最終章 それぞれの明日へ
高円寺宝来軒。
そこが目指す場所だった。トオルとエツコは、知らされた住所を元にスマートフォンの地図アプリで見ながら店を目指していた。高円寺と言っても阿佐ヶ谷にほど近い場所で、駅から歩いて十五分といった所だ。
その場所と今日の日時を知らせて来たのは薮下だった。マリンシティホイールの事故に関わった人間を集めて、細やかながらの祝賀会をという話だった。
事故に巻き込まれた、いわゆる被害者同士で賠償の話を含めた懇親会という事ならともかく、救出に当たった政府関係者、しかも名目上そのトップにあった者から、そうした話が来るというのは意外な感じがした。まさか示談金を向こうから提示しようという訳ではないだろう。それは拍子抜けする程にフランクな文面からも伺えたし、何より会場となる宝来軒というのが、高級店でも何でもない、ただの街の中華料理屋だという事からも、何の含みもなく、ただの食事会なのだと思えた。
とは言え、薮下の思惑は分からないではない。
件の宝来軒というのは、香澄が個人的に懇意にした店であり、けやき坂作戦の際には、作業に当たっていた自衛官の分まで大量の餃子を差し入れた店なのだそうだ。
あれから一ヶ月、マリンシティホイールに関わった人々の誰もが、香澄に会いたがっていた。
カララララと音を立てて扉が横にスライドして開く。安普請に見えるものの、建付けが良いのか、思ったより遥かに滑らかに開いた。
「ごめんください、本日ご招待頂いたのですが〜・・・」
「トオル君、無事の生還と、エツコさんとの御婚約、おめでとう」
トオル達が店内に入ると、既に来店していた薮下が声をかけて来た。憑物が落ちた様と言っては失礼なのかも知れないが、普段テレビ等で見かける仏頂面とは打って変わって、柔和で力みの無い笑顔だったが、これが本来の薮下なのかも知れない。
薮下の言葉にあった通り、トオルは改めてエツコにプロポーズ(今度はちゃんと二人きりで、オシャレなレストランでした)をし、晴れて婚約に至った。両家への挨拶の際は、トオルはエツコの両親に、エツコはトオルの両親に、それぞれ大歓迎を受けた。例の全国中継公開プロポーズにより、二人とも今や全国でも指折りに有名なカップルになったのだから、致し方無い事だった。今回の歓迎会の後には、結婚情報誌によるスペシャルウェディングの密着取材が控えている。
「お二人さん、ゆっくりしてってね。キレイな店じゃないけど、料理には自信あるからさ。そうそう、婚約おめでとうね。シャンパンって訳には行かないけど、ビールで良かったら飲んでよ」
そう言いながら宝来軒の主人が大皿料理を運んでくる。見れば店内は普段営業している時とは違い、殆どのテーブルが端に寄せられて、様々な料理の大皿が載せられている。空いた中央にテーブルセットがあり、いわゆるビュッフェスタイルと言う訳だ。
餃子、青椒肉絲、酢豚、肉野菜炒めとどれもシンプルな、いわゆる街の中華料理屋と言った料理であるものの、確かに口にすればどれも美味である。その上盛りが良く、主人の人柄も良いと来れば、学生街でなくとも繁盛して当然であると言えよう。
トオルとエツコが舌鼓を打っていると、扉が開き、誰かが入ってくる様子が伺えた。
もう一組の『今一番話題のカップル』、拓夢と玲奈だった。
「やぁ、よく来てくれたね。忙しいだろうから来られないと思ってたから、君達から揃って伺いますと返信を貰ったときは驚いたよ」
薮下が二人を迎えて言う。
「何言ってるんですか、忙しいのは僕達じゃなく、芸能記者の人達ですよ。今だって、店の外に何人か居ますよ」
「私も、既にグループ脱退して、今じゃ仕事なんて全然無いですもん。忙しそうに見えるのは、メディアの露出が多いだけですよ。実際の所、全然暇なんですよ」
事故の後、玲奈は所属していたアイドルグループを脱退した。無論、恋愛禁止を謳っているグループであるから、辞めるか別れるかの二択ではあったが、グループ内でも屈指の人気を誇り、水面下では熾烈な争いが繰り広げられている筈のメンバーからも慕われる玲奈を、事務所サイドとしては慰留こそ薦めても、石持って追い出す様な事は無かった。無論、相手が当の玲奈の過去のスキャンダルから、守り抜いてくれた拓夢であった事も、事務所側の心象を良くした事も一因だろう。
「拓夢さん、玲奈さん、御婚約おめでとう、記者会見、見ました」
「エッちゃーん、ありがとう、お互いこれから大変だよー? 男ってプロポーズしたら終わりだと思ってるから、式場の手配とか、ドレスの下見とか、実務は全部私達がリードしないと進まないってよく言うもん!」
エツコと玲奈は、事故の後、とても親しくなっていた。まるで古くからの友人の様だ。
「ふっふっふー、そこはそれ、うちの場合、雑誌社さんが全面プロデュースしてくれるからね。それも予算的には無理だと思ってた演出まで向こう持ちでさせてくれたり、もう、至れり尽くせり状態なの」
「ね、良いよねー。私達も特集組んで欲しかった。でも分かるなぁ、こんな風に言って変に思われたらゴメンなんだけど、私達って良くも悪くも芸能人じゃん? だから結婚情報誌で特集を組むなら、世間一般では届かない、芸能人カップルの豪華ブライダルより、エッちゃん達みたいな、一般人カップルの方が、読者の親近感あるんだろうね」
そう言っている玲奈の薬指には拓夢の贈ったエンゲージリングが輝いている。ダイヤの大きさはエツコの物より二回りは大きい。
「拓夢さん、リング、すげぇ奮発したんじゃないスか?」
「した。っていうか、先々月に出したベストアルバムの俺の取り分、ほとんどアレで消えたもん」
拓夢とトオルもまた然りだった。
「それはそうと、明日、俺達も一緒に行っていいかな? トオル達が雄大君連れてディズニーランド行くって聞いたら、玲奈が私も行くって言い出してさ。ほら、俺達、今まで大っぴらにデートとか出来なかったろ? その反動で、こうやって公になったら、もう隠すもん無しって感じらしくてさ」
「もちろん大歓迎スよ。エツコも玲奈さんと一緒で喜ぶと思います」
場は和やかで賑やかだった。
それを何処か一歩引いて見る薮下の元へ、女性組が取り分けた料理を手にやって来る。
「薮下さん、そんな達観したおじさんぶってないで、一緒に頂きましょう、いくら親父さんの料理が美味しくても、私達四人じゃ手に余ります」
「お、おう、そうだな、頂くとしようか」
確かに美味だ。とは言うものの、若者達とでは話題も何もかもが違い、やはり薮下はすぐに輪を離れてしまう。そんな風だったから、浅田一家が到着した時には、ようやく自分程では無いにせよ、割に年長の正広と真奈美を手厚く持て成していた。
「ねぇ、香澄さんは? 僕、ちゃんと助かったら、香澄さんと握手して貰う約束だったんだよ?」
雄大の一言は、和やかだった会の空気に水を打った様な静けさをもたらした。
事故以来、香澄には、この場にいる誰もがきちんと会って礼を言いたいと思っていた。それは雄大や同じく助けられた者達ばかりでは無く、常識的判断に陥り、停滞を余儀なくされていた所を一喝された薮下や、自慢のチャレンジメニューを制覇して貰った、宝来軒の主人でさえもが同様だった。
「あのね、雄大くん、香澄さん、忙しいから」
「分かってるよ。それぐらい」
玲奈がなだめようとしたが、しっかり者の雄大らしく、毅然と応えた。
「でも、でも今日なら、会えるかなって。思ってたんだ」
毅然としていたのはそれ迄だった。真奈美の脚にしがみつき、スカートに顔を埋めて肩を震わせていた。
場にしんみりとした空気が流れる。
しかし今にして思えば、当然の事とは言え、大変な事故であった。
観覧車の支柱崩壊というだけでも、世界でも類を見ない大事故である。更にその上、本体が乗客乗せたまま転がっていくなど、一体誰が想像出来たであろうか。
オペレーション・フェルブリッタに於いて、ダイバーや船舶などの投入と言う形で助力した金山でさえ想定外の、まさに映画の様な、いやそれ以上の大事故であった。
金山はその後、一時的に公安により拘束を受けたものの、オペレーション・フェルブリッタにおける功績と、世界各国の裏世界へのパイプによる情報提供という司法取引が秘密裏に結ばれ、一日と経たずに解放されていた。
無論、それで許される程の小悪党では無いし、現在においても、その存在はいくつもの組織から注視されているが、何にせよ娑婆に身をおいている事は確かである。また、毒島との癒着という形で、まだ見ぬ金山の姿を追っていた、下島記者には、所属する新聞社の上層部から、即刻の取材中止命令が降った。巨悪を暴くというジャーナリストとしての使命を奪われた形にはなったが、金山の本来の裏の顔に触れる事なく済んだのは、むしろ幸運だったのかも知れない。
「しっかし、よく助かったよな、俺達」
香澄の居ない、気不味い空気を振り払う様にトオルが天井を仰いで言った。
「ホントだよ、そもそもなんだよ、あのコンクリートブロックで転身させるってアイデア。あの時は女神かとさえ思ったけど、今にしてみれば、どんだけ馬鹿馬鹿しい発想だって話だよな?」
択夢が同調して笑いながら言う。
「薮下さんも薮下さんよ。ドローンで食事届けてくれた時は、ああこれで助かるって思ったけど、携帯トイレって。お陰でどんだけ恥ずかしかったか!」
突然、自分に話が振られて、目を丸くした薮下が、腑に落ちないと言った風で、す、すみませんと謝ると、空気から重さが消え、店内が笑いで包まれた。
「ちょっと! ちょっとみんな、静かにして!?」
突然、雄大が朗らかな笑いに割って入った。
あまりの剣幕と必死な訴えに、笑いは急速に衰えた。
「どうしたの?」
真奈美がたしなめる様に雄大に聞こうとしたが、当の雄大は、口に人差し指を当てて、しっと言って虚空見回した。
「皆、聞こえない?」
何がだろうと思いながらも、それぞれが耳を澄ます。
すると次第に、カラカラというか、ガラガラといった様な音が近付いてくる。
「な、なんだ!?」
音というものには、一同敏感になっている。あのマリンシティホイールの中にあったのだから、当然と言えば当然だ。
ガラガラという音はますます大きくなり、唸る様な音を伴い近付いてくる。まさか、また何か大きな災害に見舞われるのでは無いかという恐怖感が込み上げる。
「・・・やっぱりそうだ!」
再度重くなりかけた空気を、今度は雄大の嬉々とした声がすくい上げる。
そのまま真奈美や正広の手を振り切って、雄大が店のドアを開ける。同時に、ガラガラという音はエンジンの爆音とタイヤのあげる悲鳴の様なブレーキ音を伴って店の軒先に停止する。
「雄大くん、お待たせ! 皆も待たせちゃったね!」
新調した二代目フェルブリッタの運転席から身を乗り出して香澄が元気な声で言った。
「おい、香澄、何度公道でトップスピードはやめろと言ったら分かるんだお前は!」
助手席から元町が怒鳴り付ける。
「ごめんって。早く皆に会いたかったんだもん!」
答えにまるでなっていない。
「香澄さん、その後の空き缶、もしかして・・・」
ガラガラという音の正体は、フェルブリッタのリヤバンパーに取り付けられた、無数の空き缶だった。時速三百キロで道路に擦り付けられた結果、その殆どが摩耗して元の半分以下になっている。
「エツコ、それに玲奈、先に結婚しちゃった。今日、区役所で婚姻届出して、ちょっぱやで来たのよ?」
あっけらかんとして香澄が言う。
今は元町香澄という名である。
「さ、今日は食べるわよぉ! ほら、壬午さんも早く降りて!」
苦虫を噛み潰しながらも、仕方ねぇなぁと言った風で、のっそりと助手席を立とうとする元町の腕を香澄が引っ張る。
「香澄さん! 約束の握手!」
雄大がキラッキラとした笑顔で右手を差し出す。
その手を取り、逆の手で元町と手を繋ぎ、香澄が店内に入る。その場の全員がそれを負った。
宝来軒のドアが閉まり、しばらくして中から盛大な乾杯の声が聞こえた。
ドアには本日貸し切りの札が揺れている。
世界でも類を見ない、観覧車事故の顛末は、こうしてハッピーエンドに帰結したのである。
完
大変お待たせしました。
5月の終わりに投稿を開始した本作は、これにて完結です。
返す返すも期日を守り切れなかった事に反省しきりでしたが、それにもめげずに最後まで読了頂いた読者の皆様には、感謝以外の言葉がありません。
大変ありがとうございました。
次回作『世界に選ばれた勇者の話』です。
今回に懲りず、また読んで頂ければ幸いです。
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