vivi
「——付近で交通事故がありました。歩行者と軽自動車が接触し——」
テレビのニュースを聞きながら、うだるような暑さの中、ベッドに横たわっていた。
黒を基調とした家具、教科書と参考書が几帳面に並べられた机、自分が納得いくように並べた本棚、こざっぱりとした部屋にセミの鳴き声がこだまする。
(さすがに、読書の気分にならないわ......)
エアコンが故障してしまい、部屋はサウナと化していた。
窓は開いているが、今日は風が吹く気分ではないようだ。
そよ風はカーテンをわずかに揺らすだけで、少しの清涼も感じさせなかった。
修理業者は明日まで来られないそうだ。
空調の故障シーズンらしく、私と同じように修理を頼んでいる人がたくさんいるようだ。
部屋着が汗でびっしょりと貼りつく。
不快感に思わず顔をしかめる。
(ドミシリオにでも行こうかしら)
行きつけとなったカフェが頭をよぎる。
あそこであれば、暑さに苦しまずに読書に耽ることができそうだ。
壁に掛けられた時計を見る。
針はまだ12時を過ぎた場所で止まっている。
これからもっと暑くなるのに、冷房が無い場所にいるのは自殺行為だ。
『君のためにお菓子を作るのは、楽しくて好きだよ』
頭の中で、騒がしく一人で話すことが好きな少年の言葉がよみがえる。
聞く人によっては告白だと思うだろう。
いつも自嘲気味に笑う彼に、私へ対する恋愛感情はないだろうが。
この間の会話を最後に、村瀬君とは会っていない。
今日は土曜日だから、この時間ならおそらくカフェで働いているであろう。
仕事中は別人のように働く彼は、私に対して無駄話をしてこない。
私が彼のシフトが終わるまで居た時だけ、お菓子を作って私の席に来る。
今から行けば、四時間くらいゆっくりと読書できるだろうか。
本棚からお気に入りの本を取り出して、使い古したブックカバーに入れる。
洒落っ気もなにもない、無地のシャツに着替えて鏡の前に立つ。
右腕を掲げて、服の上から傷跡をなぞる。
村瀬君に、私の秘密がバレてから癖になった習慣だった。
あの日は、お気に入りの作者の新刊発売日で多少浮かれていた。
もう二度と、誰かにバレるようなことはしない。
傷跡が見えないことを確認してから、アパートを出る。
むわっとした熱気が、私を包み込む。
目的地にたどり着く前に、汗だくになりそうだ。
雲一つない快晴が、すこし腹立たしかった。
——————————
「らっしゃい、っと嬢ちゃんか」
目的地に着いた時に、私を出迎えた声の主は予想とは違うものだった。
私のことを嬢ちゃんと呼ぶのは、店長さんだけだ。
店をぐるりと見回す。
今日も閑古鳥が鳴いているようだ。
コーヒーの味はいいのだが、繁盛している様子を見たことが無い。
常連客が来る程度で、私が座る窓際のテーブル席はいつも空席だ。
彼がいないなら甘味は期待できないが、閉店までは静かに読書できるならそれはそれで悪くない。
「嬢ちゃん、すまねぇが頼みがあるんだけど、受けてくれねぇか?」
注文をする前に、店長さんがなにやら渋い顔で私に話しかけてくる。
引き受けるも何も、内容が分からないと何とも言えないのだが。
私の困惑を感じ取ったのか、頭をボリボリとかきながら説明を始めた。
「詠耳、今日シフトの日なんだがな、時間になっても来ないし、連絡もとれねぇんだわ」
「バックレですか」
「バックレならいいんだがなぁ、来る途中で事故ってたり、熱中症で倒れてたりしてたら大事だろ?」
「まぁ、そうですね」
ふと、首元から垂れたロープとどこか間の抜けた笑顔の写真が頭をよぎる。
もしかしたら、今日はそういう気分の日だったかもしれない。
「親御さんに連絡したらどうですか?」
それならそれで、彼の選択を尊重しよう。
一緒に居た時間は短かったけれど、それなりに楽しかったと思う。
南無南無。
……彼のお喋りに多少感化されたかもしれない、今までの私だったらこんなことは思わなかっただろう。
「あー、あいつ言ってねぇのかよ、仲いいからてっきり話してるもんかと……」
ため息をつきながら天を仰ぐ。
誰もいないのに、あたりをキョロキョロと見回してから小声で話しかける。
「あいつ、親いねぇんだよ」
「……親戚とかはいるんじゃないですか」
「親戚は知らん、とりあえず一人暮らしなんだよあいつ」
初耳の情報だ。
確かに、村瀬君から親の話を聞いたことは無かった。
本人がいないところで、聞いてはいけないものを聞いた気分になる。
店長さんが天を仰いだのは、彼も罪悪感を感じているのかもしれない。
「本当なら俺が様子見に行きたいんだけど、外せない来客があってな。嬢ちゃん、よければ様子を見に行ってくれねぇか?」
「......分かりました」
あまり気乗りはしないが、今までの甘味のお礼だと思うことにしよう。
住所を書いてもらった紙を受け取り、店を出る。
快適な場所を求めて家を出たはずなのに、また炎天下に炙られる。
ため息をつく。人生、ままならないものだ。
——————————
電車に10分ほど揺られ、彼の最寄り駅で降りる。
一緒に帰る時、私と彼が別れる駅だ。
電車内で村瀬君に何度かメッセージを送ってみたが、反応は無かった。
本当に万が一の可能性が出てきた。
住所を打ち込んだマップを見る。
駅に近い場所にあるマンションのようだ。
少し歩くと、住宅街の中では頭一つ抜けた高さの建物が目に入る。
5階建てのそのマンションは、コンクリートの外壁こそ多少色あせているものの、しっかりと管理されているようで、手すりなどが錆びついてる様子は一切ない。
エレベーターに乗り五階のボタンを押す。
もらった紙によると、最上階の角部屋のようだ。
(いい場所に住んでるわね......)
インターホンを押しながら考える。
私の住んでいるアパートよりも相当リッチな建物だ。
なんでこんないい場所に暮らしておいて、菓子パンばかり食べているのだろう?
少しのムカつきを込めて、インターホンを連打する。
これで出てこなかったら、諦めよう。
どこか投げやりになった思考を引き戻すようにドアノブが回る音がする。
「はーい、どちら様......おや、白石さんに似た人が立っているように見える。住所を教えた記憶がないのにな、僕は相当弱っているようだ」
「なんだ、生きてるのね」
「なんで死んでると思ったのさ。元気ピンピンとは言わないけどね、五体満足だよ。それでどういった用件かな? 今ちょっと体調不良でね、あまり楽しくお喋りはできないかもしれない」
ドアにもたれるように立つ彼の顔は、いつもより紅潮している。
息も少し荒れているようで、本当に体調が悪いようだ。
この様子では、長居しても負担をかけるだけであろう。
生存も確認したし、店長さんへの義務は果たした。
それじゃあお大事にと言いかけたところで、彼がドアから滑りこちらに倒れてくる。
反射的に、倒れないように抱きしめる。
思ったよりも反動はなく、あまり力がない私でも難なく支えることができた。
熱を帯びたその体はとても軽く、抱きしめた腕には骨の硬い感触ばかり伝わってきた。
もっと汗臭いと思ったが、鼻孔をくすぐるのは夏の匂いだけだった。
抱きしめた熱さえなければ、人を抱きしめているとは思わないかもしれない。
「おっと、ごめんごめん。ピンポン連打されたからね、いたずらだと思って緊張しながら来たから、力が抜けちゃった。」
「......はぁ、ベッドまでは支えてあげるわ」
「助かるね、正直言って、立っているのも限界だったんだ。男性の部屋にあがることに抵抗がなければお願いしたいね。今は僕の方が襲われるポジションかもしれないけど」
「投げ捨てるわよ」
彼の肩に手を回し、部屋に上がる。
広々としたリビングには必要最低限の家電しか置いておらず、殺風景である。
自身の部屋も物が少ない方ではあるが、彼の部屋はそれ以上に物がなく生活感がない。
ハンガーラックに吊るされている制服が、辛うじて部屋に借主がいることを主張している。
ポツンと置かれたベッドに、ゆっくりと村瀬君を寝かせる。
「そういえば、どうして白石さんがここに?」
「店長さんが教えてくれたわ。連絡が取れないって心配してたわ」
「あ、今日シフトの日か。熱でぼんやりして忘れちゃったな。謝らないと」
「連絡ぐらいしなさいよ」
「スマホ、壊れちゃったんだ。ほらそこに置いてあるやつ見てよ、すごいよね」
指さされた方向を見ると、画面が無残に割れ、基盤がむき出しになったスマートフォンが床に転がっていた。
どれだけの強さで衝撃を与えたら、こうなるのだろうか。
「昨日の朝、車に跳ねられてさ。軽い打撲で済んだから良かったんだけど、熱も出ちゃってね。まさに弱り目に祟り目ってやつだよ」
テレビで流れていたニュースを思い出す。
よくある交通事故だと思って聞き流していたが、まさか知り合いが当事者とは。
同時に彼が息も絶え絶えな理由に納得がいく。
「入院すれば良かったじゃない」
「昨日は元気だったんだよね。帰ってきてから痛みが強くなってきてさ、起きたら熱も出てて困ったねって感じ。いやぁ、白石さんが来てくれて助かったね、一瞬女神かと思ったよ」
話を聞き流しながら、冷蔵庫を勝手に開ける。
案の定中には何も入っておらず、ただのオブジェクトと化していた。
そもそも電源が入っていない、どうやって生活しているのだろうか。
念のためにと買ってきたスポーツドリンクを適当に入れる。
「悪いね、あとでお金払うよ」
「いいから寝なさい」
「痛みで寝れなくてね。時間があるなら、少しお喋りしてくれると嬉しいんだけれども」
「いつもみたいに一方的に話せばいいじゃない」
「おや、話していいのかい?」
「嫌って言っても話すくせに」
「相互理解が深まってきたようで何よりだよ」
弱弱しく笑う彼に、忘れていた罪悪感が呼び起こされる。
一方的に、秘密を知ってしまった罪悪感だ。
村瀬君が、私の秘密を知った時はどういった気分だったのだろうか。
「......ごめんなさい。両親の事、聞いてしまったわ」
「え? ……あぁ、どうせ店長が勝手に言っただけでしょ? 今回の件は全部僕が悪いから、謝れると逆に申し訳ない気分になるなぁ」
「それでも、本人が居ないところで知る内容では無いわ」
「真面目だねぇ。本人が良いって言ってるんだから、気にしなければいいのに」
少しの間、沈黙が落ちた。
苦しそうな彼の息だけが部屋に響いていた。
「......どうせなら、全部話しちゃおうかな」
いつもの軽薄な調子とは違い、真面目なトーンで彼は語り始める。
「僕の両親は大金持ちだったらしくてね、地元じゃそこそこな名士だったらしい。まぁ僕が大きくなる前に死んだから実際どうだったかは知らないんだけど」
「さらりとすごいこと言うわね」
「まぁ、一番の秘密はもう白石さん知ってるし別にいいかなって」
両親の死を語るには、少しズレたテンションで話し続ける。
「幸い遺書とかはちゃんとしてたらしくて、遺産は僕に入ってきたんだけどね。遺産をもった僕の扱いで親戚がてんやわんやさ。そういうのって小説でよくある?」
「ミステリーなら無くはないわ」
「じゃあそれを自分に置き換えて想像してみてよ」
「......最悪だわ」
「ね? 僕はそれが原因で人間関係を避けるようになったのさ」
創作の世界での遺産争いは、どれもろくな結末を迎えるものではない。
血みどろの世界だ。
振り回される子供の心境を考えるとたまったものではない。
「中学生の時に、雪国に住んでる時があってね。その時に疲れて実行したのさ。ほら、雪の上で写真撮ってたでしょ」
「あの笑顔の写真ね」
「そうそう、首吊りも凍死も上手くいかなくてね、笑うしかなかったよね。まぁそれで流れるまま生きて今に至るってわけ」
この話は終わり、と彼が笑う。
背景を知って見ると、彼の人付き合いの仕方に納得がいく。
自分から人と関わることは最低限で、コミュニケーションも当たり障りのない距離感、きっと子供の頃に身に着けた処世術だろう。
「そういうわけでさ、終わったことだから気にしないでよ」
「いや、アンフェアよ」
「え?」
村瀬君との出会いの日、彼が言ったセリフだ。
「私だけが、あなたの秘密を知っているのはアンフェアよ」
「……普段からそれだけの愛想で生きたら人気者なのに」
「やっぱりフェアとかどうでも良くなったわ」
「あぁ、ごめんごめん! 熱で口が軽くなっちゃっただけだから! 聞きたい聞きたい君の秘密!」
人のことを言えないと思う。
彼もこの軽口をクラスメイトに出せるなら、人気者とは言わなくても友達の一人二人はできるだろうに。
「私も、両親はいないわ。だから、今は一人暮らし」
「おや、奇遇だね。やっぱり、僕らは似た者同士じゃないかな。共通点だらけだ」
「私は車にひかれるほど間抜けじゃないわ」
「交通事故に関して、僕の過失はゼロなんだけれども」
「どうせ考え事しながら歩いてたんじゃないの?」
「まぁ、それはそう。でも後ろから突っ込まれたらよけれないよ」
情けなさそうに話す彼は、いつもの雰囲気に戻っていた。
私も、秘密を交換したし、胸につっかえていた罪悪感はもうない。
帰ろうと立ち上がった私を止めるように、村瀬君が話しかける。
「一つだけお願いしてもいいかい?」
「......できる範囲なら」
「僕が寝るまで、お喋りに付き合ってくれないかい? 一人はさみしい気分なんだ」
「あら、私に甘えたくなってきた?」
「君に母性は感じないかな」
ベッドにスポーツドリンクを投げつける。
それからいつものように意味のない会話を少ししたら、彼は寝てしまった。
寝息を立てる彼の姿は、いつもより幼く見えた。
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