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ざっと目を通した書簡から顔をあげ、アリーシアがため息を吐いた。
「良くない報せでも書いてありましたかな。アリーシア姫」
訊ねるのはドバ。
猫人族の長であり、新生アトルワの重鎮であり、聖賢の姫君の腹心である。
「良くない、といえるかどうか」
なんともいえない表情で首を振る。
手紙は、遠く旧ガゾールト領の郡都ナウスから届けられた。
先日までなら風話通信で済んだが、いまはもうそういうわけにはいかない。
ルーンに現物が渡ってしまったからだ。
安易に風話通信を用いれば、ルーンもアトルワも情報がだだ漏れになってしまう。
微妙な顔のまま、アリーシアが手紙をドバに渡す。
差出人はナナ。
彼の娘であり、ナウスにいる新領地総督たる北斗の実質的な妻だ。
「ホクトがぶにゃぶにゃしちゃってるから何とかして、か。ふむ……」
砂ミミズがのたうったような文字で書かれたごく短い文章は、まったく意味不明である。
たぶん、ドバ以外には。
「先の戦いののちホクトの気が塞ぎがちなので、なんらかの気分転換をさせてやりたい。ついては行動の自由を求める。という趣旨のことですな」
解説する。
「……なんでドバには判るのですか? 理解できないというか、ほとんど読めなかった妾がおかしいのでしょうか?」
首を振る姫君だった。
「お気になさらず。アレの父親を十五年もやっているため、慣れたというだけの話です」
報告下手に加えて、極端な筆無精。
一応、最低限の読み書きはできるものの、ちゃんと学んだわけでもないので字も汚い。
普通は読めないし理解できない。
それでもなんとなく意訳できるのは、父娘だから。
「そういうものでしょうか? まったく次元が違うように思えるのですが」
「気にしたら負けですよ。それよりどうします? アリーシア姫」
「ルーンの聖騎士の後継者が精彩を欠いては、人心の安定にも悪影響がでますわ。しばし政務から切り離しましょう」
「おや? 休暇でも与えるんで?」
横から口をはさんだのはルマだ。
愛称は親父さん。
アトルーの街で酒場兼宿屋を営んでいた男で、現在はアリーシアの補佐役となっている。
ルーン王国でいうと国務大臣のような役割だ。
「まさか。この忙しいのに、休暇などあげられるわけがありません」
「ですなぁ」
アトルワはルーンから分離し、独立国となる。
救世の女王との約定により、それは決定事項だ。
ただ、決定したからといって、それだけで万事が回るわけではない。
半年後の独立に向け、現在アトルワでは急ピッチで各種法整備や、国としての体裁づくりが進んでいる。
幹部連中など、文字通り不眠不休だ。
休暇など、ここ一月ほど取れたスタッフは皆無である。
「イロウナトとアンバーの視察をやってもらいましょう」
新たに加わる領地の名を、アリーシアが告げた。
アトルワ、バドス、アキリウ、ガゾールト、そしてイロウナトとアンバー。
これが新生アトルワ王国の版図となる。
ただ、後ろ二つに関しては、まったく手つかずの状態だ。
不死の王の侵攻で滅ぼされたのか、まだ生き残りがいるのか、街や集落がどうなっているのか、さっぱり判らないのである。
戦いが終息して一ヶ月近くが経過しているが、未だに使者の一人も送られてこない。
これは統治力が完全に失われてしまったことを意味するのか。
それとも状況が判らず、カメのように甲羅に閉じこもっているだけなのか。
それすらも判らないのだ。
視察を出さない理由などない。ただ単に出す余裕がなかっただけである。
風話装置の使用が制限されている現状で、遠距離の視察ということになれば、とにかく時間がかかりすぎるから。
「総督職はドバかルマに代行してもらうとして……」
「無理ですな」
「無理ですぜ」
即答する男二人。
忙しいのである。
アトルワ王国が建国されれば、このアトルーが王都となる。
田舎男爵の本拠地、という風体ではあまりに見栄えが悪すぎるだろう。
都市整備や居城の改築、治水や生活動線の確保。やるべきことが山積しているのだ。
とてもではないが、ガゾールトくんだりに出掛けている余裕などない。
「むう……」
あっさりと断られたアリーシアが、頬を膨らます。
年相応に見えた。
自分の娘と同年代の少女にこういう顔をされると、ちょっと弱いドバが助け船を出した。
「最悪、私が赴くことはできますがねえ」
喜色を浮かべる聖賢の姫君。
現金なものである。
「ただ、いくつかの条件は必要になるでしょうね。私の職務を代行する人間も必要です。当然それはアリーシア姫がやるとして、他にも」
「……たしかホクトの下に、ガゾールト伯の嫡子がいましたわね。彼を総督代行にしましょう」
遮って違う案を出す。
自分の仕事が増えると理解した瞬間、見事なまでの手のひら返しだ。
これあるかな我が主君と苦笑するドバとルマ。
ラクをするために民主合議制を導入したアリーシアである。まったくブレがない。
「まあ、それが良いでしょうなぁ」
ルマが頷く。
逆らったりなどしない。だって仕事が増えるのは嫌だもん。
アトルーから届いた辞令書を眺め、ミシディアは深く深くため息を吐いた。
つい先日のアリーシア姫みたいな状況だが、こいつのほうが四十倍くらい深刻そうな顔をしている。
「謎すぎる……」
まったくだ。
新領地総督代行。
それが、ミシディアに課せられた職責である。
総督の北斗がイロウナトとアンバーの視察と民心の平定を兼ねて、長期間不在となるため、その職務を代行する人間が必要になる。
それは判る。
至極当然のことだ。
むしろ責任者不在の状態でガゾールトを放置するとしたら、そっちの方がびっくりである。
「だからって、どうして私なんだ。セラ殿だってリキ殿だっているだろう」
ミシディアは、どちらかといえば新参だ。
しかも敵として対峙し、敗北したのちに降ったという経歴だが、この部分はわりとどうでも良い。
アトルワの上層部を形成する人材集団のうち、最初から盟主アリーシアの味方だった者など、ニアとラインくらいのものだ。
北斗ですら、最初からアトルワ陣営にいたわけではないのである。
だから、元敵対者という肩書きは、アトルワにとってはほとんど意味を成さない。
ただ、ミシディアが仲間となったのはガゾールト領の陥落以後だ。
彼より経歴の浅い幹部は、ティアロットくらいだろう。
古参であるリキやセラフィンを差し置いて、彼が北斗の代行というのはいささかまずいのではないか。
「べつにまずくねえよ。ミシディアは伯爵公子として政務の経験もあるし、ガゾールトの出身者だ。適任だと思うぜ」
総督から一時的に巡察使に戻った北斗が慰めるが、こいつは重責から解放されてウキウキモードなので、説得力が皆無である。
ちなみに、新領地における最高責任者は北斗であるが、第二席はナナではない。
勇名高い剣の舞姫は総督の妻であるが、公的な地位職責は巡察副使である。
したがって、北斗の視察には当然のように同行する。
まあ、ナナの場合は仕事がどうこうという以前に、基本的に北斗とセット販売みたいなものなので、一緒にいることに誰も疑問をいだかないだろう。
そもそも北斗を一時的に総督職から解放するよう願い出たのは彼女である。
アトルーにいる連中しか知らないことではあるが。
「ぐぬぬぬぬ……」
「まあ、俺のいない間、ナウスを任せられるのはお前さんしかいねえんだ。たのむぜ」
「……ホクト卿がそういうなら……」
君しかいない。君ならできる。
この殺し文句は、日本だろうがルーンだろうが有効なようだ。
「リキも、悪いんだけどミシディアのサポートをしてやってくれねぇか? できるヤツだけど、なんつってもまだ若いから。俺と同い年だし。同い年だし」
「なんで二回も言ったんだよ?」
まだ十代なのに重責を背負わされているからだ。
ちなみに盟主が十六歳なので、北斗のアピールはほとんど相手にしてもらえた試しがない。
十六歳の女の子がトップに立って頑張ってるのに、なに泣き言いってんだ、くらいの扱いだ。
ひどい組織である。
「ともあれ、同行できねえのは残念だが、楽しんできてくれ。せっかくのハーレムパーティーだしな」
下品なことを言って笑うリキであった。
北斗の随員はナナとセラフィンとティアロット。
副使が全員女性という、石を投げられそうな巡察使だ。
「ハーレムって。ナナ以外は……」
何か言おうとした北斗だったが、何故か言いよどんだ。
口に出した瞬間、どこかの河を渡っちゃいそうな、そんな予感がしたから。




