第09話:2つの道
生きている人間には首がある。
首がなくなれば人は死ぬ。生きていても、死んでいても死ぬ。
王宮勤めの衛兵が首から上を失い、ゆっくりと倒れていくのをソフィーは声もなく凝視していた。
「え・・・え・・・」
「まったく。余計な手間をかけさせてくれますわね」
後ろから追いついたアレサンドラが、剣についた血を振り払いつつ髪をかきあげた。
「あ、ああ・・・」
「庶民の言葉はよくわかりませんわね。何か文句でもあるのかしら?」
「あんた!いったい、何してくれてんのよ!あたしの勝利が・・・いえ、それより人の命を何だと思ってるの!?」
とってつけたように人道を説くソフィーの主張に、アレサンドラは冷たく応えた。
「衛兵は死ぬのも仕事のうちよ。第一、あなたも王子や騎士団長の息子を蹴り倒したじゃないの」
「それは・・・!命がかかってたから仕方ないのよ!あたしみたいな高貴な美少女令嬢が死んだら世界の損失じゃない!高貴な男だけど、あれは先に死んでたから例外!死体蹴りはセーフよ!」
「じゃあ問題ないじゃない」
「あなたが斬ったのは王宮勤めの衛兵なのよ!下町で賄賂を強請る破落戸衛兵とは違うのよ!最低でも、どこかの騎士家か大商家の出身で身分財産の卑しからぬ人達なんですから!・・・って、今なんて?」
「死んでるなら問題ない、って話よ。見てみなさい?首から血が出てないから」
アレサンドラの指摘に、ソフィーは横たわる衛兵の死体に視線を落とした。
スパッと綺麗に切り落とされた首の断面から流れ出た血が、床に小さな血だまりをつくっている。
「・・・意外と少ない?」
言われてみれば、大の男の血の量としては少ないようにも見える。
「普通は、首を斬られたらもっと血が吹き出すものよ」
「あんたみたいな首狩り令嬢と一緒にしないで!首を斬られた血の量が普通かそうでないか、なんてわかるわけないでしょ!」
反射的に応じつつ、ソフィーはアレサンドラの言い分に一定の理があることを認めざるを得ない。
というのも、ソフィーは首を切り落とした経験こそないが、ダンス会場で王子の首が落ちたときにはごく近くにいたために王子の首から噴水のように血が、高く・・・高く吹き出した記憶が残っていたからだ。
「・・・でも、それって・・・」
王宮の衛兵が生ける死者となっていた。
その意味するところを悟って、ソフィーは言葉を失った。
「そうね。あの生ける死者達が王宮中にいる、ってことになるわね。ほら、あんたも剣は持っておいた方がいいわ」
アレサンドラが死体から拾いあげた衛兵の長剣を、ソフィーは反射的に受け取る。
「ここは戦場よ。周囲の敵は斬り放題。ゾクゾクしてくるでしょ?」
「あたしは楽しく贅沢して暮らしたいの!あんたなんかと心中するつもりはないわ!」
二人の貴族令嬢は、長剣を構えるや戦場と化した王宮に向かって駆けだした。
容姿も生まれも戦う動機も全く異なる二人だが、たった一つの目的だけは合致していた。
なんとしても生き残ること、である。
◇ ◇ ◇ ◇
「・・・あなた。王宮でクーデターでも起こすつもりだったの?」
「そんなわけないじゃない。人聞きの悪いこと言わないでよ」
しばらく後、二人の貴族令嬢は外に声が漏れないよう息を殺しつつ、静かに狭く暗い通路を進んでいた。
幾たびか生ける死者の集団を相手に血路を斬り開き、ソフィーの案内で中庭の彫像の下に隠されていた秘密の通路へと身を投じてからは、多少の軽口を叩く体力・精神的余裕も戻っている。
「なら、どうして王宮の隠し通路にこんなに詳しいのよ。幼少の頃から王宮に出入りしていた侯爵令嬢の私ですら、お爺さまからも教えられたことはないのに」
「高貴な殿方が令嬢と逢瀬を楽しむために秘密の通路を拵えるのはよくあることでしょう?隠し通路の知識は貴族令嬢の嗜みよ」
「・・・あのアホ王子の仕業ね。国家機密を軽々に漏らすなんて王族として失格だわ。あのとき首をはねておいて正解だったわね」
「王族に相応しくないからって首をハネるあんたの発想の方が侯爵令嬢失格だと思うの・・・ちょっと、足踏まないでよ!」
「あらごめんあそばせ。足下が暗くて気づきませんでしたわ」
「見え見えの嘘つくんじゃないわよ!・・・と、ちょっと待って」
薄暗い通路で先頭を行くソフィーが足を止めたのに続き、アレサンドラも立ち止まった。
「なに?行き止まりなの?」
「いいえ。ここで道が2つに分かれているの。どっちに進んだ方がいいか相談しようと思って」
ソフィーの問いかけに、アレサンドラは皮肉気に唇の端をゆがめた。
「そう。選択肢があるのはいいことね。それが地獄と煉獄に通じる道であってもね。それで?2つの道は、どことどこに通じているの?」
薄暗い通路で、ソフィーは右手の道を指さした。
「1つは王城の外へ通じる道。裏門の外に出られるはずよ。使ったことはないけれど」
「いいわね。外に出られれば援軍を呼んでこれるかもしれないわね。それで、もう1つは?」
左手の道を指してアレサンドラが尋ねる。
「もう1つは王子様の客室につながってるはずよ。こっちは使ったことがある、と王子様が仰ってたから確実ね」
「・・・あのアホ王子が」
侯爵令嬢は、ただでさえ最低に達していた王子の評価を更に3段階下げた。
もう少しで地殻を貫いてマントル層まで届くだろう。
「王室までたどり着けば侯爵がおられるかもしれないわ。そうすれば事態の相談もできるかも」
「男爵の父は領地にいるわ。国政に関与できる身分じゃないから。それで、どちらを選ぶつもり?侯爵令嬢様?」
王子の寝室は王城の奥深い場所にある。
そもそも王城は王族の命を守護するための防衛施設であるから、不意を突かれなければかなりの期間を生ける死者達の攻勢に対し籠城することが可能だろう。
アレサンドラは決断を迫られる。
王を護る大貴族の責務を果たすべく一刻も早く王の下に駆けつけるべきか。
それとも不確実ではあるが、城の外に抜け出し事態を打開する援軍を呼びにいくべきか。
己の命だけでなく、文字通り令嬢の決断が王国の死命を制することになる。
例え王族であっても怯むであろう重責に、さしもの侯爵令嬢も女らしく怯みそうなもの。
だが!侯爵令嬢は長剣の束頭を強く握りしめ・・・笑っていた。
「まさに王国の運命はこの手の内にある、ということね・・・面白い!」
王国の運命の重さを、選ばれた血筋である己の価値の尊さへと転換できる根性。
その傍若無人の自尊心こそが、侯爵令嬢の侯爵令嬢たる由縁なのである。
それが一般的な令嬢らしい態度かどうかは異論もあるだろうが・・・
「さあ、ついてらっしゃい!」
侯爵令嬢は獰猛な肉食獣の笑顔を浮かべつつ、一方の通路を指さした。