第1話:100点満点の恋が、0点に変わるまで
お読みいただきありがとうございます!
本作は、モラハラ元彼をスカッと論破して、年下の天才後輩くんにめちゃくちゃに溺愛されるお話を、**【この週末3日間(日曜日夜まで)で一気に全話完結】**でお届けします!
本日は19:10と20:10に投稿
続きが気になる方は、ぜひ作品フォローをしてお待ちいただけると嬉しいです!
「……あ、拓海。おかえり」
午後11時過ぎ。鍵が開く音と同時に、緒方紬はパソコンの画面から顔を上げた。
中堅インテリアメーカーの企画開発部に所属する紬は、自宅のリビングで新型オフィスチェアの仕様書をにらんでいたところだった。
帰ってきた同棲5年目の恋人、浅井拓海は、ネクタイを乱暴に緩めながらソファに倒れ込む。開口一番、ため息混じりの愚痴が飛び出した。
「はぁー……マジでやってらんねぇわ。上の連中、口を開けば数字数字って、現場の苦労を何も分かってねぇんだよ」
「お疲れ様。今週、ずっとバタバタしてるもんね。……あ、お腹空いてる? 何か温めようか」
「んー、お腹は空いてるけどさ」
拓海はスマホの画面に目を落としたまま、面倒くさそうに片手をひらひらと振った。
「何があるの?」
「冷蔵庫に、昨日作った肉じゃががあるよ。あと、お味噌汁も小鍋に入ってるから、レンジと火にかければすぐ――」
「えー、また肉じゃが? ぶっちゃけ、疲れてる時はもっとガツンとしたものが食べたいんだけど。っていうかさ、紬、俺が帰る時間分かってたんだから、唐揚げとか揚げといてくれても良くない?」
「……え?」
紬の手が、キーボードの上で止まる。
「私もさっき帰ってきたばかりで、自分の仕事の資料を作ってたから……」
「仕事、仕事って、紬の仕事ってインテリアの企画だろ? 正直、見た目をおしゃれに整えるだけの楽な仕事じゃん。俺みたいに外で頭下げてゴリゴリ営業してくる仕事とはわけが違うんだからさ、家の中くらいもうちょっと俺に回してよ」
ハハ、と拓海は自嘲気味に笑う。悪気はなさそうだ。それが逆に、紬の胸に冷たい楔を打ち込む。
(インテリアは見た目を整えるだけの、楽な仕事……?)
この新型チェアのミリ単位の傾斜や、ウレタンの硬度を調整するために、どれだけの工場と交渉し、泥臭い調整を重ねてきたか、拓海は何も知らない。知ろうともしない。
チーン、と頭の中で小さな音が鳴った。
『インテリアなんて楽な仕事(-15点)』
「……分かった。じゃあ、今からコンビニで何か買ってこようか。唐揚げ弁当とかでいい?」
「あ、じゃあファミマのチキンも買ってきて。あとビール」
「……うん」
紬が立ち上がろうとした時、拓海がふとスマホから目を離し、紬の姿を上から下まで眺めた。その目が、わずかに値踏みするように細められる。
「っていうかさ、紬。そのパジャマ、付き合った当初から着てない? ヨレヨレじゃん」
「これ、着心地がいいから気に入ってるの。家の中だし、誰に見せるわけでもないし」
「いや、俺が見てるんだけど。それに……なんか最近、お前老けた? 20代後半って、女は一気にガタがくるって言うけど、マジなんだな。肌のツヤとか、学祭の運営で知り合った頃とは大違いだわ」
悪びれもせず、むしろ親しい間柄だからこその「いじり」のつもりで、拓海は笑う。
(老けた、か……)
誰のせいで、こんなに擦り切れていると思っているのだろう。
毎晩遅くに帰ってくる彼の愚痴を微笑んで聞き、深夜に汚れた食器を洗い、洗濯機を回す。休日になれば、泥のように眠る拓海の邪魔をしないように、静かに家事を片付ける。
5年前、大学の学園祭運営で、メガホンを片手に「みんな、最高の学祭にしようぜ!」と輝いていた浅井拓海は、100点満点のヒーローだった。あの時の眩しさに惹かれて、23歳から28歳までの、一番濃密な5年間を彼に捧げてきた。
だけど、今の拓海は、ただ自分のプライドを保つために、一番近くにいる紬の価値を削り落とすだけの男になっていた。
チーン。
『デリカシーのない外見ディス(-30点)』
「……私、コンビニ行ってくるね」
「おう、急いでね。お腹ペコペコだから」
財布だけを持って夜の街に出ると、ひんやりとした夜風が、熱を持った頬を撫でた。
街灯の下、紬はぽつりと呟く。
「……あと、25点か」
心の中にいつの間にか設置されていた減点カウンター。100点から始まった同棲生活は、日々の小さな「ガッカリ」の積み重ねで、もう残り僅かになっていた。
◇
それから1週間後。日曜日。
紬は仕事の大きなコンペを乗り越え、ようやく掴んだ休日だった。しかし、一歩も動けないほどの激しい頭痛と寒気に襲われ、ベッドから起き上がれずにいた。
体温計の数字は、38.4度を示している。
ガタガタとリビングで音がして、ドアが開いた。昼過ぎに起きてきた拓海が、部屋を覗き込む。
「ねえ、紬。今日、昼飯どうするの? 俺、パスタがいいんだけど」
「……ごめん、拓海。ちょっと、熱があって……動けないの。頭が、割れそうに痛くて……」
枕元からかすれた声で訴える紬に、拓海は露骨に嫌そうな顔をした。看病の心配よりも先に、彼の口から出たのは「自己管理」についての小言だった。
「はぁ? 熱? お前さ、仕事忙しいからって体調崩すとか、プロ失格だろ。だからインテリア部門は甘いって言われるんだよ」
「ごめん、なさい……。冷蔵庫に、レトルトのお粥があるから、それを温めて、もらえたら……」
「えー、俺がお粥作るの? 勘弁してよ、料理なんかできないって知ってるだろ。っていうか、俺のパスタは? 紬が作れないなら、俺、外で適当に食べてくるわ」
拓海はため息をつきながら、ポケットからスマホを取り出す。
「あ、そうだ。ついでに惣菜でいいから、なんか買ってきて枕元置いとくわ。じゃ、俺行ってくるから。あ、鍵閉めといてね」
バタン、と軽い音を立ててドアが閉まる。
静まり返った寝室で、紬は天井を見つめていた。
涙すら出なかった。ただ、頭痛とは違う、心の中の深い部分が完全に冷え切っていく感覚だけがあった。
料理ができないわけではない。拓海は、自分が食べたい時にはチャーハンやラーメンをこだわって作ることがある。ただ、「体調を崩した彼女のため」に手を動かすのが面倒なだけなのだ。
「ついでに惣菜を買ってくる」と言いながら、今すぐ動けない紬に「鍵を閉めといてね」と言い残す、その信じられないほどの想像力の欠如。
(ああ、もう、無理だ)
心の中のカウンターが、不気味なほど静かに、けれど確実に音を立てた。
カタ、と。
100点から始まった5年間が、綺麗に『0点』になった瞬間だった。
「……終わった」
紬はゆっくりと身体を起こした。不思議と、身体の寒気は消えていた。
フラフラする足取りでリビングへ向かい、クローゼットから大きなスーツケースを引き出す。
拓海が男友達と昼飯を食べ、パチンコにでも行って帰ってくるまで、早くても3時間はかかるだろう。時間は十分にある。
紬は、自分がこの家に持ち込んだ服や本、お気に入りのマグカップを、機械的にスーツケースへ詰め込んでいった。2人で選んだはずの家具を見回しても、もう何の未練も湧かなかった。拓海が「見た目を整えるだけ」と吐き捨てた家具たちは、今の紬にはただの虚しい箱に見えた。
最後に、ダイニングテーブルの上に、部屋の合鍵を静かに置く。
メモ用紙を1枚引き裂き、ペンを走らせた。
『荷物は全部持って出ます。別れましょう。もう連絡してこないでください。』
それだけを書き残し、紬はスーツケースのハンドルを握った。
玄関のドアを開け、一歩、外の世界へ足を踏み出す。
振り返ることはしなかった。
28歳、同棲5年目の終わり。世間的には「時間を無駄にした」と言われるかもしれない。けれど、スーツケースを引いて歩く紬の胸は、驚くほど軽かった。
◇
それから3ヶ月後。
紬は会社に近い小さなワンルームマンションに引っ越し、仕事に没頭する日々を送っていた。
拓海からは、最初の数日間、狂ったように着信やLINEが入った。
『冗談だろ?』
『熱があったからって怒るなよ。惣菜買ったじゃん』
『お前がいないと部屋がめちゃくちゃなんだけど。早く帰ってこいよ』
すべて、自分がなぜ捨てられたのかを1ミリも理解していない、自己保身のための言葉だった。紬はそれらをすべてブロックし、完全にシャットアウトした。
そして今日。
紬は、クローゼットに掛かった淡いネイビーのドレスを見つめ、小さくため息をついていた。
大学時代のサークル――吹奏楽部の同期である新郎と、同じくサークル仲間だった新婦の結婚式。
「……拓海も、来るんだよね」
拓海は同じ大学の別のサークルだったが、学祭運営のつながりで、今回の新郎新婦とも共通の友人だった。当然、呼ばれているはずだ。
「大丈夫。もう、あの男の点数は0点なんだから。何を言われても響かない」
紬は自分に言い聞かせるように呟くと、ドレスのジッパーを引き上げた。
あの時はまだ知らなかった。
0点になってすべてを失ったはずの彼女の人生に、これから、想像もしなかったほどの「眩しい加点」をもたらす救世主が待っていることを。
お読みいただき、本当にありがとうございました!
もし「面白かった!」「もっと読みたい!」と思ってくださったら、ぜひ作品への応援をお願いいたします。
画面下部にある、
・【ブックマークに追加】
・【★★★★★】(ポイント評価)
をポチッと押して応援していただけますと、次回作や第二章?の執筆エネルギーが100倍になります!
皆様の評価一つ一つが、作者の何よりの支えです。
感想やレビューなども、一言でも大歓迎です!




