第10話:やっぱりちょっと、粘着質すぎるんだよなぁ!
「あ、紡ちゃん。今、会社の人とすれ違った時に0.5秒くらい目があったでしょ。誰? あの男。まさか僕より背が高いからってちょっと気になったりした? ねぇ、僕の描く絵よりあの男のスーツ姿の方が魅力的に見えた? 正直に言って? 嘘ついたら今日から紡ちゃんの靴下全部、僕の特製愛執カプセルに封印するからね」
「……ただの営業部の先輩だし、すれ違いざまにお辞儀しただけだよ! 0.5秒の目線までカウントしないで!」
日曜日の昼下がり。激しい人混みでにぎわう駅前の商店街で、私は粘理に腕をガッチリと抱え込まれながら、半ば悲鳴に近いツッコミを飛ばしていた。
あれから、数ヶ月。
私の決死の告白と全開の受け止め宣言により、城山粘理の「粘着質」は見事に大復活を果たした。……いや、「大復活」どころの騒ぎではない。一度冷やされて固まったマグマが爆発したかのように、彼の執着と愛量は以前の1.5倍(当社比)に跳ね上がっていた。
「ダメだよ紡ちゃん。僕以外の男を視界に入れていいのは、僕が死んで骨になってから100年後って決めてるんだから」
「寿命と死後のタイムラグ長すぎでしょ!!」
文句を言いながらも、私の口元は緩みっぱなしだった。
私の腕にしっかりと絡みつく、この重たくて熱い体温。ぬめりと湿度を帯びた、胸が苦しくなるほどの情念。
これだ。この「息の詰まるような重さ」こそが、私の愛おしい日常なのだ。
「ねえ紡ちゃん、あそこのカフェ入ろうよ。僕、紡ちゃんが甘いワッフル食べてる時の『ん〜!』って顔を、横から連写したいんだ」
「盗撮みたいな言い方やめて。……でも、行こっか」
二人の歩幅を合わせてカフェの引き戸をくぐる。
カフェの店内には香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。窓際の席に座ると、粘理は間髪入れずにスマホを取り出し、私の手元や顔をあらゆる角度からカシャカシャと撮影し始めた。
「粘理、注文してからにして」
「注文はもう決まってるよ。紡ちゃんと同じブレンドと、紡ちゃんが食べたいワッフル半分こ。紡ちゃんが口をつけた方を僕が食べる」
「そこまで計算済みかい」
呆れつつも、私は彼の顔をじっと見つめた。
クマは消え、頬には健康的な血色が戻り、何よりその瞳には燃えるような生命力が満ちあふれている。
彼のSNSのタイムラインは、今や大変なことになっていた。
あの復活の日以降、粘理が怒涛の勢いで描き上げた新作——『愛の泥沼に溺れて』。
私への狂おしいほどの情念と執着を、これでもかとキャンバスに叩きつけたその大作は、投稿されるや否や大バズりを記録した。
『粘理先生の神作風が完全復活した!!』
『前より濃度が増してて狂気すら感じる……最高すぎる』
『このドロドロした質感、どうやったら描けるんだよ……天才か』
ファンからの絶賛の嵐。イラスト集の重版も決定し、彼のイラストレーターとしてのキャリアは、以前にも増して輝かしいものとなっていた。
「……粘理、絵、調子良さそうだね」
「うん!」
粘理はカメラを置き、テーブル越しに私の両手をぎゅっと握りしめた。
「もうね、描きたいものが次から次へ溢れて止まらないんだ。紡ちゃんが『好き』って言ってくれた瞬間の顔とか、泣き顔とか、僕の首に抱きついてくれた時の体温とか……全部、絵の具にしてキャンバスにぶつけてる。……ねえ紡ちゃん、今夜も僕のモデルになってくれる?」
「モデルって……ただ抱き合ってるだけのやつでしょ?」
「それが一番、僕の絵の具を濃くしてくれるんだよ。紡ちゃんの匂いを吸い込まないと、いい赤色が出ないんだ」
甘い声で、ねっとりと囁く粘理。
その言葉の重さに、心臓がトクンと跳ね上がる。
私はもう、彼を遠ざけたりしない。この重さに耐えかねて逃げ出そうとも思わない。
彼の狂気も、情熱も、粘着質も……すべてが私を愛してくれる証なのだと、魂レベルで理解したからだ。
「いいよ。いくらでもモデルになってあげる。……あ、でも締め切りはちゃんと守ってね?」
「う……善処します」
苦笑いする粘理と顔を見合わせ、二人でくすくすと笑い合った。
***
カフェを出た後、私たちは夕暮れの街を当てあてもなく歩いた。
ふと、見覚えのある路地裏が目に留まる。
赤い提灯がぽつりと灯る、古い木造の店舗。
そう——あの奇妙な道具店『泡影堂』だ。
「あ……」
「ん? どうしたの、紡ちゃん?」
粘理が不思議そうに私の顔を覗き込む。
「ううん、ちょっとね。……粘理、ここで待ってて。すぐ戻るから」
「えっ、嫌だ! 一秒でも紡ちゃんと離れたくない! 僕も行く!」
「すぐそこだから! 10秒で戻るから!」
粘理の「えーっ」という不満そうな声を背に受けながら、私は小走りで『泡影堂』の引き戸を開けた。
カラカラと音が鳴り、薬草と甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。
カウンターの奥から、あの日と変わらない老店主が静かに現れた。眼鏡の奥の目を細め、私を見ると深くうなずいた。
「おやおや、お嬢さん。……表情が見違えるように良くなりましたね。どうやら、ご自身にぴったりの『洗い方』を見つけられたご様子で」
私はカウンターへ歩み寄り、深く頭を下げた。
「店主さん、あの節は……本当にありがとうございました。たくさんご迷惑をおかけしました」
「いいえ。当店の品物は、お客様の心を映す鏡に過ぎません。あなたが彼と向き合い、彼をそのまま愛することを選んだ……ただそれだけのことです」
店主は静かな声で微笑み、カウンターの上に小さな透明な小瓶をひとつ置いた。
中には、何も入っていない。ただの空っぽのガラス瓶だ。
「……これは?」
「『感謝のしるし』です。もし万が一、また彼の愛に溺れそうになった時は……それをお持ちになりなさい」
「ふふ……大丈夫です」
私は微笑みながら、首を振った。
「もう、何も洗い流しません。ドロドロのまま、二人で溺れて生きていくって決めたんです。……どんなに重くても、私が彼の重りになりますから」
店主は驚いたように目を丸くした後、「ほう……」と感心したように深く微笑んだ。
「素晴らしい覚悟です。……どうぞ、末永くお幸せに。『汚れ』を愛せるようになった人間は、もう二度と解けない強い絆を手に入れるものですから」
「はい! ありがとうございました!」
私はもう一度深く頭を下げ、店を飛び出した。
***
路地裏から表通りへ出ると、案の定、粘理が泣きそうな顔でウロウロしていた。
「紡ちゃん!! 14秒もかかったよ!! どこ行ってたの!? 僕を捨てて逃げちゃったのかと思って、心臓が止まるかと思った……っ!」
「たった14秒で心臓止めないでよ!」
粘理は私を見つけるやいなや、突進するように抱きついてきた。
夕暮れの街角、通行人の視線なんて一切気にせず、私を壊れるほどの力で抱きしめる。
「紡ちゃん……もうどこにも行かないで。僕のポケットに入ってて」
「無理があるでしょ、サイズ的に」
「じゃあ、ずっと手を繋いでて。家に帰ったら、僕の髪の毛で紡ちゃんの手首縛っていい?」
「それはちょっと意味が分からないから却下!」
呆れながらも、私は彼の手をキュッと握り返した。
粘理の手は、少し汗ばんでいて、温かくて、離そうとしても絶対に離れないくらい強く力が入っていた。
かつて、私はこの粘着質を嫌い、洗剤で綺麗に洗い流そうとした。
けれど、分かったのだ。
人生には、綺麗に洗わなくていいものもある。
泥にまみれ、ドロドロに溶け合い、形を失ってしまうほど濃厚な愛こそが、私と粘理を繋ぐ最高の「接着剤」なのだ。
「ねえ、粘理」
「なあに、紡ちゃん?」
「一生、私に粘着してね」
粘理が、一瞬驚いたように目を大きく見開いた。
そして次の瞬間、今まで見たこともないほど眩しく、狂おしく、最高に幸せそうな笑顔を弾けさせた。
「言われなくても!! 死んでも、生まれ変わっても、化けて出てでも、ずーっと紡ちゃんに粘着し続けるからね!!」
「うん。……どんと来い!」
茜色に染まる帰り道。
二つの影は、ぴったりと重なり合ったまま、二度と離れることなく解け合っていった。
もう、洗剤なんていらない。
私たちはこのドロドロの愛のまま、どこまでも、どこまでも一緒に生きていくのだから。
第4章 終了です。
好きな彼だが粘着質過ぎる
洗濯できたら粘着質が取れて、好きしか残らないのにな
これをテーマで書いてみました。少しファンタジー的な要素入ってしまったのは失敗でした。
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