9
最初からオリフィックという男に大望があったのかどうか、セラフィンは良く判らない。
少なくとも出会った当初は、そんな立派な人物には見えなかった。
即物的で享楽的な冒険者。
そんなものはいくらでもいたし、オリフィックにせよガドミールにせよ、多数例から漏れた存在ではなかった。
ただ、それなりに腕は良かったため、大きな仕事をする機会は多かった。
彼らとセラフィン。それに野伏のキリ。
四名のパーティーだった。
「レンジャーってのは何だ?」
エルフの述懐に北斗が口を挟む。
耳慣れない単語である。
彼に理解できる言葉に翻訳されて届いているはずなのだが、知らないものは知らない。
ちなみにスーパー戦隊シリーズという特撮番組の第一作が放送されるのは、北斗の死後三年ほど経過した一九七五年からである。
「野外活動の専門家だよ。ていうかキリってわたしたちのご先祖じゃないかなぁ? 偶然の一致?」
説明しつつもナナが小首をかしげた。
「その可能性を否定する要素はどこにもないな。彼女もまたキャットピープルだった」
「そーなんだー」
セラフィンの言葉にほえほえと感心する。
三百年も昔の事であるため実感はまったく湧かない。
「しかし、そうなると解せない点もあるな。建国王の仲間だったエルフやキャットピープルが、どうして被差別階級になる?」
半ば挙手するように疑問を呈するのはリキだ。
「それに関しては、多少の説明を要するだろうな」
言い置いて、ふたたびセラフィンが話をはじめた。
オリフィック、ガドミール、キリ、そしてセラフィンの四人は、着実に実績を積み重ね、名声を得るようになってゆく。
強大なドラゴンと戦ったこともあった。
部族間の争いを調停したこともあった。
数百を数える盗賊団から、たった四人で村を守りきったこともあった。
若く、鋭気に富んだ英雄たち。
人々は彼らを称えたが、それと同数の、あるいはもっと多くの人々は負の感情を向けてきた。
嫉妬や羨望だ。
暗殺者を送られたことだって一再ではない。
あるいは、降りかかる火の粉を払っているうちに、オリフィックの中に確固たる思いが形成されていったのかもしれない。
いつしか彼らの目的は、個人的な名誉や富ではなく、大陸南西部の安定というものへと変わっていった。
「二十年かかったよ」
ほろ苦い表情をたたえるセラフィン。
多くの味方を得た。
多くの敵を倒した。
多くの味方を失った。
多くの敵を懐柔した。
裏切り、裏切られ、騙し、騙され。
二十年という歳月をかけて、彼らはルーン王国を打ち立てた。
大望を果たしたわけだが、セラフィンの胸に喜びはなかった。
むしろその二十年で、彼女はすっかり人間というものに興味を失っていた。
ただひとりの例外を除いて。
ガドミール。
涼しげな目元と魁偉な肉体をもつ彼女の夫だ。
「夫て……結婚したのか」
「ああ。幾度も一緒に死線をこえているうちに友情が恋へと変わってゆく。べつにそう珍しい心理でもあるまい」
北斗の言葉にもあっさりと応える。
感情を込めず淡々と語れるほどに時間が経過しているということなのだろう。
ともあれ、彼女が人間に興味を失ったのと同様、ガドミールもまた権力闘争に嫌気がさしていた。
二人は友たるオリフィックに願い出て、王宮から遠くはなれた地に所領をもつことになった。
現在のアキリウ、アトルワ、バドスを足したほどの広大な領地である。
これをもって、隣国へ睨みを利かす。
というのが公的な理由付けだった。
ルーンの初代王となったオリフィックには、友たちは地神より風神の加護を良しとする為人だと判っていたのだろう。
宮廷暮らしなど息が詰まるだけだ、と。
僕一人に重荷を押しつけやがって、という露悪趣味な言葉とともに、快く送り出してくれた。
ほどなくして、キリもまた王宮を辞して故郷へと戻る。
そして数年の月日が流れた。
セラフィンは、愛する夫とともに外敵を退け、いくつかの武勲も立てた。
ガドミールに「王国の剣」「ルーンの聖騎士」などという異称が奉られたのもこのころである。
まさに栄達。
夫には公爵の地位が贈られ、妻は公爵夫人の座についた。
しかし、やはり心楽しまぬ日々であったことは疑いない。
ひとつには二人の間に子が生まれなかった、という理由もある。
人間とエルフ。混血が不可能ではないが、やはり簡単ではなかった。
そしてガドミールの年齢は、どんどん子を成すのが難しくなってゆく。
青年期をこえ、壮年と呼ばれる年代に入ったとき、ついに王国が動いた。
愛妾をもつよう働きかけてきたのである。
自らの右腕と頼む人物に後継者がいないことは、建国王オリフィックにとっても不安だったのだろう。
幾人かの美姫が派遣された。
このときのガドミールの赫怒を、三百年が経過したいまでもセラフィンは鮮明に思い出すことができる。
彼女が制止しなければ、軍を率いて王都へ攻め上ったかもしれないほどの、それは怒りようだった。
「オリーは何を考えてやがる! 俺にセラ以外の妻をもてだと!! 玉座ってのは、権力ってのは、人間をここまで腐らせるものなのか!!!」
激語とともに、彼は使者たちを居城から叩き出した。
断金の友情で結ばれていたはずの四人。
修復不可能な亀裂が入った瞬間であった。
その日の内に、彼は妻に告げる。
「野に下ろう」
と。
富貴も、名声も、友情すら捨てて、ガドミールとセラフィンは旅立った。
二人の出奔を知った建国王は怒り狂ったという。
ガドミールの持っていた所領は分割され、幾人かの貴族によって統治されてゆくようになる。
そして、ガドミールと、それをたぶらかしたエルフ娘には追討令が出された。
絶対に許さない、という構えだ。
追っ手を振りきり、二人はエルフたちの住む森へと逃げた。
「ただ、後にして思えば、オリーはそういう手段で私たちを解放してくれたのかもしれないな」
貴族として生きることに違和感をもち続けていた二人を解放するために、あのような手段を用いたのではないか、と、セラフィンは思うことがある。
王国の重鎮となった彼らを市井に戻してやる手段など、罪人とするしか存在しないのだから。
三十年に及ぶ友情。
エルフである彼女にとってすら宝石のような輝きを放つそれを、人間のオリフィックが貴重に思わぬはずがない。
「ともあれ、私とガドが捨てたことには違いはない。責任も友も世も」
数年が経過して、仲間の一人であったキリもルーン王国を離反したという話を、風の噂に聞いた。
「なるほどなぁ」
話を聞き終え、北斗が大きく息を吐いた。
「それが獣人や亜人に対する差別のスタートだったのかもな」
なんともいえない表情のリキ。
「だな。俺もそう思う」
セラフィンが語ったように、当初は友人を政治や権力のしがらみから解放するための方便だったのかもしれない。
しかし、時代とともにそれは変わっていった。
亜人や獣人は、ルーンに逆らった者たちである、と。
あるいは、初代王の死後、王国政府が情報を操作した可能性がある。
明確な差別対象を作ることで、民心の安定を図るために。
「そして、もともと絶対数の少なかった私たちエルフは、逐われ、捕らえられれば奴隷にされるようなっていった」
「まあそのへんは、わたしたち獣人も一緒だけどね」
セラフィンの言葉に、ナナがほろ苦い表情で応える。
王国の歴史は、そのまま獣人や亜人に対する虐待の歴史だ。
「俺たちは、それを終わらせる」
静かな声で言い放つ北斗。
そのために彼らは起った。
血塗られた道であることは百も承知だ。それでも。
「あんたたちにも協力して欲しい」
正面からエルフの長を見つめる。
視線を受け止め、セラフィンが微笑した。
「真っ直ぐな瞳だ。君は、本当にオリーやガドによく似ている」




