、よろしく頼みます」
私達はリルハさん達と一旦別れ、まるで人気のない廊下を進み、保健室の方へと向かった。けれど。
「……正直、ノエルとポーラは生徒会室に戻っておいた方がいいかもしれませんわね」
西棟一階、保健室の前。私達を出迎えたチェルシーさんは開口一番、小声でそう言ったのだ。その表情はひどく複雑なものだった。
「ボクが今一番疑わしいから……って訳じゃなさそうですね、その様子だと」
「ええ、その……あまりはっきりとは言えませんけれど。あの子の父君は、なかなか癖の強い方なんですのよ。悪い方ではないのですけれど、そう、なかなかね……」
「……なるほどね」
ポーラはそのぼかした表現で大体の事情を察したのだろう、分かりやすく苦い表情を浮かべていた。無理もない事だった。彼女自身もまた、そういう父親を持っていたのだから。
「ミーシャさんの様子はどうですか?」
話を変えるべくそう尋ねると、チェルシーさんはいくらか表情をやわらげて頷いた。
「肩の怪我は思ったほど深くありませんでしたわ。そこだけは救いですわね」
「そうでしたか……」
とはいえ、襲われた事に対する恐怖は並大抵のものではないだろう。心に傷が残らなければよいのだけれど――そう心配していた時だった。
「ああ、チェルシーさん! 申し訳ありません、うちの娘がご迷惑をおかけしたようで」
慌ただしくこちらに駆けつけてきたのは、スーツ姿の男性だった。見た目から推測すると四十代くらいだろうか。険しい表情を浮かべ、どこか近寄りがたい雰囲気を醸すこの長身の男性が、どうやらミーシャさんの父親であるらしかった。
「オーネス卿、この度はこのような事件に、」
「いえ、私どもの事はどうかお気になさらず。それで、娘はどこに?」
「え? あ、ええ、彼女なら今、保健室の中で安静にしていますわ。もうすぐ救急隊の方も来られるでしょうし、詳しい話はそれからにいたしましょう」
「……分かりました。その方が良さそうだ」
オーネス卿は深く息を吐くと、大きくかぶりを振って、きつい視線を保健室の扉に投げかけた。
「全くあの子はいつもいつもいらない心配ばかりかけて……重ね重ね申し訳ありません、チェルシーさん。うちの子が迷惑をおかけして」
「め、迷惑だなんてそんな。それに今ここでそういう話をするのは、」
「大体あの子は普段から用心が足りていない。だからこんな事件に巻き込まれて――」
チェルシーさんが何を言うにもお構いなしに、オーネス卿はずっとミーシャさんへの叱責の言葉を独り言のように繰り返し、そして度々チェルシーさんに頭を下げていた。そのやり取りは、救急隊の方々が到着するまでずっと続いていた。
「……なんていうか、さ」
ミーシャさん達が病院へと向かった後。残された私達に、ポーラがいつもより暗い声で呟いた。
「薄々予感はしてたけど、やっぱり……って感じのお父さんだったね。子どもの心配するより先に、迷惑かけてごめんなさいって……」
「……………」
廊下の窓から中庭を見つめるチェルシーさんは何も語らず。ただ静寂の中で佇むだけだった。




