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詠唱が始まる。
それは歌声にも似て。
『久遠の扉を押し開き 我が呼び声を響かせよ』
ふわりと逆巻く紅い髪。
魔女の瞳は夢を見る。
それは、此処とは違う世界。
泡沫のように生まれ、音もなく不死の王を包み込んでゆく。
『世界は我の前に在りて問う 其の力の源を
我は世界の前に在りて解く 此の力は扉と』
ティアロットの手から離れた杖が、ゆっくりと宙に浮かぶ。
そして舞うように旋回を始めた。
『掴み取るは見えざる腕 傲慢なる王を恐れずに
奪い去るは叡智の技法 大いなる裁きを知らずに』
地面に広がってゆく魔法陣。
不死の王を取り巻く空間が独立する。
「このような子供だましで」
追放大魔法使いが冷笑を浮かべ、杖を振るった。
詠唱なしで生み出された魔力が、結界内で荒れ狂う。
が、破れない。
はじめて不死の王の表情に焦りがうまれる。
『我が領域は消え去る宿命 故に何人も逃れること叶わず』
生み出された異世界。
それは消え去るために。
それは滅びるために。
急を悟った不死の王が詠唱を始める。
生半可な力では破れない。
ならば大魔法をぶつけ、力ずくで破壊する。
ティアロットの詠唱が加速してゆく。
どちらの魔法が先に完成するか。
スピード勝負だ。
『我は詩う 最後の詩を 滅びるための賛美歌を
我は唱う 末期の唱を 消え去る間際の葬曲を』
ぎちぎちと悲鳴をあげ空間が軋む。
壊されるために生まれた世界が。
色を失ってゆく。
『我は世界に別離を詠う! 鳴り響け! 終焉の鎮魂歌!!』
解き放たれる言霊。
魔女の胸をちりりと痛みが刺す。
それは、別れの痛み。
瞬間。
幾億幾兆の隕石が異世界に降り注ぐ。
壊れる。
崩れる。
世界が、破壊され尽くしてゆく。
異世界を形成し、それを意図的に破壊するという大魔法。
終焉の鎮魂歌と称されるそれは、人が神を滅ぼすために手にした剣といわれている。
行使できるものはルーンに十名もいないし、すべて魔導師級以上である。魔術協会が把握しているそのデータには、ただの魔法使いであるティアロットの名は記されていない。
とっておきの隠し技だ。
がくりと膝をつく魔女。
駆け寄ったセラフィンが支える。
「見事だった。ティアロット」
「これは決まったでしょ……」
力無くティアロットが笑った。見事な赤毛は真っ白になっていた。
魔力の使いすぎである。
異世界が消滅し、残滓だけが漂う。
禁術でこそないものの、その威力は個人を相手に使用するようなものではない。
戦略級といっても大過ないほどだ。
「……やってくれたな。小娘」
ぞごりと、なにもない空間から這い出す。
ありえない。
大魔法の直撃を受け、滅びていないというのか。
声を失うティアロットの前で、こちらの世界に帰ってくる不死の王。
無傷、ではなかった。
左腕は肩から消滅しているし、右足も膝から下がなくなっている。
胴体部分も大きくえぐれていた。
普通の人間であれば、間違いなく死んでいるような大怪我だろう。
もっとも、最初から死んでいるリッチは、普通の人間とはあまりいえないだろうが。
「セラさんごめん……あたしここでリタイヤだわ……もう豆粒ほどの魔法も撃てない」
「いや。充分だぜ」
応えたのは北斗だった。
彼にはもちろん魔法の知識はないし、ティアロットがどういう技を使ってどの程度の消耗したのかも判らない。
別の次元……たとえば二次元世界とかに転移させて、それを壊すことでダメージを与えたのかな、みたいな、ほんわかした解釈だ。
ただ、ものすごいハイパーテクノロジーなんだろーなー、くらいは判るし、真っ白に燃え尽きちゃってるんだから消耗がすごいことになっているのも理解できる。
もうティアロットに無理はさせられない。
「こっから先は、俺の領分だろ」
隙なく双竜剣を青眼に構える。
不死の王が笑ったような気がした。
「貴女が託したものなのか。深緑の風使い」
「そうだ」
「この若者は、カイトス師の後継に相応しいと」
「アルベルト。剣はあくまでも剣だよ。人が道具を使うのだ。その逆ではけっしてない」
「変わりませんな。貴女は」
ルーンの聖騎士の後継者。
獣神キリの末裔。
深緑の風使い。
そして、稀代の大魔法使いの弟子。
最後に残ったのは、この四人だった。
何らかの形で、建国期の英雄たちとの繋がりを持っている。
「これも何かの縁だろう。終わらせるに相応しい」
感慨深げに呟く不死の王。
しかし、それに感応したものはだれもいなかった。
リッチのロマンチシズムに興味を持つほど、彼らは酔狂ではないし、余裕もない。
「縁だというなら、俺が断ち切ってやるさ」
じりじりと間合いを詰める北斗。
不死の王は動かない。
すでに片足を失っているため、機敏な行動などできるはずがないが、北斗は油断しなかった。
そもそもガイコツが自立していることが異常なのだ。
落雷に撃たれ、別の次元に閉じこめられ、それでも生きてるような非常識な相手が、腕や足を失ったくらいで戦闘力を失うとも思えない。
「いいよるわ。小僧めが」
言葉とともに襲いくる不可視の弾丸。
見えないが、軌道を読んで回避する。
魔法防御魔法が付与されているとはいえ、わざわざ当たる理由もない。
右に跳び、左に転がり、徐々に間合いを詰めてゆく。
いっそ詠唱してくれれば、炎か氷の魔法でも使ってくれれば、北斗の屁理屈バリアが発動する可能性がある。
しかし、詠唱なしで飛ばすエネルギー弾では、屁理屈もへったくれもない。
モラン大佐のエアライフルかってレベルだ。
セラフィンが連続して矢を放つ。
少しでも不死の王の攻撃の手を遅らせるために。
しかし、必中の技量を誇るエルフの攻撃は、リッチに届く前に失速して地面に落下する。
こんな状態でも防御魔法を展開しているのだ。
小憎らしいほどの実戦感覚である。
「ならば。風の乙女たちよ。友なるセラフィンに力を貸せ」
精霊魔法での攻撃にシフトするセラフィン。
こちらも不可視の刃を飛ばす。
さすがにまともに受けるつもりはないらしく、大きく後ろへ飛ぶ不死の王。
視線は北斗から外さない。
この場にいる敵のうち、魔法使いが戦えないいま、最も脅威となるのは戦士だからだ。
残りの者は、取るに足りない存在だ。
たとえ深緑の風使いといえども、一対一ならさほど怖れるような強さはない。
まして……。
そこまで考え、敵の数が合わないことに気付く。
猫人の娘はどこに消えた?
「ここだよー」
声は至近から。
ぎょっとして振り返る、こともできなかった。
突如として目の前に現れた踵が、リッチの顔を吹き飛ばす。
そのまま右腕を取られて地面に引き倒された。
ごきりと肘を折られる。
同時に、短刀のように伸びた爪が手首を切り落とした。
「とりあえず、武器いただきー」
一転して跳ね起きたナナ。
落ちた杖を手首ごと遠くへ蹴り飛ばす。
トリッキーな動き。
いつ接近されたのかも判らない。
「この……っ」
くるくると、舞うようにさがってゆく少女を捉えようとしても、もう不死の王には両手がなかった。
そして、魔法を使う時間も、与えられなかった。
どか、と、衝撃が胸の中心を貫く。
双竜剣。
ナナに気を取られた一瞬の間に、北斗が間合いをつめたのである。
彼に突進の契機を作ってやるための、ナナの動き。
そしてナナの接近を隠すため、北斗は攻撃を大げさに回避し続けていた。
幾度も戦場をともに渡り歩いてきた。
声に出しての連携など、このふたりには必要ない。
互いに相棒が何をしようとしているのか、全部判っている。
「終わりだ。不死の王」
胸から脳天へ。
ルーンの聖騎士の剣が斬り上げられた。




