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潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


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第34話 届くところまで、取りにいく

 次走の朝、恒一は前回より静かだった。


 緊張が消えたわけじゃない。

 むしろ重い。

 ただ、前みたいに「走ってくれ」だけではなくなった。


 今日は勝ちに行く。


 その言葉が、自分の中にはっきりあった。


 競馬場へ向かう車の中で、美緒が出馬表を見ながら言う。


「一番人気だね」 「ああ」 「やっぱり、ちょっと嫌」 「俺もだ」 「嬉しい?」 「半分」 「もう半分は?」 「人気した馬が、人気通りに走れるとは限らない」


 美緒は画面を消して、膝の上にスマホを伏せた。


「前みたいに、二着でも意味があるって顔じゃないね」 「今回は違う」 「勝ってほしい?」 「勝ってほしい」 「かなり?」 「かなりな」


 美緒は少しだけ笑った。


「それなら、今日の兄さんは分かりやすい」


 競馬場へ着くと、春日はすでに準備を終えていた。


「おはようございます」  恒一が頭を下げる。  春日は短く返す。


「今のところ、馬は悪くありません」 「はい」 「前回より落ち着いています」 「それはいいですね」 「いいです。ただし」 「……」 「今日は、前回より相手も、この馬も前へ行きやすい」 「そうですね」 「だから、欲しいものをもう一度確認します」


 春日は、いつも通り淡々としていた。


「ゲートを出る」 「はい」 「前回より一段前で流れに入る」 「はい」 「我慢をなくさない」 「はい」 「その上で、届くところまで行く」 「……」 「今日はそこまでやって、初めて勝ちです」


 そこが前回と違った。


 走る。

 我慢する。

 脚を残す。

 そこまでは同じだ。


 でも今日は、その先がある。

 届くところまで行く。


 パドックへ出たタチカゼは、前回より一段締まって見えた。


 歩様は滑らかだ。

 首も高すぎない。

 周りを気にしてはいるが、気持ちは外へ飛んでいない。


「前よりいいね」  美緒が言う。 「ああ」 「すごくいい、って言っていい?」 「まだ早い」 「そう言うと思った」


 坂口が横から入る。


「馬体は前回より上です」 「はい」 「問題は、人気になった分だけ、楽な形を取れないかもしれないことです」 「前を締められる」 「あります。外を回されることもある。仕掛けを待たれないこともある」 「……」 「でも、そこを越えないと次はない」


 騎手が跨る直前、恒一は一瞬だけタチカゼの首元に触れた。


 汗は薄い。

 耳の動きは忙しいが、前みたいな硬さはない。

 前へ行きたい気持ちはある。だが、散ってはいない。


 視界に文字が浮かぶ。



---


タチカゼ

気性安定:B-

折り合い:B

心肺:B

芝適性:B

距離適性:マイル~1800

右手前の雑さ:残存・軽減

本日評価:勝負圏

推奨方針:好位差し/仕掛け急ぎ回避

総評:前回より取りに行ける状態。ただし、早仕掛けで形を崩さないこと



---


 本馬場入場の後ろ姿を見ながら、美緒が聞く。


「兄さん」 「なんだ」 「今どんな気分?」 「……前回より静かだ」 「自信ある?」 「ある」 「ほんとに?」 「少しはな」 「じゃあ、怖い?」 「怖い」 「両方なんだ」 「両方だ」


 ゲート入りは前回よりむしろ自然だった。


 タチカゼは中ほどで入る。

 嫌がる素振りは薄い。

 扉が閉まる。

 間が空く。

 開いた。


 タチカゼは出た。


「よし」  恒一の口から、ほとんど無意識に声が出た。


 前回より半馬身前。

 春日が言った通りの位置だった。

 押して取りに行った形じゃない。

 自然に、そこへ収まっている。


「いい位置」  坂口が言う。 「はい」 「ここなら選べます」


 前半、タチカゼは好位の外目で流れに入った。

 前へ行きたい気持ちはある。

 だが、前の馬を食いに行ってはいない。


「我慢してる」  美緒が言う。 「ああ」  恒一は答えた。 「前回より前でも、我慢してる」


 向正面で、一頭が早めに動いた。

 人気馬を見て動いたのが分かった。


「来るな」  恒一が言う。 「来るね」  美緒の声も少し硬い。


 そこで騎手は慌てない。

 タチカゼをすぐには追わない。

 一拍だけ待つ。


 それが大きかった。


 四角へ入る前、タチカゼはまだ好位にいる。

 前を射程に入れたまま、外へ持ち出す。


 そこで右手前の雑さが少しだけ出た。


 前肢の入りが半拍乱れる。

 だが、前回みたいにそこで全部がほどけない。

 バランスを崩し切る前に戻す。

 我慢の線が、まだ切れていない。


「行け」  恒一の声が漏れた。


 直線で、タチカゼは伸びた。


 前回より脚色がいい。

 じわじわではない。

 前を見て、もう一段前へ出る伸びだった。


 一頭交わす。

 また一頭交わす。

 残り二百で先頭との差は半馬身。


「ある」  坂口が低く言った。


 勝ち馬候補も止まらない。

 だがタチカゼの脚はまだ残っている。


 残り百。

 首が並ぶ。

 そこから、もうひと伸びした。


「差した!」  美緒が叫ぶ。


 タチカゼは先頭でゴールを駆け抜けた。


 一瞬、音が遅れて届いた。

 それから、ようやく実感が追いついた。


「……勝った?」  美緒が言う。 「勝った」  恒一が答えた。 「勝ったな」  自分の声も、少し遅れていた。


 胸の奥が、ようやく落ちた。


 前回は二着だった。

 今日は違う。


 ゲートを出た。

 前回より前で流れに入った。

 我慢した。

 右手前の雑さも抱えたまま、形を壊さなかった。

 その上で、最後に取り切った。


 春日が短く言う。


「よし」 「……」 「今度は、ちゃんと勝ちです」


 それだけで十分だった。


 坂口も息を吐いた。


「大きいですね」 「大きいな」  恒一は言った。 「かなりな」


 史門が口元だけで笑った。


「だから短いところへ逃げなくてよかったんですよ」 「お前、本当にそこだけはぶれないな」 「正解だったでしょう」 「……ああ」


 それは間違いなかった。


 パドックへ戻ってきたタチカゼは、息こそ上がっていたが、気持ちは散っていなかった。

 勝ったあとに浮いている顔じゃない。

 競馬をもう一つ覚えて帰ってきた顔だった。


 恒一は首元に触れた。


「よくやった」


 タチカゼは耳を一つ動かした。


 美緒が、まだ信じ切れない顔で立っている。


「兄さん」 「なんだ」 「勝った」 「ああ」 「ほんとに勝った」 「ああ」 「うわ……」  美緒は両手で口を押さえてから、もう一度言った。 「うわ……」


 春日がそこでいつも通りの声を出す。


「喜ぶのはいいです」 「はい」 「ただし、今日で完成したと思わないこと」 「分かっています」 「本当に?」 「はい」 「ならいい」


 少し間を置いて、春日は続けた。


「前回の二着で競馬を覚えた」 「……」 「今日の一勝で、勝ち切る形を覚えた」 「はい」 「ここから先は、相手もさらに強くなる」 「分かっています」 「でも、今日の勝ちは価値があります」


 その一言が重かった。


 ただの一勝じゃない。

 前回の二着から、ちゃんとつながった一勝だった。


 帰りの車で、玲奈に電話を入れる。


「どうだった」 「勝った」 『……は?』 「勝った」 『ほんとに?』 「ああ」 『うわ』  美緒と同じ声がした。 『内容は?』 「かなり良かった」 『じゃあいい』 「そこ、やっぱり短いな」 『勝ったんでしょ』 「勝った」 『なら十分よ』 「お前、それだけか」 『それ以上は、帰ってから聞く』


 牧場へ戻ると、夕方の空気はいつも通りだった。


 フユノホシは静かだ。

 シラユキノハナの仔も、まだ地味だ。

 でも、今日はそのいつも通りが明らかに違って見えた。


 タチカゼが、ただ売れた馬でも、ただ走った馬でもなくなった。

 勝った馬になった。


 それは、牧場の景色まで変える。


 事務所で、美緒が帳簿の余白を開く。


「何て書く?」 「またか」 「まただよ。今日は今までで一番大きいでしょ」 「……そうだな」


 少し考えてから、恒一は言った。


「レース線」 「うん」 「初勝利」 「そのまんまだね」 「分かりやすい方がいい」 「今日はそれが正解」


 美緒はそのまま書いた。


 タチカゼ レース線・初勝利


 悪くなかった。


 勝った。

 その二文字だけで十分だった。


 空いた馬房の前で、恒一は立ち止まった。


 ここから出て行った馬が、競馬場で勝った。

 そこまで来た。


 まだ牧場は苦しい。

 金も楽じゃない。

 でも、今日ははっきり分かる。


 報われた。


「兄さん」  美緒が後ろから来る。 「なんだ」 「今、かなりいい顔してる」 「今日は言われると思った」 「どんな気分?」 「……嬉しい」 「うん」 「かなり、報われた」 「うん」 「でも、ここからだ」 「それも兄さんっぽい」 「そうか」 「うん。でも今日は、それでいい」


 恒一は小さく笑った。


 ここまで来た。

 それだけで、今日の前進は十分だった。



---


榊原恒一


牧場経営力:B


配合読解:C-


繁殖観察:B+


若駒評価:A


現場判断:A


資金繰り判断:B


交渉・信頼:A-


牧場再建度:63%



榊原ファーム


現金余力:低


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:再編中


若駒資産価値:A


自家保留価値:A-


牧場ブランド:C


倒産危険度:高



補助表示


若馬売却成否:成立


育成先:北斗トレーニングファーム


レース線:タチカゼが芝1800で初勝利

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