極寒の光彩②
まだ深い雪が残る霊峰ヨーグの麓、山頂付近にあるケフィアの分村といった方が正しいのだろう。ドラゴンスレイヤーの血族たるラズゥの子孫であるミーソスが長を務めるアンダーマイン。辺境に相応しく、目を見張るような特産品などはない。と、言えばミーソスの息子であるウイナンは溜め息を吐くことであろう。一応ではあるがエールの酒造場はある。他にはスパイスベリーのジャムとこの辺では珍しくも何ともない雪麦などの作物。それとかつては鉱石が採れたという小さな横穴がある程度だった。
だが、その日はまだ身震いする寒さの早朝にも関わらず、アンダーマインの住民達が緊張感が他漂う中でこの村に向ってくるものを凝視しているではないか。竜車である。ここアンダーマインでは細々とした物流のやり取りはあるので珍しいものではない。ただ、こんな冬の時期に来ることなどはない。しかも、どう見てもその竜車は行商などが移動、輸送目的で使うものではない。まるで家のような大きさの車を複数の大型の竜が曳く四頭立てだ。しかも、その竜は長毛種という珍しく希少な種で冬場など本来竜車が使えないような環境でも走行できる優れた竜だ。そんな竜を保有できるものなどこの北ルディアでは極わずかに限られた者達だ。例えば、王族…貴族…それとも度を越えた超越者か…。
殆どの住民が家の戸の隙間から戦々恐々と伺う中で、堂々と正面から構えるのは長であるミーソス。そして、息子のウイナンとその妻のブンコの3人。そして、その前方に静かに立つのはケフィアの司祭マリアードとアンダーマインに常駐する覆面装束の神殿戦士達であった。
やがて、その余りも立派な竜車が村の門を潜る。門の柱がへし折られてしまうのではないかとミーソスとウイナンは内心ヒヤヒヤものだったが、何とかギリギリで通り抜けたので安堵の息を吐き出す。しかし、停まった竜車の扉が開いたのですぐにまた表情が凍り付く。
「「…………」」
先ず、竜車から飛び出したのは獣人と亜人の青年だった。恐らくスナネコ族と近似と思われる者と村の者達が初めて目にするような岩の肌を持った種族。揃いの青と白のマントを羽織っている。ふたりは油断なく辺りを見渡すと竜車に向って合図を送る。
「テレンス様」
「ええ。ありがとう、ラベンダー」
そして今度は竜車の中から人間の娘とプラチナの長髪を流した筋肉質な男、そして何故かその男に隠れるようにして背中に張り付くコウモリのような羽根を持った少女だ。良く見れば、その男以外には首に奴隷紋が刻まれている。そして男が村に向って顔を向けた途端、誰かが声にならない悲鳴を上げてしまう。
男の顔は骸骨のように顔料で白く塗りたくられ、目元だけを黒く塗っているという異様な形相であったためだ。
「あっ…!」
だが、その中で村人の誰かが気付いた。その男のマントにあしらわれたアデクの印章に。
その途端、住民の殆どが彼らに向って不快感と敵意を露わにし、過半数の戸が子供や老人を庇うように閉ざされた。
「「…………」」
その反応に獣人の少年は分りやすく顔を顰め、ラベンダーと名を呼ばれた娘は悲し気な顔を一瞬だが浮かべてしまった。
「お止めなさい、レタス。…ラベンダーもそんな顔をしないでちょうだい。それと、サックスもご苦労様。アナタも御者台から降りなさいな」
やたらしなりのある男の言葉で御者台にあった毛皮の塊が頷くとモソリと地面に降りたので、ようやく村人達がそれを亜人だと理解した。
「お初にお目に掛かります。私はこのヨーグの峰にあるケフィアの司祭、マリアードです。西方が誇る“六色魔導士”が一色。白魔導士の名を冠するホアイト・テレンス様とお見受け致します」
「アラ。今代の“魔術師潰し”にお出迎え頂けるとは光栄だわ。知っての通り、私はアデクの人間よ。ただ…今日は別にアンタ達と戦を交えに来たわけじゃないの。 観光よ。 …なんでもこの山の上の村にすっごく良い宿屋があるんでしょう? まあ、アタシも王都で噂を聞いただけなんだけどね」
テレンスは無言の圧力を放つ鬼人の如きマリアードと対峙しているのにも関わらず余裕の態度であった。無論、そんな余裕は彼だけであり、レタスやマラカイトは息をするのすら忘れて無意識に後退し始めていた。ただ、テレンスに対する恩情と克己心だけが彼らの精神を鋼のように繋ぎとめている。
「……ふむ。奴隷達の様子からして…噂通りの人物のようですね…実に惜しい。この世にアデクが在る事を恨むばかりです」
「………それはどうも、と言っておきましょうか? …アラ?」
テレンスは睨み合いによって気付くのが遅れたが、自身に未だしがみついて震える少女に気付いた。思えば、徐々にこの山に近付くにつれあんなにも竜車の中ではしゃいでいたはずなのに…今はまるで真逆の状態だ。
「どうしたのアップル!? どこか痛いのかしら…」
「こ、怖い です…」
「…怖い? ああ、ゴメンなさいねぇ~? 大丈夫よ。この旅行で喧嘩なんかしたり誰かを傷付けたりなんかしないから。あのオジサンだってもう怖…」
「ちっ違くて! う、うえ…!」
「上…?」
テレンスはアップルを優しく抱き上げながらヨーグの峰、ケフィアの方を見やる。
「……アップルちゃん。山の上になにかあるの?」
「ザワザワす、する…ずっと…ずっと見られてる…? い、いや たっ食べられてるんです…テレンス様も私達も…なにかよくわからないモノで…っ! も、もう飲み込まれてるんです…空よりも大きなオバケにっ」
「どうやら彼女は感じ取れるようですね」
マリアードは初めてテレンスに背を向けてケフィアに向って精霊信仰者の伏礼を行う。そして静かに立ち上がると、震えるアップルを見つめた後にまた視線を山に戻した。
「もしかして、アンタ達が言う…スピリットとやらなのかしら?」
「そうです。これは一時的な洗礼のようなものに過ぎません。あの御方がその気になれば強者であろうと何だろうと一瞬でかき消されてしまうのです。……よろしいですか? 貴方の今回の目的を我々は問いただす事はしません。そして、貴方達がケフィアに向う事を阻む事もしません。ケフィアまでの山道は我らガイアの徒と村の者達の手で整備が進んだとはいえ…雪が残る道は安全ではありません。我らが同行して案内致しましょう」
「それは…助かるわね」
「ただし」
マリアードがテレンスに再度振り向く、そこには先程の比ではないほどのプレッシャーを纏ったガイア最強の徒の一角が立っていた。思わずテレンスすらアップルを手放し臨戦態勢を取ってしまうほどだった。その殺気のせいで村の住民の3分の1が気絶してしまう。その中にはウイナンの姿もあった。
「決して怒らせてならない御方がおられます。その御方はまるで人間のような振りをされています。我らは恐れ多くもストロー様とお呼び致しています。恐らく、貴方達をストロー様は盛大に持て成すことでしょう」
「…フン。まるでアンタ達の御伽噺に出てくる精霊そのものじゃない」
「そうですね。……ならば、その話で欲深く身を滅ぼした者達の末路を知っていますね?」
「…………」
「現在、ストロー様は3人の細君を娶られて幸せに過ごしておられます。あの御方は自身に対する他愛もない悪意などには寛容かもしれませんが…親しい者を害される事を何よりも嫌います。かつて、ブルガの森からワイバーンの群れが襲い掛かり、本来であればケフィアには壊滅的な被害が出るはずでした。ですが、ストロー様は友とした獣人と村人を守る為にいとも簡単にそれらを消し去りました」
「本当の事なら…すごい魔術ね」
「魔術? そんな紛い物ではありません。我々のような矮小な存在に抗うことなどできない御力です。そして、ストロー様は兎も角、細君様は揃って亜人と獣人…どの御方もアデクから暴虐の限りを受けた過去をお持ちです。特に…スナネコ族のリレミッタ様は貴方を場合によっては見掛けただけで殺そうとなさるかもしれませんね。それでも、村の者を誰一人傷付けないと誓えるのならば…我らの後に続くとよいでしょう。それを守って頂けるのならば私達が貴方達に手を出す事はありません」
「「…………」」
マリアードという男が嘘をつくようなそんな優しい人物でないことはテレンス達は分かり切っていた。
「テレンス様…」
「ラベンダー。それに皆してそんな不安そうな顔をしないで頂戴。アタシを誰だと思ってるのかしら? 白魔導士。“極寒”のテレンスなのよ? 仮に精霊なんてものがいてもタダでやられるアタシじゃないわよ。ホラホラ、山を登るわよ~! あ。ちょっと忘れてたわ」
テレンスはわざとらしく思い出したポーズを取るとスタスタとミーソス達の方へと歩いていく。
「お義父様…コッチに来たけど?」
「ええ!? なんでえ…」
「朝早くからバタバタしててゴメンなさいねえ~。 ところで、この村の代表ってアナタかしらあ?」
テレンスは笑顔を浮かべたつもりなのだろうが、その異形のメイクによってより恐怖が増しただけである。
「うひぃ! あ。コ、コヤツです! 儂の息子が代表なんじゃあ~よ?」
「お義父様…」
息子を売るミーソス。だが、そのウイナンはマリアードの殺気ですっかり夢の世界だ。何やらニヤケているようだが…きっと良いエールでも開発できたのだろう。 夢の中で。
「アラ、そうなの? 可哀相に…あの司祭も容赦ないわねえ~? “眠気破り”」
「……んあっ!? 俺の渾身の新作は? どこいった!? というか雪…冷てぇ!」
「いい加減に立ちな! ったく情けないねぇ」
残酷にも夢から起こされたウイナンが女房のブンコに片手で持ち上げられてそのまま立てさせられる。
「ちょっと悪いんだけど…アタシ達がケフィアに滞在してる間、竜車を預かって欲しいのよ。長くても5日程度だと思うんだけど…あ。あの子達の餌なら気にしなくて良いわよ? 一度食べたら一節は何も食べなくても平気な種だから。それと、少ないけど…ほんの気持ちよ。じゃあ、お願いするわね!」
テレンスは懐から取り出した小袋を物凄い力でウイナンに握らせると、気持ち悪いウインクを放って去っていった。
「待たせたわね」
「……ブラザー・タボ、シスター・メラ、ご苦労様でした。今後はブラザー・ぶちと共にアンダーマインで待機していて下さい」
振り返らずに発したマリアードの一声で竜車の関節部からまるでヌルリと這い出したかのように姿を現した男女の神殿戦士。当然のようにガイア式の簡略礼で応える。
これにはウイナンとミーソスが驚いて飛び上がり盛大に尻もちを付く。それを見たブンコが大きな溜息を吐いた。驚いたのは目撃した住民だけではない、ずっとその竜車に乗って移動していたレタス達だ。
「うわあ!?」
「なんだアレ! あんなことが人間にできるのかっ!」
「……やっぱりね。道理でブラウンソックスに着いた辺りからアデクの見張りがついてこなくなったわけね。 それにしても相変わらずアンタ達のあの人間離れした技は見てて気持ち悪いわねぇ~…」
「お褒めに預かり光栄です」
その日初めて、マリアードはテレンスに対してトゲの無い愉快そうな口調で答えた。
◆◆◆◆
【今回は何かと災難なウイナン】
全く、春のパン祭りに向けて出すエールの最後の仕込みの調整をしてたのに…えらいヤツらが来ちまったもんだ。よりによってアデクとはなあ…上の村は大丈夫だろうか。
まあ、司祭様やストローの旦那がいるんだ。あのオッカナイ顔したアデクの魔術師だか何だか知らんが…例え暴れ出したところで返り討ちに遭うに決まってらあ。
「それにしても……あ~怖かった!」
「儂も儂も。チビるかと思うたぞい」
「まったくそれでもラズゥ様の血を引いてんのかい? そういやあ、アンタ…何を渡されたんだい」
「はえ?」
そいや、あの男になんか渡されたなあ。
「てーか、どうしよう親父? さっきのアデク野郎にあの竜車頼まれちまったぞ」
「頼まれたのはお前じゃろ。儂は知らんぞ」
「酷えなあ!? これからエールの仕込みやら雪麦の買い付けとかあるんだから俺らは忙しくて世話なんて無理だぞ…」
「大丈夫だ。我らと兄弟姉妹に任せておけ」
声を掛けてくれたのは普段からアンダーマインに居てくれているブラザー・ぶちだ。頼もしい限りなんだが…本当は上のケフィアで失敗して司祭様にこっぴどく説教されたのを俺と親父は知っているんだよな。恐らく、それでなかなか上に登れないんだろう。まあ、普段から世話になってる相手だし、口には出さないけどな…。
「あ。ホントだ」
見れば、既に他の神殿戦士達が竜を撫でて落ち着かせたり、竜車の造りを色々と調べていた。
「それより……」
「わかったってば!怒るなよブンコ。頼むから?」
背後の嫁さんが怖いので俺はさっさと袋の中身を確認するべく掌に中身を出してみる。銀貨だろうか? 迷惑を掛ける上の者達には悪いが、そうなら貴重な臨時収入になるな!
ズシャ。 ……やけに重いな。それにかなりの枚数だ。この時点で嫌な予感はしたさ。
ジャラララ…。
俺の掌の上には30枚ほどの金貨がギリギリ乗っていた。イヤ、動揺して零しそうになったのでブンコが咄嗟に両手で覆ってくれている。
「金貨だ」
俺は魂の抜けたような声を出してしまう。
無理も無いだろう。数えたら金貨が34枚(約680万円)あるんだもん。
え。コレってうちのエール何樽分だろう? イヤ、工房で何棟分だろう?
そして、親父と女房が絶叫と奇声を上げる最中…俺は考えるのをやめた。




